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2024.01.30

【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第41回「箱根駅伝100回大会の背景にあるもの~101回大会へ繋げるために~」


山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第41回「箱根駅伝100回大会の背景にあるもの~101回大会へ繋げるために~」

あの日が始まりであった。

1920年2月14日午後1時スタートラインに並んだのは早大・慶大・明大・東京高師(現・筑波大)の4大学。記念すべき第1回大会の号砲と共に代表4名の選手たちは信じる未来へと駆けだした。

そして2024年1月3日。100回目の学生たちが信じる気持ちを未来へ届ける襷の継走が終了した。

その名も通称「箱根駅伝」。

創設に至る情熱や苦難の過程は100年前を知らぬ私が論を述べるには憚(はばか)られるが、金栗四三・沢田英一・野口源三郎(敬称略)を中心に学生たちの熱い息吹と行動力があったことは事実である。まさに敬服の至りであり、いかに時代が変われども、その熱い息吹が継承される大会でなければならないだろう。

しかも、100回の歴史を積み重ねてきたことを振り返れば、時代の波に翻弄されながらも、創意と工夫を加えながら学生たちの力を結集して乗り越えてきた経緯も見逃してはならない。

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箱根駅伝開催1年前の1919年に、関東学生陸上競技連盟(以下、関東学連)は日本で最古の学生競技団体として設立されている。戦後復興過程の中でいち早く開催されたのが関東学生陸上競技対校選手権大会(以下、関東インカレ)であり、その後数々の交渉を乗り越え箱根駅伝の再スタートが切られている。
(※すでに関東インカレは3年前の2021年に100回の記念大会を終えている)

箱根駅伝の開催は、関東学連の設立なくしてありえなかったことは事実であるから、箱根駅伝の歴史とともに関東学連の歩みがある。

今年度の関東学連年間業務カレンダーを振り返ると、下記のような大会が並ぶ。

5月 関東インカレ
6月 全日本大学駅伝関東地区選考会
7月 網走夏季記録挑戦競技会、トワイライト・ゲームス
9月 関東学生新人、関東大学女子駅伝
10月 箱根駅伝予選会
11月 10000m記録挑戦競技会
1月 箱根駅伝
3月 春季オープン競技会

これら競技会の開催に向けての競技場の決定および審判・補助員の依頼など、開催準備・大会運営・終了後の各種事務処理や記録申請など多岐にわたる業務を行いながらも、年間を通して箱根駅伝の準備・運営にも携わっていただいている。

箱根駅伝の運営にあたった関東学連の学生スタッフ

その他にも強化合宿や海外派遣事業、日本学連主催の日本インカレ・出雲駅伝・全日本大学駅伝・日本学生個人選手権の運営協力など多岐にわたっている。

箱根駅伝関連に焦点を当てれば、予選会で使用させていただいている陸上自衛隊立川駐屯地や昭和記念公園の借用交渉や、立川市内の道路使用許可申請。箱根駅伝では大手町から箱根・芦ノ湖までの道路使用許可申請、各中継所での施設利用申請、通過する自治体との運営協力のお願い。大手町・芦ノ湖での各大学の応援団活動をさせていただくビルや駐車場の借用申請に至るまで奔走していただいている。

近年は応援団の活動する場所近くで声援を送りたいと考える方が多くなり、人の流れが滞る状況が散見されるようになってきている。警視庁や神奈川県警からの指導もあり、専任の警備員を各大学2名配置し、人の流れが滞らないようにすることと車道に人が溢れないように担当していただいている。今回は23校2日間で184名の警備員を手配したことになる。

今大会も警視庁、神奈川県警の白バイ隊員が先導を務めた

箱根駅伝2日間では加盟各大学にご協力いただき、学生補助員を約2000名派遣していただいている。大会プログラムをお持ちの方ならぜひページをめくっていただきたい。すべての補助員の氏名が記載されている。競技運営と審判および交通規制担当者には、誰がどの場所を担当するのか、そして誰が責任者となるのかも事前に知らされてくる。

コース上での交通規制のみならず、沿道と沿線での交通網を利用しての移動と人流整備を含む安全の確保は、年々ハードルが高くなる思いである。

箱根駅伝は学生補助員のサポートなくして開催は成立しない

学生補助員と走路審判員およびセコムなどプロの警備員の配置は前回大会の課題や反省点を踏まえ、手直しと協議を重ねつつ、警察官の交通規制態勢が整えられてゆく。なるべく一般の道路利用者や地元の住人の方々にご迷惑がかからないよう、片道100kmを超えるコースを最小限の交通規制で運営する工夫と体制を整えてゆく。

大正時代では箱根山中で松明を灯しながら走り切ったとの逸話が残っているが、時代の流れとともに交通事情など安全の確保第一で運営してきた歴史が刻まれつつ、今日を迎えていると言える。

数々の配慮のうち報道各社も自主的に御協力いただいていることも見逃せない。

特別後援いただいている日本テレビ放送網は、各中継所のテレビ中継カメラを設置する櫓(やぐら)に箱根駅伝のロゴを印刷した幕は張らない方針を示していただいた。その幕があると、どうしても記念撮影等で人の流れが滞ってしまい、安全確保の障害となるからという。

また読売新聞社・報知新聞社は、沿道で配布する小旗を今大会より各中継所の前後1kmのみに留めていただいた。それは、関東学連として安全確保のため各大学に幟(のぼり)や小旗の掲出は自粛していただくようにお願いしていることを受けての判断だそうだ。まずは共催の読売新聞社・後援の報知新聞社が率先して自主規制させていただくことで協力したいとお聞きした。

マスコミだからとて、華やかな見てくれを優先するのではなく、大会本来の在り方を示す“心意気”を示していただいたと感じた。このことはスタート前に、これから走り出す選手の“心意気”を示す眼差しと同じものであり、その結果襷リレーを終えた時の“心映え”した表情に繋がるのではないかと思えた。

100回記念大会が無事終了し、すべての選手関係者の心映えを力の源として101回大会は新たな心意気を示す大会となるよう期待している。

~能登半島地震で被災された皆様へ~
1月1日元旦夕刻。家族団欒、友人知人との再会や語らい。住み慣れた住居や街並みまで地震という不意に訪れる自然災害の脅威に直撃されてしまい、被災された皆様方に心からのお見舞申し上げます。そして、残念ながら尊い命を奪われた方々に衷心より哀悼の意をお伝えしたいと思います。

この災害のなか、箱根駅伝を開催させていただきました。大会当日スタート前の監督会議で関東学連の有吉正博会長が口にした「被災された方々に少しでも力を与えることができるよう、選手諸君には全力で頑張ってほしい」との言葉を受け、選手たちは襷に被災された皆様がたへの思いを込めて走り抜けてくれたことと確信しております。

1月21日に人口3万人ほどの東京都瑞穂町の町内駅伝に参加した折に、能登半島に深い思い入れのある駅伝ランナーと語らう機会を得ました。日体大で箱根駅伝4年連続優勝、区間賞3回、区間2位1回のうち9区と5区で区間新記録を樹立された石倉義隆さん(78歳)です。

昭和の時代、当時の三大駅伝(能登駅伝・全日本駅伝・箱根駅伝)と呼ばれていた全日本学生選抜能登半島一周駅伝(1968~77年)に4年間出場し、優勝4回・区間賞7回を獲得(3日間で2回出走可能)したという偉大なる大先輩。

石倉さんは、能登駅伝には昭和45年(1970年)から出場されており、3日間で能登半島を一周する26区間343.1kmのコースだったので、「連日報道されている七尾や珠洲、輪島など走らせていただいた風光明媚な景色と街並みの思い出が、無残な形で映し出されるのを見て、とても心痛めている」と語られていました。

特に宿泊は主に民宿であったため、「地元の獲れたての魚や食材で温かくもてなされ、応援も心に届けていただいた思い出が蘇ってきて、なおも心が強く締め付けられる」とも。

能登の景色と地元の方々の温かい声援を受けた思い出があればこそ、被災された皆さんに温かいお見舞いの言葉を届けることができると思い、この場を借りてお伝えさせていただきました。

中央が上田氏、右下が石倉氏、左下が箱根駅伝で駒大初出場時のメンバーである井上氏、右上が東農大OBの清水氏

上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます!

第41回「箱根駅伝100回大会の背景にあるもの~101回大会へ繋げるために~」

あの日が始まりであった。 1920年2月14日午後1時スタートラインに並んだのは早大・慶大・明大・東京高師(現・筑波大)の4大学。記念すべき第1回大会の号砲と共に代表4名の選手たちは信じる未来へと駆けだした。 そして2024年1月3日。100回目の学生たちが信じる気持ちを未来へ届ける襷の継走が終了した。 その名も通称「箱根駅伝」。 創設に至る情熱や苦難の過程は100年前を知らぬ私が論を述べるには憚(はばか)られるが、金栗四三・沢田英一・野口源三郎(敬称略)を中心に学生たちの熱い息吹と行動力があったことは事実である。まさに敬服の至りであり、いかに時代が変われども、その熱い息吹が継承される大会でなければならないだろう。 しかも、100回の歴史を積み重ねてきたことを振り返れば、時代の波に翻弄されながらも、創意と工夫を加えながら学生たちの力を結集して乗り越えてきた経緯も見逃してはならない。 箱根駅伝開催1年前の1919年に、関東学生陸上競技連盟(以下、関東学連)は日本で最古の学生競技団体として設立されている。戦後復興過程の中でいち早く開催されたのが関東学生陸上競技対校選手権大会(以下、関東インカレ)であり、その後数々の交渉を乗り越え箱根駅伝の再スタートが切られている。 (※すでに関東インカレは3年前の2021年に100回の記念大会を終えている) 箱根駅伝の開催は、関東学連の設立なくしてありえなかったことは事実であるから、箱根駅伝の歴史とともに関東学連の歩みがある。 今年度の関東学連年間業務カレンダーを振り返ると、下記のような大会が並ぶ。
5月 関東インカレ 6月 全日本大学駅伝関東地区選考会 7月 網走夏季記録挑戦競技会、トワイライト・ゲームス 9月 関東学生新人、関東大学女子駅伝 10月 箱根駅伝予選会 11月 10000m記録挑戦競技会 1月 箱根駅伝 3月 春季オープン競技会
これら競技会の開催に向けての競技場の決定および審判・補助員の依頼など、開催準備・大会運営・終了後の各種事務処理や記録申請など多岐にわたる業務を行いながらも、年間を通して箱根駅伝の準備・運営にも携わっていただいている。 [caption id="attachment_127185" align="alignnone" width="800"] 箱根駅伝の運営にあたった関東学連の学生スタッフ[/caption] その他にも強化合宿や海外派遣事業、日本学連主催の日本インカレ・出雲駅伝・全日本大学駅伝・日本学生個人選手権の運営協力など多岐にわたっている。 箱根駅伝関連に焦点を当てれば、予選会で使用させていただいている陸上自衛隊立川駐屯地や昭和記念公園の借用交渉や、立川市内の道路使用許可申請。箱根駅伝では大手町から箱根・芦ノ湖までの道路使用許可申請、各中継所での施設利用申請、通過する自治体との運営協力のお願い。大手町・芦ノ湖での各大学の応援団活動をさせていただくビルや駐車場の借用申請に至るまで奔走していただいている。 近年は応援団の活動する場所近くで声援を送りたいと考える方が多くなり、人の流れが滞る状況が散見されるようになってきている。警視庁や神奈川県警からの指導もあり、専任の警備員を各大学2名配置し、人の流れが滞らないようにすることと車道に人が溢れないように担当していただいている。今回は23校2日間で184名の警備員を手配したことになる。 [caption id="attachment_127188" align="alignnone" width="800"] 今大会も警視庁、神奈川県警の白バイ隊員が先導を務めた[/caption] 箱根駅伝2日間では加盟各大学にご協力いただき、学生補助員を約2000名派遣していただいている。大会プログラムをお持ちの方ならぜひページをめくっていただきたい。すべての補助員の氏名が記載されている。競技運営と審判および交通規制担当者には、誰がどの場所を担当するのか、そして誰が責任者となるのかも事前に知らされてくる。 コース上での交通規制のみならず、沿道と沿線での交通網を利用しての移動と人流整備を含む安全の確保は、年々ハードルが高くなる思いである。 [caption id="attachment_127187" align="alignnone" width="800"] 箱根駅伝は学生補助員のサポートなくして開催は成立しない[/caption] 学生補助員と走路審判員およびセコムなどプロの警備員の配置は前回大会の課題や反省点を踏まえ、手直しと協議を重ねつつ、警察官の交通規制態勢が整えられてゆく。なるべく一般の道路利用者や地元の住人の方々にご迷惑がかからないよう、片道100kmを超えるコースを最小限の交通規制で運営する工夫と体制を整えてゆく。 大正時代では箱根山中で松明を灯しながら走り切ったとの逸話が残っているが、時代の流れとともに交通事情など安全の確保第一で運営してきた歴史が刻まれつつ、今日を迎えていると言える。 数々の配慮のうち報道各社も自主的に御協力いただいていることも見逃せない。 特別後援いただいている日本テレビ放送網は、各中継所のテレビ中継カメラを設置する櫓(やぐら)に箱根駅伝のロゴを印刷した幕は張らない方針を示していただいた。その幕があると、どうしても記念撮影等で人の流れが滞ってしまい、安全確保の障害となるからという。 また読売新聞社・報知新聞社は、沿道で配布する小旗を今大会より各中継所の前後1kmのみに留めていただいた。それは、関東学連として安全確保のため各大学に幟(のぼり)や小旗の掲出は自粛していただくようにお願いしていることを受けての判断だそうだ。まずは共催の読売新聞社・後援の報知新聞社が率先して自主規制させていただくことで協力したいとお聞きした。 マスコミだからとて、華やかな見てくれを優先するのではなく、大会本来の在り方を示す“心意気”を示していただいたと感じた。このことはスタート前に、これから走り出す選手の“心意気”を示す眼差しと同じものであり、その結果襷リレーを終えた時の“心映え”した表情に繋がるのではないかと思えた。 100回記念大会が無事終了し、すべての選手関係者の心映えを力の源として101回大会は新たな心意気を示す大会となるよう期待している。 ~能登半島地震で被災された皆様へ~ 1月1日元旦夕刻。家族団欒、友人知人との再会や語らい。住み慣れた住居や街並みまで地震という不意に訪れる自然災害の脅威に直撃されてしまい、被災された皆様方に心からのお見舞申し上げます。そして、残念ながら尊い命を奪われた方々に衷心より哀悼の意をお伝えしたいと思います。 この災害のなか、箱根駅伝を開催させていただきました。大会当日スタート前の監督会議で関東学連の有吉正博会長が口にした「被災された方々に少しでも力を与えることができるよう、選手諸君には全力で頑張ってほしい」との言葉を受け、選手たちは襷に被災された皆様がたへの思いを込めて走り抜けてくれたことと確信しております。 1月21日に人口3万人ほどの東京都瑞穂町の町内駅伝に参加した折に、能登半島に深い思い入れのある駅伝ランナーと語らう機会を得ました。日体大で箱根駅伝4年連続優勝、区間賞3回、区間2位1回のうち9区と5区で区間新記録を樹立された石倉義隆さん(78歳)です。 昭和の時代、当時の三大駅伝(能登駅伝・全日本駅伝・箱根駅伝)と呼ばれていた全日本学生選抜能登半島一周駅伝(1968~77年)に4年間出場し、優勝4回・区間賞7回を獲得(3日間で2回出走可能)したという偉大なる大先輩。 石倉さんは、能登駅伝には昭和45年(1970年)から出場されており、3日間で能登半島を一周する26区間343.1kmのコースだったので、「連日報道されている七尾や珠洲、輪島など走らせていただいた風光明媚な景色と街並みの思い出が、無残な形で映し出されるのを見て、とても心痛めている」と語られていました。 特に宿泊は主に民宿であったため、「地元の獲れたての魚や食材で温かくもてなされ、応援も心に届けていただいた思い出が蘇ってきて、なおも心が強く締め付けられる」とも。 能登の景色と地元の方々の温かい声援を受けた思い出があればこそ、被災された皆さんに温かいお見舞いの言葉を届けることができると思い、この場を借りてお伝えさせていただきました。 [caption id="attachment_127189" align="alignnone" width="2560"] 中央が上田氏、右下が石倉氏、左下が箱根駅伝で駒大初出場時のメンバーである井上氏、右上が東農大OBの清水氏[/caption]
上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。

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