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2026.03.31

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【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第67回「人生を豊かにする出会い~退職を迎えた春に思うこと~」

41年間務めた大学を離れる

高橋さんから、全国には視覚障害の方が約32万人おられると聞かされた。10000人規模のマラソン大会に三国さんを含め2名の参加しかいなかったことを大変気にされていた。

障害をお持ちの方がスポーツや余暇活動に親しもうとしても、さまざまなサポートがなければ自由に楽しむことができない。普段のトレーニングにも不自由が付きまとう。走ることを楽しもうと大会に参加しようとしても、ガイドランナーの不足や大会でのサポート体制の不備で参加を見送らざるを得ないようではいささか残念である。

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マラソンの場合、20km近辺でガイドランナーの交代が常である。今回はその待機場所の選定と使用許可を得なければならなかった。そして、その地点への後半ガイドランナーの移動と、走り終えたガイドランナーの帰路などを含めて、導線計画なども必要であった。このマラソン大会が2回目以降は改善・改革を進めつつ、あらゆるカテゴリーのランナーの参加が可能になることを願っている。

今回の2人はガイドランナーを経験して、今までにない走る喜びを感じたと後日話してくれた。三国さんは次回も機会があれば彼らと完走を目指し、自己記録の更新を目指したいと明るく宣言していただけた。

今回は三国さんのサポートを高橋さん中心にご協力いただいた方々に次のようなメッセージを送らせていただいた。

「人生を豊かにしてくれる要因は誰に出会い、同じ時を過ごすかだと思います。今回はガイドランナーのお話を依頼していただき、2人の教え子たちに良き出会いをさせていただいたと感謝しています。さらに良き人生を送るには、その出会いをもとに心豊かに成長して行けるかだと思います。今後ともよろしくお願いします」

フィニッシュ後に記念撮影する加藤君、三国さん、高橋さん

このような出来事があったなか、今月をもって41年間奉職させていただいた山梨学大を、定年退職となるので更に感慨深く感じる。

これまでの41年間は昭和〜平成〜令和と一気に駆け抜けた感がしている。思い起こせば、山梨学大で箱根駅伝出場を当初目標として創部することとなり、1985年(昭和60年)に故郷うどん県(香川)からワイン県(山梨)に移り住むきっかけとなったのが始まりであった。

創部2年目で箱根駅伝初出場。19年に監督を後進に交代するまでの間、33年連続出場を果たしてこられた。また、創部10年目で関東インカレ1部に昇格し、以来今年まで1部に残留し続けている。

箱根駅伝優勝やオリンピック・世界選手権・アジア大会などでの選手やメダリスト輩出など、卒業生の活躍を含め華やかな思い出もあれば、箱根駅伝で2度の途中棄権や、ジョセフ・オツオリの事故死など挫折と苦悩の日々の思い出も同等に思い起こされる。

19年からは主に中距離ブロックの指導をすることになり、日本選手権や日本インカレの優勝やダブル入賞、関東インカレ800mで3名決勝進出・昨年の関東インカレ3000m障害2位など選手の頑張りに支えてもらったこの7年間でもあった。

26歳でスタートを切った創部監督時代の若き自分と、67歳で定年を迎えた今であっても、思えばどの年代もどこかここか欠落し、不十分であった私自身であったと思い起こされる。それでも、どの時代も誰かが暖かく(時に厳しく)励まし支えてくださり、度々補完してくださった。だからこそ、なんとか歩みを前へと進めてこられたのだと心から感謝している。

特に関東学連の強化や運営に携わるようになり、駅伝対策委員長として100回記念大会までの10年間は、監督としての指導者視点だけではなく、支える視点で陸上競技やスポーツ文化を考察する機会を与えていただいたことは記憶のひだに深く刻まれている。

とりわけコロナ禍のなか、箱根駅伝開催に向け、当時感染症対策委員長を務められた日隈広至副会長(現在・専務理事)を中心に学生幹事諸君と関係各所の献身的な努力とチームワークは圧巻であった。

これらのエピソードや感想は度々このコラムにもスポーツを“する・見る・支える”の視点から書かせていただいてきた。そのような思いもあり、最後の大学連絡会議の席で退職者の挨拶を求められたので以下のように締め括らせていただいた。

「箱根駅伝2度目の優勝を果たした直後のインタビューで、『監督はアイロンを持っていて選手は洗いざらしの皺だらけのハンカチです。でもその4隅をチームメイトやドクター・トレーナー、家族や大学の教職員、地元の方々などが頑張れと引っ張ってくれています。そうであるからこそアイロンが綺麗にかけられる。その4隅を引っ張っていただいている方々に感謝する気持ちを失わずに、そして持っているアイロンが冷めないようにこれからも頑張ってゆきたいです』と語りました」

「退職を迎えた今日改めて思うことは、自分こそが洗いざらしのハンカチであり、この41年間教職員の皆様方に4隅を引っ張っていただき、さらには丁寧にアイロンをかけて折りたたんでいただいてきたのだと思っています。本日はきれいに洗って折りたたんだハンカチをすっきりとした清々しい気持ちで棚にしまう心境です。ありがとうございました」

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学名誉教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任し、26年3月に退任。
山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第67回「人生を豊かにする出会い~退職を迎えた春に思うこと~」

山梨・甲府のソメイヨシノは2月以降の気温が高めに推移した影響で、3月16日に開花宣言がなされ、24日には全国で最も早く満開を迎えた。 絢爛に咲き誇る桜をめでながらも、寒い冬を乗り越えた誇らしさを感じるのは毎年のことである。ランナーの楽しみは四季折々、花鳥風月を視覚や聴覚を中心に五感で十分に堪能できるところにある。 ところが、視覚に障害をお持ちのランナーは咲き誇る桜を見ることもかなわず、聴覚に障害をお持ちのランナーは、山から届く鶯の囀りに心和ませることがかなわない。車椅子での生活を余儀なくされているランナーは新緑の野山を駆け巡ることがかなわない。 山梨県清里在住の全盲ランナー浅川忠二さんが以前お会いした時に「ガイドランナーなしでは屋外でジョギングすらできないので、どんなに天気が良くても室内のルームランナーでしか走れないんですよね」と語ってくれたことを思い出す。 故郷・香川で開催された第1回香川マラソンを通しての出会いと体験からこのような書き出しとなった。昨年の11月末に香川の岡俊博先生(1983年日体大卒、箱根駅伝第58回・59回5区区間賞)から、香川県のご出身で首都圏と香川県で視覚障害者の同行援護事業所(株式会社mitsuki)を運営されている高橋昌希さんを紹介された。 そして、翌年開催される香川マラソンに視覚障害のランナーが出場を希望しているのでガイドランナー(目標タイム3時間)を探しているとの相談を受けた。ガイドランナーに関しては、長女と代々木公園で開催されたガイドランナー講習会に参加させていただいたこともあり、なんとか協力できないものかと思案した。 そこで、23年卒業生で中距離ブロックではあるものの、卒業後も陸上を続け10000m 29分10秒台の記録を更新した都築勇気君(和歌山・田辺工高→スポーツ科学部→和歌山県庁)と、社会人となっても時間を見つけては走ることを楽しんでいると近況報告をしてくれた加藤大成君(愛知・中部第一高→法学部→サトー商事)の2名に依頼することにした。 私はレース前日が大学の卒業式で、香川マラソンには行けないため丸亀ハーフマラソンの翌朝にコース状況を車で視察して、彼らに伝えることにしていた。 ガイドランナーは、視覚障害の方が安全かつ自己のパフォーマンスや目標とする走りの内容を達成すべく、まさに視覚の代わりとなってランナーに指示を適時・的確に伝える役目がある。日頃トレーニングパートナーとしてともに走れている場合は、コミュニケーションが阿吽の呼吸で取れるのだが、今回は前日合流ということもあり苦慮した。 ガイドランナーを務める2人には、事前体験としてアイマスクをしてガイドランニングをしてもらう疑似体験をしてもらった。腕振りやリズムを合わせる感覚と路面の状況に応じたコース選定のしかた、そして折り返しや給水の方法なども事前に課題習得に取り組んでもらった。 会社の年休を取ってもらって金曜日に高松入り。現地での移動サポートの方々にそれぞれ前半と後半の試走を行いコース状況の確認をして、少しでもリスク回避ができるように事前の準備を丁寧に行ってもらった。 レース前日に走者の三国文敬さんと合流となった。三国さんは北海道生まれの46歳で、20歳で歯科技工士として都内で就職。30歳で緑内障を発症し徐々に視力を失っていった。将来の自立のために鍼灸マッサージの国家資格を習得し、神田で開業(休業中)。現在は太陽企画株式会社と言う会社で、障害者アスリート雇用で会社の広報活動として活動しています。 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] 瀬戸内海を背景に前日の顔合わせ後の伴奏練習。(左から)加藤君、三国さん、都築君[/caption] 陸上競技は視覚障害となってしばらく後に、円周走という方法で走る事ができることを知ったきっかけで始めたそうだ。円周走とはグラウンドなど広場に杭を打ち、そこから伸びるロープを持って一周約100mを走る方法で、三国さんは100周、30kmを走っておられたそうだ。 合流後は、障害者受付と伴走者登録を済ませてガイドランニングのリズムや意志伝達の方法とタイミングなどを入念に打ち合わせ、試走練習を行った。当日は宿舎出発からスタート前のウォーミングアップなど、一連の行動をともにした。 10000人規模の大衆マラソンであるが故に、大集団に紛れてのスタートが安全確保の観点から一番ガイドランニングとして難しかった、とレース後に加藤君から報告を受けた。後半の都築君との引き継ぎも順調にこなし、無事3時間10分でゴール。達成感と爽やかな笑顔の写真が送られてきた時は安堵のため息が出た。

41年間務めた大学を離れる

高橋さんから、全国には視覚障害の方が約32万人おられると聞かされた。10000人規模のマラソン大会に三国さんを含め2名の参加しかいなかったことを大変気にされていた。 障害をお持ちの方がスポーツや余暇活動に親しもうとしても、さまざまなサポートがなければ自由に楽しむことができない。普段のトレーニングにも不自由が付きまとう。走ることを楽しもうと大会に参加しようとしても、ガイドランナーの不足や大会でのサポート体制の不備で参加を見送らざるを得ないようではいささか残念である。 マラソンの場合、20km近辺でガイドランナーの交代が常である。今回はその待機場所の選定と使用許可を得なければならなかった。そして、その地点への後半ガイドランナーの移動と、走り終えたガイドランナーの帰路などを含めて、導線計画なども必要であった。このマラソン大会が2回目以降は改善・改革を進めつつ、あらゆるカテゴリーのランナーの参加が可能になることを願っている。 今回の2人はガイドランナーを経験して、今までにない走る喜びを感じたと後日話してくれた。三国さんは次回も機会があれば彼らと完走を目指し、自己記録の更新を目指したいと明るく宣言していただけた。 今回は三国さんのサポートを高橋さん中心にご協力いただいた方々に次のようなメッセージを送らせていただいた。 「人生を豊かにしてくれる要因は誰に出会い、同じ時を過ごすかだと思います。今回はガイドランナーのお話を依頼していただき、2人の教え子たちに良き出会いをさせていただいたと感謝しています。さらに良き人生を送るには、その出会いをもとに心豊かに成長して行けるかだと思います。今後ともよろしくお願いします」 [caption id="attachment_131862" align="alignnone" width="800"] フィニッシュ後に記念撮影する加藤君、三国さん、高橋さん[/caption] このような出来事があったなか、今月をもって41年間奉職させていただいた山梨学大を、定年退職となるので更に感慨深く感じる。 これまでの41年間は昭和〜平成〜令和と一気に駆け抜けた感がしている。思い起こせば、山梨学大で箱根駅伝出場を当初目標として創部することとなり、1985年(昭和60年)に故郷うどん県(香川)からワイン県(山梨)に移り住むきっかけとなったのが始まりであった。 創部2年目で箱根駅伝初出場。19年に監督を後進に交代するまでの間、33年連続出場を果たしてこられた。また、創部10年目で関東インカレ1部に昇格し、以来今年まで1部に残留し続けている。 箱根駅伝優勝やオリンピック・世界選手権・アジア大会などでの選手やメダリスト輩出など、卒業生の活躍を含め華やかな思い出もあれば、箱根駅伝で2度の途中棄権や、ジョセフ・オツオリの事故死など挫折と苦悩の日々の思い出も同等に思い起こされる。 19年からは主に中距離ブロックの指導をすることになり、日本選手権や日本インカレの優勝やダブル入賞、関東インカレ800mで3名決勝進出・昨年の関東インカレ3000m障害2位など選手の頑張りに支えてもらったこの7年間でもあった。 26歳でスタートを切った創部監督時代の若き自分と、67歳で定年を迎えた今であっても、思えばどの年代もどこかここか欠落し、不十分であった私自身であったと思い起こされる。それでも、どの時代も誰かが暖かく(時に厳しく)励まし支えてくださり、度々補完してくださった。だからこそ、なんとか歩みを前へと進めてこられたのだと心から感謝している。 特に関東学連の強化や運営に携わるようになり、駅伝対策委員長として100回記念大会までの10年間は、監督としての指導者視点だけではなく、支える視点で陸上競技やスポーツ文化を考察する機会を与えていただいたことは記憶のひだに深く刻まれている。 とりわけコロナ禍のなか、箱根駅伝開催に向け、当時感染症対策委員長を務められた日隈広至副会長(現在・専務理事)を中心に学生幹事諸君と関係各所の献身的な努力とチームワークは圧巻であった。 これらのエピソードや感想は度々このコラムにもスポーツを“する・見る・支える”の視点から書かせていただいてきた。そのような思いもあり、最後の大学連絡会議の席で退職者の挨拶を求められたので以下のように締め括らせていただいた。 「箱根駅伝2度目の優勝を果たした直後のインタビューで、『監督はアイロンを持っていて選手は洗いざらしの皺だらけのハンカチです。でもその4隅をチームメイトやドクター・トレーナー、家族や大学の教職員、地元の方々などが頑張れと引っ張ってくれています。そうであるからこそアイロンが綺麗にかけられる。その4隅を引っ張っていただいている方々に感謝する気持ちを失わずに、そして持っているアイロンが冷めないようにこれからも頑張ってゆきたいです』と語りました」 「退職を迎えた今日改めて思うことは、自分こそが洗いざらしのハンカチであり、この41年間教職員の皆様方に4隅を引っ張っていただき、さらには丁寧にアイロンをかけて折りたたんでいただいてきたのだと思っています。本日はきれいに洗って折りたたんだハンカチをすっきりとした清々しい気持ちで棚にしまう心境です。ありがとうございました」
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学名誉教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任し、26年3月に退任。

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