<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:oa="http://news.line.me/rss/1.0/oa"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/"
	xmlns:gnf="http://assets.gunosy.com/media/gnf"
	xmlns:snf="http://www.smartnews.be/snf"
	>

<channel>
	<title>月陸Online</title>
	<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp</link>
	<description>陸上競技Webメディア「月陸Online」</description>
	<atom:link href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/tag/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%BB%89%E5%A4%A7/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<lastBuildDate>Tue, 21 May 2024 04:41:16 +0900</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<snf:logo><url>https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/11/getsuriku_logo1.jpg</url></snf:logo>
	<gnf:wide_image_link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/11/getsuriku_logo1.jpg</gnf:wide_image_link>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>

	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0.2</generator>

<image>
	<url>https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2020/08/cropped-favicon-1-32x32.jpg</url>
	<title>佐久間滉大 &#8211; 月陸Online｜月刊陸上競技</title>
	<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>走幅跳・佐久間滉大の現在地 1351日ぶりの〝自分超え〟</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/5026</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2019 16:04:08 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[特集]]></category>
		<category><![CDATA[佐久間滉大]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.rikujyokyogi.co.jp/?p=5026</guid>
		<gnf:modified>Tue, 21 May 2024 13:41:16 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 21 May 2024 13:41:16 +0900</oa:lastPubDate>

				<enclosure url="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg" type="image/jpeg" />

				<media:thumbnail url="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg" />

				<description><![CDATA[<p>【Web特別記事】<br />
<strong><span style="font-size: 18pt;">佐久間滉大の現在地</span></strong><br />
<strong><span style="font-size: 16pt;">歴史が動く日本走幅跳で</span></strong><br />
<strong><span style="font-size: 16pt;">1351日ぶりの〝自分超え〟</span></strong><br />
<span style="font-size: 10pt;">　<span style="font-family: arial black,sans-serif;">　次々と歴史が動いている日本の男子走幅跳。だが、その中心に佐久間滉大の姿はなかった。世界ジュニア入賞、インターハイ優勝と実績を残し、ダイヤモンドアスリート１期生に選出。将来を嘱望された佐久間だが、大学１年の秋から長く自己ベストを更新できずにいた。</span></span><br />
<span style="font-family: arial black,sans-serif; font-size: 10pt;">　しかし今年、その殻を破って日本選手権で約３年半ぶりの自己新。たった２cmの更新だったが、彼にとっては大きな一歩だった。</span><br />
<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5023" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209.jpg" alt="" width="533" height="800" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209.jpg 533w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 533px) 100vw, 533px" /></a><span style="font-size: 8pt;">横浜リテラに所属する男子走幅跳の佐久間滉大</span><br />
　かつて走幅跳の将来の期待を一身に背負っていた男がいた。</p>
<p>　佐久間滉大。</p>
<p>　インターハイを大会記録（当時）で制し、高３時代は無敵を誇った。世界大会も経験し、日本陸連ダイヤモンドアスリートの１期生にも選出。彼がＵ20日本記録を更新し、長く止まっていた歴史を動かす１人になる――誰もがそう期待し、彼自身もそう信じて疑わなかった。</p>
<p>　だが、大学タイトルとは無縁のまま４年間が過ぎ去った。はたから見れば「あっという間」だったが、大学１年の秋から自己ベストが更新できない日々は、おそらく経験したことのない「長い長い暗闇」だった。</p>
<h3>輝いた高校時代から一変した４年間</h3>
<p>　神奈川・豊田中時代は走高跳が専門。全中７位、ジュニア五輪４位と全国トップクラスの実績を持っていた。その勢いのまま、法政二高に進学してからも、１年目からインターハイへ出場している。</p>
<p>　その頃、跳躍力の強化が目的で走幅跳に挑戦すると、思っていた以上に手応えがあった。運命が変わった。</p>
<p>　秋の県新人戦で走高跳と走幅跳の２冠。翌年には激戦のインターハイ南関東大会の走幅跳を２年生優勝して、全国でも決勝進出。秋には国体、日本ユース選手権と連勝した。</p>
<p>　３年目にはインターハイの主役候補としてシーズンを過ごし、南関東大会は走高跳と走幅跳で２冠。インターハイ直前の世界ジュニア選手権では５位入賞を果たし、過密日程で臨んだ山梨インターハイで、７ｍ80で制し、４×100ｍリレーも全国制覇を果たした。</p>
<p>　日本一のリレーの２走を務めるスピードと、走高跳で磨かれた持ち前の跳躍技術。大会記録更新にも、「高校生初の８ｍを狙っていた」と悔しがった。</p>
<p>　同学年でライバルの松添基理（藤沢西高）とともに全国で神奈川県ワンツー。秋の日本ジュニア選手権、国体を制して高校３冠を取った。</p>
<p>「８ｍはいつでも跳べる感覚はある」</p>
<p>　何度も口にしていた言葉。だが、目標としていた森長正樹（太成学院）が1989年に樹立した７ｍ96の高校記録、高校生初の８ｍジャンパーに届くことはなかった。</p>
<p>　早生まれの佐久間にとって、次なる記録的な目標は８ｍ10のＵ20日本記録（下仁／1991年）、そして学生、シニアの大会での活躍だった。</p>
<p>　松添とともに法大に進学した佐久間。ここから、長い４年間が始まった。<br />
<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5022" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg" alt="" width="800" height="613" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731-300x230.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731-768x588.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></a><span style="font-size: 8pt;">長い間自己ベストを更新できずにもがき苦しんだ</span></p>
<p>　大学１年目の秋の日本ジュニアこそ自己ベストを２cm更新する７ｍ82をマークしたが、その後は７ｍ中盤を行き来する。「200ｍを中心にスピードを磨く」と強化したが、なかなか跳躍と噛み合わずにいた。</p>
<p>　高校時代細身だった身体は、学生の間ほとんど変わることはなかった。「ウェイトトレーニングよりスピードと技術」という確固たる信念があった佐久間は、まずは自分の長所を伸ばすことに専念。</p>
<p>　米国への遠征などいろいろ試したが、ケガもあり、８ｍどころか６ｍ台で終わる試合もあった。</p>
<p>　その間、１学年下の足達一馬（現・関学大）と遠藤泰司（現・立命大）という大阪桐蔭高コンビがインターハイ路線で活躍し、橋岡優輝（八王子高→日大）が輝き始め、酒井由吾（南多摩中等→慶大）も記録を伸ばしてきた。彼らもまた「高校生として８ｍを跳びたい」と目標に掲げた。</p>
<p>「いつでも跳べると思っていましたが、簡単じゃなかった。そこからが、なかなかうまくいかないんですよ」</p>
<p>　大学２年目。そうポツリとこぼした言葉には重みがあった。</p>
<p>　最終学年。関東インカレ前にケガをして春シーズンはほとんど戦えず、最後の日本インカレは７ｍ10でトップ８に残れず終わった。</p>
<p>　高３の世界ジュニアに一緒に出た城山正太郎（東海大北海道）が16年に８ｍジャンパーの仲間入りし、17年には橋岡、津波響樹（東洋大）が大台に乗る。</p>
<p>　強力なシニア勢も含め、日本の走幅跳が〝大爆発〟しそうな予感が漂う中に、佐久間は入ることができなかった。<br />
<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216.jpg"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5029" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216.jpg" alt="" width="533" height="800" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216.jpg 533w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 533px) 100vw, 533px" /></a><span style="font-size: 8pt;">５月の東日本実業団でセカンドベストをマークして優勝</span></p>
<h3>自ら動いて大学１年以来の自己新</h3>
<p>「悩んで、迷って、メンタルはボロボロ。今のままではダメ。元に戻っても７ｍ後半以上は目指せないと思っていました。どうしたらいいかわからなかったんです」</p>
<p>　勝ち負けよりももっと苦しいものがあった。</p>
<p>「高校時代のことなど、ずっと考えてしまって。きつかったですね。自分の頭から〝経験〟を取るのはすごく難しい。結果を残せない、何より長い間、自己ベストを更新できないというのが……」</p>
<p>　そう言うと、しばらく言葉に詰まった。</p>
<p>「どんなに練習しても、僕らのやっている陸上競技は記録が出ないと成長じゃない。過去の自分を超えられないというのは本当に苦しかった」</p>
<p>　この壁にぶつかった時、人には２つの選択肢がある。やるか、辞めるか。だが、佐久間は「辞めようとは思わなかった」と言う。</p>
<p>「とにかく、強くなりたかった」</p>
<p>　その単純で、純粋な思いは佐久間を突き動かした。昨年の冬。短距離の小池祐貴（住友電工）らを指導する元日本記録保持者の臼井淳一コーチを頼った。84、88年五輪代表で、元日本記録保持者。日本史上２人目の８ｍジャンパーは、神奈川の大先輩でもある。</p>
<p>　臼井コーチは高１でインターハイ走高跳３位、高３時には走幅跳３位、三段跳優勝、400ｍ２位。スピードと跳躍技術すべてを兼ね備え、現在はスプリントを指導で成果を出している〝レジェンド〟は、佐久間にとってうってつけだった。</p>
<p>「小池さんのように10秒３の選手が10秒０に入るのはとんでもないこと」（佐久間）。臼井コーチの指導である「力を使わずに楽に力を伝える」スプリントは、「助走で力んで踏み切りで力を使えない」という課題を持っていた佐久間にとって大きなピースになった。</p>
<p>　走る量も増え、避けてきたウェイトトレーニングにも励んだ。体型は見違えるようになり、それでも細身だが、やっと〝大人のアスリート〟に近づいている印象だ。</p>
<p>　そして、闇を抜け出した。</p>
<p>　ＪＯＣが実施する就職支援、アスナビを活用して「横浜リテラ」に所属して迎えた今シーズン。５月の東日本実業団で７ｍ81（＋1.6）とセカンドベストをマークすると、雨の日本選手権では７ｍ84（＋1.2）とついに自己ベストを２cm更新した。1351日ぶりの〝自分超え〟。やっと「成長」を感じられた瞬間だった。<br />
<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5030" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236.jpg" alt="" width="533" height="800" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236.jpg 533w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236-200x300.jpg 200w" sizes="auto, (max-width: 533px) 100vw, 533px" /></a><span style="font-size: 8pt;">雨の中の日本選手権でついに自己記録を更新</span></p>
<p>　８月の沖縄インターハイ。藤原孝輝（洛南高・京都）が２年生にして８ｍを超える大ジャンプ。佐久間の大会記録を更新されただけでなく、あれほど苦労して届かなかった高校記録もＵ20日本記録も簡単に超えていった。</p>
<p>　橋岡と城山が日本記録を更新し、津波が東京五輪の参加標準記録を突破した８月の福井の競技会にも出場予定だったが、直前にアキレス腱の痛みで欠場。その輪に加わることができなかった。しかし、それも夏場に強度が高い練習を積めた反動だった。</p>
<p>　ドーハ世界選手権には橋岡、城山、津波が初出場した。橋岡、城山と史上初めて２人が決勝に進み、橋岡が初入賞。</p>
<p>　まさに日本の走幅跳の歴史が大きく動いた一年だった。</p>
<p>「すごく冷静に見ていました。藤原君もすごいですよね。２年生で。どうやって跳んだんだろうって。橋岡たちは強いですし、今の自分で戦えないのはわかっています。でも、焦りはありません」</p>
<p>　走幅跳の歴史が塗り替わったように、佐久間にとっても、このたった２cmは大きな意味を持つ一歩だった。</p>
<p>　東京五輪ももちろんあきらめてはいない。だが、「もっと先、ユージンの世界選手権や次のパリ五輪。そういったところを見ています」と長い目で考えている。</p>
<p>　以前は「なぜ跳べないのかわからない」だった感覚が「足りないところがわかっている」。だから、「苦しくても楽しい」という。「スピードとパワーをつけて、ゆっくり速く走る。その感覚をつかめれば、良い踏み切りができる」と未来が開けている。</p>
<p>「やっと練習を積むことができています。絶対に成長できると思っているから焦りません。少しでも早く戦いに加わっていけるようにしたい」</p>
<p>　もう誰かを意識し、大きな数字を追いかけることはない。強くなって、自分の持ち記録を常に超えていくだけ。それが〝成長〟であり、いずれ数字につながる。佐久間滉大はそう信じている。</p>
<p>文／向永拓史</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
<p>関連記事はありません。</p>
</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>【Web特別記事】<br /><strong><span style="font-size: 18pt;">佐久間滉大の現在地</span></strong><br /><strong><span style="font-size: 16pt;">歴史が動く日本走幅跳で</span></strong><br /><strong><span style="font-size: 16pt;">1351日ぶりの〝自分超え〟</span></strong><br /><span style="font-size: 10pt;">　<span style="font-family: arial black,sans-serif;">　次々と歴史が動いている日本の男子走幅跳。だが、その中心に佐久間滉大の姿はなかった。世界ジュニア入賞、インターハイ優勝と実績を残し、ダイヤモンドアスリート１期生に選出。将来を嘱望された佐久間だが、大学１年の秋から長く自己ベストを更新できずにいた。</span></span><br /><span style="font-family: arial black,sans-serif; font-size: 10pt;">　しかし今年、その殻を破って日本選手権で約３年半ぶりの自己新。たった２cmの更新だったが、彼にとっては大きな一歩だった。</span><br /><a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5023" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209.jpg" alt="" width="533" height="800" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209.jpg 533w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/MA_2209-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 533px) 100vw, 533px" /></a><span style="font-size: 8pt;">横浜リテラに所属する男子走幅跳の佐久間滉大</span><br />　かつて走幅跳の将来の期待を一身に背負っていた男がいた。</p><p>　佐久間滉大。</p><p>　インターハイを大会記録（当時）で制し、高３時代は無敵を誇った。世界大会も経験し、日本陸連ダイヤモンドアスリートの１期生にも選出。彼がＵ20日本記録を更新し、長く止まっていた歴史を動かす１人になる――誰もがそう期待し、彼自身もそう信じて疑わなかった。</p><p>　だが、大学タイトルとは無縁のまま４年間が過ぎ去った。はたから見れば「あっという間」だったが、大学１年の秋から自己ベストが更新できない日々は、おそらく経験したことのない「長い長い暗闇」だった。</p><h3>輝いた高校時代から一変した４年間</h3><p>　神奈川・豊田中時代は走高跳が専門。全中７位、ジュニア五輪４位と全国トップクラスの実績を持っていた。その勢いのまま、法政二高に進学してからも、１年目からインターハイへ出場している。</p><p>　その頃、跳躍力の強化が目的で走幅跳に挑戦すると、思っていた以上に手応えがあった。運命が変わった。</p><p>　秋の県新人戦で走高跳と走幅跳の２冠。翌年には激戦のインターハイ南関東大会の走幅跳を２年生優勝して、全国でも決勝進出。秋には国体、日本ユース選手権と連勝した。</p><p>　３年目にはインターハイの主役候補としてシーズンを過ごし、南関東大会は走高跳と走幅跳で２冠。インターハイ直前の世界ジュニア選手権では５位入賞を果たし、過密日程で臨んだ山梨インターハイで、７ｍ80で制し、４×100ｍリレーも全国制覇を果たした。</p><p>　日本一のリレーの２走を務めるスピードと、走高跳で磨かれた持ち前の跳躍技術。大会記録更新にも、「高校生初の８ｍを狙っていた」と悔しがった。</p><p>　同学年でライバルの松添基理（藤沢西高）とともに全国で神奈川県ワンツー。秋の日本ジュニア選手権、国体を制して高校３冠を取った。</p><p>「８ｍはいつでも跳べる感覚はある」</p><p>　何度も口にしていた言葉。だが、目標としていた森長正樹（太成学院）が1989年に樹立した７ｍ96の高校記録、高校生初の８ｍジャンパーに届くことはなかった。</p><p>　早生まれの佐久間にとって、次なる記録的な目標は８ｍ10のＵ20日本記録（下仁／1991年）、そして学生、シニアの大会での活躍だった。</p><p>　松添とともに法大に進学した佐久間。ここから、長い４年間が始まった。<br /><a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5022" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg" alt="" width="800" height="613" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731-300x230.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/190921_2731-768x588.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></a><span style="font-size: 8pt;">長い間自己ベストを更新できずにもがき苦しんだ</span></p><p>　大学１年目の秋の日本ジュニアこそ自己ベストを２cm更新する７ｍ82をマークしたが、その後は７ｍ中盤を行き来する。「200ｍを中心にスピードを磨く」と強化したが、なかなか跳躍と噛み合わずにいた。</p><p>　高校時代細身だった身体は、学生の間ほとんど変わることはなかった。「ウェイトトレーニングよりスピードと技術」という確固たる信念があった佐久間は、まずは自分の長所を伸ばすことに専念。</p><p>　米国への遠征などいろいろ試したが、ケガもあり、８ｍどころか６ｍ台で終わる試合もあった。</p><p>　その間、１学年下の足達一馬（現・関学大）と遠藤泰司（現・立命大）という大阪桐蔭高コンビがインターハイ路線で活躍し、橋岡優輝（八王子高→日大）が輝き始め、酒井由吾（南多摩中等→慶大）も記録を伸ばしてきた。彼らもまた「高校生として８ｍを跳びたい」と目標に掲げた。</p><p>「いつでも跳べると思っていましたが、簡単じゃなかった。そこからが、なかなかうまくいかないんですよ」</p><p>　大学２年目。そうポツリとこぼした言葉には重みがあった。</p><p>　最終学年。関東インカレ前にケガをして春シーズンはほとんど戦えず、最後の日本インカレは７ｍ10でトップ８に残れず終わった。</p><p>　高３の世界ジュニアに一緒に出た城山正太郎（東海大北海道）が16年に８ｍジャンパーの仲間入りし、17年には橋岡、津波響樹（東洋大）が大台に乗る。</p><p>　強力なシニア勢も含め、日本の走幅跳が〝大爆発〟しそうな予感が漂う中に、佐久間は入ることができなかった。<br /><a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216.jpg"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5029" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216.jpg" alt="" width="533" height="800" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216.jpg 533w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/D3P0216-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 533px) 100vw, 533px" /></a><span style="font-size: 8pt;">５月の東日本実業団でセカンドベストをマークして優勝</span></p><h3>自ら動いて大学１年以来の自己新</h3><p>「悩んで、迷って、メンタルはボロボロ。今のままではダメ。元に戻っても７ｍ後半以上は目指せないと思っていました。どうしたらいいかわからなかったんです」</p><p>　勝ち負けよりももっと苦しいものがあった。</p><p>「高校時代のことなど、ずっと考えてしまって。きつかったですね。自分の頭から〝経験〟を取るのはすごく難しい。結果を残せない、何より長い間、自己ベストを更新できないというのが……」</p><p>　そう言うと、しばらく言葉に詰まった。</p><p>「どんなに練習しても、僕らのやっている陸上競技は記録が出ないと成長じゃない。過去の自分を超えられないというのは本当に苦しかった」</p><p>　この壁にぶつかった時、人には２つの選択肢がある。やるか、辞めるか。だが、佐久間は「辞めようとは思わなかった」と言う。</p><p>「とにかく、強くなりたかった」</p><p>　その単純で、純粋な思いは佐久間を突き動かした。昨年の冬。短距離の小池祐貴（住友電工）らを指導する元日本記録保持者の臼井淳一コーチを頼った。84、88年五輪代表で、元日本記録保持者。日本史上２人目の８ｍジャンパーは、神奈川の大先輩でもある。</p><p>　臼井コーチは高１でインターハイ走高跳３位、高３時には走幅跳３位、三段跳優勝、400ｍ２位。スピードと跳躍技術すべてを兼ね備え、現在はスプリントを指導で成果を出している〝レジェンド〟は、佐久間にとってうってつけだった。</p><p>「小池さんのように10秒３の選手が10秒０に入るのはとんでもないこと」（佐久間）。臼井コーチの指導である「力を使わずに楽に力を伝える」スプリントは、「助走で力んで踏み切りで力を使えない」という課題を持っていた佐久間にとって大きなピースになった。</p><p>　走る量も増え、避けてきたウェイトトレーニングにも励んだ。体型は見違えるようになり、それでも細身だが、やっと〝大人のアスリート〟に近づいている印象だ。</p><p>　そして、闇を抜け出した。</p><p>　ＪＯＣが実施する就職支援、アスナビを活用して「横浜リテラ」に所属して迎えた今シーズン。５月の東日本実業団で７ｍ81（＋1.6）とセカンドベストをマークすると、雨の日本選手権では７ｍ84（＋1.2）とついに自己ベストを２cm更新した。1351日ぶりの〝自分超え〟。やっと「成長」を感じられた瞬間だった。<br /><a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5030" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236.jpg" alt="" width="533" height="800" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236.jpg 533w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/FN7_4236-200x300.jpg 200w" sizes="auto, (max-width: 533px) 100vw, 533px" /></a><span style="font-size: 8pt;">雨の中の日本選手権でついに自己記録を更新</span></p><p>　８月の沖縄インターハイ。藤原孝輝（洛南高・京都）が２年生にして８ｍを超える大ジャンプ。佐久間の大会記録を更新されただけでなく、あれほど苦労して届かなかった高校記録もＵ20日本記録も簡単に超えていった。</p><p>　橋岡と城山が日本記録を更新し、津波が東京五輪の参加標準記録を突破した８月の福井の競技会にも出場予定だったが、直前にアキレス腱の痛みで欠場。その輪に加わることができなかった。しかし、それも夏場に強度が高い練習を積めた反動だった。</p><p>　ドーハ世界選手権には橋岡、城山、津波が初出場した。橋岡、城山と史上初めて２人が決勝に進み、橋岡が初入賞。</p><p>　まさに日本の走幅跳の歴史が大きく動いた一年だった。</p><p>「すごく冷静に見ていました。藤原君もすごいですよね。２年生で。どうやって跳んだんだろうって。橋岡たちは強いですし、今の自分で戦えないのはわかっています。でも、焦りはありません」</p><p>　走幅跳の歴史が塗り替わったように、佐久間にとっても、このたった２cmは大きな意味を持つ一歩だった。</p><p>　東京五輪ももちろんあきらめてはいない。だが、「もっと先、ユージンの世界選手権や次のパリ五輪。そういったところを見ています」と長い目で考えている。</p><p>　以前は「なぜ跳べないのかわからない」だった感覚が「足りないところがわかっている」。だから、「苦しくても楽しい」という。「スピードとパワーをつけて、ゆっくり速く走る。その感覚をつかめれば、良い踏み切りができる」と未来が開けている。</p><p>「やっと練習を積むことができています。絶対に成長できると思っているから焦りません。少しでも早く戦いに加わっていけるようにしたい」</p><p>　もう誰かを意識し、大きな数字を追いかけることはない。強くなって、自分の持ち記録を常に超えていくだけ。それが〝成長〟であり、いずれ数字につながる。佐久間滉大はそう信じている。</p><p>文／向永拓史</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
	
	<oa:delStatus>1</oa:delStatus>
</channel>
</rss>
<!--
Performance optimized by W3 Total Cache. Learn more: https://www.boldgrid.com/w3-total-cache/?utm_source=w3tc&utm_medium=footer_comment&utm_campaign=free_plugin

Disk: Enhanced  を使用したページ キャッシュ
データベースキャッシュ 6/99 クエリーが0.442秒で APC を使用中

Served from: www.rikujyokyogi.co.jp @ 2026-08-06 09:52:18 by W3 Total Cache
-->