HOME 編集部コラム

2024.09.14

編集部コラム「国内初の正式な400mトラック」

毎週金曜日更新!?

★月陸編集部★

攻め(?)のアンダーハンド
リレーコラム🔥
毎週金曜日(できる限り!)、月刊陸上競技の編集部員がコラムをアップ!
陸上界への熱い想い、日頃抱いている独り言、取材の裏話、どーでもいいことetc…。
編集スタッフが週替りで綴って行きたいと思います。
暇つぶし程度にご覧ください!

広告の下にコンテンツが続きます

第257回「国内初の正式な400mトラック(井上 敦)

彌彦神社競技場の碑。嘉納治五郎が揮毫した

パリ五輪閉幕から1ヵ月が経ちました。日本勢は金メダル1つを含む、入賞は11と戦後の五輪では最多。9月13日発売(首都圏基準)の小誌10月号では、120ページ以上割いて詳報しております。このほか、福井全中、U20世界選手権、さらに、学生駅伝ガイド付録と、盛りだくさんの内容です。

さて、パリで大きな成果を挙げた日本陸上界ですが、それも一朝一夕ではなく、黎明期から先人たちの積み重ねがあったからこそ。そこで唐突ですが、一つ昔話を。

昨年の当コラムで、現存する国内最古の陸上競技場は新潟県柏崎市の柏崎市陸上競技場(1923年竣工)と紹介しましたが、日本初となる正式な400mトラックの陸上競技場も新潟県にあったと伝えられています。

それが弥彦村にあった「彌彦神社競技場」です。1919年(大正8年)5月に完成し、開場は6月1日。朝ドラ「虎に翼」のロケ地にもなった弥彦神社の北東に設置されました。その場所には、1880年代に明訓校と呼ばれる私立学校があったそうです。

明治末期の大火による弥彦神社の再建事業として、当時の宮司が県民の体育意識の高揚などを目的に陸上競技場を建設しました。これが、本邦初の400mトラックを持つ陸上競技場とされています。

当然ながら現在のような設備はありませんが、それでも莫大な費用が必要で、長岡市の宝田石油(日本石油/現・ENEOSホールディングスの前身)が巨額を奉納しました。開場から3年後には、当時の大日本体育協会会長で、IOC委員を務めた嘉納治五郎が揮毫した碑が設置されました。

弥彦神社競技場では、県下青年団の体育大会や旧制中学校男子大会など、さまざまな競技会の会場となりました。また全国から選手が集まり、合宿なども盛んに行われたそうです。

しかし、戦後は復興の資金調達を目的に、彌彦神社競技場の跡地に1950年(昭和25年)、弥彦競輪場が設置されます。当時、「陸上競技場ではお金にならない」という声があったとか……(最近も某ナショナルスタジアムでよく聞きますけど)。こうして、日本最初の400mトラックの陸上競技場は姿を消しました。

神社や温泉など観光地の弥彦村でしたが、競輪場からの収入もあり、復興が進むと財政面も豊かになってきます。

弥彦村では1993年から20年間にわたり、全国選抜招待高校駅伝弥彦大会が毎年3月下旬に開催されていました。全国から多数集まり、タスキをつなぎましたが、全国高校駅伝の上位入賞校など一部は、大会名のとおり招待されていました。ほかにも出場校の名前が入ったのぼり旗が用意され、沿道にはびっしりと並んでいました。

私も1996年に出場しましたが、前年の全国高校駅伝優勝校・西脇工(兵庫)、田村(福島)、大牟田(福岡)、清風(大阪)などが参戦。男子は県内外合わせて約60チームが参加していたと思います。

直接的な関係があるかは別として、村が大会を開催できるだけの財政的な余裕があったはずです。400mの陸上トラックが競輪のバンクに変わり、時を経て、陸上競技の普及に還元されていたと思いたいです。

嘉納治五郎が揮毫した碑は現在も残っています。以前はフェンスで囲まれ、競輪場の敷地外からは近づけませんでしたが、今春にフェンスの一部を取り外し、外から入れるようになりました。先日行ってきましたが、碑の横には、競技場の歴史を紹介し、当時の写真を盛り込んだボードも設置されています。

新しい時代を切り拓く活躍に胸を躍らせつつ、古きを知る夏でした。

井上 敦(いのうえ あつし)
1978年8月生まれ。新潟市江南区出身。横越中→新潟明訓高→某大学(陸上では有名だが、陸上部に入っていないので匿名)。月刊陸上競技編集部には2015年6月中旬から在籍。中学で陸上部に入部して最初は100mを始めたものの、夏には400mに転向し、結果的には県大会に進めなかった。しかし、3年秋の駅伝で区間賞獲得やチームの県大会出場をきっかけにまたまた転向を決意。高校は中距離をメインに、2年の県新人戦1500mで6位に入ったのが最高成績だった。

過去の編集部コラムはこちら

毎週金曜日更新!? ★月陸編集部★ 攻め(?)のアンダーハンド リレーコラム🔥 毎週金曜日(できる限り!)、月刊陸上競技の編集部員がコラムをアップ! 陸上界への熱い想い、日頃抱いている独り言、取材の裏話、どーでもいいことetc…。 編集スタッフが週替りで綴って行きたいと思います。 暇つぶし程度にご覧ください!

第257回「国内初の正式な400mトラック(井上 敦)

[caption id="attachment_146526" align="alignnone" width="800"] 彌彦神社競技場の碑。嘉納治五郎が揮毫した[/caption] パリ五輪閉幕から1ヵ月が経ちました。日本勢は金メダル1つを含む、入賞は11と戦後の五輪では最多。9月13日発売(首都圏基準)の小誌10月号では、120ページ以上割いて詳報しております。このほか、福井全中、U20世界選手権、さらに、学生駅伝ガイド付録と、盛りだくさんの内容です。 さて、パリで大きな成果を挙げた日本陸上界ですが、それも一朝一夕ではなく、黎明期から先人たちの積み重ねがあったからこそ。そこで唐突ですが、一つ昔話を。 昨年の当コラムで、現存する国内最古の陸上競技場は新潟県柏崎市の柏崎市陸上競技場(1923年竣工)と紹介しましたが、日本初となる正式な400mトラックの陸上競技場も新潟県にあったと伝えられています。 それが弥彦村にあった「彌彦神社競技場」です。1919年(大正8年)5月に完成し、開場は6月1日。朝ドラ「虎に翼」のロケ地にもなった弥彦神社の北東に設置されました。その場所には、1880年代に明訓校と呼ばれる私立学校があったそうです。 明治末期の大火による弥彦神社の再建事業として、当時の宮司が県民の体育意識の高揚などを目的に陸上競技場を建設しました。これが、本邦初の400mトラックを持つ陸上競技場とされています。 当然ながら現在のような設備はありませんが、それでも莫大な費用が必要で、長岡市の宝田石油(日本石油/現・ENEOSホールディングスの前身)が巨額を奉納しました。開場から3年後には、当時の大日本体育協会会長で、IOC委員を務めた嘉納治五郎が揮毫した碑が設置されました。 弥彦神社競技場では、県下青年団の体育大会や旧制中学校男子大会など、さまざまな競技会の会場となりました。また全国から選手が集まり、合宿なども盛んに行われたそうです。 しかし、戦後は復興の資金調達を目的に、彌彦神社競技場の跡地に1950年(昭和25年)、弥彦競輪場が設置されます。当時、「陸上競技場ではお金にならない」という声があったとか……(最近も某ナショナルスタジアムでよく聞きますけど)。こうして、日本最初の400mトラックの陸上競技場は姿を消しました。 神社や温泉など観光地の弥彦村でしたが、競輪場からの収入もあり、復興が進むと財政面も豊かになってきます。 弥彦村では1993年から20年間にわたり、全国選抜招待高校駅伝弥彦大会が毎年3月下旬に開催されていました。全国から多数集まり、タスキをつなぎましたが、全国高校駅伝の上位入賞校など一部は、大会名のとおり招待されていました。ほかにも出場校の名前が入ったのぼり旗が用意され、沿道にはびっしりと並んでいました。 私も1996年に出場しましたが、前年の全国高校駅伝優勝校・西脇工(兵庫)、田村(福島)、大牟田(福岡)、清風(大阪)などが参戦。男子は県内外合わせて約60チームが参加していたと思います。 直接的な関係があるかは別として、村が大会を開催できるだけの財政的な余裕があったはずです。400mの陸上トラックが競輪のバンクに変わり、時を経て、陸上競技の普及に還元されていたと思いたいです。 嘉納治五郎が揮毫した碑は現在も残っています。以前はフェンスで囲まれ、競輪場の敷地外からは近づけませんでしたが、今春にフェンスの一部を取り外し、外から入れるようになりました。先日行ってきましたが、碑の横には、競技場の歴史を紹介し、当時の写真を盛り込んだボードも設置されています。 新しい時代を切り拓く活躍に胸を躍らせつつ、古きを知る夏でした。
井上 敦(いのうえ あつし) 1978年8月生まれ。新潟市江南区出身。横越中→新潟明訓高→某大学(陸上では有名だが、陸上部に入っていないので匿名)。月刊陸上競技編集部には2015年6月中旬から在籍。中学で陸上部に入部して最初は100mを始めたものの、夏には400mに転向し、結果的には県大会に進めなかった。しかし、3年秋の駅伝で区間賞獲得やチームの県大会出場をきっかけにまたまた転向を決意。高校は中距離をメインに、2年の県新人戦1500mで6位に入ったのが最高成績だった。
過去の編集部コラムはこちら

次ページ:

       

RECOMMENDED おすすめの記事

    

Ranking 人気記事ランキング 人気記事ランキング

Latest articles 最新の記事

2025.11.13

男子20km競歩は張俊、女子20km競歩は楊家玉が連覇 中国全国運動会が開幕

中国の総合スポーツ競技会の第15回全国運動会が広州市を中心に11月9日から開幕している。陸上競技は12日の20km競歩を皮切りに、15日からマラソンを含め、トラック&フィールド種目がスタートする。 同大会は日本の国民スポ […]

NEWS 全中3000mVの出田隆之助擁する中京が県大会連覇 熊本・松橋、栃木・三島など名門校も全国へ/中学駅伝

2025.11.13

全中3000mVの出田隆之助擁する中京が県大会連覇 熊本・松橋、栃木・三島など名門校も全国へ/中学駅伝

12月14日に行われる第33回全国中学校駅伝への出場権を懸けた都道府県大会が佳境を迎えている。11月5日から10日までに、21都府県で代表校が決定した。 関東では5都県で代表が決定。埼玉男子は男衾が1区から主導権を握り、 […]

NEWS やり投・北口榛花  世界一奪還へ向け始動「山を登ったり、ローラースケートをしたり…」右肘も順調に回復

2025.11.13

やり投・北口榛花 世界一奪還へ向け始動「山を登ったり、ローラースケートをしたり…」右肘も順調に回復

一般社団法人 服部真二 文化・スポーツ財団は11月13日、都内で「第8回服部真二賞」の受賞式を開き、女子やり投の北口榛花(JAL)が受賞し、200万円と江戸切子とクオーツ時計を組み合わせたオリジナルトロフィーが贈呈された […]

NEWS やり投・北口榛花に服部真二賞 陸上では初「チャレンジしてみようという気持ちを届けられたら」

2025.11.13

やり投・北口榛花に服部真二賞 陸上では初「チャレンジしてみようという気持ちを届けられたら」

一般社団法人 服部真二 文化・スポーツ財団は11月13日、都内で「第8回服部真二賞」の受賞式を開き、女子やり投の北口榛花(JAL)が受賞した。 同賞は「音楽やスポーツなどの分野において、発展、改革に挑むリーダー、世界に向 […]

NEWS 福岡国際マラソン 招待選手は22年世界陸上代表の西山雄介 日本歴代7位の細谷恭平 同10位の菊地駿弥ら

2025.11.13

福岡国際マラソン 招待選手は22年世界陸上代表の西山雄介 日本歴代7位の細谷恭平 同10位の菊地駿弥ら

日本陸連は11月13日、福岡国際マラソン2025(12月7日/平和台陸上競技場発着)のエントリー選手を発表した。 大会は2028年ロサンゼルス五輪代表につながるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)シリーズ2025 […]

SNS

Latest Issue 最新号 最新号

2025年12月号 (11月14日発売)

2025年12月号 (11月14日発売)

EKIDEN REVIEW
全日本大学駅伝
箱根駅伝予選会
高校駅伝&実業団駅伝予選

Follow-up Tokyo 2025

page top