2023.11.27
オリンピックの花形である陸上競技! 球技に比べると、すこーし“地味”な印象があるかもしれない……。しかし、中高生合わせて、なんと約30万人以上が「陸部」なんです。
実は芸能界で活躍するあの人も、この人も、結構、陸上経験者が多いらしい……。そんな「元陸部」の方々へのインタビュー企画がスタート! きつかった練習は!? 楽しかった思い出は!? 陸上を通して学んだことは!?
アイドルグループ「FES☆TIVE」の一員として人気の土光瑠璃子さんは中学時代に陸上部を経験。「部活をしていなかったらアイドルを続けられていない!」と言う土光さんに、陸上部時代の思い出を聞きました!
仮入部期間でくじけそうに…
――陸上部に入ったきっかけを教えてください。
土光 実はあまり覚えていないのですが……。たぶん、友達が入るから、という理由だったと思います! ウチの中学は全校生徒が1000人近い学校で、陸上部も70人くらいいたと思います。
――運動は得意だったんですか?
土光 幼稚園の時から運動は好きでした。三姉妹の真ん中なのですが、私だけ活発で男の子たちと遊んでいました。いつも制服を汚して怒られていましたね(笑)
得意かどうかは…。走るのも球技も平均以上だったと思います。短距離やリレーよりも持久走のほうが得意でした。
――他に習い事はしていましたか。
土光 小学校の時は水泳、テニス、新体操、チアダンスに通っていました!
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0277.jpg)
幼い頃から活発だったという
――陸上部に入っての第一印象は…?
土光 仮入部期間でくじけそうでした…(笑)。待って、やばい!って。もうすごくきつくて。運動は好きとは言えそこまで体力もないし、腹筋もめちゃくちゃやるし。
母に「何で陸上部に入ったの?」「実は私も陸上部だったんだよ」って後から聞いて知りました。ハードルをしていたそうです。そういう運命だったのかなって思って、背中を押されたのもあって続けました。
――土光さんの種目は。
土光 私もハードルです! 仮入部のうちはいろいろな種目に挑戦しました。走高跳をやってみたくて挑戦したのですが、バーを落とししまってその上に背中が着地してめっちゃ痛かったんです!! それで友達と一緒にハードルをやってみました。
――でもハードルも痛くないですか…?
土光 そうなんです(笑)。すごく痛くて大変でしたが、ずっとハードルでした。得意だったので長距離をやりたいなって思ったのですが、先輩も熱心に教えてくれるのもあって、種目を替えにくくて。
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0064.jpg)
陸上部時代の思い出を語る土光瑠璃子さん
思い出深い河口湖での夏合宿!
――チームの雰囲気はいかがでしたか。
土光 顧問の先生も熱心で、全国大会に行く先輩たちもたくさんいました。厳しかったですね(笑)。入部して少ししてから、友達と笑いながら練習をしていたらすごく怒られました。そこからはまじめに練習しました!
――ハードルは難しくなかったですか。
土光 怖がりだったのでインターバル(ハードル間)の3歩がなかなかいけなかったです。最初は3歩で行っても途中から「ちょこちょこ」って走ってしまいました。先輩や同級生はポンポンと跳べるのに。フレキシブルハードルを使っても抜き脚を左右の柱部分にぶつけてしまって…。「先輩は脚が長いからだ!」ってひねくれていましたね(笑)
――きつかった練習は?
土光 「エンドレスリレー」です!何人かで最初は1000mを走って、次は800m、その次は400m、そして200mと続きます。もうずっと終わらないんです。あとは夏合宿もよく覚えています。
――合宿もあったんですね!
土光 河口湖の西湖でありました。午前中に西湖を1周します。確か10kmくらいあるのですが、1時間以内に走りきらないとお昼ご飯にありつけないんです。もう死ぬ気で走って何とかご飯を食べないとって。でも、走りきって無事にご飯を食べるのですが、少食でなかなか食べ終わらないんです! 午後の練習もあるのでそれも大変でした。今思うと、人生で一番きつかった体験かもしれません。初めて乗り越えた高い壁でしたね。
――楽しかった思い出はありますか。
土光 やっぱり種目練習が楽しかったです。インターバルが3歩で跳べる台数が増えていくとうれしかったですね。先輩のまねをしたり、アドバイスをもらったり。前傾して、身体を折りたたむ姿勢を意識していました。家でも柔軟性を高めようとストレッチをしていましたね。結構、負けず嫌いなので“コソ練”していました!
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0342.jpg)
バトンの受け渡しを思い出す
――達成感があった瞬間は?
土光 一度、記録会に出るために走高跳に挑戦したんですが、練習の中で何度やっても跳べない高さをやっと跳べた時があったんです。着地して振り返った時にバーが落ちていなくて、その瞬間が一番感動しました!! ハードルではないんですけど(笑)
みんなでリレーや応援を頑張ったのも良い思い出です。リレーは先生が力を入れていて、専門種目に関係なくみんな練習しました。いろいろな組み合わせをしてタイムを計って。腕を上に上げて、手をしっかり広げて下に向けるって何度もやりましたね。
試合の時は会場に早く着いてシートを敷いて場所取りしていました。神奈川県出身なので、三ツ沢はよく試合で行っていましたね。強い先輩たちを全力で集団応援していて、団結するのはすごいなって感動していました。
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/doko.jpg)
仮入部期間でくじけそうに…
――陸上部に入ったきっかけを教えてください。 土光 実はあまり覚えていないのですが……。たぶん、友達が入るから、という理由だったと思います! ウチの中学は全校生徒が1000人近い学校で、陸上部も70人くらいいたと思います。 ――運動は得意だったんですか? 土光 幼稚園の時から運動は好きでした。三姉妹の真ん中なのですが、私だけ活発で男の子たちと遊んでいました。いつも制服を汚して怒られていましたね(笑) 得意かどうかは…。走るのも球技も平均以上だったと思います。短距離やリレーよりも持久走のほうが得意でした。 ――他に習い事はしていましたか。 土光 小学校の時は水泳、テニス、新体操、チアダンスに通っていました! [caption id="attachment_121253" align="alignnone" width="800"]![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0277.jpg)
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0064.jpg)
思い出深い河口湖での夏合宿!
――チームの雰囲気はいかがでしたか。 土光 顧問の先生も熱心で、全国大会に行く先輩たちもたくさんいました。厳しかったですね(笑)。入部して少ししてから、友達と笑いながら練習をしていたらすごく怒られました。そこからはまじめに練習しました! ――ハードルは難しくなかったですか。 土光 怖がりだったのでインターバル(ハードル間)の3歩がなかなかいけなかったです。最初は3歩で行っても途中から「ちょこちょこ」って走ってしまいました。先輩や同級生はポンポンと跳べるのに。フレキシブルハードルを使っても抜き脚を左右の柱部分にぶつけてしまって…。「先輩は脚が長いからだ!」ってひねくれていましたね(笑) ――きつかった練習は? 土光 「エンドレスリレー」です!何人かで最初は1000mを走って、次は800m、その次は400m、そして200mと続きます。もうずっと終わらないんです。あとは夏合宿もよく覚えています。 ――合宿もあったんですね! 土光 河口湖の西湖でありました。午前中に西湖を1周します。確か10kmくらいあるのですが、1時間以内に走りきらないとお昼ご飯にありつけないんです。もう死ぬ気で走って何とかご飯を食べないとって。でも、走りきって無事にご飯を食べるのですが、少食でなかなか食べ終わらないんです! 午後の練習もあるのでそれも大変でした。今思うと、人生で一番きつかった体験かもしれません。初めて乗り越えた高い壁でしたね。 ――楽しかった思い出はありますか。 土光 やっぱり種目練習が楽しかったです。インターバルが3歩で跳べる台数が増えていくとうれしかったですね。先輩のまねをしたり、アドバイスをもらったり。前傾して、身体を折りたたむ姿勢を意識していました。家でも柔軟性を高めようとストレッチをしていましたね。結構、負けず嫌いなので“コソ練”していました! [caption id="attachment_121254" align="alignnone" width="800"]![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0342.jpg)
陸上部だったからアイドルを続けられた
――芸能活動は始めたのはいつ頃ですか。 土光 中2の途中からです。夏くらいに最初に所属していたグループのオーディションを受けました。最初は妹がアイドルになりたいって言っていて、そこから自分も少しずつ興味が湧きました。そうしたら、今同じグループにいる従姉妹の青葉ひなりが芸能活動をして、「自分も!」ってさらに強く思ってオーディションに応募しました。 しばらく応募したのも忘れて、普通に西湖の夏合宿に行っていました(笑)。帰ってきてしばらくしてから一次審査の通過の連絡がありました。当時は日焼けして真っ黒だったので、「それは日焼け? 地黒?」って聞かれました。ずっと部活をやっていましたし、メイクもしていなかったので…。 合格してからは部活に顔を出せなくなりました。負けず嫌いだし、最後まで続けたかったので、結局、退部届を出していないと思います(笑) [caption id="attachment_121250" align="alignnone" width="800"]![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0112.jpg)
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FU1_0031.jpg)
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_0699.jpg)
どこう・るりこ/1999年10月7日生まれ、神奈川県出身。中学時代に陸上部に所属してハードルが専門種目だった。中2の秋に「Tokyo Cheer② Party」の4期生として加入。17年3月の解散まで活動した。18年4月に「FES☆TIVE」に加入。愛称は「るー」で、イメージカラーは赤。同じグループの青葉ひなりは従姉妹。グループの公式HP、X(Twitter)、Instagram |
![](https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/20231116_155736.jpg)
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