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2026.06.30

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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第70回「サッカーワールドカップに触れて~寄り添ったコーチング~」

山梨学院高出身の日本代表選手

選手が輝きを放つのはスポーツのプレーの中にこそある。その輝きの源流は身体能力の誇示としてではなく、それぞれの選手が持てる力を存分に発揮しようと不断の努力を継続してきた流れがあるがこそであろう。

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ロナウド選手の立ち居振る舞いと発言は、彼の信念としての発言であったはずだ。そう確信できるのは、12年後の今もW杯のピッチで輝きを放っているからだ。

スポーツ科学的な見解からすればサッカー選手のスピード・瞬発力・持久力は24歳~26歳ころにピークを迎えるといわれている。それを凌駕するトレーニングと節制、身に着けてきた視野の広さと戦術の多様な対応力などがあるからだろう。若手の台頭も注目だが、これからの決勝トーナメントはその点にも注目したい。

なぜならば、実業団などの駅伝チームの編成にもかならず経験豊かンリーダーシップが発揮できる選手の存在が欠かせないと見て取れるからだ。

併せて注目しているのが山梨学院高出身でワールドカップのピッチで奮闘している、前田大然選手と渡辺剛選手である。山梨学院高が全国高校駅伝で初優勝した年に渡辺選手が2年生、前田選手が1年生であった。

当時のことをよく知る山梨学大と高校の男女サッカー部総監督の横森巧氏にお話を伺った。

横森氏は日体大を卒業後に山梨・韮崎高教員として1975年には全国高校総合体育大会サッカーで優勝、全国高校サッカー選手権大会においては14年間で10回出場そのうち5大会連続ベスト4進出という偉業を成し遂げている。

2005年より山梨学大サッカー部監督に就任。以後山梨学院高監督として第88回全国高校サッカー選手権で優勝に導き現在は総監督として高校と大学で指揮を振るっておられる。

単刀直入に「世界の舞台で活躍することが当時想像できていましたか?」と問うてみた。

横森氏いわく「日本代表としてW杯のピッチで活躍する姿はその時点でイメージできなかった。ただ前田はやってやろうというすごく前向きな気持ちを持っている選手であったし、渡辺は向上心が強く、厳しく指導してもへこたれないメンタルの持ち主であったことは間違いない」と即答された。

それぞれの高校時代のエピソードをお伺いすると。渡辺選手は高校1年生の時に韓国遠征に連れて行き、明らかに格上のユースチームと対戦した時に体格差など吹き飛ばすような負けまいとする強い闘争心あふれるプレーに将来性を感じたと言われた。サッカーがうまいかどうかではなく、その強いメンタリティーに惹かれたそうだ。

前田選手は、その当時の他の選手たちとサッカーのうまさを逆手に取り、少し調子に乗ってしまうところがあり部活動から謹慎を与えられたことがあったことは記憶にある。

全国から集まってくる部員の中で、大阪出身の前田選手もサッカーのうまい選手として入学したことであったはずだ。思春期の血気盛んな年代とは言え、指導陣から厳しい判断が下された。

横森氏いわく「サッカーがうまくなりたいという気持ちはどの選手も持ち合わせている。そのために厳しいトレーニングや節制の継続、自己犠牲の精神や探求心などジュニアの時代に身につけなければならないことはたくさんある」

「あの時は謹慎期間中に厳しく親代わりをしてくれるような職人堅気のパン屋さんのご主人にお願いして、早朝5時からと夕方に2時間ずつご奉公のつもりで毎日通うようにと命じて行かせた」

「時折、作業場をのぞきに行くと、普通なら何でこんなことやらなければならないのかと反発するところを、厳しく叱責されるような作業場でも明るく返事をしながら作業している姿があった」と思い起こしつつ語ってくれた。

「技術力で勝負するサッカーのように見えるが、実のところ心が体を支配するのがサッカーでもある。この謹慎期間中にもめげずに前を向きつつ自分に足りない部分を気付くことができたところに彼の今があるのではないだろうか」と結んでいただいた。

職人気質の厳しい親父さんのパン工房で、時に怒鳴りつけられながらも一心に作業を続けた前田選手の姿とピッチで猛然とプレーする姿が重なる。背景には「この選手を何とかしたい」という思いを受け取ったやり取りがあったことは想像に難くない。

厳しい言葉の中にも思いやりという目に見えない周波数が前田選手の琴線に触れたのなら、おごりを捨ててサッカーと向き合った日々の蓄積があるはずだ。

それにしても、謹慎期間中に厳しく指導してくれるパン工房に送り込んだ英断も素晴らしいことであり、視点を変えれば最近コーチング研修でたびたび使われる“選手に寄り添ったコーチング”であったと思う。

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学名誉教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任し、26年3月に退任。
山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

70回「サッカーワールドカップに触れて~寄り添ったコーチング~」

原稿の締め切間近で焦る気持ちとは裏腹に、チャンネルはサッカーワールドカップ(W杯)の中継に合わせて見入ってしまう。 昨年東京で開催された世界陸上は記憶に新しい。当然ながら世界のスーパースターが終結し素晴らしいパフォーマンスに終日魅了された。世界のトッププレーヤーの集う大会となれば現場で観戦したくなる。それがかなわなければリアルタイムで視聴したくなるのが人の情だ。 W杯も世界の各地区予選の厳しい戦いを勝ち上がってきた強豪チームとの戦いであることから、これまた当然のごとく目が離せない……と言い訳しつつ、原稿締め切り間近のキーボードを打つ手が止まってしまう。 目の覚めるようなスーパーゴールや驚嘆するパス回し、ディフェンスの妙技に息をのむことしばしばである。 特に今大会は40歳前後でもチームの要としてプレーし続けるクリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)やルカ・モドリッチ(クロアチア)、ロメル・ルカク(ベルギー)、エディン・ジェコ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、リオネル・メッシ(アルゼンチン)らの百戦錬磨の経験と判断力がチームにどのような影響力を与えているのかに注目している。 ベテラン選手がチームに存在することで得られる相乗効果は、チームの熱量を変え勝敗を左右すると言われている。日本チームにとっての長友佑都選手の存在もそういった意味では大きいと考えられる。 存在の大きさという観点からすれば、実力も実績もあり注目度の高い選手はその立ち居振る舞いに当然ながら注目が集まる。 そういった意味ではロナウド選手と一人の少年のストーリーを思い起こすことができる。 2014年7月。東京で開催されるイベントに出演するために来日していたロナウド選手に質問ができる3名を抽選で応募することが企画されたそうだ。 抽選で選ばれた3名の少年がロナウド選手にそれぞれ直接質問する中で、最後に登壇した当時小学6年生の少年がメモ用紙に書いたポルトガル語で質問を読み上げた。 当然のことながら緊張もあり、たどたどしい質問ではあった。ロナウドは真剣に向き合って話を聞き質問に答えようとしていた。少年のあまりに稚拙な発音に集まっていた取材陣から失笑がこぼれた。 その時ロナウド選手は一生懸命質問しようとする少年に敬意を込め、会場の記者に向かって「なぜ皆さんは笑うのですか? 彼のポルトガル語は素晴らしい。そして喜ぶべきことなんだ。彼は今とても難しいことにチャレンジしているんだから」と語りかけ諭した。 その場ではそんなやり取りがあったこととは露とも知らず、少年は「成功を手にするにはどのようにしたら良いですか?」と質問を続けていた。 ロナウド選手は少年に向かって「私がいつも言っていることは、強く信じ、厳しいトレーニングをし、自身の力を信じたら人生ではチャンスが来るんだ。サポートをしてくれる人・運・も必要だけれども人生ではみんなにチャンスは巡ってくると思っている。みんな一度はチャンスが来ると思う」と丁寧な言葉使いで語りかけた。 さらに続けて「私がこの少年に送るメッセージは自分の力を信じて一生懸命に取り組み、自分自身にその時間を100%捧げる覚悟で取り組むんだ。そして夢を描くんだ。“可能なんだ”ってずっと信じるんだよ」と語りかけた。 その少年にとって夢のような時間であったにせよ、その言葉をきっと大切に競技に取り組んだことは疑いようがない。 その少年が縁あって山梨学院高へと進学し、3年で2020年全国高校サッカー選手権に念願の登録メンバーとしてとして2回戦途中から出場し堅実な守備で3回戦へと導いた。3回戦途中で負傷途中交代するもチームは11年ぶり2度目の優勝を果たしている。 当時100名を超えるサッカー部員の中にあってくじけず前を向いてあきらめなかったからこそつかんだチャンスであったと思いい越すことができた。

山梨学院高出身の日本代表選手

[caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] [/caption] 選手が輝きを放つのはスポーツのプレーの中にこそある。その輝きの源流は身体能力の誇示としてではなく、それぞれの選手が持てる力を存分に発揮しようと不断の努力を継続してきた流れがあるがこそであろう。 ロナウド選手の立ち居振る舞いと発言は、彼の信念としての発言であったはずだ。そう確信できるのは、12年後の今もW杯のピッチで輝きを放っているからだ。 スポーツ科学的な見解からすればサッカー選手のスピード・瞬発力・持久力は24歳~26歳ころにピークを迎えるといわれている。それを凌駕するトレーニングと節制、身に着けてきた視野の広さと戦術の多様な対応力などがあるからだろう。若手の台頭も注目だが、これからの決勝トーナメントはその点にも注目したい。 なぜならば、実業団などの駅伝チームの編成にもかならず経験豊かンリーダーシップが発揮できる選手の存在が欠かせないと見て取れるからだ。 併せて注目しているのが山梨学院高出身でワールドカップのピッチで奮闘している、前田大然選手と渡辺剛選手である。山梨学院高が全国高校駅伝で初優勝した年に渡辺選手が2年生、前田選手が1年生であった。 当時のことをよく知る山梨学大と高校の男女サッカー部総監督の横森巧氏にお話を伺った。 横森氏は日体大を卒業後に山梨・韮崎高教員として1975年には全国高校総合体育大会サッカーで優勝、全国高校サッカー選手権大会においては14年間で10回出場そのうち5大会連続ベスト4進出という偉業を成し遂げている。 2005年より山梨学大サッカー部監督に就任。以後山梨学院高監督として第88回全国高校サッカー選手権で優勝に導き現在は総監督として高校と大学で指揮を振るっておられる。 単刀直入に「世界の舞台で活躍することが当時想像できていましたか?」と問うてみた。 横森氏いわく「日本代表としてW杯のピッチで活躍する姿はその時点でイメージできなかった。ただ前田はやってやろうというすごく前向きな気持ちを持っている選手であったし、渡辺は向上心が強く、厳しく指導してもへこたれないメンタルの持ち主であったことは間違いない」と即答された。 それぞれの高校時代のエピソードをお伺いすると。渡辺選手は高校1年生の時に韓国遠征に連れて行き、明らかに格上のユースチームと対戦した時に体格差など吹き飛ばすような負けまいとする強い闘争心あふれるプレーに将来性を感じたと言われた。サッカーがうまいかどうかではなく、その強いメンタリティーに惹かれたそうだ。 前田選手は、その当時の他の選手たちとサッカーのうまさを逆手に取り、少し調子に乗ってしまうところがあり部活動から謹慎を与えられたことがあったことは記憶にある。 全国から集まってくる部員の中で、大阪出身の前田選手もサッカーのうまい選手として入学したことであったはずだ。思春期の血気盛んな年代とは言え、指導陣から厳しい判断が下された。 横森氏いわく「サッカーがうまくなりたいという気持ちはどの選手も持ち合わせている。そのために厳しいトレーニングや節制の継続、自己犠牲の精神や探求心などジュニアの時代に身につけなければならないことはたくさんある」 「あの時は謹慎期間中に厳しく親代わりをしてくれるような職人堅気のパン屋さんのご主人にお願いして、早朝5時からと夕方に2時間ずつご奉公のつもりで毎日通うようにと命じて行かせた」 「時折、作業場をのぞきに行くと、普通なら何でこんなことやらなければならないのかと反発するところを、厳しく叱責されるような作業場でも明るく返事をしながら作業している姿があった」と思い起こしつつ語ってくれた。 「技術力で勝負するサッカーのように見えるが、実のところ心が体を支配するのがサッカーでもある。この謹慎期間中にもめげずに前を向きつつ自分に足りない部分を気付くことができたところに彼の今があるのではないだろうか」と結んでいただいた。 職人気質の厳しい親父さんのパン工房で、時に怒鳴りつけられながらも一心に作業を続けた前田選手の姿とピッチで猛然とプレーする姿が重なる。背景には「この選手を何とかしたい」という思いを受け取ったやり取りがあったことは想像に難くない。 厳しい言葉の中にも思いやりという目に見えない周波数が前田選手の琴線に触れたのなら、おごりを捨ててサッカーと向き合った日々の蓄積があるはずだ。 それにしても、謹慎期間中に厳しく指導してくれるパン工房に送り込んだ英断も素晴らしいことであり、視点を変えれば最近コーチング研修でたびたび使われる“選手に寄り添ったコーチング”であったと思う。
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学名誉教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任し、26年3月に退任。

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