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2025.11.04

“走る伝説”キプチョゲが第一線退く マラソン2時間切り、五輪2連覇 マラソン界の常識を変えた鉄人
“走る伝説”キプチョゲが第一線退く マラソン2時間切り、五輪2連覇 マラソン界の常識を変えた鉄人

キプチョゲ

11月2日、米国でニューヨークシティマラソンに出場したエリウド・キプチョゲ(ケニア)が、フィニッシュ後、今後はエリートレースには参加せず、新たなプロジェクト「エリウド・キプチョゲ・ワールドツアー」を始めることを発表した。キプチョゲは「これは『引退』ではなく、次のステージへの『移行』」と話したが、マラソン界で一時代を築いたレジェンドの節目となった。

1984年11月5日生まれのキプチョゲは、4人兄弟の末っ子として母子家庭で育った。中学までは専門的なトレーニングは受けていなかったが、他のケニア人ランナーと同様に、長い道のりを走って通学するうちに自然と脚力を鍛えていた。16歳の時に元五輪3000m障害メダリストのパトリック・サン氏に見出されて陸上の道へ。翌2002年には世界クロスカントリー選手権ジュニアの部で5位となり、翌年には優勝を飾っている。

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世界を驚かせたのが、それから間もないパリ世界選手権の5000mだった。同大会で10000mを制したケネニサ・ベケレ(エチオピア)と1500mを制したヒシャム・エル・ゲルージ(モロッコ)のトラックの両雄の対決が注目される中、わずか18歳で出場したキプチョゲが12分52秒79の大会新で金メダルを手にしたのだ。同年には12分52秒61のU20世界記録を樹立し、一躍世界のトップの仲間入りを果たした。

その後も、5000mのスペシャリストとして世界大会でメダルを獲得。ケニア国内では「Mr.コンスタント」とも呼ばれるほど、安定した成績を残していた。だが、当時は5000m、10000mで世界記録を保持していた2歳年上のベケレの絶頂期にあり、スポットライトを浴びるチャンスは多くなかった。

12年ロンドン五輪の出場を逃したことで、ロードへの転向を決意。28歳からの挑戦に懐疑的な声もあったが、13年春のハンブルクでマラソンに初挑戦し、2時間5分30秒で優勝を飾る。9月のベルリンではウィルソン・キプサング(ケニア)が2時間3分23秒の世界記録を樹立するレースで、キプチョゲも2時間4分05秒(当時世界歴代5位)をマークして2位に入った。

14年のロッテルダムで優勝してから連勝街道を突き進み、16年リオ五輪で金メダルを獲得。18年ベルリンでは2時間1分39秒の世界記録を樹立した。20年のロンドンで6年ぶりに敗れて連勝が10で止まった際には、負けたことが衝撃のニュースとして世界に報じられたほどだった。

数々の栄光を手にしたキプチョゲは、さらなる限界を追い求めて、マラソンの2時間切りにも挑戦する。陸上競技のルールから外れた参考レースではあるものの、19年に1時間59分40秒を叩きだして人類の未踏地に到達した。その後も21年東京五輪で連覇を成し遂げ、22年には2時間1分09秒とさらに世界記録を更新するなど、35歳を越えてもなお伝説を築き続けた。

インタビューでは、「私が成功できた秘訣は、走ることが好きだったから。きつい練習もまったく苦にならずトップクラスのランナーとして活躍できた」と語るほど、練習に打ち込んできたキプチョゲ。ケニアの長距離界においては、近年ドーピング違反で資格停止処分を受ける選手も多く、また活躍した後に受け取る金銭をめぐってトラブルを抱えるケースも少なくない。その中にあって、誠実な性格のキプチョゲはトレーニングに対しても真摯な態度で取り組み、その姿勢が国内外、選手、ファンを問わず尊敬を集めている。

競技外でも2020年に「エリウド・キプチョゲ財団」を設立。彼の人柄もあり、多くのスポンサーが集まり、ケニア国内の教育や環境保護をサポートする取り組みを進めるなど、社会貢献にも寄与してきた。今回発表された七大陸を走るワールドツアーもこの活動をさらに推し進めるためのプロジェクトであり、ランニングを通して世界を一つにするというキプチョゲの理念を体現するものだ。

近年のマラソン界はキプチョゲとともに進化してきた。キプチョゲがマラソンデビューを果たした時の世界記録は2時間3分38秒で、2時間4分を切った選手はわずか3人。2時間6分未満で走った選手も49人しかいなかった。それから12年が経ち、2時間6分を切る選手は200人を超える。キプチョゲが2度更新した世界記録は、23年にケルヴィン・キプトゥム(ケニア)が2時間0分35秒へと塗り替えた。

めざましい高速化はトレーニング法やシューズの進化が影響しているとの声もあるが、何よりもキプチョゲという先駆者の存在が、後に続く選手たちの記録に対する精神的な壁を取り払ったことは間違いない。

41歳を目前にして次のステージに進むキプチョゲ。マラソン界に残した足跡が色あせることはないだろう。

11月2日、米国でニューヨークシティマラソンに出場したエリウド・キプチョゲ(ケニア)が、フィニッシュ後、今後はエリートレースには参加せず、新たなプロジェクト「エリウド・キプチョゲ・ワールドツアー」を始めることを発表した。キプチョゲは「これは『引退』ではなく、次のステージへの『移行』」と話したが、マラソン界で一時代を築いたレジェンドの節目となった。 1984年11月5日生まれのキプチョゲは、4人兄弟の末っ子として母子家庭で育った。中学までは専門的なトレーニングは受けていなかったが、他のケニア人ランナーと同様に、長い道のりを走って通学するうちに自然と脚力を鍛えていた。16歳の時に元五輪3000m障害メダリストのパトリック・サン氏に見出されて陸上の道へ。翌2002年には世界クロスカントリー選手権ジュニアの部で5位となり、翌年には優勝を飾っている。 世界を驚かせたのが、それから間もないパリ世界選手権の5000mだった。同大会で10000mを制したケネニサ・ベケレ(エチオピア)と1500mを制したヒシャム・エル・ゲルージ(モロッコ)のトラックの両雄の対決が注目される中、わずか18歳で出場したキプチョゲが12分52秒79の大会新で金メダルを手にしたのだ。同年には12分52秒61のU20世界記録を樹立し、一躍世界のトップの仲間入りを果たした。 その後も、5000mのスペシャリストとして世界大会でメダルを獲得。ケニア国内では「Mr.コンスタント」とも呼ばれるほど、安定した成績を残していた。だが、当時は5000m、10000mで世界記録を保持していた2歳年上のベケレの絶頂期にあり、スポットライトを浴びるチャンスは多くなかった。 12年ロンドン五輪の出場を逃したことで、ロードへの転向を決意。28歳からの挑戦に懐疑的な声もあったが、13年春のハンブルクでマラソンに初挑戦し、2時間5分30秒で優勝を飾る。9月のベルリンではウィルソン・キプサング(ケニア)が2時間3分23秒の世界記録を樹立するレースで、キプチョゲも2時間4分05秒(当時世界歴代5位)をマークして2位に入った。 14年のロッテルダムで優勝してから連勝街道を突き進み、16年リオ五輪で金メダルを獲得。18年ベルリンでは2時間1分39秒の世界記録を樹立した。20年のロンドンで6年ぶりに敗れて連勝が10で止まった際には、負けたことが衝撃のニュースとして世界に報じられたほどだった。 数々の栄光を手にしたキプチョゲは、さらなる限界を追い求めて、マラソンの2時間切りにも挑戦する。陸上競技のルールから外れた参考レースではあるものの、19年に1時間59分40秒を叩きだして人類の未踏地に到達した。その後も21年東京五輪で連覇を成し遂げ、22年には2時間1分09秒とさらに世界記録を更新するなど、35歳を越えてもなお伝説を築き続けた。 インタビューでは、「私が成功できた秘訣は、走ることが好きだったから。きつい練習もまったく苦にならずトップクラスのランナーとして活躍できた」と語るほど、練習に打ち込んできたキプチョゲ。ケニアの長距離界においては、近年ドーピング違反で資格停止処分を受ける選手も多く、また活躍した後に受け取る金銭をめぐってトラブルを抱えるケースも少なくない。その中にあって、誠実な性格のキプチョゲはトレーニングに対しても真摯な態度で取り組み、その姿勢が国内外、選手、ファンを問わず尊敬を集めている。 競技外でも2020年に「エリウド・キプチョゲ財団」を設立。彼の人柄もあり、多くのスポンサーが集まり、ケニア国内の教育や環境保護をサポートする取り組みを進めるなど、社会貢献にも寄与してきた。今回発表された七大陸を走るワールドツアーもこの活動をさらに推し進めるためのプロジェクトであり、ランニングを通して世界を一つにするというキプチョゲの理念を体現するものだ。 近年のマラソン界はキプチョゲとともに進化してきた。キプチョゲがマラソンデビューを果たした時の世界記録は2時間3分38秒で、2時間4分を切った選手はわずか3人。2時間6分未満で走った選手も49人しかいなかった。それから12年が経ち、2時間6分を切る選手は200人を超える。キプチョゲが2度更新した世界記録は、23年にケルヴィン・キプトゥム(ケニア)が2時間0分35秒へと塗り替えた。 めざましい高速化はトレーニング法やシューズの進化が影響しているとの声もあるが、何よりもキプチョゲという先駆者の存在が、後に続く選手たちの記録に対する精神的な壁を取り払ったことは間違いない。 41歳を目前にして次のステージに進むキプチョゲ。マラソン界に残した足跡が色あせることはないだろう。

【動画】パリ世界選手権5000mで金メダル

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【動画】マラソンで夢の2時間切り達成

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【動画】東京五輪で史上3人目の連覇

【画像】ニューヨークシティマラソンのフィニッシュで涙を流したキプチョゲ

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