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2023.12.26

「悔しさをエネルギーに変えて成長」【後編】 箱根駅伝〝三代目・山の神〟が振り返る快進撃の背景/神野大地(青学大ОB)
「悔しさをエネルギーに変えて成長」【後編】  箱根駅伝〝三代目・山の神〟が振り返る快進撃の背景/神野大地(青学大ОB)

チームの主将を担いながら故障の連続で苦しんだ大学4年目を振り返る神野大地

人生で一番うれしかった瞬間

――あの年、往路優勝のフィニッシュテープを切った時の神野選手のガッツポーズは、本当にうれしそうに感じました。
神野 そうなんですよ。あのゴールが人生で一番うれしかったですね。苦労した分、それが報われたので・・・・・。

2年連続で往路優勝のフィニッシュテープを切った神野。これが「人生で一番うれしい瞬間だった」という

――プレッシャーをどうやってはねのけたのでしょう。また、故障の連続の中で、どのようにモチベーションを維持できたのでしょうか?
神野 ケガをしていたので、いい意味で自分にそれほど期待をしていなかったんです。走れなくても言い訳があるな、とも。周りが思っているほどのプレッシャーは感じていませんでした。ただ、自分の中では最終的に後悔しない選択をしたかったですし、全力でそこに向かいましたし、レース当日は「泣いても笑っても最後の箱根駅伝。このメンバーと一緒に走れる最後の大会。箱根初出場の2年の時に感じた〝特別な大会〟という思い、箱根の与える影響のすごさ、箱根を走れることの楽しさなどを経験したので、それらをもう一度思い出して走ろう」といった気持ちで臨みました。

――主将として挑んだ最後の箱根駅伝で、青学大は1区から10区まで終始先頭を突っ走る完全優勝を果たしました。
神野 本当に最高のかたちで優勝できて幸せでした。

〝山の神〟と言われ続けて

――3年生の大会前、「〝山の神〟になりたい」と思い、実際に〝山の神〟になり、2年連続で5区で活躍できたことについて、どんな感想をお持ちですか?
神野 僕は〝山の神〟と言われることに対していやだと思ったことはなく、その分、すごくいい経験をさせてもらいました。どんなレースに向かうにも〝山の神〟という名がつきまとうことは事実ですが、本当のトップになるには、そういうプレッシャーの中で結果を出さなければいけないと思いました。注目されない選手もいる中、注目される喜びも感じなければいけない。もちろん、練習の一環で出場したレースでも、タイムが悪いとメディアに変な書かれ方をした時などは少しはいやだと思ったり、こういう時に密着してほしくないなという思いもありました。しかし、トータル的には良かったですね。

〝先代・山の神〟はどのような存在か?

――同じ5区で活躍された順大時代の今井さん(正人、現・トヨタ自動車九州)や東洋大時代の柏原さん(竜二)はどんな存在でしたか?
神野 今井さんの最後の箱根駅伝の時、僕はまだ中学1年生で、陸上を始めたばかりだったので、正直なところまだテレビでも箱根駅伝を真剣に観ていなかったんです。柏原さんが活躍された時代は僕にとって中3から高3の時なので、しっかり観ていました。

――その柏原さんの偉大な記録を超えました。
神野 僕の場合、柏原さんの記録を超えたことで〝三代目・山の神〟と呼んでいただいているのですが、僕の中で柏原さんは特別な存在です。僕があの走りをできたのは、トップから45秒差の2位といういい位置でタスキをもらえて、先頭に追いつてからいったん休むことができたから記録が生まれたのだと思っています。柏原さんの場合、9番ぐらいでタスキをもらったのに大逆転で先頭まで立ったとか、5分近く開いているのにひっくり返したような姿は、僕とはステージが違う世界で走られていました。

――柏原さんの場合、4年連続して5区で活躍し、1年目のデビューは衝撃的ですが、その記録を2年目、4年目に塗り替えました。
神野 1年目はプレッシャーがないので、イケイケどんどんで記録が出ると思います。〝山の神〟になる必須条件って、僕は絶対1回目だと思うんです。その記録をさらに上回ったところがすごいですね。3年生での走りは柏原さん自身の中では良くなかったかもしれませんが、それまでと劣らず他を圧倒していましたし、4年生で最高記録を出して卒業されているので、本物の〝山の神〟だと思いました。僕の場合、記録が速かったのですが、山での強さという点で、やはり柏原さんは断トツですね。

――神野さんにとって、大学時代の今井さんの活躍はあまり存じ上げないと思いますが、箱根駅伝では1年生でいきなり2区を務め、2年からは3年連続で5区で驚異的な走りをしていました。
神野 今井さんの活躍は、後になってから知ったのですが、短いコースでも、長いコースでも、両方記録を出している選手で、柏原さんと同じように後ろから抜いていく走りもされましたので、〝山の神〟と呼ばれるにふさわしい活躍だったと思います。ただ、僕にとって今井さんの存在は卒業されてからの方が印象が大きく、ニューイヤー駅伝では必ず外さない走りでチームに貢献したり、マラソンでも活躍して世界陸上の代表にもなりましたし(体調不良で本番は欠場)、今も現役ですので、すばらしい方だと感じます。

大正9年に創設され、昭和、平成、令和と4つの時代を駆け抜け、いよいよ第100回の歴史的な節目を迎える箱根駅伝。学生たちが繰り広げる2日間の継走は、多くの人々に勇気や感動を与え、「正月の国民的行事」と呼ばれるほど大きな注目を集めている。選手たちが並々ならぬ情熱を傾ける箱根駅伝の魅力はどんなところにあるのか。青学大時代に大活躍した〝三代目・山の神〟神野大地に、快進撃の背景を振り返ってもらった。(後編)

主将を務めた4年目は「故障の連続」に苦しむ

――4年目は主将としてチームを牽引していましたが、最終学年はどんな1年でしたか? 神野 いいことがあればそれだけ身体へのダメージも大きかったりするので、〝悪いこと〟というわけではないですが、人生には波があるな、というのを感じられた1年でした。主将として背中で引っ張っていきたいという思いとは裏腹に、身体へ強い負荷がかかっていたのでケガをしてしまい、早く練習に復帰してみんなを引っ張らなければいけないという思いはあっても、故障はなかなか治らない。気持ちを保つのに大変な1年でしたね。 ――4年生の箱根駅伝において体調やコンディションは、前年と比較して何割ぐらいの状態だったのでしょうか。 神野 僕は1年間のうち合計で半年以上、2ヵ月ぐらいの故障を3回やっていて、走ってない時期の方が長い1年間でした。全日本大学駅伝はアンカーを走ったのですが、区間8位とふるわず、人生で最悪のレースというか、人生で一番悔しかったレースでした。今もMGC(パリ五輪マラソン日本代表選考会)など悔しさを味わったレースはありますけど、学生の時に最もしんどかった思いをしたのはあの時の全日本でしたね。 ――あの全日本では、神野選手が箱根の5区で見せたように逆転するのではないかと注目されていました。 神野 名前も知ってもらって、かなり注目されて、青学が優勝するだろうと当然思われていて、僕がタスキをもらった位置は先頭と25秒差。テレビの方も、チームメイトも「逆転するだろう」と思っていたでしょうが、前半からまったくペースが上がらず、なんとか粘って走り切ったのですが、逆に30秒ぐらい離されて約1分差で負けたので、すごく悔しい思いをしました。その後で疲労骨折が判明したんです。 [caption id="attachment_123923" align="alignnone" width="800"] アンカーを務めた全日本大学駅伝。2位でタスキを受けた神野には逆転Vが大いに期待されたものの区間8位と振るわず、先頭の東洋大には逆に引き離されて屈辱のフィニッシュ。競技人生で一番の悔しさを味わった[/caption]

2~3割の仕上がりでも「ここでがんばらなければ一生後悔する」

――では、かなり厳しい状況で最後の箱根駅伝を迎えていたのですね? 神野 12月5日ぐらいから走ることを再開した状況だったので、僕は「ダメかな」と思いつつも、「最後はアンカーぐらい走らせてもらえるかな」と期待していたのです。しかし、原監督からはすぐに「お前にはアンカーとかないからな。走るとしても5区しかない」と言われました。それって正論で、あの年、青学はレベルが上がっていたので、平地ではケガ明けの僕より速い選手はいっぱいましたし、僕を使う必要はない。しかし、山上り(5区)なら、僕が絶好調時の2~3割の状態でも、他の選手より僕の方が速い可能性があったので、原監督もそこに懸けてくれて、そう言われた時には「ああ、5区しかないんだな」と思うようになり、そこに懸けていきました。 ――実際のところの直前の調子は? 神野 最終的にクリスマスぐらいの時に、僕が1年間ケガをしている間に5区の準備をしていた同級生の橋本(崚、現・中央発條)と、ケガ明け2週間ぐらいの僕が上りの練習をした時、やはり僕の方がめちゃくちゃよくて、僕が走ることになりました。でも、仕上がりとしては3年時の2~3割程度でしかありませんでした。 ――それでも、前年すばらしい活躍をされた選手ですから、周囲の期待も大きかったでしょうし、いろんなかたちでプレッシャーを受けての出走だったのではないでしょうか? 神野 プレシャーはすごかったし、全日本で負けた時、ネット上での誹謗中傷がひどく、メンタル的に沈む部分がかなりあって、5区を走ることが決まってからも、そういう不安とかもすごく大きかったですね。ただし、自分の中では、「ここでがんばらなければ一生後悔する」と思って取り組み、最後に優勝することができて、面白いことに、箱根で優勝したら、全日本で負けたことを全員忘れるんです。しかも、4年の箱根で僕は区間賞を取っておらず、日大のキトニー選手に50秒以上(53秒)負けて区間2位だったのですが、先頭でタスキをもらい、2位の東洋との差を広げていたので、見ている人は僕が区間賞だと思っていていたはずです(2位の東洋大との差を2分28秒から3分04秒に広げた)。 [caption id="attachment_123925" align="alignnone" width="800"] 不安を抱えて臨んだ最後の箱根駅伝で再び5区を務めた神野(左)だが、チームは1区から先頭に立って独走する快進撃。4区の2年生・田村和希からトップでタスキを受け、その勢いをさらに加速させた[/caption]

人生で一番うれしかった瞬間

――あの年、往路優勝のフィニッシュテープを切った時の神野選手のガッツポーズは、本当にうれしそうに感じました。 神野 そうなんですよ。あのゴールが人生で一番うれしかったですね。苦労した分、それが報われたので・・・・・。 [caption id="attachment_123927" align="alignnone" width="800"] 2年連続で往路優勝のフィニッシュテープを切った神野。これが「人生で一番うれしい瞬間だった」という[/caption] ――プレッシャーをどうやってはねのけたのでしょう。また、故障の連続の中で、どのようにモチベーションを維持できたのでしょうか? 神野 ケガをしていたので、いい意味で自分にそれほど期待をしていなかったんです。走れなくても言い訳があるな、とも。周りが思っているほどのプレッシャーは感じていませんでした。ただ、自分の中では最終的に後悔しない選択をしたかったですし、全力でそこに向かいましたし、レース当日は「泣いても笑っても最後の箱根駅伝。このメンバーと一緒に走れる最後の大会。箱根初出場の2年の時に感じた〝特別な大会〟という思い、箱根の与える影響のすごさ、箱根を走れることの楽しさなどを経験したので、それらをもう一度思い出して走ろう」といった気持ちで臨みました。 ――主将として挑んだ最後の箱根駅伝で、青学大は1区から10区まで終始先頭を突っ走る完全優勝を果たしました。 神野 本当に最高のかたちで優勝できて幸せでした。

〝山の神〟と言われ続けて

――3年生の大会前、「〝山の神〟になりたい」と思い、実際に〝山の神〟になり、2年連続で5区で活躍できたことについて、どんな感想をお持ちですか? 神野 僕は〝山の神〟と言われることに対していやだと思ったことはなく、その分、すごくいい経験をさせてもらいました。どんなレースに向かうにも〝山の神〟という名がつきまとうことは事実ですが、本当のトップになるには、そういうプレッシャーの中で結果を出さなければいけないと思いました。注目されない選手もいる中、注目される喜びも感じなければいけない。もちろん、練習の一環で出場したレースでも、タイムが悪いとメディアに変な書かれ方をした時などは少しはいやだと思ったり、こういう時に密着してほしくないなという思いもありました。しかし、トータル的には良かったですね。

〝先代・山の神〟はどのような存在か?

――同じ5区で活躍された順大時代の今井さん(正人、現・トヨタ自動車九州)や東洋大時代の柏原さん(竜二)はどんな存在でしたか? 神野 今井さんの最後の箱根駅伝の時、僕はまだ中学1年生で、陸上を始めたばかりだったので、正直なところまだテレビでも箱根駅伝を真剣に観ていなかったんです。柏原さんが活躍された時代は僕にとって中3から高3の時なので、しっかり観ていました。 ――その柏原さんの偉大な記録を超えました。 神野 僕の場合、柏原さんの記録を超えたことで〝三代目・山の神〟と呼んでいただいているのですが、僕の中で柏原さんは特別な存在です。僕があの走りをできたのは、トップから45秒差の2位といういい位置でタスキをもらえて、先頭に追いつてからいったん休むことができたから記録が生まれたのだと思っています。柏原さんの場合、9番ぐらいでタスキをもらったのに大逆転で先頭まで立ったとか、5分近く開いているのにひっくり返したような姿は、僕とはステージが違う世界で走られていました。 ――柏原さんの場合、4年連続して5区で活躍し、1年目のデビューは衝撃的ですが、その記録を2年目、4年目に塗り替えました。 神野 1年目はプレッシャーがないので、イケイケどんどんで記録が出ると思います。〝山の神〟になる必須条件って、僕は絶対1回目だと思うんです。その記録をさらに上回ったところがすごいですね。3年生での走りは柏原さん自身の中では良くなかったかもしれませんが、それまでと劣らず他を圧倒していましたし、4年生で最高記録を出して卒業されているので、本物の〝山の神〟だと思いました。僕の場合、記録が速かったのですが、山での強さという点で、やはり柏原さんは断トツですね。 ――神野さんにとって、大学時代の今井さんの活躍はあまり存じ上げないと思いますが、箱根駅伝では1年生でいきなり2区を務め、2年からは3年連続で5区で驚異的な走りをしていました。 神野 今井さんの活躍は、後になってから知ったのですが、短いコースでも、長いコースでも、両方記録を出している選手で、柏原さんと同じように後ろから抜いていく走りもされましたので、〝山の神〟と呼ばれるにふさわしい活躍だったと思います。ただ、僕にとって今井さんの存在は卒業されてからの方が印象が大きく、ニューイヤー駅伝では必ず外さない走りでチームに貢献したり、マラソンでも活躍して世界陸上の代表にもなりましたし(体調不良で本番は欠場)、今も現役ですので、すばらしい方だと感じます。

「心身ともにきつい場面こそ大きな差がつく」

――人生がもう1度あり、箱根駅伝を走れるとしたら、また5区をやりたいですか? 神野 やりたいですね。5区という区間は本当に特別で、「山を制するものは箱根を制す」という言葉があるように、それだけ大きな割合を占めていると思いますし、僕自身も5区で活躍して名前を知ってもらった。なかなか1時間ちょっとで一躍、人に知ってもらうことはなかなかできないでしょうし、それは箱根がもたらす影響力だと思いますが、5区はそういう部分でも大きいのかなと感じます。 ――5区を攻略するポイントは? 神野 僕が毎回言うのは、「勝負は小涌園(11km過ぎ)から」ということ。僕らは走っていて、「ここだけはきついなぁ」というのは特になくて、宮ノ下(9km付近)の急坂がポイントと言う人もいますが、僕が実際走っていて、どこもつらいので、初めて走った3年の時は、宮ノ下の急坂がどこなのかも気づきませんでした。こう配が数パーセント違っても、感覚的にはあまり変わりません。それよりも、小涌園以降は沿道の観衆が減ってきますので、声援もなくなり、心身ともにきつくなるんです。同じような景色が何度も続き、メンタルが折れやすいところでもある。ただし、あそこでがんばれば大きな差がつく。今井さん、柏原さん、僕に共通しているのは、あそこが速かった。速いというより落ちないと言った方が妥当かもしれません。無理をすれば小涌園までは誰でも行けますので、勝負は小涌園からだと思います。 [caption id="attachment_123957" align="alignnone" width="800"] 山上りの5区を攻略するには「沿道の観衆もまばらになって心身ともにきつくなる小涌園以降でいかに踏ん張るかが大きなポイント」と神野は断言する[/caption] ――つらいところでがんばれたメンタルの源は? 神野 僕だってきついんですが、そこでがんばればより差がつくと認識していましたし、きついけど、ここでがんばらないと差が開かない。そういう思いが自分を奮い立たせてくれました。

箱根駅伝の魅力や価値とは――

――大学生活の4年間をざっと振り返るとどんな日々でしたか? 神野 想像よりはるか上へ成長できた4年間でした。青学への入学当初は箱根駅伝の優勝など想像すらできなかったことで、それ以上に区間新記録を樹立するなど思いもよらなかったこと。僕にとってはこれ以上ない4年間でした。 ――原監督は、神野選手にとってどんな存在でしたか? 神野 僕は原監督のもとで大学4年間を過ごしたことが今にもつながっていると思いますし、競技成績も向上しました。原監督自身は、選手時代にものすごく活躍されていたわけではないのですが、ご自身の現役時代の経験だけでなく、新しいこともどんどん取り入れ、フィジカルトレーナーを招き入れてくれたり、練習なんかも今までのかたちにとらわれない内容を組んでくれたことが僕には合っていたと思います。また、原監督は、僕たちに人としての成長を求め、「自分でしっかり考えて、自分の意思や考えをしっかり持ちなさい」という方だったので、学生時代に考える訓練ができたことで、自分の意思を持てる選手に成長できたと思っています。 ――神野選手を輝かせてくれた箱根駅伝ですが、その魅力はどんなところにありますか? 神野 長距離を走ることはすごく辛くて、きついことの連続ですが、成長して箱根駅伝という舞台に立てれば、がんばってきた努力が報われる瞬間が来ると思いますし、1年間努力し続けても後悔しないような、それぐらい影響力のある大会だと思います。箱根駅伝を知らない人はいないと思いますので、箱根を走ったことのある選手はみんなが誇りに思っているでしょうし、まわりの方々も走ったことを評価してくれたり、一目置いてくれる。それだけ影響力があって価値の高い大会はなかなかないので、それが箱根駅伝の魅力だと思っています。 ――箱根駅伝は陸上競技の普及に役立っています。 神野 箱根駅伝があるから陸上を志す選手が増えているでしょうし、ランニングを始めるきっかけにもなっていると思います。引き続き日本の陸上界に影響力をもたらしてほしいですね。また、箱根で活躍した選手が世界と戦える選手に成長することが大事だと思っています。学生が卒業後にしっかりマラソンを走れるのは、箱根駅伝に向けて走り込んだことが大いに役立っているはずです。僕自身は正直なところ箱根駅伝がすべてと思ってやってきましたが、箱根駅伝をステップにして世界で戦っていける選手が増えればもっともっと日本の陸上界は盛り上がるでしょうし、いい人材が陸上を始めてくれるようになると思います。 [caption id="attachment_123929" align="alignnone" width="800"] 2016年の第92回箱根駅伝で完全優勝の瞬間を見届けて歓喜に浸った青学大陣営。苦しんだ分だけ、努力が報われたときの喜びは大きかった[/caption] ――箱根駅伝から得たもの、学んだことなどはありますか? 神野 箱根駅伝だけではないのですが、4年間しっかり努力すれば成果につながるということを改めて理解させてくれましたし、報われる瞬間があることを経験させてもらったので、今でも辛いことは多いですけど、それを乗り越えた先にいいことが待っている、という気持ちでやれるようになったのも、学生時代の経験があったからこそです。

箱根駅伝に人生を懸けた選手たちの〝覚悟〟が詰まっている!!

――箱根駅伝に出場する選手たちにエールをお願いします。 神野 箱根駅伝を目指している学生はとても多いのですが、それぞれ辛いこともたくさんあるでしょうけど、辛さを乗り越えて実際に走ることができれば、箱根駅伝はこれ以上ないすばらしい舞台なので、乗り越えた先にいい景色が待っているということを伝えたいですね。また、学生生活の4年間はあとから後悔しても戻ってこないので、一日一日を大切にすごしてほしいと思っています。 ――また、沿道やテレビで箱根駅伝を観戦してくれる一般の方には、箱根駅伝のどんなところを観てほしいですか? 神野 僕の学生時代は箱根駅伝を最大の目標にしていて、ほかにもいろんな大会がありますが、それはステップでしかなく、箱根でいい走りをして、チームとしてもいい成果を出すということを目標にしてやってきた4年間だったので、それだけ選手の覚悟が詰まった走りが見られるのが箱根駅伝だと思います。人生を懸けて挑んでいる選手たちの想いを感じ取って観ていただきたいですね。 [caption id="attachment_123930" align="alignnone" width="800"] 箱根駅伝を沿道やテレビで観戦する際には「人生を懸けて挑む選手たちの想いを感じ取って観てほしい」と神野は話す[/caption] 現在、日本テレビ箱根駅伝サイトでは、サッポロビール特別企画として神野大地さんのインタビュー動画が公開中。黒ラベルが当たるキャンペーンも実施中です。 ぜひご覧ください⇒動画はコチラ

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