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2026.06.30

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【学生長距離Close-upインタビュー】中距離で存在感を放つ立教大・青木龍翔 「チームを勢いづけたい」

立教大の青木龍翔

学生長距離Close-upインタビュー
青木 龍翔 Aoki Ryoto 立教大4年

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「月陸Online」限定で大学長距離選手のインタビューをお届けする「学生長距離Close-upインタビュー」。59回目は、立教大の青木龍翔(4年)をピックアップする。

5月の関東インカレ(2部)1500mでは3連覇を達成。6月の日本選手権でも決勝へ進んでいる。

夏以降は長距離へシフトし、箱根駅伝予選会に挑戦する意向を示している。中距離で躍進した青木のこれまでの道のりや将来的なビジョンについて聞いた。

セイコーGGPで初の3分40秒切り

1500mを主戦場とする立教大の青木龍翔(4年)が好調だ。

関東インカレ(2部)では、青学大勢をしりぞけて圧巻の3連覇。日本選手権は予選を5着で突破し、決勝に駒を進めた。

さらに、関東インカレの4日前に行われたセイコーゴールデングランプリでは、初めて3分40秒を切り、3分39秒97の自己ベストを打ち立てている。

しかしながら、青木自身にとっては、決して満足のいくシーズンを送っていたわけではなかった。「2月にケガをしてしまって、思うようなシーズンインができませんでした」

2月に左脚の膝裏の半腱様筋、さらには、右足のアキレス腱とケガが相次ぎ、当初の予定よりシーズンインが遅れた。4月は東京六大学対校に始まり、日本グランプリシリーズの金栗記念と織田記念と続いたが、なかなか本調子の走りができなかった。

そんな状況だったにもかかわらず、5月のセイコーゴールデングランプリで自己ベストをマーク。しかし、この大会はもともとスケジュールに組み込まれていたわけではなく、急遽出場が決まったレースだった。

「セイコーゴールデングランプリの招待がメールで来ていたことに気づいてなかったんです。関東インカレの10日前の最後のポイント練習が終わった後にメールに気づいて、急遽、監督に相談し、イレギュラーな形にはなりましたが、大学最後の年だし、挑戦してみようということになりました」

関東インカレに照準を合わせるなか、急ピッチで仕上げたこともあって、万全な状態で迎えたとは言い難かった。

「本調子ではない状態で、最低限の3分40秒を切ったことに、自分の成長もありましたが、レース中に揉まれてしまい、自分の力を出せなかった。もうちょっと行けたなっていう気持ちがありました。その部分が悔しかったです」と振り返る。

思いがけず3分40秒切りを果たしたものの、それは最低限の結果。レース内容には悔いを残した。

関東インカレは順当に勝利を収めたが、日本選手権は、教育実習の真っ只中で迎えた。調整トレーニングもままならない状況で、思うように調子が上がってこないまま、試合に臨んだ。

「決勝は残れたんですけど、最低でも入賞はしたかったです。大学4年間の集大成という部分では、ちょっと悔いが残る日本選手権になりました」

なんとか予選は突破したものの、決勝は最下位に終わり、集大成のレースで納得のいく走りができなかった。

はたから見れば好調に映っても、このように青木自身にとっては、すっきりしないレースが続いていた。それでも、昨季から一段成長したのは確かなことだ。それは、自身も実感している。

これまでは試合が立て込むと、体力が保たないと感じることが多かったが、今季は連戦にも耐えられるようになってきた。

昨冬は長距離部員と一緒に二重閾値の練習に取り組み、朝も午後もある程度負荷の高いトレーニングを積んできた。その成果と見ていい。

「キャパシティがすごく広くなった。試合が続いても、ある程度は自分の走りができ、最低限の結果を出せるようになったと感じています」。青木のいう“最低限”のラインも、昨年度からは確実に一段高いものになっている。

一つ一つを積み重ねた先に、いつの日か爆発的な走りを見せてくれそうな予感がある。

福岡県出身の青木は、陸上一家に育った。母・早穂子さん(旧姓:城土)は400mハードルの選手で1994年の日本選手権を制し、同年のアジア大会に出場した。父も実業団で陸上をしていた。

さらに、2人の姉も陸上選手で、福岡・筑紫女学園高で母の指導を受けたハードラーだ。3歳上の穂花(ゼンリン)は今年の日本選手権で400mハードルを制し、母娘2代でアジア大会の日本代表に選出された。

青木は小学校6年間、野球に取り組み、小6の時にはキャプテンを務め、ピッチャーもキャッチャーもこなすユーティリティプレーヤーだった。それでも、中学進学を機に陸上の道に進んだ。

「野球を続けるか、陸上をするか、迷ったんですけど、家族が陸上をしているのが大きかったです。小学生の頃にも陸上の記録会で100mとか800mを走ったことがあって、そこで陸上の楽しさを味わえたことも大きかったです」

両親に強制されたわけではなかったが、自然の流れで、自ら陸上競技を選んだ。

中学に入ると下級生の頃は100mから1500mまで、様々な種目にチャレンジしたという。野球少年だった頃にグラウンドを走り回ったことが生きたのだろう。最も成績が良かったのが中長距離だった。母や姉の専門種目であるハードルにはチャレンジしたこともなかったという。

また、1学年上には、昨年度帝京大で主将を務めた柴戸遼太(現・西鉄)がおり、「柴戸先輩を追いかけていたら、自分もどんどん強くなっていきました」と言う。そして、3年時には全中に1500mと3000mの2種目で出場。1500mでは4位入賞を果たした。

高校は、“強くなりたい”“速くなりたい”という一心で、福岡・大牟田高に進んだ。『駅伝部』という名前の通り長距離の名門として知られるが、青木は800mと1500mの2種目で活躍した。

[caption id="attachment_131366" align="alignnone" width="800"] 立教大の青木龍翔[/caption] 学生長距離Close-upインタビュー 青木 龍翔 Aoki Ryoto 立教大4年 「月陸Online」限定で大学長距離選手のインタビューをお届けする「学生長距離Close-upインタビュー」。59回目は、立教大の青木龍翔(4年)をピックアップする。 5月の関東インカレ(2部)1500mでは3連覇を達成。6月の日本選手権でも決勝へ進んでいる。 夏以降は長距離へシフトし、箱根駅伝予選会に挑戦する意向を示している。中距離で躍進した青木のこれまでの道のりや将来的なビジョンについて聞いた。

セイコーGGPで初の3分40秒切り

1500mを主戦場とする立教大の青木龍翔(4年)が好調だ。 関東インカレ(2部)では、青学大勢をしりぞけて圧巻の3連覇。日本選手権は予選を5着で突破し、決勝に駒を進めた。 さらに、関東インカレの4日前に行われたセイコーゴールデングランプリでは、初めて3分40秒を切り、3分39秒97の自己ベストを打ち立てている。 しかしながら、青木自身にとっては、決して満足のいくシーズンを送っていたわけではなかった。「2月にケガをしてしまって、思うようなシーズンインができませんでした」 2月に左脚の膝裏の半腱様筋、さらには、右足のアキレス腱とケガが相次ぎ、当初の予定よりシーズンインが遅れた。4月は東京六大学対校に始まり、日本グランプリシリーズの金栗記念と織田記念と続いたが、なかなか本調子の走りができなかった。 そんな状況だったにもかかわらず、5月のセイコーゴールデングランプリで自己ベストをマーク。しかし、この大会はもともとスケジュールに組み込まれていたわけではなく、急遽出場が決まったレースだった。 「セイコーゴールデングランプリの招待がメールで来ていたことに気づいてなかったんです。関東インカレの10日前の最後のポイント練習が終わった後にメールに気づいて、急遽、監督に相談し、イレギュラーな形にはなりましたが、大学最後の年だし、挑戦してみようということになりました」 関東インカレに照準を合わせるなか、急ピッチで仕上げたこともあって、万全な状態で迎えたとは言い難かった。 「本調子ではない状態で、最低限の3分40秒を切ったことに、自分の成長もありましたが、レース中に揉まれてしまい、自分の力を出せなかった。もうちょっと行けたなっていう気持ちがありました。その部分が悔しかったです」と振り返る。 思いがけず3分40秒切りを果たしたものの、それは最低限の結果。レース内容には悔いを残した。 関東インカレは順当に勝利を収めたが、日本選手権は、教育実習の真っ只中で迎えた。調整トレーニングもままならない状況で、思うように調子が上がってこないまま、試合に臨んだ。 「決勝は残れたんですけど、最低でも入賞はしたかったです。大学4年間の集大成という部分では、ちょっと悔いが残る日本選手権になりました」 なんとか予選は突破したものの、決勝は最下位に終わり、集大成のレースで納得のいく走りができなかった。 はたから見れば好調に映っても、このように青木自身にとっては、すっきりしないレースが続いていた。それでも、昨季から一段成長したのは確かなことだ。それは、自身も実感している。 これまでは試合が立て込むと、体力が保たないと感じることが多かったが、今季は連戦にも耐えられるようになってきた。 昨冬は長距離部員と一緒に二重閾値の練習に取り組み、朝も午後もある程度負荷の高いトレーニングを積んできた。その成果と見ていい。 「キャパシティがすごく広くなった。試合が続いても、ある程度は自分の走りができ、最低限の結果を出せるようになったと感じています」。青木のいう“最低限”のラインも、昨年度からは確実に一段高いものになっている。 一つ一つを積み重ねた先に、いつの日か爆発的な走りを見せてくれそうな予感がある。 福岡県出身の青木は、陸上一家に育った。母・早穂子さん(旧姓:城土)は400mハードルの選手で1994年の日本選手権を制し、同年のアジア大会に出場した。父も実業団で陸上をしていた。 さらに、2人の姉も陸上選手で、福岡・筑紫女学園高で母の指導を受けたハードラーだ。3歳上の穂花(ゼンリン)は今年の日本選手権で400mハードルを制し、母娘2代でアジア大会の日本代表に選出された。 青木は小学校6年間、野球に取り組み、小6の時にはキャプテンを務め、ピッチャーもキャッチャーもこなすユーティリティプレーヤーだった。それでも、中学進学を機に陸上の道に進んだ。 「野球を続けるか、陸上をするか、迷ったんですけど、家族が陸上をしているのが大きかったです。小学生の頃にも陸上の記録会で100mとか800mを走ったことがあって、そこで陸上の楽しさを味わえたことも大きかったです」 両親に強制されたわけではなかったが、自然の流れで、自ら陸上競技を選んだ。 中学に入ると下級生の頃は100mから1500mまで、様々な種目にチャレンジしたという。野球少年だった頃にグラウンドを走り回ったことが生きたのだろう。最も成績が良かったのが中長距離だった。母や姉の専門種目であるハードルにはチャレンジしたこともなかったという。 また、1学年上には、昨年度帝京大で主将を務めた柴戸遼太(現・西鉄)がおり、「柴戸先輩を追いかけていたら、自分もどんどん強くなっていきました」と言う。そして、3年時には全中に1500mと3000mの2種目で出場。1500mでは4位入賞を果たした。 高校は、“強くなりたい”“速くなりたい”という一心で、福岡・大牟田高に進んだ。『駅伝部』という名前の通り長距離の名門として知られるが、青木は800mと1500mの2種目で活躍した。

駅伝強豪校で苦しさ味わう

「800mはもともと試合に出る予定はなかったんですけど、谷本(昂士郎、現・順大)と一緒に出たら、結構記録が出たんです。そこからだいぶ方向が変わり、インターハイ路線は800mと1500mで勝負しようという話になりました」 それが2年生の時で、その年のインターハイでは800mで5位入賞し、1500mは9位に入った。さらに3年時には、800m2位、1500m3位と2種目で表彰台に上がった。 もちろん駅伝部に所属している身として、インターハイが終わると、みっちりと走り込んだ。5000mでも14分19秒55という記録を残している。 だが、駅伝では苦い思いを味わった。2年時は福岡県予選でアンカーを務め、区間31位と振るわず、先頭で受けたタスキを3位まで後退させてしまった。3年時の県予選では、4区を任されたが逆転を喫し、チームは再浮上できないまま、またしても全国の切符を逃した。 「2年連続でブレーキしてしまって、2年目は実力不足も大きかったですが、練習の過程にも問題があったと思いました。自分でいろいろ考えて取り組むのではなく、先生に言われたことをそのままやるだけになってしまっていて、自分のものにできていなかったと感じました」と吐露する。 駅伝の失敗から自主性を持つことがいかに大事かを学んだ。その気づきが、立教大に進学する決め手にもなった。 「立教大学は自分で考えて、自分のやるべき練習をやる。そういう部分で、自分に合っていると思いました。進路の選択は迷いましたが、長距離の中で揉まれながら1500mを極めていこうと考えて、立教大学を選びました」と明かす。 大学駅伝の強豪校や、中距離に力を入れている大学からも誘いがあったが、箱根駅伝に復帰したばかりの立教大に進学を決めた。 1年生の頃は、入学前に膝をケガした影響で、練習を積むことさえなかなかできなかったが、そのケガが癒えると1500mで活躍した。 2年時に就任した高林祐介駅伝監督も、青木を自立した選手として扱い、意思を尊重してくれた。「高林監督と常にコミュニケーションをとって、二人で試行錯誤しながら、1500mはどういう練習をすればいいのか、どういう調整をすればいいのか探りながらやってきました」 駅伝チームの中で異質の存在だが、進路選択の際に青木が予感した通り、立教大というチームで学生トップクラスの選手に駆け上がっていった。 将来は、もちろん1500mで世界を目指すつもりだ。だが、大学ラストイヤーは箱根駅伝にもチャレンジする心構えだ。駅伝チームに所属する身として、これまでも箱根駅伝等でサポート役を担ってきたが、今度は選手としてその舞台を目指す。 「大1、大2の時は、そもそも1500mでも学生トップで走っていないですし、あまり想像ができなかったので箱根は考えていませんでした。3年になって力が付いてきて、最近は考えることが大きくなってきました」と話す。 10000mやハーフマラソンに挑戦するまでには至っていないものの、その前段として、昨年11月は5000mに出場し14分00秒24の自己ベストをマークしている。 この夏も、駅伝部の一員として長距離の練習に取り組む予定だ。 「すぐに全部の練習で、みんなと同じ距離を走るのは難しいと思うんですけど、ポイント練習などは一緒にできると思うので、チームに良い影響を与えたい。自分が引っ張ったり、一緒に練習をこなしたりすることで、箱根に向けてチームを勢いづけたいです。今まで以上に長い距離に対して意欲的に取り組んで、結果を出せるように、夏は楽しみながらも、ケガをしないように集中して頑張っていきたいです」 昨年の箱根駅伝予選会ではボーダーラインぎりぎりでの通過と立教大は苦戦した。 また、今年の全日本大学駅伝選考会は15位に終わり、本大会出場が遠かった。チームは苦戦が続くが、青木は自ら起爆剤になるつもりだ。そんな覚悟を持って、大学最後の夏を迎えようとしている。 [caption id="attachment_131366" align="alignnone" width="800"] セイコーゴールデングランプリに出場した青木[/caption] ◎あおき・りゅうと/2004年4月26日生まれ、福岡県出身。那珂中→大牟田高→立教大。自己記録1500m3分39秒97、5000m14分00秒24。 文/和田悟志

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