2025.04.20
実家に戻り、アルバイトをしながら教習所通いの日々
「元々、私は“ゼロか100か”みたいな性格なので、やるなら世界大会を目指す。やれないのなら、一切競技から離れると考えました。その時は、休んでもう一回走るというのは考えていなかったです。ずっと前を見て走ることしかしてこなくて、それ以外をやろうとも思わなかった。幼い頃の夢とかもなかったです。急に辞めることになって迷惑をかけたのに、『また走るかもしれません』とは言えなかった」
退社して長野の実家に帰った。恩師の玉城先生に報告すると「そうか」とすぐに察してくれて咎められることはなかった。母は走らなくなったことに何も言わなかった。「楓が決めたことなら違う道でも応援する。走っていても走っていなくても、楓は楓だから」。この言葉にスッと心が軽くなったのを感じた。
「長野では車の免許がないと“生きていけない”と思ったんで、まずは教習所に通いました。でも、運転のセンスがなくて…(笑)。私、こう見えて何でもわりかしできる人生だったんです。マラソン大会でも1位で、勉強もそれほど苦手じゃなかった。まさか、こんなにも“できないこと”にぶち当たるなんて。私、どんなにきついポイント練習もできますが、教習所はしばらくサボって、免許を取るまで時間がかかりました。走るほうが楽だし、30キロくらいなら走ったほうが速いですから(笑)」
駅前のホテルの食堂で、朝5時から11時までアルバイトを週6回。ここでもストイックな性格がのぞく。「昼間を有効に使いたかったので、どうせやるなら一気に入れちゃえって。実業団の朝練習より早起きで頑張りました。でも、それでも1日10,000円にもならない。働くって大変だなと思いました」。長い時間をかけた免許も無事に取れて、「ふらふらしていました」。次に何をしようか考える日々だった。
競技を離れてから走ることはなかった。正確には「走っちゃいけない」と感じていた日々だった。
「しばらく走らなかったですね。走っちゃいけないと思ってたんで。ああいう理由で実業団を辞めた以上は。正直、辞めた時もまだまだ走っていたかったです。あんな状態でもそう思っている自分がいるのも気づいていました。でも、できる状況ではないし、あのまま走り続けたらもっと壊れていました。自分を守るために、走るのを辞めないといけない。走りたい思いがあっても蓋をしたんです」
23年の秋に誘われたのが再び走り始めたきっかけだった。
「高校の時に使っていた練習のコースを、当時から走っていたおっちゃんがいるんです。その時はおっちゃんがトレイルランをしているとは知らなくて、というより、そもそも、トレイルランを知らなかった。『おっちゃん、よう走ってんなぁ』くらいに見ていたのですが、話を聞くと『トレイルラン』をしていると。トレイルって何? っていうところがでした。『今後、どこかの山に一緒に走りに行こうよ』と誘ってもらったんです」

萩谷が再び走り始めるきっかけがトレイルランだった(提供写真)
高校時代からアップダウンを走るのはお手のもの。だが、山に連れて行かれたと思ったら、いきなり2、30kmを一気に走った。「あんな山の中を一切走ったことがなかった」。懐かしい全身筋肉痛と、駆け抜ける爽快感が気持ち良かった。
「同じ走るでも、こんな世界があるんだなって。ロードやトラックとも全然違って、これはこれで楽しいなって。山の中でリュックサックを背負って走るんですが、走る時間も長いので休憩があるんです。その時に食べたおにぎりがうまかったんですよ」
実は、萩谷は現役時代から時々、食事をうまく取れない時期があったという。引退してからは、さらにひどい時期もあった。
「一部の人にしか言ったことがないのですが、ちょっと摂食障害気味で、うまく食べられなかったんで。これまでは走るために食べていたし眠っていた。なのに、トレーニングもしていない私が食べたらあかんっていう脳になったんです。『生きるためやん』って言われるんですが、走ることが離れたら『どうやって食べていたんやろ』ってなりました」
ただ、山の中を走って感じた。還暦を過ぎた人が長い距離をひたすらに走り続けられる。「やっぱり食べんと走れへん。食べなあかんねん」。走ることが教えてくれたのは、生きることそのものだった。
「身体もアスリートから程遠かったし、全然息も続かなかった。でも、走り出すとむちゃくちゃ楽しかったんです。もう一回走りたい。どんなかたちでも、とりあえず走りたい」
トレイルランの魅力にハマっていくうちに「レースに出たい」「勝ちたい」という思いが芽生えてきたのは、やはり生粋のアスリート。ただ、かつてと違うのは競技観だった。
「全部、自分のために走るのだから、自分の心を傷つけてまでやろう、とは思わなかったです。もちろん、実業団時代を否定するのではないんです。後悔もありません。ただ、私は高校からずっと、自分のためだけに走ったことはなかったと思います。駅伝もあったし、チームのため、お世話になった監督のためなど、誰かのために走るのが自分の一番の力だったんです。自分を見てもらうために必死でした。それが合致した時は結果が出たし、外れた時は歯車が狂いました。だから、ここからは自分のために走ろうと思ったんです」
早朝のバイト後に近所の山をひたすら登って、下って。走っていると、気持ちがどんどんと前向きになっていくのがわかった。
「走っている時の自分が一番“イケてる”って感じましたね。走ることが自分らしくいれる方法だって気づいたんです。それがすべてではないというのは辞めてからこそわかったのですが、走っている自分が好きだというのも認められました。やっぱり自分が一番輝ける舞台なんだなって」


実家に戻り、アルバイトをしながら教習所通いの日々
「元々、私は“ゼロか100か”みたいな性格なので、やるなら世界大会を目指す。やれないのなら、一切競技から離れると考えました。その時は、休んでもう一回走るというのは考えていなかったです。ずっと前を見て走ることしかしてこなくて、それ以外をやろうとも思わなかった。幼い頃の夢とかもなかったです。急に辞めることになって迷惑をかけたのに、『また走るかもしれません』とは言えなかった」 退社して長野の実家に帰った。恩師の玉城先生に報告すると「そうか」とすぐに察してくれて咎められることはなかった。母は走らなくなったことに何も言わなかった。「楓が決めたことなら違う道でも応援する。走っていても走っていなくても、楓は楓だから」。この言葉にスッと心が軽くなったのを感じた。 「長野では車の免許がないと“生きていけない”と思ったんで、まずは教習所に通いました。でも、運転のセンスがなくて…(笑)。私、こう見えて何でもわりかしできる人生だったんです。マラソン大会でも1位で、勉強もそれほど苦手じゃなかった。まさか、こんなにも“できないこと”にぶち当たるなんて。私、どんなにきついポイント練習もできますが、教習所はしばらくサボって、免許を取るまで時間がかかりました。走るほうが楽だし、30キロくらいなら走ったほうが速いですから(笑)」 駅前のホテルの食堂で、朝5時から11時までアルバイトを週6回。ここでもストイックな性格がのぞく。「昼間を有効に使いたかったので、どうせやるなら一気に入れちゃえって。実業団の朝練習より早起きで頑張りました。でも、それでも1日10,000円にもならない。働くって大変だなと思いました」。長い時間をかけた免許も無事に取れて、「ふらふらしていました」。次に何をしようか考える日々だった。 競技を離れてから走ることはなかった。正確には「走っちゃいけない」と感じていた日々だった。 「しばらく走らなかったですね。走っちゃいけないと思ってたんで。ああいう理由で実業団を辞めた以上は。正直、辞めた時もまだまだ走っていたかったです。あんな状態でもそう思っている自分がいるのも気づいていました。でも、できる状況ではないし、あのまま走り続けたらもっと壊れていました。自分を守るために、走るのを辞めないといけない。走りたい思いがあっても蓋をしたんです」 23年の秋に誘われたのが再び走り始めたきっかけだった。 「高校の時に使っていた練習のコースを、当時から走っていたおっちゃんがいるんです。その時はおっちゃんがトレイルランをしているとは知らなくて、というより、そもそも、トレイルランを知らなかった。『おっちゃん、よう走ってんなぁ』くらいに見ていたのですが、話を聞くと『トレイルラン』をしていると。トレイルって何? っていうところがでした。『今後、どこかの山に一緒に走りに行こうよ』と誘ってもらったんです」 [caption id="attachment_167149" align="alignnone" width="800"]
「マラソンで世界へ」再び走り始めることを決意
24年2月のレースでは優勝。「陸上ではなかなか“一番”が取れなかったんですが、初めてゴールテープを切ったのは本当にうれしくて、帰ってきたなって感じました」。そうしているうちに、さまざまなトレイルランナーやウルトラマラソンに挑戦する人と交流していくうちに、「私は100キロも楽しめない。せいぜい40キロくらい。山道も下りがへたなんです。それよりロードを走っているほうが楽しい」と改めて感じた。 3月に出た神戸のレースは国際大会で、久しぶりに海外選手と競り合うと、心に火がともった。「トレイルを始めたばかりの私なんて一切、歯が立たなかったのですが、なんだかいいなって思いました」。あの場所に戻りたい。マラソンで戻りたい。徐々に山練習からロード練習の頻度が増えた。 復帰する上で、「どれくらいの力がわからなかったので状態を確認しよう」とトラックの5000mのトライアルをした。「18分かかったら復帰を辞めようと思った」が、結果は17分。「いくら山だけだと言っても17分もかかったんですよ」とショックを受けた。そこから1ヵ月は「自分でメニューを立てたことがなかったのですが、いろいろ考えるのも楽しかったです」。玉城先生にも時折メニューの相談をして、再び5000mのタイムトライアルをしたら、16分40秒まで上げられた。「やっていることは間違いじゃない」 これまで一人暮らしをしたことがなかったこともあり、現役復帰を目指して心機一転、兵庫に移ったのが昨年6月。「競技をするなら、食事も自分で作れるようにならないと」。母は「多分、心配はしていたと思いますが、走っている私のことが好きなのでうれしさ半分、心配半分、かな」。やりたいようにやればいい、と背中を押してくれた。 再び走り始めた自分に、「走ってくれてありがとう」と声をかけられることが増えた。「走るだけで感謝されて、人の心を動かせるなんて、何て素晴らしいことなんだろう」。やっぱり、走ることは人生から外せない。 12月には2年ぶりとなるトラックレースに出場し、5000mを15分54秒35。生涯かけて16分を切れないランナーが山ほどいる中で、やはり萩谷は特別な才能を持って生まれている。 [caption id="attachment_167148" align="alignnone" width="607"]

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