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	<title>月陸Online</title>
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	<description>陸上競技Webメディア「月陸Online」</description>
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	<title>東京パラリンピック &#8211; 月陸Online｜月刊陸上競技</title>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第13回「パラアスリートたちが限界に挑んだ13日間のドラマ ～ガイドランナー・山領駿さんが振り返るTOKYO2020～ 」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Sep 2021 18:00:09 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[東京パラリンピック]]></category>
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<strong>山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第13回「パラアスリートたちが限界に挑んだ13日間のドラマ ～ガイドランナー・山領駿さんが振り返るTOKYO2020～ 」</h2>
<p>TOKYO2020は、新型コロナウイルスの世界的パンデミックで各国が苦しむ状況下にあって、開催の1年延期を決断した。</p>
<p>さらに追い討ちをかけるように、開催に対して国民の賛否が分かれる事態となり、開催当事国としては非常に重苦しい空気感の中での開催となった。これほど自国開催のオリンピックに対して、賛否で分断された大会は過去に例を見ない。</p>
<p>それゆえに、オリンピック開催が決まった8年前に想像したオリ・パラとは乖離し、困難を極めたかたちでの運営を強いられた。</p>
<p>それでも大会に関わった関係者やボランティアの連隊と連携もあって無事に閉幕できたことは、コロナとの共生を強いられている世界中の人々にささやかながら希望の光を届けることになったのではないかと思う。</p>
<p>選手・関係者にとっても、コロナ禍にあって満足に強化や調整ができず、日々の生活にさえ苦しめられた選手関係者もいたことだろう。</p>
<p>コロナ以外にも、戦時的背景でとてもスポーツに費やす時間も環境も見出せないなか、ひたすら自己練磨を重ねた選手もいた。そして生活の場や祖国さえ追われ難民となり、スポーツをする用具も何もかも失った中でも、アスリートとしての誇りを保ち、精進に励んだ選手たち。そして、そのような選手たちを支えようとした関係者が多く存在していた。</p>
<p>さまざまな事情と思いを抱きながら、世界中の多くの人々がオリンピックとパラリンピックの日々を注視したはずだ。</p>
<p>そして9月5日、人間の持つ限りなき可能性を体現した東京パラリンピックが、静かに幕を閉じた。式典の最後にルイ・アームストロングのジャズの名曲「What a Wonderful World （この素晴らしき世界）」をボーカリストの奥野敦士さんが、アームストロングの再来かとも思わせる歌声で、大会の感動と余韻を慈しみ、すべての人にこの大会の意義を語りかけるように映像出演で歌い上げた。</p>
<p>奥野さんはロックバンド「ROGUE」で活躍するも、事故で胸から下の麻痺を患っている。同じく障害を持ち、伴奏を務めたピアニスト西川悟士さんと、公募で選ばれた特別支援学校高等部の小汐唯菜さんがスタジアムで合唱した。</p>
<p>I hear babies cry　　　　　赤ちゃんが泣いている<br />
I watch them grow　　　　彼らは大きくなって<br />
They’ll learn much more 　 多くのことを学ぶだろう<br />
Than I’ll never know 　　　僕が知りえる以上に<br />
And I think to myself　　　そして僕はひとり思う<br />
What a wonderful world 　 なんて素晴らしい世界なんだ</p>
<p>その歌声はオリンピックの閉会式で歌われたジョン・レノンの「イマジン」と共鳴し合い、国立競技場の夜空へと放たれた。世界中に響き渡ったのではないかと感じたのは身勝手な幻想であり、思い込みだろうか。</p>
<p>さまざまな障害や困難・差別に向き合い、打ち勝とうと鍛え抜かれたパラアスリートたち。彼らが限界に挑んだ13日間のドラマが、ボランティア活動の映像とシンクロし、蘇る。そして、その姿には「共生社会」に向けたヒントが数多く含まれていたと言える。</p>
<h2>「いつまでもこうして走っていたい、と思える不思議な感覚を味わせてもらった」</h2>
<p>視覚障害のアスリートにとって、ガイドランナーはとても重要な存在だ。今回のパラリンピックでは、日本人選手の活躍もあり、ガイドランナーのサポートにも注目が集まった。</p>
<p>今回のパラリンピック女子マラソン（視覚障害）で5位入賞を果たした藤井由美子さん（びわこタイマーズ、56歳）のレース後半で、山領駿さん（福岡県魁誠高→山梨学院大、2012年卒）がガイドランナーを務めた。</p>
<p>彼は学生時代に学生駅伝の出場経験はないが、４年時に関東インカレ1部3000ｍ障害で5位入賞を果たしている。実業団の西鉄に入社し、3000障害で活躍するも、現在は地元福岡の外資系金融機関で勤務している。仕事の傍ら、地元のランニング仲間との交流から、ガイドランナーとしてのトレーニングのお手伝い募集の話を受けたことがきっかけになったそうだ。今回金メダルを獲得した道下美里さんも、福岡・大濠公園でトレーニングしていることから、ガイドランナーの存在と役割はおぼろげながら理解していたようだ。</p>
<p>しかし、実際にやってみると想像以上に難しく、単に伴走という言葉では表現できない奥深さを感じたそうだ。私もガイドランナーの講習会に数年前に参加したことがあり、その難しさの一端を体験させていただいた。視覚障害を疑似体験する特殊なゴーグルをつけ、逆にガイドしていただいたのだが、恐怖が先立ち、一歩が踏み出せない程であった。</p>
<p>山領さんはその後のご縁で藤井さんと出会い、パラリンピックまでガイドランナーとして共に歩むこととなった。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会で、男女視覚障害マラソン代表選手が5000ｍに出場するということで、現地での再会を楽しみにしていた。この時のレースは好調ぶりを見せた道下さんの走りとは対照的に、藤井さんの足取りは重く、練習がうまく消化できていないことが見て取れた。</p>
<p>パラリンピックのレース後に山領さんに話を聞くと「7月は脚の故障もあり、思うような練習ができず、お互いに不安と焦りを背負いながらの日々でした。ようやく8月に走れる状態となり、決して無理のできる状態ではない中でスタートを迎えることができました」と語ってくれた。そして、「それでも、今ある力をしっかり出し切り、代表選手として力の限り走り抜き、スタジアムでフィニッシュを果たしたい」と藤井さんが山領さんに決意を語ったそうだ。</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone wp-image-45138 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-1024x682.jpeg" alt="" width="1024" height="682" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-1024x682.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-300x200.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-768x512.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762.jpeg 1189w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><span style="font-size: 8pt;">女子マラソン（視覚障害）で5位入賞を果たした藤井由美子選手（右）とガイドランナーの山領駿さん</span></p>
<p>前半は力をセーブし、後半できれば30km以降に死力を尽くそうとレースプランを話し合ったそうだ。テレビ中継でも20kmの通過は最下位での通過であった。</p>
<p>30kmを過ぎて「あと10kmほどでゴールですよ、大丈夫まだまだいけますよ」と声をかけてからは、「今までの不安や苦しみから解放されたようにペースが上がり、ガイドを務めながらも藤井さんにはコースが見えているのではないだろうかと錯覚するほどでした。自分の前に広がる景色は、もしかして藤井さんが今感じている景色のイメージではないかと思えたくらいです」とも語ってくれた。</p>
<p>「ガイドランナーを務めながらトレーニングを共にしてきて、不調に喘ぐ姿を間近で感じて苦しい日々でしたが、藤井さんの後半の走りに自分自身が救われ、『支えていただいている』という感情が込み上げてきました。そう思えた瞬間、まさしくガイドロープを通してその思いが交錯し、共鳴し合いながらゴールを目指しているようでした。1つでも順位を上げて少しでも早くゴールを果たしたい、という気持ちとは裏腹に、いつまでもこうして走っていたいと思える不思議な感覚を味わせていただき、感動でした」と締めくくっていただいた。</p>
<p>ガイドランナーを務めたすべての方々の心象風景がどうであったかは知る由もないが、すべてのガイドランナーやサポートに回られた方々への敬意と感謝を込めさせていただきたい。</p>
<p>ありがとうございました。おかげさまでパラアスリートの光り輝く笑顔を見ることができました。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-12742" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-scaled.jpg" sizes="(max-width: 2560px) 100vw, 2560px" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/b96b30b8af253fea63951dcdd77ac5bf-2048x966.jpg 2048w" alt="" width="2560" height="1208" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁監督の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第13回「パラアスリートたちが限界に挑んだ13日間のドラマ ～ガイドランナー・山領駿さんが振り返るTOKYO2020～ 」</h2><p>TOKYO2020は、新型コロナウイルスの世界的パンデミックで各国が苦しむ状況下にあって、開催の1年延期を決断した。</p><p>さらに追い討ちをかけるように、開催に対して国民の賛否が分かれる事態となり、開催当事国としては非常に重苦しい空気感の中での開催となった。これほど自国開催のオリンピックに対して、賛否で分断された大会は過去に例を見ない。</p><p>それゆえに、オリンピック開催が決まった8年前に想像したオリ・パラとは乖離し、困難を極めたかたちでの運営を強いられた。</p><p>それでも大会に関わった関係者やボランティアの連隊と連携もあって無事に閉幕できたことは、コロナとの共生を強いられている世界中の人々にささやかながら希望の光を届けることになったのではないかと思う。</p><p>選手・関係者にとっても、コロナ禍にあって満足に強化や調整ができず、日々の生活にさえ苦しめられた選手関係者もいたことだろう。</p><p>コロナ以外にも、戦時的背景でとてもスポーツに費やす時間も環境も見出せないなか、ひたすら自己練磨を重ねた選手もいた。そして生活の場や祖国さえ追われ難民となり、スポーツをする用具も何もかも失った中でも、アスリートとしての誇りを保ち、精進に励んだ選手たち。そして、そのような選手たちを支えようとした関係者が多く存在していた。</p><p>さまざまな事情と思いを抱きながら、世界中の多くの人々がオリンピックとパラリンピックの日々を注視したはずだ。</p><p>そして9月5日、人間の持つ限りなき可能性を体現した東京パラリンピックが、静かに幕を閉じた。式典の最後にルイ・アームストロングのジャズの名曲「What a Wonderful World （この素晴らしき世界）」をボーカリストの奥野敦士さんが、アームストロングの再来かとも思わせる歌声で、大会の感動と余韻を慈しみ、すべての人にこの大会の意義を語りかけるように映像出演で歌い上げた。</p><p>奥野さんはロックバンド「ROGUE」で活躍するも、事故で胸から下の麻痺を患っている。同じく障害を持ち、伴奏を務めたピアニスト西川悟士さんと、公募で選ばれた特別支援学校高等部の小汐唯菜さんがスタジアムで合唱した。</p><p>I hear babies cry　　　　　赤ちゃんが泣いている<br />I watch them grow　　　　彼らは大きくなって<br />They’ll learn much more 　 多くのことを学ぶだろう<br />Than I’ll never know 　　　僕が知りえる以上に<br />And I think to myself　　　そして僕はひとり思う<br />What a wonderful world 　 なんて素晴らしい世界なんだ</p><p>その歌声はオリンピックの閉会式で歌われたジョン・レノンの「イマジン」と共鳴し合い、国立競技場の夜空へと放たれた。世界中に響き渡ったのではないかと感じたのは身勝手な幻想であり、思い込みだろうか。</p><p>さまざまな障害や困難・差別に向き合い、打ち勝とうと鍛え抜かれたパラアスリートたち。彼らが限界に挑んだ13日間のドラマが、ボランティア活動の映像とシンクロし、蘇る。そして、その姿には「共生社会」に向けたヒントが数多く含まれていたと言える。</p><h2>「いつまでもこうして走っていたい、と思える不思議な感覚を味わせてもらった」</h2><p>視覚障害のアスリートにとって、ガイドランナーはとても重要な存在だ。今回のパラリンピックでは、日本人選手の活躍もあり、ガイドランナーのサポートにも注目が集まった。</p><p>今回のパラリンピック女子マラソン（視覚障害）で5位入賞を果たした藤井由美子さん（びわこタイマーズ、56歳）のレース後半で、山領駿さん（福岡県魁誠高→山梨学院大、2012年卒）がガイドランナーを務めた。</p><p>彼は学生時代に学生駅伝の出場経験はないが、４年時に関東インカレ1部3000ｍ障害で5位入賞を果たしている。実業団の西鉄に入社し、3000障害で活躍するも、現在は地元福岡の外資系金融機関で勤務している。仕事の傍ら、地元のランニング仲間との交流から、ガイドランナーとしてのトレーニングのお手伝い募集の話を受けたことがきっかけになったそうだ。今回金メダルを獲得した道下美里さんも、福岡・大濠公園でトレーニングしていることから、ガイドランナーの存在と役割はおぼろげながら理解していたようだ。</p><p>しかし、実際にやってみると想像以上に難しく、単に伴走という言葉では表現できない奥深さを感じたそうだ。私もガイドランナーの講習会に数年前に参加したことがあり、その難しさの一端を体験させていただいた。視覚障害を疑似体験する特殊なゴーグルをつけ、逆にガイドしていただいたのだが、恐怖が先立ち、一歩が踏み出せない程であった。</p><p>山領さんはその後のご縁で藤井さんと出会い、パラリンピックまでガイドランナーとして共に歩むこととなった。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会で、男女視覚障害マラソン代表選手が5000ｍに出場するということで、現地での再会を楽しみにしていた。この時のレースは好調ぶりを見せた道下さんの走りとは対照的に、藤井さんの足取りは重く、練習がうまく消化できていないことが見て取れた。</p><p>パラリンピックのレース後に山領さんに話を聞くと「7月は脚の故障もあり、思うような練習ができず、お互いに不安と焦りを背負いながらの日々でした。ようやく8月に走れる状態となり、決して無理のできる状態ではない中でスタートを迎えることができました」と語ってくれた。そして、「それでも、今ある力をしっかり出し切り、代表選手として力の限り走り抜き、スタジアムでフィニッシュを果たしたい」と藤井さんが山領さんに決意を語ったそうだ。</p><p><img decoding="async" class="alignnone wp-image-45138 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-1024x682.jpeg" alt="" width="1024" height="682" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-1024x682.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-300x200.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762-768x512.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/IMG_7762.jpeg 1189w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><span style="font-size: 8pt;">女子マラソン（視覚障害）で5位入賞を果たした藤井由美子選手（右）とガイドランナーの山領駿さん</span></p><p>前半は力をセーブし、後半できれば30km以降に死力を尽くそうとレースプランを話し合ったそうだ。テレビ中継でも20kmの通過は最下位での通過であった。</p><p>30kmを過ぎて「あと10kmほどでゴールですよ、大丈夫まだまだいけますよ」と声をかけてからは、「今までの不安や苦しみから解放されたようにペースが上がり、ガイドを務めながらも藤井さんにはコースが見えているのではないだろうかと錯覚するほどでした。自分の前に広がる景色は、もしかして藤井さんが今感じている景色のイメージではないかと思えたくらいです」とも語ってくれた。</p><p>「ガイドランナーを務めながらトレーニングを共にしてきて、不調に喘ぐ姿を間近で感じて苦しい日々でしたが、藤井さんの後半の走りに自分自身が救われ、『支えていただいている』という感情が込み上げてきました。そう思えた瞬間、まさしくガイドロープを通してその思いが交錯し、共鳴し合いながらゴールを目指しているようでした。1つでも順位を上げて少しでも早くゴールを果たしたい、という気持ちとは裏腹に、いつまでもこうして走っていたいと思える不思議な感覚を味わせていただき、感動でした」と締めくくっていただいた。</p><p>ガイドランナーを務めたすべての方々の心象風景がどうであったかは知る由もないが、すべてのガイドランナーやサポートに回られた方々への敬意と感謝を込めさせていただきたい。</p><p>ありがとうございました。おかげさまでパラアスリートの光り輝く笑顔を見ることができました。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>インタビュー／パラアスリート・山本篤が明かす「走幅跳の世界」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/43800</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Sep 2021 18:00:27 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[特集]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[走幅跳]]></category>
		<category><![CDATA[東京パラリンピック]]></category>
		<category><![CDATA[山本篤]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 13 Sep 2021 17:17:06 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 13 Sep 2021 17:17:06 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02.jpg" alt="" width="800" height="534" class="alignnone size-full wp-image-43797" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><br />
　8月24日から9月5日まで開催された東京2020パラリンピックでは、障害を持つアスリートたちが各競技で驚くべきパフォーマンスを見せた。陸上競技の男子走幅跳（義足・機能障害Ｔ63）で4位となった山本篤（新日本住設）もその1人だ。5回目に自身が2019年に樹立したアジア記録を5cm更新する6ｍ75（－0.2）をマーク。2008年北京大会（2位）と16年リオ大会（2位）で獲得したメダルには届かなかったものの、一時は3位に浮上して“プロパラアスリート”として臨んだ大舞台で見せ場を作った。<br />
　走幅跳という陸上競技の中でも馴染みの深い種目が、義足で行うとどのように変わるのか。東京パラリンピックを終えた山本がインタビューに応じ、その世界を明かしてくれた。</p>
<h2>「日本のみなさんに『ありがとう』と伝えたい」</h2>
<p>――東京パラリンピックは走幅跳（義足・機能障害Ｔ63）で4位。6ｍ75（－0.2）のアジア新記録をマークしました。競技を終えて1週間ほど経ちますが、今の心境はいかがでしょうか。</p>
<p><strong>山本</strong>　自己ベスト（6ｍ70）を更新できたので、目標であった「最高のパフォーマンスをする」というのはできたかと思います。でも、いろいろなところへ報告に行くと、メダルがあるのとないのでは大きな差を感じて、メダルが取れなかった悔しさや寂しさを少し感じています。</p>
<p>――日本開催ということで競技面でのアドバンテージはありましたか？</p>
<p><strong>山本</strong>　暑くて湿度が高い時にいいパフォーマンスを出せる状態を毎年のように作ってきたので、そこにはアドバンテージを感じました。あとはテストイベントなどを経験して国立競技場の様子がわかっていて、そういったことも自己ベストの更新につなげられたと思います。でも、海外の選手もしっかり調整してきて、（自分以外にも）良い記録を出している選手が多かったですね。</p>
<p>――目標としてきた大きな舞台が終わって気持ちの変化はありますか。</p>
<p><strong>山本</strong>　東京パラリンピックは5年間ずっと目指してきたので、特別な場所だったと思います。それに、コロナ禍になってから国際大会はほとんどありませんでした。久しぶりに海外の選手たちと戦うのはものすごく楽しかったですし、アドレナリンも出て、いいジャンプができたのは良かったです。<br />
　それと、多くの選手が僕に「日本でパラリンピックを開催してくれてありがとう」と言ってくれました。僕が大会を開催したわけではないんですけど、日本の人々がオリンピック・パラリンピックに向けて一生懸命やってきた成果が感謝の言葉に表れたのだと思います。僕も日本のみなさんに「ありがとう」と感謝の言葉を伝えたいですね。</p>
<p>――大会後もトレーニングは続けていますか？</p>
<p><strong>山本</strong>　今シーズンはこれで終了なので、今はまったくしてないです。身体のコアの使い方や呼吸法などは1日15分から20分くらいやっていますが、これはトレーニングというわけではないので、今は身体を休める時期になります。</p>
<h2>プールトレーニングでコンディションを維持</h2>
<p>――東京パラリンピックでは39歳にして自己新（アジア新記録）を出しています。記録を伸ばせる要因は何でしょうか。</p>
<p><strong>山本</strong>　義足の使い方だと思います。僕たちはモノを使って陸上競技をしているので、義足の使い方がうまくなるほど記録を伸ばせます。（道具を使うという点で）棒高跳に近いかもしれません。でも、自分としてはスピードがいい状態にはなっていないと感じるので、それを改善できれば記録はさらに更新できると思います。<br />
<img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04.jpg" alt="" width="800" height="534" class="alignnone size-full wp-image-43799" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><br />
<span style="font-size: 8pt;">山本篤が東京パラリンピックで使用したスパイク</span></p>
<p>――若い頃と比べて年齢的な影響はありますか？</p>
<p><strong>山本</strong>　回復力は完全に落ちています。今回、100ｍの予選が走幅跳の翌日だったのですが、走幅跳の日にピークを合わせてきたので、コンディションが完全には上がりませんでした。走幅跳の後はアイスバスや炭酸泉に入ったり、ケアをしてもらったりと、自分でもできる限りのことはしたのですが、次の日はものすごく疲労が出てしまって、100ｍは予選落ちになってしまいました。</p>
<p>――トレーニングの変化はありますか？</p>
<p><strong>山本</strong>　トレーニングも変わっています。これまでは週に4～5回走っていましたが、昨年からは走るのを月・水・金の週3回にして、連続して走るというのをやめました。それによって身体がしっかり回復した状態でトレーニングに臨めるようになったと思います。どちらかと言えばウエイトトレーニングをやりながら、それを走りに落とし込んでいくというスタイルになっています。<br />
　ほかにはプールのトレーニングも多く取り入れるようになりました。僕たち陸上選手は重力に逆らって反発を得ているので、腰や背中などへの衝撃が大きく、身体が良い状態ではなくなってきてしまいます。そこで、水圧のあるプールの中で身体をリラックスさせながら関節を動かしたりすると、身体を良い状態に保てることがわかりました。<br />
　火曜日と土曜日はウエイトトレーニングを中心にやって、完全なオフは日曜日だけです。木曜日がアクティブレストですが、プールに行って身体をほぐすようにしています。</p>
<h2>義足の操作法と健常者との違い</h2>
<p>――義足について教えてください。山本選手は左太腿切断のため大腿部で義足を動かしていると思いますが、義足の動きはどのようになっているのでしょうか。</p>
<p><strong>山本</strong>　操作するのは太腿部で、義足が地面に着いている時は膝関節が伸びた状態になります。義足はブレードの部分がたわむため、たわんでいる時に重心を前に移動します。たわんだブレードは「ギューン！」と伸びて反発するので、その反発によって推進力を得られます。<br />
　義足が空中にある時は膝関節が曲がるようになっているため、まっすぐ振り出しても義足は地面にぶつかりません。それを振り戻してまた接地をして……という流れになります。</p>
<p>――健常者が走る時は膝や足首でも動きをコントロールできますが、義足だとどの程度の微調整がきくのでしょうか。</p>
<p><strong>山本</strong>　股関節は完全に自分で動かしています。そこに義足がついてくるという感覚です。でも、スタートの時などに接地がずれたらほぼ立て直しはききません。少しでも義足が前に着いてしまうと“乗り込み感”が出てしまうので、スタートの時は義足の位置を横にして、重心の後ろのほうで接地するようにします。走っている最中はたわみが大きくなるので、ちょっと前のほうでブレーキをかけながら反発をもらって推進力に変えていくのですが、そこでも大きなズレが生まれないようにします。ズレることによって身体の弾かれる方向が変わってしまうので、正しいポジションで接地をしないと速いスピードで前に進むことはできないのです。</p>
<p>――踏み切りや、砂場への着地はどのようにするのですか？</p>
<p><strong>山本</strong>　踏み切る時は義足に思いっきり体重をかけにいきます。膝関節も伸びた状態で、できるだけ義足のブレード部分をたわませて、それが弾き返されるのと同時に健足側を振り上げて、振り上げたキックも助力にして上に跳び出していく、という感じです。義足だと脚が“つぶれる”現象はなくて、つぶれたらそれは義足が折れている状態です。このため、最後の1歩は思いっきり義足をつぶしにいくような感覚で、全体重をかけてどれだけ大きな力をかけられるか、という気持ちでやっています。</p>
<p>――着地の時に山本選手は脚を横向きにしていると思います。どういう仕組みであのような着地になるのですか？</p>
<p><strong>山本</strong>　左右の脚の重さが違うので、思いっきりジャンプをした時には重さの違いでズレるというのがあります。また、義足側には感覚がないので、先に着地してしまうと距離的にもったいないというのもあって上になるようにしています。<br />
　そうやって跳び上がる時が少し斜めになることで、着地も斜めにせざるを得ないような状況を作っています。最初は意識してあのかたちを作ったわけではなくて、飛距離をより延ばそうとした結果、ああいう着地になったということです。<br />
　また、足とお尻の着く位置によっても記録が変わってくるので、横向きにすることでお尻が手前で着かないようにしています。<br />
<img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto03.jpg" alt="" width="615" height="800" class="alignnone size-full wp-image-43798" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto03.jpg 615w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto03-231x300.jpg 231w" sizes="auto, (max-width: 615px) 100vw, 615px" /><br />
<span style="font-size: 8pt;">山本が跳躍時に身体を斜めするのは飛距離を稼ごうと考えた結果だという<br />
写真／時事</span></p>
<p>――パラアスリートの使う義足は健常者の脚よりも優れているという説もあります。義足の性能についてはどう感じていますか？</p>
<p><strong>山本</strong>　データとして踏み切りだけの局面を切り出したら義足は有利だと思います。健常者の踏み切りはブレーキをかけて推進力を上方向へのエネルギーに変えて跳び出しますが、義足は助走速度がほぼ下がりませんし、ブレードのところが曲がってから伸びるので、伸びる時に加速するんです。そこは健常者の脚にはない部分かなと思います。<br />
　僕の助走速度だと6ｍ75を跳べる健常者はいないはずです。踏み切りの局面だけを切り出せば「ズルい」と言われても仕方がないとは思いますね。</p>
<p>――事故で義足になる前は走幅跳や短距離の記録を計測したことはありますか？</p>
<p><strong>山本</strong>　土のグラウンドで普通の運動靴なので一概には言えませんが、50ｍは６秒４でした。走幅跳は高校のスポーツテストで５ｍ40くらいしか跳べなくて、一番苦手でした。（今の記録と比べて）進化はしているのかなと思いますね。</p>
<h2>「走る楽しさを伝えたい」</h2>
<p>――今後の目標をお聞かせください。</p>
<p><strong>山本</strong>　まだ自己ベストが伸ばせそうなので、どこまで伸ばせるのかチャレンジしていきたいです。今大会も表彰台に乗った選手はみな７ｍオーバーでしたし、基準となるのは７ｍだと思います。<br />
　あとは、今回のパラリンピックを見て、陸上競技や走ることに興味を持った義足の方が少なからずいらっしゃると思います。そういう人たちが義足で走れるような場を提供できたらと考えています。<br />
　競技用義足は高価なので、レンタルなど何かしらの方法でそのハードルを下げて、使える機会を増やしたいと思います。僕も走り方のレクチャーができますし、走る楽しさを伝えていきたいですね。</p>
<p>――2024年には次のパラリンピック（パリ）もあります。</p>
<p><strong>山本</strong>　パリまでいけるかどうかはわかりませんが、とりあえず現役は続行していくという気持ちです。年齢もあるので１年１年、自分がまだいけるというイメージができるうちはやっていきたいです。<br />
　それと、今も一緒に活動しているメンバーがいるのですが、チームを作って、パラリンピックや表彰台を目指せる選手の育成もしていきたいと考えています。</p>
<p>◎山本　篤（やまもと・あつし）<br />
1982年4月19日生まれ、39歳。167cm、60kg。静岡県出身。掛川西高時代はバレーボール部に所属。高2の2000年3月にスクーター事故で左脛骨を粉砕骨折し、手術で左脚を大腿から切断。卒業後に進んだ日本聴能言語福祉学院で陸上競技を始め、パラリンピックは08年北京大会と16年リオ大会の走幅跳で銀メダルを獲得（16年は4×100ｍリレーでも銅メダル）。東京大会は4位。世界パラ陸上選手権では13年と15年に金メダルを獲得している。自己ベストは走幅跳が6ｍ75（アジア記録、21年）で、100ｍ12秒61（14年）、200ｍ26秒00（15年）、400ｍ60秒02（14年）はいずれもＴ63の日本記録。</p>
<p>文／山本慎一郎</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
<p>関連記事はありません。</p>
</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02.jpg" alt="" width="800" height="534" class="alignnone size-full wp-image-43797" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto02-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><br />　8月24日から9月5日まで開催された東京2020パラリンピックでは、障害を持つアスリートたちが各競技で驚くべきパフォーマンスを見せた。陸上競技の男子走幅跳（義足・機能障害Ｔ63）で4位となった山本篤（新日本住設）もその1人だ。5回目に自身が2019年に樹立したアジア記録を5cm更新する6ｍ75（－0.2）をマーク。2008年北京大会（2位）と16年リオ大会（2位）で獲得したメダルには届かなかったものの、一時は3位に浮上して“プロパラアスリート”として臨んだ大舞台で見せ場を作った。<br />　走幅跳という陸上競技の中でも馴染みの深い種目が、義足で行うとどのように変わるのか。東京パラリンピックを終えた山本がインタビューに応じ、その世界を明かしてくれた。</p><h2>「日本のみなさんに『ありがとう』と伝えたい」</h2><p>――東京パラリンピックは走幅跳（義足・機能障害Ｔ63）で4位。6ｍ75（－0.2）のアジア新記録をマークしました。競技を終えて1週間ほど経ちますが、今の心境はいかがでしょうか。</p><p><strong>山本</strong>　自己ベスト（6ｍ70）を更新できたので、目標であった「最高のパフォーマンスをする」というのはできたかと思います。でも、いろいろなところへ報告に行くと、メダルがあるのとないのでは大きな差を感じて、メダルが取れなかった悔しさや寂しさを少し感じています。</p><p>――日本開催ということで競技面でのアドバンテージはありましたか？</p><p><strong>山本</strong>　暑くて湿度が高い時にいいパフォーマンスを出せる状態を毎年のように作ってきたので、そこにはアドバンテージを感じました。あとはテストイベントなどを経験して国立競技場の様子がわかっていて、そういったことも自己ベストの更新につなげられたと思います。でも、海外の選手もしっかり調整してきて、（自分以外にも）良い記録を出している選手が多かったですね。</p><p>――目標としてきた大きな舞台が終わって気持ちの変化はありますか。</p><p><strong>山本</strong>　東京パラリンピックは5年間ずっと目指してきたので、特別な場所だったと思います。それに、コロナ禍になってから国際大会はほとんどありませんでした。久しぶりに海外の選手たちと戦うのはものすごく楽しかったですし、アドレナリンも出て、いいジャンプができたのは良かったです。<br />　それと、多くの選手が僕に「日本でパラリンピックを開催してくれてありがとう」と言ってくれました。僕が大会を開催したわけではないんですけど、日本の人々がオリンピック・パラリンピックに向けて一生懸命やってきた成果が感謝の言葉に表れたのだと思います。僕も日本のみなさんに「ありがとう」と感謝の言葉を伝えたいですね。</p><p>――大会後もトレーニングは続けていますか？</p><p><strong>山本</strong>　今シーズンはこれで終了なので、今はまったくしてないです。身体のコアの使い方や呼吸法などは1日15分から20分くらいやっていますが、これはトレーニングというわけではないので、今は身体を休める時期になります。</p><h2>プールトレーニングでコンディションを維持</h2><p>――東京パラリンピックでは39歳にして自己新（アジア新記録）を出しています。記録を伸ばせる要因は何でしょうか。</p><p><strong>山本</strong>　義足の使い方だと思います。僕たちはモノを使って陸上競技をしているので、義足の使い方がうまくなるほど記録を伸ばせます。（道具を使うという点で）棒高跳に近いかもしれません。でも、自分としてはスピードがいい状態にはなっていないと感じるので、それを改善できれば記録はさらに更新できると思います。<br /><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04.jpg" alt="" width="800" height="534" class="alignnone size-full wp-image-43799" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto04-300x200.jpg 300w, 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/>　火曜日と土曜日はウエイトトレーニングを中心にやって、完全なオフは日曜日だけです。木曜日がアクティブレストですが、プールに行って身体をほぐすようにしています。</p><h2>義足の操作法と健常者との違い</h2><p>――義足について教えてください。山本選手は左太腿切断のため大腿部で義足を動かしていると思いますが、義足の動きはどのようになっているのでしょうか。</p><p><strong>山本</strong>　操作するのは太腿部で、義足が地面に着いている時は膝関節が伸びた状態になります。義足はブレードの部分がたわむため、たわんでいる時に重心を前に移動します。たわんだブレードは「ギューン！」と伸びて反発するので、その反発によって推進力を得られます。<br />　義足が空中にある時は膝関節が曲がるようになっているため、まっすぐ振り出しても義足は地面にぶつかりません。それを振り戻してまた接地をして……という流れになります。</p><p>――健常者が走る時は膝や足首でも動きをコントロールできますが、義足だとどの程度の微調整がきくのでしょうか。</p><p><strong>山本</strong>　股関節は完全に自分で動かしています。そこに義足がついてくるという感覚です。でも、スタートの時などに接地がずれたらほぼ立て直しはききません。少しでも義足が前に着いてしまうと“乗り込み感”が出てしまうので、スタートの時は義足の位置を横にして、重心の後ろのほうで接地するようにします。走っている最中はたわみが大きくなるので、ちょっと前のほうでブレーキをかけながら反発をもらって推進力に変えていくのですが、そこでも大きなズレが生まれないようにします。ズレることによって身体の弾かれる方向が変わってしまうので、正しいポジションで接地をしないと速いスピードで前に進むことはできないのです。</p><p>――踏み切りや、砂場への着地はどのようにするのですか？</p><p><strong>山本</strong>　踏み切る時は義足に思いっきり体重をかけにいきます。膝関節も伸びた状態で、できるだけ義足のブレード部分をたわませて、それが弾き返されるのと同時に健足側を振り上げて、振り上げたキックも助力にして上に跳び出していく、という感じです。義足だと脚が“つぶれる”現象はなくて、つぶれたらそれは義足が折れている状態です。このため、最後の1歩は思いっきり義足をつぶしにいくような感覚で、全体重をかけてどれだけ大きな力をかけられるか、という気持ちでやっています。</p><p>――着地の時に山本選手は脚を横向きにしていると思います。どういう仕組みであのような着地になるのですか？</p><p><strong>山本</strong>　左右の脚の重さが違うので、思いっきりジャンプをした時には重さの違いでズレるというのがあります。また、義足側には感覚がないので、先に着地してしまうと距離的にもったいないというのもあって上になるようにしています。<br />　そうやって跳び上がる時が少し斜めになることで、着地も斜めにせざるを得ないような状況を作っています。最初は意識してあのかたちを作ったわけではなくて、飛距離をより延ばそうとした結果、ああいう着地になったということです。<br />　また、足とお尻の着く位置によっても記録が変わってくるので、横向きにすることでお尻が手前で着かないようにしています。<br /><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto03.jpg" alt="" width="615" height="800" class="alignnone size-full wp-image-43798" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto03.jpg 615w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/2021-0910yamamoto03-231x300.jpg 231w" sizes="auto, (max-width: 615px) 100vw, 615px" /><br /><span style="font-size: 8pt;">山本が跳躍時に身体を斜めするのは飛距離を稼ごうと考えた結果だという<br />写真／時事</span></p><p>――パラアスリートの使う義足は健常者の脚よりも優れているという説もあります。義足の性能についてはどう感じていますか？</p><p><strong>山本</strong>　データとして踏み切りだけの局面を切り出したら義足は有利だと思います。健常者の踏み切りはブレーキをかけて推進力を上方向へのエネルギーに変えて跳び出しますが、義足は助走速度がほぼ下がりませんし、ブレードのところが曲がってから伸びるので、伸びる時に加速するんです。そこは健常者の脚にはない部分かなと思います。<br />　僕の助走速度だと6ｍ75を跳べる健常者はいないはずです。踏み切りの局面だけを切り出せば「ズルい」と言われても仕方がないとは思いますね。</p><p>――事故で義足になる前は走幅跳や短距離の記録を計測したことはありますか？</p><p><strong>山本</strong>　土のグラウンドで普通の運動靴なので一概には言えませんが、50ｍは６秒４でした。走幅跳は高校のスポーツテストで５ｍ40くらいしか跳べなくて、一番苦手でした。（今の記録と比べて）進化はしているのかなと思いますね。</p><h2>「走る楽しさを伝えたい」</h2><p>――今後の目標をお聞かせください。</p><p><strong>山本</strong>　まだ自己ベストが伸ばせそうなので、どこまで伸ばせるのかチャレンジしていきたいです。今大会も表彰台に乗った選手はみな７ｍオーバーでしたし、基準となるのは７ｍだと思います。<br />　あとは、今回のパラリンピックを見て、陸上競技や走ることに興味を持った義足の方が少なからずいらっしゃると思います。そういう人たちが義足で走れるような場を提供できたらと考えています。<br />　競技用義足は高価なので、レンタルなど何かしらの方法でそのハードルを下げて、使える機会を増やしたいと思います。僕も走り方のレクチャーができますし、走る楽しさを伝えていきたいですね。</p><p>――2024年には次のパラリンピック（パリ）もあります。</p><p><strong>山本</strong>　パリまでいけるかどうかはわかりませんが、とりあえず現役は続行していくという気持ちです。年齢もあるので１年１年、自分がまだいけるというイメージができるうちはやっていきたいです。<br />　それと、今も一緒に活動しているメンバーがいるのですが、チームを作って、パラリンピックや表彰台を目指せる選手の育成もしていきたいと考えています。</p><p>◎山本　篤（やまもと・あつし）<br />1982年4月19日生まれ、39歳。167cm、60kg。静岡県出身。掛川西高時代はバレーボール部に所属。高2の2000年3月にスクーター事故で左脛骨を粉砕骨折し、手術で左脚を大腿から切断。卒業後に進んだ日本聴能言語福祉学院で陸上競技を始め、パラリンピックは08年北京大会と16年リオ大会の走幅跳で銀メダルを獲得（16年は4×100ｍリレーでも銅メダル）。東京大会は4位。世界パラ陸上選手権では13年と15年に金メダルを獲得している。自己ベストは走幅跳が6ｍ75（アジア記録、21年）で、100ｍ12秒61（14年）、200ｍ26秒00（15年）、400ｍ60秒02（14年）はいずれもＴ63の日本記録。</p><p>文／山本慎一郎</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>パラ陸上内定8選手発表 リオ女子400ｍ銅の辻、男子400ｍIH出場の石田駆は初代表</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/31028</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 10 May 2021 16:08:58 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[国内]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[東京五輪]]></category>
		<category><![CDATA[東京パラリンピック]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.rikujyokyogi.co.jp/?p=31028</guid>
		<gnf:modified>Mon, 10 May 2021 16:08:58 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 10 May 2021 16:08:58 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/05/456360fccbd6e3a871692e73b086b5cf.jpg" alt="" width="800" height="533" class="alignnone size-full wp-image-31029" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/05/456360fccbd6e3a871692e73b086b5cf.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/05/456360fccbd6e3a871692e73b086b5cf-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2021/05/456360fccbd6e3a871692e73b086b5cf-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><br />
日本パラ陸連は5月10日、4月1日付の世界ランキングにより東京パラリンピックの出場権を得た8選手を「日本パラ陸連推薦」枠として内定したと発表した。</p>
<p>5年前のリオ大会女子400ｍで銅メダルを獲得した辻沙絵（日体大教）や、冬季パラアルペンスキーの村岡桃佳（トヨタ自動車）らが代表入り。辻は連名を通じ「自分自身がコントロール出来ることにフォーカスし、大会本番まで最大限の準備をして試合に挑みたいと思います」を意気込みを語った。</p>
<p>男子T47クラス（上肢欠損など）400ｍ代表に選ばれた石田駆（愛知学院大）は、岐阜聖徳学園高時代にインターハイ400ｍに出場している選手。大学進学後に骨肉腫が判明しパラ陸上に転向し、2019年には同クラスで100ｍと400ｍの日本記録を樹立。ドバイ世界パラ陸上400ｍで5位入賞を果たしている。石田は「自分自身を信じ続けてきたことが、このような結果を導き出せたと思っています。金メダル獲得に向け、この3ヵ月間、トレーニング強化に努めて参ります」とコメント。</p>
<p>また、当日、日本知的障がい者陸連も4選手の内定を発表した。なお、日本ブラインドマラソン協会からは2月5日に代表候補選手が発表済みで、6月予定の日本パラリンピック委員会の派遣枠決定後に推薦順位に従って代表が確定する。</p>
<p>●日本パラ陸連推薦内定選手<br />
・男子<br />
石田　駆（愛知学院大） T46／400ｍ<br />
樋口政幸（プーマジャパン）T54／5000ｍ<br />
山﨑晃裕（順大職員） F46／やり投<br />
永田　務（新潟県身体障害者団体連合会） T46／マラソン<br />
・女子<br />
澤田優蘭（マッシュホールディングス） T12／走幅跳<br />
村岡桃佳（トヨタ自動車） T54／100ｍ<br />
辻　沙絵（日体大教） T47／400ｍ<br />
喜納　翼（タイヤランド沖縄）T54／マラソン<br />
●日本知的障がい者陸連推薦内定選手<br />
・男子<br />
赤井大樹（十川ゴム）1500ｍ<br />
岩田悠希（one&#8217;s Para Athlete Club）1500ｍ<br />
・女子<br />
外山愛美（宮崎銀行）400ｍ<br />
古屋杏樹（彩 tama 陸上クラブ）1500ｍ<br />
●日本ブラインドマラソン協会代表候補選手<br />
・推薦順位1位<br />
男子：堀越信司（西日本電信電話）<br />
女子：道下美里（三井住友海上火災保険）<br />
・推薦順位2位<br />
男子：熊谷　豊（三井住友海上火災保険）<br />
女子：西島美保子（福井県視覚障害者福祉協会）<br />
・推薦順位3位<br />
男子：岡村正広（千葉県立千葉盲学校）<br />
女子：青木洋子（ＮＴＴクラルティ）</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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