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	<title>月陸Online</title>
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	<description>陸上競技Webメディア「月陸Online」</description>
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	<title>中田一吉 &#8211; 月陸Online｜月刊陸上競技</title>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第60回「溢れんばかりの志を～ある人に思いを馳せて～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 31 Aug 2025 17:55:19 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[中田一吉]]></category>
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<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第60回「溢れんばかりの志を～ある人に思いを馳せて～」</h2>
<p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<p>こもった熱気の吐口が見当たらない残暑が厳しい。長距離ランナーにとって高温多湿は体力だけでなく気力をも削り取ってしまう。</p>
<p>それでも、秋のトラックシーズンから駅伝マラソンへと向かうためには、夏で鍛えなければならないところだ。冷涼さを求めて緯度を上げて北に向かうか、標高を上げて高地に向かうしかない。今年は求めた涼しさからは程遠い暑さが待ち受けている8月であった。</p>
<p>今夏の高気圧は9月を迎えようとしている今でも衰えない。それでも夜明けが遅くなり、日暮が早くなる。秋の気配を懸命に探さなければならぬ晩夏であるが、それでも日に日に早くなる日没の朱色に染まった夕日を眺めると、ある人を偲び想いを馳せてしまう。</p>
<p>広島・熊野中教員時代に尾方剛選手（現・広島経大監督）を3年間指導し、その後熊野高へと所属を移し、尾方選手を6年間、手塩にかけて育成。高校駅伝では不滅の強さと伝統を誇る世羅高と鎬を削る接戦を制して、熊野高を全国高校駅伝に6回導いた中田一吉先生が73歳で去る8月1日にご逝去されたとの訃報を受けたからだ。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/08/IMG_2055-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中田一吉先生</span></p></div>
<p>ガンを患い化学療法を受けつつ、回復に向けて頑張ってますよとの話をつい数日前にしたばかりのことであった。いつもの口調で携帯電話を通して「キンキンに冷えたビールで乾杯できる日を心待ちにしていますよ！　治療、大変かもしれませんが頑張って下さいね！」などと呑気な会話をしていたことが嘘のような突然の訃報であった。</p>
<p>療養を始めた頃には、教え子たちがご自宅に集まって中田先生を囲む会をしていたそう。その席で中田先生が「今日はみんなが集まってくれてコップに3杯しかビールが飲めんかったけんど、次の機会にはしっかり回復してえっと(たくさん)飲むけー、楽しみにしてつかーさい」との挨拶をしている動画が私の元に届いた。その矢先のことで言葉を失ってしまった。</p>
<p>平安時代の歌人である在原業平が詠んだとされる詩が詩がある。「ついにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日けふとは思はざりしを」が思い浮かんだ。古今和歌集に収められているこの詩は、伊勢物語の結びの歌でもある。</p>
<p>在原業平の辞世の詩であり、“誰もが最後には死ぬ道（死出の旅）へ行くことは知っていた。だが、それが昨日や今日といった突然のできごととして訪れるとは思ってもみなかった”という意味と受け止めている。</p>
<p>私が中田先生と出会ったのは1990年の中国駅伝の前日であった。中国駅伝は福山から広島まで8区間107.5km　第1回1931年から開催され、1995年の62回大会を最後に翌年より都道府県対抗男子駅伝となった。当時の福山市の宿舎近くの飲食店で出会い、全国高校駅伝初出場を目指す熱量に意気投合し、話し込んだことを思い出す。</p>
<p>その流れで春の強化合宿を合同でやることになった。その当時は宮崎で春の強化合宿を行っていたが、なんと熊野高の選手たちは広島から自転車でやって来たのだった。私たちのチームも箱根に初出場した時は甲府から長野の車山高原まで自転車で集合させた―という話を受けてのことだった。</p>
<p>8月の夏の強化合宿は車山高原で合同合宿を行ったのだが、部員たちは当時の“青春18き切符”で普通列車を乗り継ぎ、最終到着駅の茅野駅で下車。走って車山高原の宿舎である車山プレザントホテルまでやってきた。</p>
<p>中田先生曰く、「選手たちに不自由や困難な状況を体験しつつ、それを乗り越える工夫やその状況さえも楽しめる工夫を自ら見出す力をまずは身に付けさせたいんですよ！」と語られた声が甦る。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="(max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第60回「溢れんばかりの志を～ある人に思いを馳せて～」</h2><p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><p>こもった熱気の吐口が見当たらない残暑が厳しい。長距離ランナーにとって高温多湿は体力だけでなく気力をも削り取ってしまう。</p><p>それでも、秋のトラックシーズンから駅伝マラソンへと向かうためには、夏で鍛えなければならないところだ。冷涼さを求めて緯度を上げて北に向かうか、標高を上げて高地に向かうしかない。今年は求めた涼しさからは程遠い暑さが待ち受けている8月であった。</p><p>今夏の高気圧は9月を迎えようとしている今でも衰えない。それでも夜明けが遅くなり、日暮が早くなる。秋の気配を懸命に探さなければならぬ晩夏であるが、それでも日に日に早くなる日没の朱色に染まった夕日を眺めると、ある人を偲び想いを馳せてしまう。</p><p>広島・熊野中教員時代に尾方剛選手（現・広島経大監督）を3年間指導し、その後熊野高へと所属を移し、尾方選手を6年間、手塩にかけて育成。高校駅伝では不滅の強さと伝統を誇る世羅高と鎬を削る接戦を制して、熊野高を全国高校駅伝に6回導いた中田一吉先生が73歳で去る8月1日にご逝去されたとの訃報を受けたからだ。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/08/IMG_2055-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中田一吉先生</span></p></div><p>ガンを患い化学療法を受けつつ、回復に向けて頑張ってますよとの話をつい数日前にしたばかりのことであった。いつもの口調で携帯電話を通して「キンキンに冷えたビールで乾杯できる日を心待ちにしていますよ！　治療、大変かもしれませんが頑張って下さいね！」などと呑気な会話をしていたことが嘘のような突然の訃報であった。</p><p>療養を始めた頃には、教え子たちがご自宅に集まって中田先生を囲む会をしていたそう。その席で中田先生が「今日はみんなが集まってくれてコップに3杯しかビールが飲めんかったけんど、次の機会にはしっかり回復してえっと(たくさん)飲むけー、楽しみにしてつかーさい」との挨拶をしている動画が私の元に届いた。その矢先のことで言葉を失ってしまった。</p><p>平安時代の歌人である在原業平が詠んだとされる詩が詩がある。「ついにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日けふとは思はざりしを」が思い浮かんだ。古今和歌集に収められているこの詩は、伊勢物語の結びの歌でもある。</p><p>在原業平の辞世の詩であり、“誰もが最後には死ぬ道（死出の旅）へ行くことは知っていた。だが、それが昨日や今日といった突然のできごととして訪れるとは思ってもみなかった”という意味と受け止めている。</p><p>私が中田先生と出会ったのは1990年の中国駅伝の前日であった。中国駅伝は福山から広島まで8区間107.5km　第1回1931年から開催され、1995年の62回大会を最後に翌年より都道府県対抗男子駅伝となった。当時の福山市の宿舎近くの飲食店で出会い、全国高校駅伝初出場を目指す熱量に意気投合し、話し込んだことを思い出す。</p><p>その流れで春の強化合宿を合同でやることになった。その当時は宮崎で春の強化合宿を行っていたが、なんと熊野高の選手たちは広島から自転車でやって来たのだった。私たちのチームも箱根に初出場した時は甲府から長野の車山高原まで自転車で集合させた―という話を受けてのことだった。</p><p>8月の夏の強化合宿は車山高原で合同合宿を行ったのだが、部員たちは当時の“青春18き切符”で普通列車を乗り継ぎ、最終到着駅の茅野駅で下車。走って車山高原の宿舎である車山プレザントホテルまでやってきた。</p><p>中田先生曰く、「選手たちに不自由や困難な状況を体験しつつ、それを乗り越える工夫やその状況さえも楽しめる工夫を自ら見出す力をまずは身に付けさせたいんですよ！」と語られた声が甦る。</p>]]></content:encoded>

		
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