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	<title>月陸Online</title>
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	<description>陸上競技Webメディア「月陸Online」</description>
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	<title>上田誠仁 &#8211; 月陸Online｜月刊陸上競技</title>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第71回「物価高騰による合宿や遠征の費用捻出」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Jul 2026 17:55:35 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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<strong></p>
<p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第71回「物価高騰による合宿や遠征の費用捻出」</h2>
<p>幼少期より夏は暑いものとして育ってきた。うどん県（讃岐・香川県）生まれの私にとって、冬は暖かいかけうどんに季節の具材を乗せて胃袋から温め、夏は冷たく締めたしょうゆかけうどんや冷かけうどんで涼を求めた。</p>
<p>7月25日の甲府は40度を超える酷暑日となった。土用の丑の日が近い……。頭に浮かぶのはウナギのかば焼きである。土用の丑の日にウナギを食べる習慣は、江戸時代後期の蘭学者・平賀源内（現在の香川県さぬき市生まれ）の提案したキャッチコピーがきっかけであったとの説がある。</p>
<p>ウナギ屋から「夏の商売がうまくいかない」と相談を持ち掛けられた平賀源内が、 “夏の土用の丑の日にはウナギを食すべし”と貼り紙をして商いをしてみればと助言したところ、見事大当たりの商売繁盛となったそうだ。</p>
<p>今でいうところのマーケティングの巧みさに心が動かされたのだろう。日本は古来、夏の土用の丑の日には「う」の着くものを食する（梅・うり・うどん）と言われてきていたことを引き合いにしたそうだ。栄養学的にもウナギはトータルバランスに優れ、夏バテ気味の身体には効果的だろう。</p>
<p>今夏のウナギは養殖技術の向上もあり、多少お値段も下がったそうだ。とはいえ光熱費や他の調味料などの値上がりもあり、“土用の丑の日”の看板を見て、気合とともに買い求める高級食材であることに変わりはない。</p>
<p>世の中の経済動向はスポーツ選手にとって無視できない話題でもある。昨今の国内の遠征費や合宿費用も負担増は否めない。特にホテルなど宿泊費の高騰ぶりは北海道各地を転戦するホクレン・ディスタンスチャレンジなどに派遣されている関係者の方々の懸案事項でもある。インターハイの応援に駆けつけるご家族など関係者にとっても悩ましいところであろう。</p>
<p>一般的なビジネスホテルを例に挙げると、バブルの余韻が残る1990年代前半は1泊10000円台の宿泊が、1990年後半には5000円～7000円台の格安プランが人気となっていた。2010年台前半までは予約サイトの普及や低価格競争が継続していたため、10000円を割る価格設定であった。</p>
<p>ところが2010年代後半は訪日外国人観光客（インバウンド）の急増や、需要に合わせて価格が変動する「ダイナミックプライシング（変動価格制）」が導入され1泊10000円を超えるケースが珍しくなくなってきていた。</p>
<p>そして近年は人手不足・人件費の上昇・エネルギーコスト高騰の直撃を受け、宿泊相場は15000円前後、週末やイベント時には2万円を超えるなど過去最高水準への高騰が続いている。その週末に各種大会が重なる。</p>
<p>今年の関東学連網走長距離記録会は昨年より1週間早く、祝日連休の海の日と重ならなかったので、航空券及び宿泊費が抑えられたので良かった、との声が関係者から届いたほどである。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="(max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第71回「物価高騰による合宿や遠征の費用捻出」</h2><p>幼少期より夏は暑いものとして育ってきた。うどん県（讃岐・香川県）生まれの私にとって、冬は暖かいかけうどんに季節の具材を乗せて胃袋から温め、夏は冷たく締めたしょうゆかけうどんや冷かけうどんで涼を求めた。</p><p>7月25日の甲府は40度を超える酷暑日となった。土用の丑の日が近い……。頭に浮かぶのはウナギのかば焼きである。土用の丑の日にウナギを食べる習慣は、江戸時代後期の蘭学者・平賀源内（現在の香川県さぬき市生まれ）の提案したキャッチコピーがきっかけであったとの説がある。</p><p>ウナギ屋から「夏の商売がうまくいかない」と相談を持ち掛けられた平賀源内が、 “夏の土用の丑の日にはウナギを食すべし”と貼り紙をして商いをしてみればと助言したところ、見事大当たりの商売繁盛となったそうだ。</p><p>今でいうところのマーケティングの巧みさに心が動かされたのだろう。日本は古来、夏の土用の丑の日には「う」の着くものを食する（梅・うり・うどん）と言われてきていたことを引き合いにしたそうだ。栄養学的にもウナギはトータルバランスに優れ、夏バテ気味の身体には効果的だろう。</p><p>今夏のウナギは養殖技術の向上もあり、多少お値段も下がったそうだ。とはいえ光熱費や他の調味料などの値上がりもあり、“土用の丑の日”の看板を見て、気合とともに買い求める高級食材であることに変わりはない。</p><p>世の中の経済動向はスポーツ選手にとって無視できない話題でもある。昨今の国内の遠征費や合宿費用も負担増は否めない。特にホテルなど宿泊費の高騰ぶりは北海道各地を転戦するホクレン・ディスタンスチャレンジなどに派遣されている関係者の方々の懸案事項でもある。インターハイの応援に駆けつけるご家族など関係者にとっても悩ましいところであろう。</p><p>一般的なビジネスホテルを例に挙げると、バブルの余韻が残る1990年代前半は1泊10000円台の宿泊が、1990年後半には5000円～7000円台の格安プランが人気となっていた。2010年台前半までは予約サイトの普及や低価格競争が継続していたため、10000円を割る価格設定であった。</p><p>ところが2010年代後半は訪日外国人観光客（インバウンド）の急増や、需要に合わせて価格が変動する「ダイナミックプライシング（変動価格制）」が導入され1泊10000円を超えるケースが珍しくなくなってきていた。</p><p>そして近年は人手不足・人件費の上昇・エネルギーコスト高騰の直撃を受け、宿泊相場は15000円前後、週末やイベント時には2万円を超えるなど過去最高水準への高騰が続いている。その週末に各種大会が重なる。</p><p>今年の関東学連網走長距離記録会は昨年より1週間早く、祝日連休の海の日と重ならなかったので、航空券及び宿泊費が抑えられたので良かった、との声が関係者から届いたほどである。</p>]]></content:encoded>

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		<oa:refTitle>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第70回「サッカーワールドカップに触れて～寄り添ったコーチング～」</oa:refTitle>
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		<oa:refTitle>【学生長距離Close-upインタビュー】中距離で存在感を放つ立教大・青木龍翔 「チームを勢いづけたい」</oa:refTitle>
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		<oa:refTitle>【学生長距離Close-upインタビュー】主力へと成長した國學院大・髙石樹 「三大駅伝全部で結果を残す走りを」</oa:refTitle>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第70回「サッカーワールドカップに触れて～寄り添ったコーチング～」</title>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 17:55:18 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
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		<oa:lastPubDate>Wed, 01 Jul 2026 17:42:04 +0900</oa:lastPubDate>

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<strong></p>
<p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>70回「サッカーワールドカップに触れて～寄り添ったコーチング～」</h2>
<p>原稿の締め切間近で焦る気持ちとは裏腹に、チャンネルはサッカーワールドカップ（W杯）の中継に合わせて見入ってしまう。</p>
<p>昨年東京で開催された世界陸上は記憶に新しい。当然ながら世界のスーパースターが終結し素晴らしいパフォーマンスに終日魅了された。世界のトッププレーヤーの集う大会となれば現場で観戦したくなる。それがかなわなければリアルタイムで視聴したくなるのが人の情だ。</p>
<p>W杯も世界の各地区予選の厳しい戦いを勝ち上がってきた強豪チームとの戦いであることから、これまた当然のごとく目が離せない……と言い訳しつつ、原稿締め切り間近のキーボードを打つ手が止まってしまう。</p>
<p>目の覚めるようなスーパーゴールや驚嘆するパス回し、ディフェンスの妙技に息をのむことしばしばである。</p>
<p>特に今大会は40歳前後でもチームの要としてプレーし続けるクリスティアーノ・ロナウド（ポルトガル）やルカ・モドリッチ（クロアチア）、ロメル・ルカク（ベルギー）、エディン・ジェコ（ボスニア・ヘルツェゴビナ）、リオネル・メッシ（アルゼンチン）らの百戦錬磨の経験と判断力がチームにどのような影響力を与えているのかに注目している。</p>
<p>ベテラン選手がチームに存在することで得られる相乗効果は、チームの熱量を変え勝敗を左右すると言われている。日本チームにとっての長友佑都選手の存在もそういった意味では大きいと考えられる。</p>
<p>存在の大きさという観点からすれば、実力も実績もあり注目度の高い選手はその立ち居振る舞いに当然ながら注目が集まる。</p>
<p>そういった意味ではロナウド選手と一人の少年のストーリーを思い起こすことができる。</p>
<p>2014年7月。東京で開催されるイベントに出演するために来日していたロナウド選手に質問ができる3名を抽選で応募することが企画されたそうだ。</p>
<p>抽選で選ばれた3名の少年がロナウド選手にそれぞれ直接質問する中で、最後に登壇した当時小学6年生の少年がメモ用紙に書いたポルトガル語で質問を読み上げた。</p>
<p>当然のことながら緊張もあり、たどたどしい質問ではあった。ロナウドは真剣に向き合って話を聞き質問に答えようとしていた。少年のあまりに稚拙な発音に集まっていた取材陣から失笑がこぼれた。</p>
<p>その時ロナウド選手は一生懸命質問しようとする少年に敬意を込め、会場の記者に向かって「なぜ皆さんは笑うのですか？　彼のポルトガル語は素晴らしい。そして喜ぶべきことなんだ。彼は今とても難しいことにチャレンジしているんだから」と語りかけ諭した。</p>
<p>その場ではそんなやり取りがあったこととは露とも知らず、少年は「成功を手にするにはどのようにしたら良いですか？」と質問を続けていた。</p>
<p>ロナウド選手は少年に向かって「私がいつも言っていることは、強く信じ、厳しいトレーニングをし、自身の力を信じたら人生ではチャンスが来るんだ。サポートをしてくれる人・運・も必要だけれども人生ではみんなにチャンスは巡ってくると思っている。みんな一度はチャンスが来ると思う」と丁寧な言葉使いで語りかけた。</p>
<p>さらに続けて「私がこの少年に送るメッセージは自分の力を信じて一生懸命に取り組み、自分自身にその時間を100%捧げる覚悟で取り組むんだ。そして夢を描くんだ。“可能なんだ”ってずっと信じるんだよ」と語りかけた。</p>
<p>その少年にとって夢のような時間であったにせよ、その言葉をきっと大切に競技に取り組んだことは疑いようがない。</p>
<p>その少年が縁あって山梨学院高へと進学し、3年で2020年全国高校サッカー選手権に念願の登録メンバーとしてとして2回戦途中から出場し堅実な守備で3回戦へと導いた。3回戦途中で負傷途中交代するもチームは11年ぶり2度目の優勝を果たしている。</p>
<p>当時100名を超えるサッカー部員の中にあってくじけず前を向いてあきらめなかったからこそつかんだチャンスであったと思いい越すことができた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="(max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>70回「サッカーワールドカップに触れて～寄り添ったコーチング～」</h2><p>原稿の締め切間近で焦る気持ちとは裏腹に、チャンネルはサッカーワールドカップ（W杯）の中継に合わせて見入ってしまう。</p><p>昨年東京で開催された世界陸上は記憶に新しい。当然ながら世界のスーパースターが終結し素晴らしいパフォーマンスに終日魅了された。世界のトッププレーヤーの集う大会となれば現場で観戦したくなる。それがかなわなければリアルタイムで視聴したくなるのが人の情だ。</p><p>W杯も世界の各地区予選の厳しい戦いを勝ち上がってきた強豪チームとの戦いであることから、これまた当然のごとく目が離せない……と言い訳しつつ、原稿締め切り間近のキーボードを打つ手が止まってしまう。</p><p>目の覚めるようなスーパーゴールや驚嘆するパス回し、ディフェンスの妙技に息をのむことしばしばである。</p><p>特に今大会は40歳前後でもチームの要としてプレーし続けるクリスティアーノ・ロナウド（ポルトガル）やルカ・モドリッチ（クロアチア）、ロメル・ルカク（ベルギー）、エディン・ジェコ（ボスニア・ヘルツェゴビナ）、リオネル・メッシ（アルゼンチン）らの百戦錬磨の経験と判断力がチームにどのような影響力を与えているのかに注目している。</p><p>ベテラン選手がチームに存在することで得られる相乗効果は、チームの熱量を変え勝敗を左右すると言われている。日本チームにとっての長友佑都選手の存在もそういった意味では大きいと考えられる。</p><p>存在の大きさという観点からすれば、実力も実績もあり注目度の高い選手はその立ち居振る舞いに当然ながら注目が集まる。</p><p>そういった意味ではロナウド選手と一人の少年のストーリーを思い起こすことができる。</p><p>2014年7月。東京で開催されるイベントに出演するために来日していたロナウド選手に質問ができる3名を抽選で応募することが企画されたそうだ。</p><p>抽選で選ばれた3名の少年がロナウド選手にそれぞれ直接質問する中で、最後に登壇した当時小学6年生の少年がメモ用紙に書いたポルトガル語で質問を読み上げた。</p><p>当然のことながら緊張もあり、たどたどしい質問ではあった。ロナウドは真剣に向き合って話を聞き質問に答えようとしていた。少年のあまりに稚拙な発音に集まっていた取材陣から失笑がこぼれた。</p><p>その時ロナウド選手は一生懸命質問しようとする少年に敬意を込め、会場の記者に向かって「なぜ皆さんは笑うのですか？　彼のポルトガル語は素晴らしい。そして喜ぶべきことなんだ。彼は今とても難しいことにチャレンジしているんだから」と語りかけ諭した。</p><p>その場ではそんなやり取りがあったこととは露とも知らず、少年は「成功を手にするにはどのようにしたら良いですか？」と質問を続けていた。</p><p>ロナウド選手は少年に向かって「私がいつも言っていることは、強く信じ、厳しいトレーニングをし、自身の力を信じたら人生ではチャンスが来るんだ。サポートをしてくれる人・運・も必要だけれども人生ではみんなにチャンスは巡ってくると思っている。みんな一度はチャンスが来ると思う」と丁寧な言葉使いで語りかけた。</p><p>さらに続けて「私がこの少年に送るメッセージは自分の力を信じて一生懸命に取り組み、自分自身にその時間を100%捧げる覚悟で取り組むんだ。そして夢を描くんだ。“可能なんだ”ってずっと信じるんだよ」と語りかけた。</p><p>その少年にとって夢のような時間であったにせよ、その言葉をきっと大切に競技に取り組んだことは疑いようがない。</p><p>その少年が縁あって山梨学院高へと進学し、3年で2020年全国高校サッカー選手権に念願の登録メンバーとしてとして2回戦途中から出場し堅実な守備で3回戦へと導いた。3回戦途中で負傷途中交代するもチームは11年ぶり2度目の優勝を果たしている。</p><p>当時100名を超えるサッカー部員の中にあってくじけず前を向いてあきらめなかったからこそつかんだチャンスであったと思いい越すことができた。</p>]]></content:encoded>

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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第69回「縁を結び、絆を築き、ともに歩む同志たちへ～この日この時に思うこと～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/208286</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 31 May 2026 16:55:41 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<oa:lastPubDate>Sun, 31 May 2026 13:12:57 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="(max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong></p>
<p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第69回「縁を結び、絆を築き、ともに歩む同志たちへ～この日この時に思うこと～」</h2>
<p>「五月晴れ」と書けば新緑の野山に爽やかな青空を想起するのだが、30度を超える真夏日が続くとそうとは言っていられない。日本の四季も、春と秋が駆け抜けるように過ぎてゆく気がするのは私だけではないだろう。</p>
<p>5月は全日本大学駅伝関東地区選考会、関東インカレが開催され、トップ選手はセイコーゴールデングランプリなど6月の日本選手権に向けてギアを一段入れ替える月でもあった。インターハイに向けて都府県大会も各地で順次開催され、まさにトラック＆フィールドのハイシーズンでもある。</p>
<p>前々回の後半でも書かせていただいたように3月末をもって、規定により山梨学院大学を定年退職したこともあり、OB・OG会主催の退職記念祝賀会を開催していただいた。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/05/S__38576155.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> OB・OGに退職記念祝賀会を開いていただいた</span></p></div>
<p>1985年の陸上部創部から41年間大学で教鞭をとり、指導の現場に立たせていただいた。その間の喜怒哀楽のエピソードメモリーは色あせることなく想起させられる。祝宴に全国各地から集ってくれた教え子たち約200名と言葉を交わすたびに、彼らの学生時代のさまざまな出来事が蘇り、思い出という記憶は想像以上に蓄積されているものだとつくづく感じた。</p>
<p>教え子たちも、既に60歳を過ぎた者から今年の3月に卒業した22歳の若者まで、幅広い年代が時を刻み、縁を紡いできたこととなる。人の世は人と人とが縁を結びあい、成り立っているものと思っている。</p>
<p>学生として・競技者として・チームの一員としての立ち位置から、やがて地域や社会の一員としてなど、一人の人間として人生の様々な立ち位置があり、OB・OGたちもその中で縁を紡いでいることだろう。</p>
<p>私自身が指導者として、その縁を本当に慈しみ大切に紡いでこられたのかと、我が心に向かって問いを立ててみた。至らなさ・行き過ぎ・間違いや混乱など、いささか縁を紡ぐといってもささくれや、節だらけであったようにおもう。そんなこんなで織り続けた布がなんだかまだら模様のようになっているようで心苦しくもある。</p>
<p>そんな思いをよそに、宴が進むにつれて退職記念祝賀会というよりは、久しぶりに顔を合わす「先輩・後輩」、そして「同級生」との語らいに話が弾み同窓会のような雰囲気となってきた。そんな和やかな笑顔あふれる会場の雰囲気に心が癒された。</p>
<p>指導者と言う立ち位置であったにせよ、実のところ彼らに励まされながら歩んできた41年間であったと思いを新たにすることができたからだ。</p>
<p>OB・OG会から「これまで山梨学院の歴史を刻み続けてくれたことと、これからも私たちとともに今日、この日の思いをともに分かち合い時を刻んでいってほしい」とのメッセージを添えられ、退職記念として時計をいただいた。これから先もOB・OG諸君とともに時を刻み縁を紡いでゆきたいと願った。</p>
<p>その思いを彼らと分かち合うために二つの返礼品を準備させていただいた。</p>
<p>一つ目は、ネクタイだ。箱根駅伝で使用するタスキはそれぞれの大学で準備する。私が監督時代にタスキに使用した布は、山梨の地場産業として富士北麓の富士吉田市・都留市を基盤に受け継がれている絹織物　”甲斐絹（かいき）“と呼ばれる甲斐絹織を使用させていただいている。</p>
<p>江戸時代には着物の裏地として人気を集め、日本全国に知られるようになったものの着物文化の衰退とともに生産は途絶え、いったんは幻の絹となっていた。しかし、その優れた技術は戦後の近代設備と高度に発達した技術によって復活を遂げ、全国でも屈指の細糸、高密度の先染織物産地として、再び注目を集めるまでになった。</p>
<p>「甲斐絹」の織物の特徴は、糸を先染めしてから布を織る。絹糸のような繊細な糸でも織り上げる確かな技術は、ネクタイなどに応用されている。タスキで使用した同じ先染めの甲斐絹織でプルシアンブルーを基調とした色とデザインのネクタイを準備させていただいた。</p>
<p>宴に参加していただいた卒業生のほとんどが箱根駅伝を走ったわけではなく、それでもチームや仲間に誇りを持ちチームを支えてくれたことに変わりはない。その証として襷と同じ布で作ったネクタイを送らせていただいた。</p>
<p>一本の絹糸は細くて弱いもので織りあげるにはそれなりの技術と苦労を伴う。しかし織りあがった先染めの布は独特の光沢としなやかさを持つ生地となる。私たちが目指したチーム作りも経糸がどのチームにも与えられたそれぞれの時間軸であり、日々の努力という横糸をチームの一人一人が丁寧に織り上げた布がタスキとなる。</p>
<p>エースや主力と呼ばれる者だけで織りあげられるものではないと常々語ってきた。そんな思いを込めて持ち帰ってもらった。当然裏のネクタイ止めには「雲外蒼天」の文字を刺しゅうしていただいた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="(max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第69回「縁を結び、絆を築き、ともに歩む同志たちへ～この日この時に思うこと～」</h2><p>「五月晴れ」と書けば新緑の野山に爽やかな青空を想起するのだが、30度を超える真夏日が続くとそうとは言っていられない。日本の四季も、春と秋が駆け抜けるように過ぎてゆく気がするのは私だけではないだろう。</p><p>5月は全日本大学駅伝関東地区選考会、関東インカレが開催され、トップ選手はセイコーゴールデングランプリなど6月の日本選手権に向けてギアを一段入れ替える月でもあった。インターハイに向けて都府県大会も各地で順次開催され、まさにトラック＆フィールドのハイシーズンでもある。</p><p>前々回の後半でも書かせていただいたように3月末をもって、規定により山梨学院大学を定年退職したこともあり、OB・OG会主催の退職記念祝賀会を開催していただいた。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/05/S__38576155.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> OB・OGに退職記念祝賀会を開いていただいた</span></p></div><p>1985年の陸上部創部から41年間大学で教鞭をとり、指導の現場に立たせていただいた。その間の喜怒哀楽のエピソードメモリーは色あせることなく想起させられる。祝宴に全国各地から集ってくれた教え子たち約200名と言葉を交わすたびに、彼らの学生時代のさまざまな出来事が蘇り、思い出という記憶は想像以上に蓄積されているものだとつくづく感じた。</p><p>教え子たちも、既に60歳を過ぎた者から今年の3月に卒業した22歳の若者まで、幅広い年代が時を刻み、縁を紡いできたこととなる。人の世は人と人とが縁を結びあい、成り立っているものと思っている。</p><p>学生として・競技者として・チームの一員としての立ち位置から、やがて地域や社会の一員としてなど、一人の人間として人生の様々な立ち位置があり、OB・OGたちもその中で縁を紡いでいることだろう。</p><p>私自身が指導者として、その縁を本当に慈しみ大切に紡いでこられたのかと、我が心に向かって問いを立ててみた。至らなさ・行き過ぎ・間違いや混乱など、いささか縁を紡ぐといってもささくれや、節だらけであったようにおもう。そんなこんなで織り続けた布がなんだかまだら模様のようになっているようで心苦しくもある。</p><p>そんな思いをよそに、宴が進むにつれて退職記念祝賀会というよりは、久しぶりに顔を合わす「先輩・後輩」、そして「同級生」との語らいに話が弾み同窓会のような雰囲気となってきた。そんな和やかな笑顔あふれる会場の雰囲気に心が癒された。</p><p>指導者と言う立ち位置であったにせよ、実のところ彼らに励まされながら歩んできた41年間であったと思いを新たにすることができたからだ。</p><p>OB・OG会から「これまで山梨学院の歴史を刻み続けてくれたことと、これからも私たちとともに今日、この日の思いをともに分かち合い時を刻んでいってほしい」とのメッセージを添えられ、退職記念として時計をいただいた。これから先もOB・OG諸君とともに時を刻み縁を紡いでゆきたいと願った。</p><p>その思いを彼らと分かち合うために二つの返礼品を準備させていただいた。</p><p>一つ目は、ネクタイだ。箱根駅伝で使用するタスキはそれぞれの大学で準備する。私が監督時代にタスキに使用した布は、山梨の地場産業として富士北麓の富士吉田市・都留市を基盤に受け継がれている絹織物　”甲斐絹（かいき）“と呼ばれる甲斐絹織を使用させていただいている。</p><p>江戸時代には着物の裏地として人気を集め、日本全国に知られるようになったものの着物文化の衰退とともに生産は途絶え、いったんは幻の絹となっていた。しかし、その優れた技術は戦後の近代設備と高度に発達した技術によって復活を遂げ、全国でも屈指の細糸、高密度の先染織物産地として、再び注目を集めるまでになった。</p><p>「甲斐絹」の織物の特徴は、糸を先染めしてから布を織る。絹糸のような繊細な糸でも織り上げる確かな技術は、ネクタイなどに応用されている。タスキで使用した同じ先染めの甲斐絹織でプルシアンブルーを基調とした色とデザインのネクタイを準備させていただいた。</p><p>宴に参加していただいた卒業生のほとんどが箱根駅伝を走ったわけではなく、それでもチームや仲間に誇りを持ちチームを支えてくれたことに変わりはない。その証として襷と同じ布で作ったネクタイを送らせていただいた。</p><p>一本の絹糸は細くて弱いもので織りあげるにはそれなりの技術と苦労を伴う。しかし織りあがった先染めの布は独特の光沢としなやかさを持つ生地となる。私たちが目指したチーム作りも経糸がどのチームにも与えられたそれぞれの時間軸であり、日々の努力という横糸をチームの一人一人が丁寧に織り上げた布がタスキとなる。</p><p>エースや主力と呼ばれる者だけで織りあげられるものではないと常々語ってきた。そんな思いを込めて持ち帰ってもらった。当然裏のネクタイ止めには「雲外蒼天」の文字を刺しゅうしていただいた。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第68回「温暖化傾向と陸上界～その時代に生きるための知見～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/205976</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Apr 2026 17:55:39 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[インターハイ]]></category>
		<category><![CDATA[日本インカレ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Wed, 29 Apr 2026 12:32:39 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Wed, 29 Apr 2026 12:32:39 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong></p>
<p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第68回「温暖化傾向と陸上界～その時代に生きるための知見～」</h2>
<p>4月は深緑の眩しさと富士山や南アルプスの残雪の景色に癒されはしたものの、花粉症と黄砂で鼻水とくしゃみ、そして目の痒みに苦しめられた。花粉症のアスリートや指導者は日々苦慮されたことだろう。本格的にトラックシーズンが始まり、競技会での審判や補助員の方々も大変なご苦労をされたことと拝察する。</p>
<p>近年の気温や天候の変化は、気象庁の発表を待たずとも敏感な読者のみなさんは、継続的な“温暖化トレンド”を体感しているだろう。4月の最高気温は東京で27.3度。25度を超える“夏日”が大阪とともに複数回観測されている。</p>
<p>気象庁は最高気温40度以上の日の名称を「酷暑日」に決めたと、4月17日に発表した。温暖化傾向の影響を大きく受けるスポーツ界も、暑熱対策としてのリスクマネジメントの方針を打ち出し、実行に移しつつある。</p>
<p>日本陸連は近年の気候変動に伴い、猛暑による競技者・関係者への健康影響がより深刻化していることを受け、競技会では競技者・審判・関係者・観客等の安全と健康を守ることを最優先とし「熱中症予防運動指針」（日本スポーツ協会）に基づいた安全な運営方針を発表している。</p>
<p>内容は「暑さ指数(WBGT：湿球黒球温度)」に応じた対応方針を定め、競技の実施および進行（中止・中断・延期・時間変更など）について適切に判断すると記されている。WBGTは外気温だけではなく湿度や日差しなどを取り入れた指数である。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/04/1a8f9d4e408288202a7f938f4e0970e4.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> インターハイは暑熱対策を講じて開催された</span></p></div>
<p>主な決定事項は以下のとおりである。</p>
<p>1.WBGT31度以上となる暑熱環境下での運動（競技）は原則中止・中断する。 </p>
<p>2.WBGT31度以上となる可能性が極めて高い7月・8月については、確実にWBGT31度以上にならない地域または時間帯(競技時間のみならずウォーミングアップなどすべての運動・活動を含む)での開催を除き、競技会は開催しない。</p>
<p>3.7月・8月以外の競技会においても、暑熱環境下での運動(競技)やその判断は、上記1. および2.と同様とする。 </p>
<p>※小学生以下においては特に厳重な注意のもと判断すること。 </p>
<p>※国際競技会およびそれに関連する競技会等については主催団体の運用に応じる。ただし、暑熱環境下が想定される場合には、いかなる競技会においても徹底した暑熱対策を行うこと。 </p>
<p>昨年度の各競技会では関係する主催団体の協力を得て、可能な限りの暑熱対策を講じて開催していただいていた。しかしながら、各地、各競技会では多数の熱中症が発生。また、猛暑下での運営は、選手をはじめとする参加者のみならず、運営者・運営団体にも大きな負担を強いることとなった。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第68回「温暖化傾向と陸上界～その時代に生きるための知見～」</h2><p>4月は深緑の眩しさと富士山や南アルプスの残雪の景色に癒されはしたものの、花粉症と黄砂で鼻水とくしゃみ、そして目の痒みに苦しめられた。花粉症のアスリートや指導者は日々苦慮されたことだろう。本格的にトラックシーズンが始まり、競技会での審判や補助員の方々も大変なご苦労をされたことと拝察する。</p><p>近年の気温や天候の変化は、気象庁の発表を待たずとも敏感な読者のみなさんは、継続的な“温暖化トレンド”を体感しているだろう。4月の最高気温は東京で27.3度。25度を超える“夏日”が大阪とともに複数回観測されている。</p><p>気象庁は最高気温40度以上の日の名称を「酷暑日」に決めたと、4月17日に発表した。温暖化傾向の影響を大きく受けるスポーツ界も、暑熱対策としてのリスクマネジメントの方針を打ち出し、実行に移しつつある。</p><p>日本陸連は近年の気候変動に伴い、猛暑による競技者・関係者への健康影響がより深刻化していることを受け、競技会では競技者・審判・関係者・観客等の安全と健康を守ることを最優先とし「熱中症予防運動指針」（日本スポーツ協会）に基づいた安全な運営方針を発表している。</p><p>内容は「暑さ指数(WBGT：湿球黒球温度)」に応じた対応方針を定め、競技の実施および進行（中止・中断・延期・時間変更など）について適切に判断すると記されている。WBGTは外気温だけではなく湿度や日差しなどを取り入れた指数である。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/04/1a8f9d4e408288202a7f938f4e0970e4.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> インターハイは暑熱対策を講じて開催された</span></p></div><p>主な決定事項は以下のとおりである。</p><p>1.WBGT31度以上となる暑熱環境下での運動（競技）は原則中止・中断する。 </p><p>2.WBGT31度以上となる可能性が極めて高い7月・8月については、確実にWBGT31度以上にならない地域または時間帯(競技時間のみならずウォーミングアップなどすべての運動・活動を含む)での開催を除き、競技会は開催しない。</p><p>3.7月・8月以外の競技会においても、暑熱環境下での運動(競技)やその判断は、上記1. および2.と同様とする。 </p><p>※小学生以下においては特に厳重な注意のもと判断すること。 </p><p>※国際競技会およびそれに関連する競技会等については主催団体の運用に応じる。ただし、暑熱環境下が想定される場合には、いかなる競技会においても徹底した暑熱対策を行うこと。 </p><p>昨年度の各競技会では関係する主催団体の協力を得て、可能な限りの暑熱対策を講じて開催していただいていた。しかしながら、各地、各競技会では多数の熱中症が発生。また、猛暑下での運営は、選手をはじめとする参加者のみならず、運営者・運営団体にも大きな負担を強いることとなった。</p>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第67回「人生を豊かにする出会い～退職を迎えた春に思うこと～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/203557</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 17:55:37 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 31 Mar 2026 18:04:06 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 31 Mar 2026 18:04:06 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong></p>
<p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第67回「人生を豊かにする出会い～退職を迎えた春に思うこと～」</h2>
<p>山梨・甲府のソメイヨシノは2月以降の気温が高めに推移した影響で、3月16日に開花宣言がなされ、24日には全国で最も早く満開を迎えた。</p>
<p>絢爛に咲き誇る桜をめでながらも、寒い冬を乗り越えた誇らしさを感じるのは毎年のことである。ランナーの楽しみは四季折々、花鳥風月を視覚や聴覚を中心に五感で十分に堪能できるところにある。</p>
<p>ところが、視覚に障害をお持ちのランナーは咲き誇る桜を見ることもかなわず、聴覚に障害をお持ちのランナーは、山から届く鶯の囀りに心和ませることがかなわない。車椅子での生活を余儀なくされているランナーは新緑の野山を駆け巡ることがかなわない。</p>
<p>山梨県清里在住の全盲ランナー浅川忠二さんが以前お会いした時に「ガイドランナーなしでは屋外でジョギングすらできないので、どんなに天気が良くても室内のルームランナーでしか走れないんですよね」と語ってくれたことを思い出す。</p>
<p>故郷・香川で開催された第1回香川マラソンを通しての出会いと体験からこのような書き出しとなった。昨年の11月末に香川の岡俊博先生（1983年日体大卒、箱根駅伝第58回・59回5区区間賞）から、香川県のご出身で首都圏と香川県で視覚障害者の同行援護事業所（株式会社mitsuki）を運営されている高橋昌希さんを紹介された。</p>
<p>そして、翌年開催される香川マラソンに視覚障害のランナーが出場を希望しているのでガイドランナー（目標タイム3時間）を探しているとの相談を受けた。ガイドランナーに関しては、長女と代々木公園で開催されたガイドランナー講習会に参加させていただいたこともあり、なんとか協力できないものかと思案した。</p>
<p>そこで、23年卒業生で中距離ブロックではあるものの、卒業後も陸上を続け10000m 29分10秒台の記録を更新した都築勇気君（和歌山・田辺工高→スポーツ科学部→和歌山県庁）と、社会人となっても時間を見つけては走ることを楽しんでいると近況報告をしてくれた加藤大成君（愛知・中部第一高→法学部→サトー商事）の2名に依頼することにした。</p>
<p>私はレース前日が大学の卒業式で、香川マラソンには行けないため丸亀ハーフマラソンの翌朝にコース状況を車で視察して、彼らに伝えることにしていた。</p>
<p>ガイドランナーは、視覚障害の方が安全かつ自己のパフォーマンスや目標とする走りの内容を達成すべく、まさに視覚の代わりとなってランナーに指示を適時・的確に伝える役目がある。日頃トレーニングパートナーとしてともに走れている場合は、コミュニケーションが阿吽の呼吸で取れるのだが、今回は前日合流ということもあり苦慮した。</p>
<p>ガイドランナーを務める2人には、事前体験としてアイマスクをしてガイドランニングをしてもらう疑似体験をしてもらった。腕振りやリズムを合わせる感覚と路面の状況に応じたコース選定のしかた、そして折り返しや給水の方法なども事前に課題習得に取り組んでもらった。</p>
<p>会社の年休を取ってもらって金曜日に高松入り。現地での移動サポートの方々にそれぞれ前半と後半の試走を行いコース状況の確認をして、少しでもリスク回避ができるように事前の準備を丁寧に行ってもらった。</p>
<p>レース前日に走者の三国文敬さんと合流となった。三国さんは北海道生まれの46歳で、20歳で歯科技工士として都内で就職。30歳で緑内障を発症し徐々に視力を失っていった。将来の自立のために鍼灸マッサージの国家資格を習得し、神田で開業（休業中）。現在は太陽企画株式会社と言う会社で、障害者アスリート雇用で会社の広報活動として活動しています。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/03/S__37568516.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> 瀬戸内海を背景に前日の顔合わせ後の伴奏練習。（左から）加藤君、三国さん、都築君</span></p></div>
<p>陸上競技は視覚障害となってしばらく後に、円周走という方法で走る事ができることを知ったきっかけで始めたそうだ。円周走とはグラウンドなど広場に杭を打ち、そこから伸びるロープを持って一周約100mを走る方法で、三国さんは100周、30kmを走っておられたそうだ。</p>
<p>合流後は、障害者受付と伴走者登録を済ませてガイドランニングのリズムや意志伝達の方法とタイミングなどを入念に打ち合わせ、試走練習を行った。当日は宿舎出発からスタート前のウォーミングアップなど、一連の行動をともにした。</p>
<p>10000人規模の大衆マラソンであるが故に、大集団に紛れてのスタートが安全確保の観点から一番ガイドランニングとして難しかった、とレース後に加藤君から報告を受けた。後半の都築君との引き継ぎも順調にこなし、無事3時間10分でゴール。達成感と爽やかな笑顔の写真が送られてきた時は安堵のため息が出た。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大陸上競技部元監督の上田誠仁氏による月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第67回「人生を豊かにする出会い～退職を迎えた春に思うこと～」</h2><p>山梨・甲府のソメイヨシノは2月以降の気温が高めに推移した影響で、3月16日に開花宣言がなされ、24日には全国で最も早く満開を迎えた。</p><p>絢爛に咲き誇る桜をめでながらも、寒い冬を乗り越えた誇らしさを感じるのは毎年のことである。ランナーの楽しみは四季折々、花鳥風月を視覚や聴覚を中心に五感で十分に堪能できるところにある。</p><p>ところが、視覚に障害をお持ちのランナーは咲き誇る桜を見ることもかなわず、聴覚に障害をお持ちのランナーは、山から届く鶯の囀りに心和ませることがかなわない。車椅子での生活を余儀なくされているランナーは新緑の野山を駆け巡ることがかなわない。</p><p>山梨県清里在住の全盲ランナー浅川忠二さんが以前お会いした時に「ガイドランナーなしでは屋外でジョギングすらできないので、どんなに天気が良くても室内のルームランナーでしか走れないんですよね」と語ってくれたことを思い出す。</p><p>故郷・香川で開催された第1回香川マラソンを通しての出会いと体験からこのような書き出しとなった。昨年の11月末に香川の岡俊博先生（1983年日体大卒、箱根駅伝第58回・59回5区区間賞）から、香川県のご出身で首都圏と香川県で視覚障害者の同行援護事業所（株式会社mitsuki）を運営されている高橋昌希さんを紹介された。</p><p>そして、翌年開催される香川マラソンに視覚障害のランナーが出場を希望しているのでガイドランナー（目標タイム3時間）を探しているとの相談を受けた。ガイドランナーに関しては、長女と代々木公園で開催されたガイドランナー講習会に参加させていただいたこともあり、なんとか協力できないものかと思案した。</p><p>そこで、23年卒業生で中距離ブロックではあるものの、卒業後も陸上を続け10000m 29分10秒台の記録を更新した都築勇気君（和歌山・田辺工高→スポーツ科学部→和歌山県庁）と、社会人となっても時間を見つけては走ることを楽しんでいると近況報告をしてくれた加藤大成君（愛知・中部第一高→法学部→サトー商事）の2名に依頼することにした。</p><p>私はレース前日が大学の卒業式で、香川マラソンには行けないため丸亀ハーフマラソンの翌朝にコース状況を車で視察して、彼らに伝えることにしていた。</p><p>ガイドランナーは、視覚障害の方が安全かつ自己のパフォーマンスや目標とする走りの内容を達成すべく、まさに視覚の代わりとなってランナーに指示を適時・的確に伝える役目がある。日頃トレーニングパートナーとしてともに走れている場合は、コミュニケーションが阿吽の呼吸で取れるのだが、今回は前日合流ということもあり苦慮した。</p><p>ガイドランナーを務める2人には、事前体験としてアイマスクをしてガイドランニングをしてもらう疑似体験をしてもらった。腕振りやリズムを合わせる感覚と路面の状況に応じたコース選定のしかた、そして折り返しや給水の方法なども事前に課題習得に取り組んでもらった。</p><p>会社の年休を取ってもらって金曜日に高松入り。現地での移動サポートの方々にそれぞれ前半と後半の試走を行いコース状況の確認をして、少しでもリスク回避ができるように事前の準備を丁寧に行ってもらった。</p><p>レース前日に走者の三国文敬さんと合流となった。三国さんは北海道生まれの46歳で、20歳で歯科技工士として都内で就職。30歳で緑内障を発症し徐々に視力を失っていった。将来の自立のために鍼灸マッサージの国家資格を習得し、神田で開業（休業中）。現在は太陽企画株式会社と言う会社で、障害者アスリート雇用で会社の広報活動として活動しています。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/03/S__37568516.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> 瀬戸内海を背景に前日の顔合わせ後の伴奏練習。（左から）加藤君、三国さん、都築君</span></p></div><p>陸上競技は視覚障害となってしばらく後に、円周走という方法で走る事ができることを知ったきっかけで始めたそうだ。円周走とはグラウンドなど広場に杭を打ち、そこから伸びるロープを持って一周約100mを走る方法で、三国さんは100周、30kmを走っておられたそうだ。</p><p>合流後は、障害者受付と伴走者登録を済ませてガイドランニングのリズムや意志伝達の方法とタイミングなどを入念に打ち合わせ、試走練習を行った。当日は宿舎出発からスタート前のウォーミングアップなど、一連の行動をともにした。</p><p>10000人規模の大衆マラソンであるが故に、大集団に紛れてのスタートが安全確保の観点から一番ガイドランニングとして難しかった、とレース後に加藤君から報告を受けた。後半の都築君との引き継ぎも順調にこなし、無事3時間10分でゴール。達成感と爽やかな笑顔の写真が送られてきた時は安堵のため息が出た。</p>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第66回「声援を送ることへの新たな視界～ミラノ・コルティナ滞在記～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/200633</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Feb 2026 18:25:38 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノ・コルティナ五輪]]></category>
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		<gnf:modified>Sat, 28 Feb 2026 17:22:34 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sat, 28 Feb 2026 17:22:34 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong></p>
<p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第66回「声援を送ることへの新たな視界～ミラノ・コルティナ滞在記～」</h2>
<p>箱根駅伝の沿道を埋め尽くす観客。その目の前数メートル先を、一瞬ではあるが選手が通過してゆく。選手の表情から心象風景を思い、息遣いから疲労度などを慮りつつ、心からの声援と拍手を送る。</p>
<p>応援する人は、当然のごとくその声や拍手の音が選手に届くことを信じて疑わない。応援する側と選手との間に生まれる心地良い連帯感。それは声援と拍手が選手に届いてこそ生まれる。まさに疲れた足取りに、まだ取り出せていない力を呼び覚ましてくれるものだ。</p>
<p>このような環境設定をすることは、「する・見る・支える」で成り立つスポーツ文化の醸成には必須であると幾度か書かせていただいた。</p>
<p>ただ、箱根駅伝沿道の風物詩的情景とも言える主催新聞社の応援小旗の配布を、自主的に限定していただいていることをご存知の方は少ないと思う。</p>
<p>コース上で隙間なく配布していた小旗は、数年前から各中継点の前後100mを除く、前後1kmでのみの配布となっている。これも走る選手に応援の声や拍手の音が届くように、と各地域の販売店の方々のご配慮のお陰であると感謝している。</p>
<p>そもそも走った選手たちのインタビューで「沿道の方々の声援が小旗を振るバタバタという音でかき消され、運営管理車からの声も聞き取れないほどでした」との声を受けてのことであった。複数の選手に確認したところ、特に復路の後半区間では異口同音にそのような見解が多数を占めていた。</p>
<p>応援する気持ちを届けたい、と願うのは応援に駆けつけた方々の共通の願いであろう。</p>
<p>駅伝やマラソンのような広域移動型のスポーツもあれば、サッカーやバスケットボールといったスタジアムやアリーナのような屋内外の競技施設の場合もある。静かに見守りタイミングを見計らって拍手や声をかける競技もあれば、野球やサッカーのようにブラスバンドや一斉応援が許される競技スポーツもある（関東インカレなど各大学の個性的な応援も見どころなので機会があればぜひご来場賜りたい）</p>
<p>当然のごとく応援にはマナーがある。陸上競技ではスタート前の静寂が必要だ。昨年9月の東京世界選手権では、スターターの号砲までの静寂の後からは、割れんばかりの声援がスタンドを揺るがしたものであった。</p>
<p>そして、応援の時間と場所、種目を移してみよう。私がミラノ・コルティナ冬季オリンピックのフィギュアスケートの会場で、声援を送ることに対する新たな視界が開ける感動を覚えたことをお伝えしたいからだ。</p>
<p>なぜ、この場所にと思われるかもしれない。私の姪のエリー・カムが全米代表として出場（ペアと団体）し、団体では金メダルを獲得。私はその6日後のペアの応援に駆けつけた。（<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/199889">参考記事</a>）</p>
<p>冬季五輪の競技特性として、雪上や氷上で競技が行われることが常で、転倒がつきものである。“転ばぬ先の杖”が準備されているわけではなく、トレーニングに費やした時間の集積だけが技量となって試される刹那のスポーツでもあろう。</p>
<p>エリーは大会終了後に「母（磨子・秋山氏の次女）からは、『初めに転んで立ち上がることから練習を始めるのがスケート。失敗しても何度でも立ち上がらなければ次に進めない。その気持ちを大切にしなさい』と言われてきました」と明かす。</p>
<p>続けて、「立ち上がることをあきらめていたらこの舞台には立てなかったと思う」と語ってくれた。そのようにして技に磨きをかえてきたフィギュアスケートだ。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/02/IMG_5623.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> ミラノで平和の門と記念撮影</span></p></div>
<p>フィギュアスケートは優雅で華麗に見えなければならないが、フリー演技の4分間の運動量は1500mに匹敵すると言われるほど過酷である。ペアで動きを合わせながら、高速でのジャンプやスピン、リフトやステップなど様々な要素を曲に合わせて表現しながらこなしてゆかなければならない。</p>
<p>心拍数が上がって苦しくなってくる後半でも、表情はそれを微塵も感じさせないほど曲と動きにシンクロしていることには驚いてしまう。五輪選手であれば、難易度の高い技をサラリとやってのけそうである。しかしながら勝負を懸けたこの舞台は、その上をゆく超難易度の演技構成で挑んでくる緊張感がスケートリンクを支配する。</p>
<p>演技を見守る観衆は声援を送ることはできない。その代わりに、心のこもった拍手が選手に届けられる。特に転倒などのミスを犯した直後に送る拍手は、明らかに“頑張れ”の響きがこもっていた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第66回「声援を送ることへの新たな視界～ミラノ・コルティナ滞在記～」</h2><p>箱根駅伝の沿道を埋め尽くす観客。その目の前数メートル先を、一瞬ではあるが選手が通過してゆく。選手の表情から心象風景を思い、息遣いから疲労度などを慮りつつ、心からの声援と拍手を送る。</p><p>応援する人は、当然のごとくその声や拍手の音が選手に届くことを信じて疑わない。応援する側と選手との間に生まれる心地良い連帯感。それは声援と拍手が選手に届いてこそ生まれる。まさに疲れた足取りに、まだ取り出せていない力を呼び覚ましてくれるものだ。</p><p>このような環境設定をすることは、「する・見る・支える」で成り立つスポーツ文化の醸成には必須であると幾度か書かせていただいた。</p><p>ただ、箱根駅伝沿道の風物詩的情景とも言える主催新聞社の応援小旗の配布を、自主的に限定していただいていることをご存知の方は少ないと思う。</p><p>コース上で隙間なく配布していた小旗は、数年前から各中継点の前後100mを除く、前後1kmでのみの配布となっている。これも走る選手に応援の声や拍手の音が届くように、と各地域の販売店の方々のご配慮のお陰であると感謝している。</p><p>そもそも走った選手たちのインタビューで「沿道の方々の声援が小旗を振るバタバタという音でかき消され、運営管理車からの声も聞き取れないほどでした」との声を受けてのことであった。複数の選手に確認したところ、特に復路の後半区間では異口同音にそのような見解が多数を占めていた。</p><p>応援する気持ちを届けたい、と願うのは応援に駆けつけた方々の共通の願いであろう。</p><p>駅伝やマラソンのような広域移動型のスポーツもあれば、サッカーやバスケットボールといったスタジアムやアリーナのような屋内外の競技施設の場合もある。静かに見守りタイミングを見計らって拍手や声をかける競技もあれば、野球やサッカーのようにブラスバンドや一斉応援が許される競技スポーツもある（関東インカレなど各大学の個性的な応援も見どころなので機会があればぜひご来場賜りたい）</p><p>当然のごとく応援にはマナーがある。陸上競技ではスタート前の静寂が必要だ。昨年9月の東京世界選手権では、スターターの号砲までの静寂の後からは、割れんばかりの声援がスタンドを揺るがしたものであった。</p><p>そして、応援の時間と場所、種目を移してみよう。私がミラノ・コルティナ冬季オリンピックのフィギュアスケートの会場で、声援を送ることに対する新たな視界が開ける感動を覚えたことをお伝えしたいからだ。</p><p>なぜ、この場所にと思われるかもしれない。私の姪のエリー・カムが全米代表として出場（ペアと団体）し、団体では金メダルを獲得。私はその6日後のペアの応援に駆けつけた。（<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/199889">参考記事</a>）</p><p>冬季五輪の競技特性として、雪上や氷上で競技が行われることが常で、転倒がつきものである。“転ばぬ先の杖”が準備されているわけではなく、トレーニングに費やした時間の集積だけが技量となって試される刹那のスポーツでもあろう。</p><p>エリーは大会終了後に「母（磨子・秋山氏の次女）からは、『初めに転んで立ち上がることから練習を始めるのがスケート。失敗しても何度でも立ち上がらなければ次に進めない。その気持ちを大切にしなさい』と言われてきました」と明かす。</p><p>続けて、「立ち上がることをあきらめていたらこの舞台には立てなかったと思う」と語ってくれた。そのようにして技に磨きをかえてきたフィギュアスケートだ。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/02/IMG_5623.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> ミラノで平和の門と記念撮影</span></p></div><p>フィギュアスケートは優雅で華麗に見えなければならないが、フリー演技の4分間の運動量は1500mに匹敵すると言われるほど過酷である。ペアで動きを合わせながら、高速でのジャンプやスピン、リフトやステップなど様々な要素を曲に合わせて表現しながらこなしてゆかなければならない。</p><p>心拍数が上がって苦しくなってくる後半でも、表情はそれを微塵も感じさせないほど曲と動きにシンクロしていることには驚いてしまう。五輪選手であれば、難易度の高い技をサラリとやってのけそうである。しかしながら勝負を懸けたこの舞台は、その上をゆく超難易度の演技構成で挑んでくる緊張感がスケートリンクを支配する。</p><p>演技を見守る観衆は声援を送ることはできない。その代わりに、心のこもった拍手が選手に届けられる。特に転倒などのミスを犯した直後に送る拍手は、明らかに“頑張れ”の響きがこもっていた。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>山梨学大・上田誠仁顧問の姪が冬季五輪フィギュア団体金！ 自身も現地観戦「感動とともに安堵した」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/199889</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 20 Feb 2026 14:11:22 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[国内]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノ・コルティナ五輪]]></category>
		<category><![CDATA[エリー・カム]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 20 Feb 2026 19:04:45 +0900</gnf:modified>
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				<description><![CDATA[<p>2月6日から2月22日にかけて開催されているミラノ・コルティナ冬季オリンピックのフィギュアスケート団体で、山梨学大・上田誠仁顧問の姪で米国代表のエリー・カムが金メダルに輝いた。</p>
<p>上田氏によると、カムは山梨学大元顧問の故・秋山勉氏の孫で、上田氏にとっては妻の妹の娘。父は米空軍のドクターで、横田基地赴任中の2004年12月20日に生まれている。</p>
<p>ミラノ・コルティナ五輪ではダニー・オシェイとペアで代表入りし、団体では2月6日のショートプログラム（SP）で5位、2月8日のフリーで4位。最終的に米国が合計70点で日本を1点抑え、金メダルを獲得した。ペアでは2月15日のSPで7位発進したものの、フリーでは12位だった。</p>
<p>上田氏は「秋山さんの孫にあたるエリーは、昨年祖父の危篤の報を受けて母親と帰国すると言っていました」としつつ、「全米オリンピック予選前であったので、それを優先することが祖父の願いでもあるということでアメリカに残り調整を続け、葬儀も同じく練習を続けていました」と明かす。</p>
<p>自身も現地で観戦し、「プレッシャーのなか、ショートプログラムのミスを払拭するフリーの演技で団体戦のアメリカチーム金メダルに貢献できたことは感動とともに安堵しました。個人戦ではフリーの演技序盤で転倒したものの、終盤はしっかりまとめて演技ししっかりと力を出し切ってくれたので会場の観客とともに大きな拍手を送りました」とコメントを寄せた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>2月6日から2月22日にかけて開催されているミラノ・コルティナ冬季オリンピックのフィギュアスケート団体で、山梨学大・上田誠仁顧問の姪で米国代表のエリー・カムが金メダルに輝いた。</p><p>上田氏によると、カムは山梨学大元顧問の故・秋山勉氏の孫で、上田氏にとっては妻の妹の娘。父は米空軍のドクターで、横田基地赴任中の2004年12月20日に生まれている。</p><p>ミラノ・コルティナ五輪ではダニー・オシェイとペアで代表入りし、団体では2月6日のショートプログラム（SP）で5位、2月8日のフリーで4位。最終的に米国が合計70点で日本を1点抑え、金メダルを獲得した。ペアでは2月15日のSPで7位発進したものの、フリーでは12位だった。</p><p>上田氏は「秋山さんの孫にあたるエリーは、昨年祖父の危篤の報を受けて母親と帰国すると言っていました」としつつ、「全米オリンピック予選前であったので、それを優先することが祖父の願いでもあるということでアメリカに残り調整を続け、葬儀も同じく練習を続けていました」と明かす。</p><p>自身も現地で観戦し、「プレッシャーのなか、ショートプログラムのミスを払拭するフリーの演技で団体戦のアメリカチーム金メダルに貢献できたことは感動とともに安堵しました。個人戦ではフリーの演技序盤で転倒したものの、終盤はしっかりまとめて演技ししっかりと力を出し切ってくれたので会場の観客とともに大きな拍手を送りました」とコメントを寄せた。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第65回「雪中四友に箱根駅伝を重ねて～順大と帝京大の激闘～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/197991</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Jan 2026 17:55:25 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[順大]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[帝京大]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 30 Jan 2026 12:38:17 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Fri, 30 Jan 2026 12:38:17 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong></p>
<p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第65回「雪中四友に箱根駅伝を重ねて～順大と帝京大の激闘～」</h2>
<p>「冬型の気圧配置が次第に強まっており、北日本や北陸山陰地方では雪や雨となる見込みです。夜にかけては北からの季節風が強まる予想です――」と言う気象予報士の解説が的中するほどに冷え込むこの時期である。</p>
<p>まさに野山は冬枯れの季節。ランナーたちにとって早朝練習は、僧侶が滝行をやるくらい覚悟を持ち、玄関のドアを開けねばならないほどであろう。</p>
<p>冬枯れといえども、この厳しい季節だからこそ愛でることのできる花々は「雪中四友（せっちゅうしゆう）」と呼ばれている。古来より中国で冬の画題として好んで描かれてきた4種類の花のことで、梅（ウメ）、蝋梅（ロウバイ）、水仙（スイセン）、山茶花（サザンカ）のことだそうだ。</p>
<p>文字通り雪が降り積もる寒い状況の中にあっても凛として咲く姿は、春に咲く花とは趣が違い心を打つものだ。何も特別な花ではない。街中で散歩や軽くジョギングをしながらでも目にするほど馴染み深い花である。</p>
<p>梅は寒中真っ先に咲くことから「百花の魁」とも呼ばれている。私の座右の銘に「何にも咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」があるが、まさにその先の実を結び、その実が梅干などになる。まさに見てよし、食べてよしと年間を通して楽しませてくれる。</p>
<p>蝋梅の花は少し下向きに頭を下げるように咲き、感謝を表しているかのような奥ゆかしさを香りとともに鑑賞できる。水仙は「雪中花」とも呼ばれ、ある程度冬の寒さにさらされないと開花できないと言われている。</p>
<p>山茶花は、よく似た椿の花と見間違えられる。椿は花のかたちを崩さずポトリと落ちるが、山茶花は花びらが一枚一枚順に散ってゆく。このように書き進めていると、想いが箱根駅伝までの経過と結果にシンクロしてしまう。</p>
<p>さながら水仙のように厳しい寒さにさらされて開花したチームは、前回はシード圏内（10位）までわずか7秒差に泣いたものの、今回は総合3位と躍進した順大だろうか。</p>
<p>寒い中にも耐えて花びらを一枚ずつ粘り強く散らせてゆくのは、今年の箱根駅伝往路17位と出遅れながらも総合9位でシード権を獲得した「世界一あきらめの悪いチーム」を公言している帝京大ではなかろうかとそれぞれ感じたからだ。</p>
<p>ここで再度「駅伝とは」という問いを立て、暫し自問自答してみた。特に箱根駅伝では、10区を走るアンカーはフィニッシュラインに到達することでチームの順位を決定づける。良くも悪くも10区間の状況を知る“タスキ”をかけてフィニッシュに駆け込む。</p>
<p>ということは、フィニッシュラインを越えて踏み出す一歩は、誰よりも早くチームを代表して次回に向けての第一歩を踏み出す役割を担っているのではなかろうか。チームメイトが待ち受けるところまで駆け寄った時に、すでに次回大会に向けての取り組みや覚悟を届ける役目も担っているとひとりごちた。</p>
<p>第101回箱根駅伝でなんとかシード権を守り切った帝京大（10位）と、4校による争いでシードから弾き出された順大がフィニッシュラインを越えて、タスキをどのように迎え入れ、どのように今回大会に昇華させたのかに俄然興味が湧く。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/01/MK22931.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> 総合3位でフィニッシュした順大</span></p></div>
<p>順大の長門俊介駅伝監督は「昨年も今年もトレーニング内容に大きな変更点はありません。あるとすれば選手の意識の変化ですよ」と淡々と話してくれた。</p>
<p>続けて「101回大会に向けての予選会ではぎりぎりの10位通過。あの時の感覚は心底選手たちが崖っぷちに立たされていることを実感したと思います。実際に101回大会で、その状態からシード権争いを最後まで繰り広げることができました。シード落ちをした悔しさも強烈にあったことと同時に、自分たちが取り組んでいることの確証を得ることができた瞬間でもあったわけです」と内情を語っていただいた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong></p><p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第65回「雪中四友に箱根駅伝を重ねて～順大と帝京大の激闘～」</h2><p>「冬型の気圧配置が次第に強まっており、北日本や北陸山陰地方では雪や雨となる見込みです。夜にかけては北からの季節風が強まる予想です――」と言う気象予報士の解説が的中するほどに冷え込むこの時期である。</p><p>まさに野山は冬枯れの季節。ランナーたちにとって早朝練習は、僧侶が滝行をやるくらい覚悟を持ち、玄関のドアを開けねばならないほどであろう。</p><p>冬枯れといえども、この厳しい季節だからこそ愛でることのできる花々は「雪中四友（せっちゅうしゆう）」と呼ばれている。古来より中国で冬の画題として好んで描かれてきた4種類の花のことで、梅（ウメ）、蝋梅（ロウバイ）、水仙（スイセン）、山茶花（サザンカ）のことだそうだ。</p><p>文字通り雪が降り積もる寒い状況の中にあっても凛として咲く姿は、春に咲く花とは趣が違い心を打つものだ。何も特別な花ではない。街中で散歩や軽くジョギングをしながらでも目にするほど馴染み深い花である。</p><p>梅は寒中真っ先に咲くことから「百花の魁」とも呼ばれている。私の座右の銘に「何にも咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」があるが、まさにその先の実を結び、その実が梅干などになる。まさに見てよし、食べてよしと年間を通して楽しませてくれる。</p><p>蝋梅の花は少し下向きに頭を下げるように咲き、感謝を表しているかのような奥ゆかしさを香りとともに鑑賞できる。水仙は「雪中花」とも呼ばれ、ある程度冬の寒さにさらされないと開花できないと言われている。</p><p>山茶花は、よく似た椿の花と見間違えられる。椿は花のかたちを崩さずポトリと落ちるが、山茶花は花びらが一枚一枚順に散ってゆく。このように書き進めていると、想いが箱根駅伝までの経過と結果にシンクロしてしまう。</p><p>さながら水仙のように厳しい寒さにさらされて開花したチームは、前回はシード圏内（10位）までわずか7秒差に泣いたものの、今回は総合3位と躍進した順大だろうか。</p><p>寒い中にも耐えて花びらを一枚ずつ粘り強く散らせてゆくのは、今年の箱根駅伝往路17位と出遅れながらも総合9位でシード権を獲得した「世界一あきらめの悪いチーム」を公言している帝京大ではなかろうかとそれぞれ感じたからだ。</p><p>ここで再度「駅伝とは」という問いを立て、暫し自問自答してみた。特に箱根駅伝では、10区を走るアンカーはフィニッシュラインに到達することでチームの順位を決定づける。良くも悪くも10区間の状況を知る“タスキ”をかけてフィニッシュに駆け込む。</p><p>ということは、フィニッシュラインを越えて踏み出す一歩は、誰よりも早くチームを代表して次回に向けての第一歩を踏み出す役割を担っているのではなかろうか。チームメイトが待ち受けるところまで駆け寄った時に、すでに次回大会に向けての取り組みや覚悟を届ける役目も担っているとひとりごちた。</p><p>第101回箱根駅伝でなんとかシード権を守り切った帝京大（10位）と、4校による争いでシードから弾き出された順大がフィニッシュラインを越えて、タスキをどのように迎え入れ、どのように今回大会に昇華させたのかに俄然興味が湧く。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2026/01/MK22931.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;"> 総合3位でフィニッシュした順大</span></p></div><p>順大の長門俊介駅伝監督は「昨年も今年もトレーニング内容に大きな変更点はありません。あるとすれば選手の意識の変化ですよ」と淡々と話してくれた。</p><p>続けて「101回大会に向けての予選会ではぎりぎりの10位通過。あの時の感覚は心底選手たちが崖っぷちに立たされていることを実感したと思います。実際に101回大会で、その状態からシード権争いを最後まで繰り広げることができました。シード落ちをした悔しさも強烈にあったことと同時に、自分たちが取り組んでいることの確証を得ることができた瞬間でもあったわけです」と内情を語っていただいた。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第64回「駅伝とチームマネジメント～棄権を今後の糧に～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/194775</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Dec 2025 17:55:49 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[全国高校駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 30 Dec 2025 15:18:25 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 30 Dec 2025 15:18:25 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong><br />
山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<h2>第64回「駅伝とチームマネジメント～棄権を今後の糧に～」</h2>
<p>年の瀬が迫り、その先には箱根駅伝が待ち受ける。</p>
<p>久石譲さんの箱根駅伝テーマソングが、定番のクリスマスソングや年末の特集番組の声とシンクロするのは私だけではないだろう。</p>
<p>そんな年の瀬は選手を擁する指導者はもとより、期待を一身に背負い、出走を待つチームのエースや10区間のエントリーがかなうかどうかの瀬戸際に心が揺れ動くメンバーに、それぞれ色の違う重圧が覆いかぶさる。</p>
<p>そんな圧迫感を“プレッシャー”と言う。2019年に駅伝監督を引き継ぎ、駅伝関連の現場指導からは距離を置くようになったとはいえ、条件反射的に緊迫感が五感を駆け巡る。</p>
<p>常々「駅伝とは……」を語る時にユニフォームとゼッケン（ナンバー）、タスキを引き合いに出す。</p>
<p>ユニフォームは自信と誇りの象徴であり、大学公式戦のユニフォームは努力を自信へと昇華させた誇りを胸にする選手が袖を通すべきであろう。</p>
<p>ナンバー（ゼッケン）は箱根駅伝の場合、前年度の順位と予選会の順位順に割り当てられる。例えば「13-1」とプリントされたナンバーは、「予選会3位で1区を走る予定の選手」ということとなる。</p>
<p>これが何を意味するのかといえば、その区間における責任をまっとうしなさいという自覚と責任の象徴であると捉えている（補欠との変更があれば、その補欠ナンバーで走ることになる）。</p>
<p>そして、タスキはチームの団結と絆の象徴だ。団結や絆は一朝一夕にできるものではなく、日々のチームとして喜怒哀楽の営みの中から生まれるものであるからだ。</p>
<p>タスキは布でできている。その布を折り上げる縦糸は、どのチームのすべての選手に平等に与えられている365日と言う時間軸である。そして、横糸は同じくすべての部員に1日1本ずつ与えられており、それをどのように織り上げるかでタスキの出来映えが違ってくる。ゆえに駅伝はタスキの出来具合を試すレースでもあるとも言えるのではなかろうか。</p>
<p>1月2日にスタートの号砲が鳴り、勝負の行方を追う10区間ではある。しかしながら、その行方のほとんどを決めているのがチームマネジメントとしてのタスキの織り上げ方であるはずだ。</p>
<p>このような思いを胸に今まで駅伝競技を見つめてきた。昨年の52回コラムでは、駅伝を切磋琢磨という言葉で語らせていただいた。</p>
<p>さらにその1年前のコラムには100回大会を前に「駅伝が持つ魅力は、信じる気持ちをタスキに込めて、未来へ運ぶからこそ生み出されるのであろう」と書かせていただいている。</p>
<p>今年の年の瀬が迫る今夜は、このような駅伝に対する認識の上で、静かに思いをとあるチームに馳せてみた。私の郷里でもある香川県の四学香川西高校。指導者は卒業生で学生時代に800m日本選手権2連覇を果たした北村智宏先生（広島・沼田高校、山梨学大卒）だ。</p>
<p>先日行われた全国高校駅伝に男女とも県大会を制して、出場権を獲得していた。女子は2年ぶり6回目、男子は21年ぶり2回目の出場権（北村先生が指導者となって初出場）であった。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong><br />山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><h2>第64回「駅伝とチームマネジメント～棄権を今後の糧に～」</h2><p>年の瀬が迫り、その先には箱根駅伝が待ち受ける。</p><p>久石譲さんの箱根駅伝テーマソングが、定番のクリスマスソングや年末の特集番組の声とシンクロするのは私だけではないだろう。</p><p>そんな年の瀬は選手を擁する指導者はもとより、期待を一身に背負い、出走を待つチームのエースや10区間のエントリーがかなうかどうかの瀬戸際に心が揺れ動くメンバーに、それぞれ色の違う重圧が覆いかぶさる。</p><p>そんな圧迫感を“プレッシャー”と言う。2019年に駅伝監督を引き継ぎ、駅伝関連の現場指導からは距離を置くようになったとはいえ、条件反射的に緊迫感が五感を駆け巡る。</p><p>常々「駅伝とは……」を語る時にユニフォームとゼッケン（ナンバー）、タスキを引き合いに出す。</p><p>ユニフォームは自信と誇りの象徴であり、大学公式戦のユニフォームは努力を自信へと昇華させた誇りを胸にする選手が袖を通すべきであろう。</p><p>ナンバー（ゼッケン）は箱根駅伝の場合、前年度の順位と予選会の順位順に割り当てられる。例えば「13-1」とプリントされたナンバーは、「予選会3位で1区を走る予定の選手」ということとなる。</p><p>これが何を意味するのかといえば、その区間における責任をまっとうしなさいという自覚と責任の象徴であると捉えている（補欠との変更があれば、その補欠ナンバーで走ることになる）。</p><p>そして、タスキはチームの団結と絆の象徴だ。団結や絆は一朝一夕にできるものではなく、日々のチームとして喜怒哀楽の営みの中から生まれるものであるからだ。</p><p>タスキは布でできている。その布を折り上げる縦糸は、どのチームのすべての選手に平等に与えられている365日と言う時間軸である。そして、横糸は同じくすべての部員に1日1本ずつ与えられており、それをどのように織り上げるかでタスキの出来映えが違ってくる。ゆえに駅伝はタスキの出来具合を試すレースでもあるとも言えるのではなかろうか。</p><p>1月2日にスタートの号砲が鳴り、勝負の行方を追う10区間ではある。しかしながら、その行方のほとんどを決めているのがチームマネジメントとしてのタスキの織り上げ方であるはずだ。</p><p>このような思いを胸に今まで駅伝競技を見つめてきた。昨年の52回コラムでは、駅伝を切磋琢磨という言葉で語らせていただいた。</p><p>さらにその1年前のコラムには100回大会を前に「駅伝が持つ魅力は、信じる気持ちをタスキに込めて、未来へ運ぶからこそ生み出されるのであろう」と書かせていただいている。</p><p>今年の年の瀬が迫る今夜は、このような駅伝に対する認識の上で、静かに思いをとあるチームに馳せてみた。私の郷里でもある香川県の四学香川西高校。指導者は卒業生で学生時代に800m日本選手権2連覇を果たした北村智宏先生（広島・沼田高校、山梨学大卒）だ。</p><p>先日行われた全国高校駅伝に男女とも県大会を制して、出場権を獲得していた。女子は2年ぶり6回目、男子は21年ぶり2回目の出場権（北村先生が指導者となって初出場）であった。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第63回「アフリカへの恩返しで大輪の花」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/192250</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 30 Nov 2025 17:55:05 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[寺田篤哉]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
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		<gnf:modified>Sun, 30 Nov 2025 15:37:38 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sun, 30 Nov 2025 15:37:38 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第63回「アフリカへの恩返しで大輪の花」</h2>
<p>日本には四季があり、その季節の移ろいを愛でる文化が根づいている。</p>
<p>長距離ランナーにとって季節特有の風や景色の変化を、肌で感じることができるのも楽しみの一つである。ところが、今年はなんだか春と秋がするりと過ぎ去ったようだ。印象的には暑く長い夏と、紅葉を楽しむ間もなく冬の到来を感じてしまいそうである。</p>
<p>「四季というよりは二季と言いたいぐらいですね」とテレビの気象予報士が解説していたことにうなずいてしまう。暑くとも寒くともランナーにとってそれなりの注意点はあり、対策を立てなければならないのは周知のことであろう。</p>
<p>ところが、最近は注意点どころか警戒及び回避を求められるニュースが連日報じられている。それは“クマ”！</p>
<p>日本列島の九州・沖縄以外は広く生息する熊（北海道はヒグマ・他はツキノワグマ）が、人々の生活圏へ進出してきたことに伴い、人的被害及び農作物などへの被害が急増していることはとても他人事ではない。</p>
<p>熊の目撃情報を受けて、スポーツイベント（地域に根づくマラソン大会や駅伝大会を含む）の中止や、開催するにあたっても中止を決定するフローが作成されたりもしている現状である。</p>
<p>ランナーのトレーニングコースや林道を駆け抜けるクロスカントリートレーニングも、もしもの危険を想定すれば、おいそれと導入できないのが現状であろう。</p>
<p>山梨でも過去40年間、山間部の練習場所ではクマに注意の看板を横目に走り続けてきたが、一度もクマに遭遇したことはなかった。しかしながら近隣でクマの目撃情報が報告されると回避するしかない。</p>
<p>早朝練習のまだ薄暗い時間帯、甲府市の緑が丘スポーツ公園の坂道の折り返し地点に向かう道中も、ブルートゥーススピーカーからラジオニュースや音楽の音量を上げて向かっている。ラジオ体操で近隣の高齢者の皆さんが集う場所でもあったが、しばらくは坂の下の公園内の広場に変更したという。</p>
<p>ミツバチを飼育する養蜂箱はクマの格好のターゲットとなるそうで、被害が多発していると聞くに及んだ。そんなこともあり2013年の卒業生で養蜂業を営んでいる寺田篤哉君に電話をかけてみた。大学の同期にはマラソンの森井勇磨（京都陸協）、酒井根中学で中学駅伝初優勝に導いた小川健太（現・柏日体高教）がいる。</p>
<p>彼の話によるとクマのプーさんがハチミツの壺を抱えてうっとりと蜜を舐めているのとは大違いで、ハチミツよりも巣箱の中の幼虫をタンパク源として捕食する。巣箱そのものを破壊し、食い荒らして被害が大きくなるとのことであった。</p>
<p>寺田君は、山梨学院高2年時にケニアからの留学生オンディバ・コスマス(当時3年)と同室で過ごしていた経験がある。その時、ケニアの生活や文化について毎日のように聞かされていたそうだ。</p>
<p>その頃はケガ・故障で苦しい時ではあったが、留学生に励まされつつあきらめずに陸上に打ち込むことができた。その経験から、いつかはアフリカに恩返しがしたいと考えるようになったと言う。</p>
<p>大学時代も故障が多くて結果も伴わなかったけれども、一般受験生を主体とした5000m16分前後の選手がトレーニングをする「サテライトチーム」で卒業まで頑張って練習を続けたことは、今でも粘り強く仕事に従事することができる原動力であると語ってくれた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第63回「アフリカへの恩返しで大輪の花」</h2><p>日本には四季があり、その季節の移ろいを愛でる文化が根づいている。</p><p>長距離ランナーにとって季節特有の風や景色の変化を、肌で感じることができるのも楽しみの一つである。ところが、今年はなんだか春と秋がするりと過ぎ去ったようだ。印象的には暑く長い夏と、紅葉を楽しむ間もなく冬の到来を感じてしまいそうである。</p><p>「四季というよりは二季と言いたいぐらいですね」とテレビの気象予報士が解説していたことにうなずいてしまう。暑くとも寒くともランナーにとってそれなりの注意点はあり、対策を立てなければならないのは周知のことであろう。</p><p>ところが、最近は注意点どころか警戒及び回避を求められるニュースが連日報じられている。それは“クマ”！</p><p>日本列島の九州・沖縄以外は広く生息する熊（北海道はヒグマ・他はツキノワグマ）が、人々の生活圏へ進出してきたことに伴い、人的被害及び農作物などへの被害が急増していることはとても他人事ではない。</p><p>熊の目撃情報を受けて、スポーツイベント（地域に根づくマラソン大会や駅伝大会を含む）の中止や、開催するにあたっても中止を決定するフローが作成されたりもしている現状である。</p><p>ランナーのトレーニングコースや林道を駆け抜けるクロスカントリートレーニングも、もしもの危険を想定すれば、おいそれと導入できないのが現状であろう。</p><p>山梨でも過去40年間、山間部の練習場所ではクマに注意の看板を横目に走り続けてきたが、一度もクマに遭遇したことはなかった。しかしながら近隣でクマの目撃情報が報告されると回避するしかない。</p><p>早朝練習のまだ薄暗い時間帯、甲府市の緑が丘スポーツ公園の坂道の折り返し地点に向かう道中も、ブルートゥーススピーカーからラジオニュースや音楽の音量を上げて向かっている。ラジオ体操で近隣の高齢者の皆さんが集う場所でもあったが、しばらくは坂の下の公園内の広場に変更したという。</p><p>ミツバチを飼育する養蜂箱はクマの格好のターゲットとなるそうで、被害が多発していると聞くに及んだ。そんなこともあり2013年の卒業生で養蜂業を営んでいる寺田篤哉君に電話をかけてみた。大学の同期にはマラソンの森井勇磨（京都陸協）、酒井根中学で中学駅伝初優勝に導いた小川健太（現・柏日体高教）がいる。</p><p>彼の話によるとクマのプーさんがハチミツの壺を抱えてうっとりと蜜を舐めているのとは大違いで、ハチミツよりも巣箱の中の幼虫をタンパク源として捕食する。巣箱そのものを破壊し、食い荒らして被害が大きくなるとのことであった。</p><p>寺田君は、山梨学院高2年時にケニアからの留学生オンディバ・コスマス(当時3年)と同室で過ごしていた経験がある。その時、ケニアの生活や文化について毎日のように聞かされていたそうだ。</p><p>その頃はケガ・故障で苦しい時ではあったが、留学生に励まされつつあきらめずに陸上に打ち込むことができた。その経験から、いつかはアフリカに恩返しがしたいと考えるようになったと言う。</p><p>大学時代も故障が多くて結果も伴わなかったけれども、一般受験生を主体とした5000m16分前後の選手がトレーニングをする「サテライトチーム」で卒業まで頑張って練習を続けたことは、今でも粘り強く仕事に従事することができる原動力であると語ってくれた。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第62回「伝統の火を灯し続ける～ある記念品と箱根駅伝予選会～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/188453</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Oct 2025 17:55:48 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝予選会]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[東農大]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 30 Oct 2025 15:51:40 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 30 Oct 2025 15:51:40 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第62回「伝統の火を灯し続ける～ある記念品と箱根駅伝予選会～」</h2>
<p>1959年～62年まで4年間の箱根駅伝出場記念の品（ベルトのバックルだと思われる）が目の前にある。</p>
<p>59年と60年の裏には読売新聞と刻印されており、61年と62年には関東学生陸上競技連盟・読売新聞社・報知新聞社と刻印がされている。私が生まれた年が1959年であるので66年前から4年間の記念品ということとなる。</p>
<p>箱根駅伝予選会の3日ほど前に、私の義父でもある秋山勉氏の奥さんが「昔の記念品がこんなにたくさん引き出しから出てきたのでちょっと見てくれる？」と、ネクタイピンやらバッチ類が大きなお盆に載せられてテーブルに置かれた。</p>
<p>何の気なく分類していると、大阪・東京間駅伝の記念品のバックル（1960年第2回大会・1962年第3回大会）や箱根駅伝の記念品が紛れ込むように埋もれていた。</p>
<p>最初は何だろうと目を凝らして見ると、箱根駅伝の文字と年号が記載されており、その瞬間手が震えた。</p>
<p>第35回箱根駅伝から第38回大会の記念品がなぜそこにあるかと言うと、秋山氏が東農大在籍中に4年連続で箱根駅伝を走ったからだ（1年8区・2年3区・3年2区・4年10区）。</p>
<p>1920年（大正9年）に箱根駅伝が創設され、太平洋戦争で計5回中断されながらもその歴史を継承してきた先人の努力は、大会の運営に携わらせてきた身として染みるほど理解している。それゆえに、歴史と伝統の重みを感じて手が震えたのだ。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/10/IMG_2565.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">秋山勉氏が所蔵する箱根駅伝と大阪・東京間駅伝の記念品</span></p></div>
<p>少し歴史を紐解くと、箱根駅伝が戦後再開されたのが終戦の翌年1947年の第23回大会であった。予選会は終戦を迎えた1946年の12月に第1回関東大学高専10マイルが開催されている。</p>
<p>箱根駅伝の復活にはGHQ（連合国軍最高司令官総司令部）から占領第1国道となっていた走路の利用許可などを得なければならず、当時の学連幹事の奔走なくしては成しえなかったと想起する。</p>
<p>先述の秋山氏が第35回大会から走ったということは、幼少期に戦後を迎え、陸上競技と出合い、走り続けた過程があってのことと思いを馳せて手が震えたのだった。</p>
<p>「伝統とは火を守ることであって、灰を崇拝することではない」と、作曲家のグスタフ・マーラーが語っている。だからこそ、箱根駅伝は伝統の火を守りつつ、その時代であればこその叡智と新たな知見と技術を導入し、その火に活力を与えながら伝統を築き上げてきていると確信している。</p>
<p>そして、迎えた第102回箱根駅伝予選会が10月18日に東京・陸上自衛隊立川駐屯地をスタートし、立川市内を駆け抜けて昭和記念公園をフィニッシュとする公認ハーフマラソンコースで行われた。</p>
<p>今年の参加大学は42校。出場権を獲得できるのは予選会上位10校のみだ。年々レベルの向上が見られ、スピードとスタミナのバランスを保ちつつ、どのようにレースを組み立ててくるのかに注目が集まる大会となった。</p>
<p>出場チームの平均タイム1番目・10番目・15番目で見てみると、5000mは13分53秒78、14分07秒89、14分15秒64、10000ｍが28分39秒76 、29分07秒25、29分21秒19、ハーフマラソンは1時間2分48秒6、1時間3分36秒9、1時間4分13秒1となる。</p>
<p>チームによりスピードタイプやスタミナタイプなど様々な個性はある。それでも昨年のような高温多湿の気象条件下でのアクシデントや、後半の失速を懸念する。気温17度のスタート時点の気象条件は後半の気温上昇を予測し、自重傾向になることは否めないだろう。</p>
<p>今回は日本テレビの中継にあたり、関東学連副会長の大後栄治氏と解説を担当させていただいた。元神奈川大駅伝監督として采配を振るった経験ゆえに、静かな語り口ながら的確にレースの流れを解説されていた。その横で、なるほどとうなずきながら、時折鼓を鳴らすように話を挟ませていただいた。</p>
<p>シード権からはじき出されてしまったチームも、今年こそはと“捲土重来”を期して挑戦を重ねるチームも、この予選会はレベルの向上に置き去りにされまいと総力を挙げて挑んでくる大会となっている。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第62回「伝統の火を灯し続ける～ある記念品と箱根駅伝予選会～」</h2><p>1959年～62年まで4年間の箱根駅伝出場記念の品（ベルトのバックルだと思われる）が目の前にある。</p><p>59年と60年の裏には読売新聞と刻印されており、61年と62年には関東学生陸上競技連盟・読売新聞社・報知新聞社と刻印がされている。私が生まれた年が1959年であるので66年前から4年間の記念品ということとなる。</p><p>箱根駅伝予選会の3日ほど前に、私の義父でもある秋山勉氏の奥さんが「昔の記念品がこんなにたくさん引き出しから出てきたのでちょっと見てくれる？」と、ネクタイピンやらバッチ類が大きなお盆に載せられてテーブルに置かれた。</p><p>何の気なく分類していると、大阪・東京間駅伝の記念品のバックル（1960年第2回大会・1962年第3回大会）や箱根駅伝の記念品が紛れ込むように埋もれていた。</p><p>最初は何だろうと目を凝らして見ると、箱根駅伝の文字と年号が記載されており、その瞬間手が震えた。</p><p>第35回箱根駅伝から第38回大会の記念品がなぜそこにあるかと言うと、秋山氏が東農大在籍中に4年連続で箱根駅伝を走ったからだ（1年8区・2年3区・3年2区・4年10区）。</p><p>1920年（大正9年）に箱根駅伝が創設され、太平洋戦争で計5回中断されながらもその歴史を継承してきた先人の努力は、大会の運営に携わらせてきた身として染みるほど理解している。それゆえに、歴史と伝統の重みを感じて手が震えたのだ。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/10/IMG_2565.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">秋山勉氏が所蔵する箱根駅伝と大阪・東京間駅伝の記念品</span></p></div><p>少し歴史を紐解くと、箱根駅伝が戦後再開されたのが終戦の翌年1947年の第23回大会であった。予選会は終戦を迎えた1946年の12月に第1回関東大学高専10マイルが開催されている。</p><p>箱根駅伝の復活にはGHQ（連合国軍最高司令官総司令部）から占領第1国道となっていた走路の利用許可などを得なければならず、当時の学連幹事の奔走なくしては成しえなかったと想起する。</p><p>先述の秋山氏が第35回大会から走ったということは、幼少期に戦後を迎え、陸上競技と出合い、走り続けた過程があってのことと思いを馳せて手が震えたのだった。</p><p>「伝統とは火を守ることであって、灰を崇拝することではない」と、作曲家のグスタフ・マーラーが語っている。だからこそ、箱根駅伝は伝統の火を守りつつ、その時代であればこその叡智と新たな知見と技術を導入し、その火に活力を与えながら伝統を築き上げてきていると確信している。</p><p>そして、迎えた第102回箱根駅伝予選会が10月18日に東京・陸上自衛隊立川駐屯地をスタートし、立川市内を駆け抜けて昭和記念公園をフィニッシュとする公認ハーフマラソンコースで行われた。</p><p>今年の参加大学は42校。出場権を獲得できるのは予選会上位10校のみだ。年々レベルの向上が見られ、スピードとスタミナのバランスを保ちつつ、どのようにレースを組み立ててくるのかに注目が集まる大会となった。</p><p>出場チームの平均タイム1番目・10番目・15番目で見てみると、5000mは13分53秒78、14分07秒89、14分15秒64、10000ｍが28分39秒76 、29分07秒25、29分21秒19、ハーフマラソンは1時間2分48秒6、1時間3分36秒9、1時間4分13秒1となる。</p><p>チームによりスピードタイプやスタミナタイプなど様々な個性はある。それでも昨年のような高温多湿の気象条件下でのアクシデントや、後半の失速を懸念する。気温17度のスタート時点の気象条件は後半の気温上昇を予測し、自重傾向になることは否めないだろう。</p><p>今回は日本テレビの中継にあたり、関東学連副会長の大後栄治氏と解説を担当させていただいた。元神奈川大駅伝監督として采配を振るった経験ゆえに、静かな語り口ながら的確にレースの流れを解説されていた。その横で、なるほどとうなずきながら、時折鼓を鳴らすように話を挟ませていただいた。</p><p>シード権からはじき出されてしまったチームも、今年こそはと“捲土重来”を期して挑戦を重ねるチームも、この予選会はレベルの向上に置き去りにされまいと総力を挙げて挑んでくる大会となっている。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第61回「国立を揺らすほどの大歓声～東京世界陸上を観て～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/185582</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Sep 2025 17:55:31 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[東京世界陸上]]></category>
		<category><![CDATA[世界陸上]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<oa:lastPubDate>Tue, 30 Sep 2025 18:03:34 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第61回「国立を揺らすほどの大歓声～東京世界陸上を観て～」</h2>
<p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<p>東京世界陸上2025／World Athletics Championships Tokyo 25は猛烈な残暑に包まれた東京で開催された。194カ国から1992名の選手が出場し、53カ国がメダルを獲得した。</p>
<p>男子棒高跳のアルマンド・デュプランティス（スウェーデン）が6m30を劇的な3回目の試技で世界記録達成。その瞬間を国立競技場のすべての観衆や、テレビ・ライブ配信の視聴者も含む誰もが固唾を飲んで見守り、そして祝福の歓喜に包まれた。</p>
<p>アジアやヨーロッパなどのエリア記録が9、大会記録が9、参加国のナショナル記録が62種目で更新された。</p>
<p>男子マラソンでは写真判定までもつれ込んだゴール間際の接戦をアルフォンス・フェリックス・シンブ（タンザニア）が制し、タンザニア初の金メダルを獲得。昭和世代の私にはタンザニアといえばジュマ・イカンガー選手が瀬古利彦さんとしのぎを削るようなレースを展開していた当時を思い出す。</p>
<p>ケニアの隣国であり、マラソンではすでに金メダルを獲得済みのイメージを持っていただけに感慨もひとしおである。</p>
<p>女子100mのセントルシア、女子マラソンのウルグアイ、男子円盤投のサモアがそれぞれ国として初のメダルを獲得し、自国へ凱旋帰国となった。それぞれの国では絶大な祝福を受けたことは想像に難くない。</p>
<p>連日、日本選手の活躍もあり、9日間で延べ61万9288人が国立競技場に足を運び感動を分けあった。私自身が2019年からは駅伝・長距離から離れ、中距離と3000m障害を中心に中距離コーチとして指導・現場に携わってきた事もあり、女子800mでは6人が1分56秒以内を叩き出す怒涛のゴールに驚愕した。</p>
<p>その直後の男子800m決勝では、なんと8名全員が1分43秒以内でゴールになだれ込む凄まじいレースとなった。思わず「すげ〜」と10代の時のような声で叫んでしまうほどであった。</p>
<p>9月の中旬はアスリートにとって決して良好なグラウンドコンディションではなかった。それでも、世界のトップアスリートが、全力を振り絞って解き放つオーラと、競技パフォーマンスに終日酔いしれた。</p>
<p>9月19日のイブニングセッションの観客席で、ドイツから観戦に来たという男性は「とても蒸し暑い！　まるで赤道直下にいるみたいだ。今夜は少しマシだけどね」と競技の合間に話してくれたほどである。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/09/KO2509173333-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">国立競技場は連日多くの観客で埋まった</span></p></div>
<p>コロナ感染症対策を施しつつ、苦心の末に開催した21年の第97回箱根駅伝。極力沿道での声援を各ご家庭のテレビ観戦としていただけるように、“応援したいから応援に行かない”のポスターを作成し、ご協力を仰いだ。</p>
<p>その夏、1年遅れの無観客で開催された東京オリンピック。静寂の中でしか選手を見守ることができない大会運営を経験してきた関係者にとって、今回のように国立競技場を揺らすほどの大歓声の中に身を置くことのできる幸福感を強く味わうことができただろう。</p>
<p>それゆえに、観客席で割れんばかりの声援に包まれていると、それは決して喧騒ではなく、不思議と澄み切った静寂の中に吸い込まれて行くような感覚を覚えた。松尾芭蕉のあまりにも有名な“閑さや 岩にしみ入る 蝉の声”の境地が少し理解できた気がした。</p>
<p>このような空気感を作り出すのはスポーツの3要素である、する（選手）・見る（観衆）・支える（役員、審判、補助員）のそれぞれが織りなす時間の集積があるからだろう。特にこの大会のために召集された審判と役員の皆様方の思いやりと技量は、まさしく世界選手権レベルであったと確信している。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第61回「国立を揺らすほどの大歓声～東京世界陸上を観て～」</h2><p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><p>東京世界陸上2025／World Athletics Championships Tokyo 25は猛烈な残暑に包まれた東京で開催された。194カ国から1992名の選手が出場し、53カ国がメダルを獲得した。</p><p>男子棒高跳のアルマンド・デュプランティス（スウェーデン）が6m30を劇的な3回目の試技で世界記録達成。その瞬間を国立競技場のすべての観衆や、テレビ・ライブ配信の視聴者も含む誰もが固唾を飲んで見守り、そして祝福の歓喜に包まれた。</p><p>アジアやヨーロッパなどのエリア記録が9、大会記録が9、参加国のナショナル記録が62種目で更新された。</p><p>男子マラソンでは写真判定までもつれ込んだゴール間際の接戦をアルフォンス・フェリックス・シンブ（タンザニア）が制し、タンザニア初の金メダルを獲得。昭和世代の私にはタンザニアといえばジュマ・イカンガー選手が瀬古利彦さんとしのぎを削るようなレースを展開していた当時を思い出す。</p><p>ケニアの隣国であり、マラソンではすでに金メダルを獲得済みのイメージを持っていただけに感慨もひとしおである。</p><p>女子100mのセントルシア、女子マラソンのウルグアイ、男子円盤投のサモアがそれぞれ国として初のメダルを獲得し、自国へ凱旋帰国となった。それぞれの国では絶大な祝福を受けたことは想像に難くない。</p><p>連日、日本選手の活躍もあり、9日間で延べ61万9288人が国立競技場に足を運び感動を分けあった。私自身が2019年からは駅伝・長距離から離れ、中距離と3000m障害を中心に中距離コーチとして指導・現場に携わってきた事もあり、女子800mでは6人が1分56秒以内を叩き出す怒涛のゴールに驚愕した。</p><p>その直後の男子800m決勝では、なんと8名全員が1分43秒以内でゴールになだれ込む凄まじいレースとなった。思わず「すげ〜」と10代の時のような声で叫んでしまうほどであった。</p><p>9月の中旬はアスリートにとって決して良好なグラウンドコンディションではなかった。それでも、世界のトップアスリートが、全力を振り絞って解き放つオーラと、競技パフォーマンスに終日酔いしれた。</p><p>9月19日のイブニングセッションの観客席で、ドイツから観戦に来たという男性は「とても蒸し暑い！　まるで赤道直下にいるみたいだ。今夜は少しマシだけどね」と競技の合間に話してくれたほどである。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/09/KO2509173333-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">国立競技場は連日多くの観客で埋まった</span></p></div><p>コロナ感染症対策を施しつつ、苦心の末に開催した21年の第97回箱根駅伝。極力沿道での声援を各ご家庭のテレビ観戦としていただけるように、“応援したいから応援に行かない”のポスターを作成し、ご協力を仰いだ。</p><p>その夏、1年遅れの無観客で開催された東京オリンピック。静寂の中でしか選手を見守ることができない大会運営を経験してきた関係者にとって、今回のように国立競技場を揺らすほどの大歓声の中に身を置くことのできる幸福感を強く味わうことができただろう。</p><p>それゆえに、観客席で割れんばかりの声援に包まれていると、それは決して喧騒ではなく、不思議と澄み切った静寂の中に吸い込まれて行くような感覚を覚えた。松尾芭蕉のあまりにも有名な“閑さや 岩にしみ入る 蝉の声”の境地が少し理解できた気がした。</p><p>このような空気感を作り出すのはスポーツの3要素である、する（選手）・見る（観衆）・支える（役員、審判、補助員）のそれぞれが織りなす時間の集積があるからだろう。特にこの大会のために召集された審判と役員の皆様方の思いやりと技量は、まさしく世界選手権レベルであったと確信している。</p>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第60回「溢れんばかりの志を～ある人に思いを馳せて～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 31 Aug 2025 17:55:19 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[中田一吉]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 01 Sep 2025 12:33:44 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 01 Sep 2025 12:33:44 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第60回「溢れんばかりの志を～ある人に思いを馳せて～」</h2>
<p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p>
<p>こもった熱気の吐口が見当たらない残暑が厳しい。長距離ランナーにとって高温多湿は体力だけでなく気力をも削り取ってしまう。</p>
<p>それでも、秋のトラックシーズンから駅伝マラソンへと向かうためには、夏で鍛えなければならないところだ。冷涼さを求めて緯度を上げて北に向かうか、標高を上げて高地に向かうしかない。今年は求めた涼しさからは程遠い暑さが待ち受けている8月であった。</p>
<p>今夏の高気圧は9月を迎えようとしている今でも衰えない。それでも夜明けが遅くなり、日暮が早くなる。秋の気配を懸命に探さなければならぬ晩夏であるが、それでも日に日に早くなる日没の朱色に染まった夕日を眺めると、ある人を偲び想いを馳せてしまう。</p>
<p>広島・熊野中教員時代に尾方剛選手（現・広島経大監督）を3年間指導し、その後熊野高へと所属を移し、尾方選手を6年間、手塩にかけて育成。高校駅伝では不滅の強さと伝統を誇る世羅高と鎬を削る接戦を制して、熊野高を全国高校駅伝に6回導いた中田一吉先生が73歳で去る8月1日にご逝去されたとの訃報を受けたからだ。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/08/IMG_2055-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中田一吉先生</span></p></div>
<p>ガンを患い化学療法を受けつつ、回復に向けて頑張ってますよとの話をつい数日前にしたばかりのことであった。いつもの口調で携帯電話を通して「キンキンに冷えたビールで乾杯できる日を心待ちにしていますよ！　治療、大変かもしれませんが頑張って下さいね！」などと呑気な会話をしていたことが嘘のような突然の訃報であった。</p>
<p>療養を始めた頃には、教え子たちがご自宅に集まって中田先生を囲む会をしていたそう。その席で中田先生が「今日はみんなが集まってくれてコップに3杯しかビールが飲めんかったけんど、次の機会にはしっかり回復してえっと(たくさん)飲むけー、楽しみにしてつかーさい」との挨拶をしている動画が私の元に届いた。その矢先のことで言葉を失ってしまった。</p>
<p>平安時代の歌人である在原業平が詠んだとされる詩が詩がある。「ついにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日けふとは思はざりしを」が思い浮かんだ。古今和歌集に収められているこの詩は、伊勢物語の結びの歌でもある。</p>
<p>在原業平の辞世の詩であり、“誰もが最後には死ぬ道（死出の旅）へ行くことは知っていた。だが、それが昨日や今日といった突然のできごととして訪れるとは思ってもみなかった”という意味と受け止めている。</p>
<p>私が中田先生と出会ったのは1990年の中国駅伝の前日であった。中国駅伝は福山から広島まで8区間107.5km　第1回1931年から開催され、1995年の62回大会を最後に翌年より都道府県対抗男子駅伝となった。当時の福山市の宿舎近くの飲食店で出会い、全国高校駅伝初出場を目指す熱量に意気投合し、話し込んだことを思い出す。</p>
<p>その流れで春の強化合宿を合同でやることになった。その当時は宮崎で春の強化合宿を行っていたが、なんと熊野高の選手たちは広島から自転車でやって来たのだった。私たちのチームも箱根に初出場した時は甲府から長野の車山高原まで自転車で集合させた―という話を受けてのことだった。</p>
<p>8月の夏の強化合宿は車山高原で合同合宿を行ったのだが、部員たちは当時の“青春18き切符”で普通列車を乗り継ぎ、最終到着駅の茅野駅で下車。走って車山高原の宿舎である車山プレザントホテルまでやってきた。</p>
<p>中田先生曰く、「選手たちに不自由や困難な状況を体験しつつ、それを乗り越える工夫やその状況さえも楽しめる工夫を自ら見出す力をまずは身に付けさせたいんですよ！」と語られた声が甦る。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第60回「溢れんばかりの志を～ある人に思いを馳せて～」</h2><p>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</p><p>こもった熱気の吐口が見当たらない残暑が厳しい。長距離ランナーにとって高温多湿は体力だけでなく気力をも削り取ってしまう。</p><p>それでも、秋のトラックシーズンから駅伝マラソンへと向かうためには、夏で鍛えなければならないところだ。冷涼さを求めて緯度を上げて北に向かうか、標高を上げて高地に向かうしかない。今年は求めた涼しさからは程遠い暑さが待ち受けている8月であった。</p><p>今夏の高気圧は9月を迎えようとしている今でも衰えない。それでも夜明けが遅くなり、日暮が早くなる。秋の気配を懸命に探さなければならぬ晩夏であるが、それでも日に日に早くなる日没の朱色に染まった夕日を眺めると、ある人を偲び想いを馳せてしまう。</p><p>広島・熊野中教員時代に尾方剛選手（現・広島経大監督）を3年間指導し、その後熊野高へと所属を移し、尾方選手を6年間、手塩にかけて育成。高校駅伝では不滅の強さと伝統を誇る世羅高と鎬を削る接戦を制して、熊野高を全国高校駅伝に6回導いた中田一吉先生が73歳で去る8月1日にご逝去されたとの訃報を受けたからだ。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/08/IMG_2055-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中田一吉先生</span></p></div><p>ガンを患い化学療法を受けつつ、回復に向けて頑張ってますよとの話をつい数日前にしたばかりのことであった。いつもの口調で携帯電話を通して「キンキンに冷えたビールで乾杯できる日を心待ちにしていますよ！　治療、大変かもしれませんが頑張って下さいね！」などと呑気な会話をしていたことが嘘のような突然の訃報であった。</p><p>療養を始めた頃には、教え子たちがご自宅に集まって中田先生を囲む会をしていたそう。その席で中田先生が「今日はみんなが集まってくれてコップに3杯しかビールが飲めんかったけんど、次の機会にはしっかり回復してえっと(たくさん)飲むけー、楽しみにしてつかーさい」との挨拶をしている動画が私の元に届いた。その矢先のことで言葉を失ってしまった。</p><p>平安時代の歌人である在原業平が詠んだとされる詩が詩がある。「ついにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日けふとは思はざりしを」が思い浮かんだ。古今和歌集に収められているこの詩は、伊勢物語の結びの歌でもある。</p><p>在原業平の辞世の詩であり、“誰もが最後には死ぬ道（死出の旅）へ行くことは知っていた。だが、それが昨日や今日といった突然のできごととして訪れるとは思ってもみなかった”という意味と受け止めている。</p><p>私が中田先生と出会ったのは1990年の中国駅伝の前日であった。中国駅伝は福山から広島まで8区間107.5km　第1回1931年から開催され、1995年の62回大会を最後に翌年より都道府県対抗男子駅伝となった。当時の福山市の宿舎近くの飲食店で出会い、全国高校駅伝初出場を目指す熱量に意気投合し、話し込んだことを思い出す。</p><p>その流れで春の強化合宿を合同でやることになった。その当時は宮崎で春の強化合宿を行っていたが、なんと熊野高の選手たちは広島から自転車でやって来たのだった。私たちのチームも箱根に初出場した時は甲府から長野の車山高原まで自転車で集合させた―という話を受けてのことだった。</p><p>8月の夏の強化合宿は車山高原で合同合宿を行ったのだが、部員たちは当時の“青春18き切符”で普通列車を乗り継ぎ、最終到着駅の茅野駅で下車。走って車山高原の宿舎である車山プレザントホテルまでやってきた。</p><p>中田先生曰く、「選手たちに不自由や困難な状況を体験しつつ、それを乗り越える工夫やその状況さえも楽しめる工夫を自ら見出す力をまずは身に付けさせたいんですよ！」と語られた声が甦る。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第59回「酷暑の好記録と指導者たちの育成力」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/178028</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 31 Jul 2025 17:55:09 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[インターハイ]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 31 Jul 2025 20:21:27 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 31 Jul 2025 20:21:27 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第59回「酷暑の好記録と指導者たちの育成力」</h2>
<p>猛暑！　この言葉で誰もが合点するほどの暑さである。7月24日には北海道北見市で39度を記録。この時期に開催されるホクレン・ディスタンスチャレンジや関東学生網走夏季記録挑戦競技会は、凉と記録を求めてはるばる移動してきた選手や指導者たちにとって、慟哭の悲鳴を上げたくなるほどのコンデションであったろう。</p>
<p>とはいえ、気象条件を呪ったところで変わるわけもない。与えられた環境の中で自己記録の更新や、納得の内容で北海道を後にした選手もいたことを思えば、走れない理由を気象条件ばかりに被せるわけにはいかぬところである。</p>
<p>そして、暑熱対策を施して競技日程や、方式が変更された状態で、広島市にて全国高校総体が開催された。男子1500mは入賞ラインが3分45秒以内。5000mは初のタイムレース決勝開催となり、13分台でなければ入賞できないというハイレベルな戦いを展開している。</p>
<p>午後7時といえども広島である。涼風が吹く好条件ではないことを思えば、速さと逞しさを兼ね備えた若き選手たちの今後に期待が膨らむ。</p>
<p>さらに、星稜高（石川）の清水空跳君（2年）が100m10秒00（＋1.7）という驚愕の記録を打ち立てた。暑さをどこかに吹き飛ばすほどの息吹を感じ胸が躍る。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/07/KO2507261581.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">広島インターハイでは<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/180911" data-internallinksmanager029f6b8e52c="281" title="名鑑清水空跳">清水空跳</a>（星稜2石川）が100mで10秒00（＋1.7）をマーク</span></p></div>
<p>早速、星稜高で以前、陸上部顧問（現・星稜中顧問）をしていた卒業生の北川潔君に連絡したところ、以前何度か実家の寿司屋（あかめ寿司）に一緒に食べにいったことがありますよと話してくれた。</p>
<p>ご両親とも陸上選手でご活躍されていたこともあり、高い身体能力を有していることは想像に難くない。さらに小学生の頃に金沢市小学生陸上教室に通っていたという話をしてくれた。北川君が主宰するジュニア陸上教室、内灘JAC出身者で沖縄全中に6名が参加予定だと話が盛り上がった。</p>
<p>そうなると次々とジュニアの陸上教室やクラブの指導・運営に携わっている卒業生の顔が思い浮かんでくるので連絡を入れてみたくなった。</p>
<p>まずは金沢小学生陸上教室でボランティア指導をしていた1990年卒業の越村知史君に連絡をしてみた（遊学館高から800mで本学スポーツ科学部に入学してきた澤田祥月君もこのクラブ出身）。</p>
<p>清水君が小学生の頃は、陸上教室とスイミングスクール・体操教室を1週間に2日ずつ通っていたそうだ。成長期手前にある動作の吸収期に多様な動きを経験しつつ、走る楽しさを育んでくれたジュニアクラブの指導者や仲間たちに感謝したいほどである。</p>
<p>平成3年卒業で、現在は石川県能美市役所に勤務する上戸雄彦君（<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/80831">雲外蒼天第24回</a>）。「高校の恩師が地元で立ち上げた物見山ジュニア陸上クラブは最盛期で100名ほどの会員でしたが、現在は基本的に4年生以上の高学年にしぼり、意欲の高い子どもたちの競技力向上を優先して小学校高学年にしぼって30名ほどで活動をしています。主に陸上の楽しさと基礎的な動き作りを中心に指導をしていて、今は若い指導者に代替わりし、継続的に地域のために運営しています」と語ってくれた。</p>
<p>長野では箱根駅伝81回4区12位、82回大会10区2位、83回5区5位の小山祐太君は地元・上田市を拠点に父親の保高さんが立ち上げた腰越JSC（ジュニアスポーツクラブ）をサポートしつつ活動している。最近は部活動の地域展開にも貢献できるように頑張っているとのことであった。山梨県の競技会に子供たちを引率してきている。最盛期は50名ほどであったが、今はやはり少子化の影響もあり15名ほどだそうである。</p>
<p>静岡では2022年卒業で箱根駅伝96回学生連合チームの9区を走った渡邊晶紀君は、富士市でラポールACというクラブで子供たちに指導をしつつ、子供から大人まで気楽に参加できる記録会を開催して陸上の普及活動を行なっている。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第59回「酷暑の好記録と指導者たちの育成力」</h2><p>猛暑！　この言葉で誰もが合点するほどの暑さである。7月24日には北海道北見市で39度を記録。この時期に開催されるホクレン・ディスタンスチャレンジや関東学生網走夏季記録挑戦競技会は、凉と記録を求めてはるばる移動してきた選手や指導者たちにとって、慟哭の悲鳴を上げたくなるほどのコンデションであったろう。</p><p>とはいえ、気象条件を呪ったところで変わるわけもない。与えられた環境の中で自己記録の更新や、納得の内容で北海道を後にした選手もいたことを思えば、走れない理由を気象条件ばかりに被せるわけにはいかぬところである。</p><p>そして、暑熱対策を施して競技日程や、方式が変更された状態で、広島市にて全国高校総体が開催された。男子1500mは入賞ラインが3分45秒以内。5000mは初のタイムレース決勝開催となり、13分台でなければ入賞できないというハイレベルな戦いを展開している。</p><p>午後7時といえども広島である。涼風が吹く好条件ではないことを思えば、速さと逞しさを兼ね備えた若き選手たちの今後に期待が膨らむ。</p><p>さらに、星稜高（石川）の清水空跳君（2年）が100m10秒00（＋1.7）という驚愕の記録を打ち立てた。暑さをどこかに吹き飛ばすほどの息吹を感じ胸が躍る。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/07/KO2507261581.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">広島インターハイでは<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/180911" data-internallinksmanager029f6b8e52c="281" title="名鑑清水空跳">清水空跳</a>（星稜2石川）が100mで10秒00（＋1.7）をマーク</span></p></div><p>早速、星稜高で以前、陸上部顧問（現・星稜中顧問）をしていた卒業生の北川潔君に連絡したところ、以前何度か実家の寿司屋（あかめ寿司）に一緒に食べにいったことがありますよと話してくれた。</p><p>ご両親とも陸上選手でご活躍されていたこともあり、高い身体能力を有していることは想像に難くない。さらに小学生の頃に金沢市小学生陸上教室に通っていたという話をしてくれた。北川君が主宰するジュニア陸上教室、内灘JAC出身者で沖縄全中に6名が参加予定だと話が盛り上がった。</p><p>そうなると次々とジュニアの陸上教室やクラブの指導・運営に携わっている卒業生の顔が思い浮かんでくるので連絡を入れてみたくなった。</p><p>まずは金沢小学生陸上教室でボランティア指導をしていた1990年卒業の越村知史君に連絡をしてみた（遊学館高から800mで本学スポーツ科学部に入学してきた澤田祥月君もこのクラブ出身）。</p><p>清水君が小学生の頃は、陸上教室とスイミングスクール・体操教室を1週間に2日ずつ通っていたそうだ。成長期手前にある動作の吸収期に多様な動きを経験しつつ、走る楽しさを育んでくれたジュニアクラブの指導者や仲間たちに感謝したいほどである。</p><p>平成3年卒業で、現在は石川県能美市役所に勤務する上戸雄彦君（<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/80831">雲外蒼天第24回</a>）。「高校の恩師が地元で立ち上げた物見山ジュニア陸上クラブは最盛期で100名ほどの会員でしたが、現在は基本的に4年生以上の高学年にしぼり、意欲の高い子どもたちの競技力向上を優先して小学校高学年にしぼって30名ほどで活動をしています。主に陸上の楽しさと基礎的な動き作りを中心に指導をしていて、今は若い指導者に代替わりし、継続的に地域のために運営しています」と語ってくれた。</p><p>長野では箱根駅伝81回4区12位、82回大会10区2位、83回5区5位の小山祐太君は地元・上田市を拠点に父親の保高さんが立ち上げた腰越JSC（ジュニアスポーツクラブ）をサポートしつつ活動している。最近は部活動の地域展開にも貢献できるように頑張っているとのことであった。山梨県の競技会に子供たちを引率してきている。最盛期は50名ほどであったが、今はやはり少子化の影響もあり15名ほどだそうである。</p><p>静岡では2022年卒業で箱根駅伝96回学生連合チームの9区を走った渡邊晶紀君は、富士市でラポールACというクラブで子供たちに指導をしつつ、子供から大人まで気楽に参加できる記録会を開催して陸上の普及活動を行なっている。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第58回「学び多き人生～高校指導者との会話から～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/174751</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 29 Jun 2025 17:55:23 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[日本インカレ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第58回「学び多き人生～高校指導者との会話から～」</h2>
<p>高温多湿はトレーニングにおいても、競技会においてもあまり歓迎される気象条件ではない。</p>
<p>この季節は梅雨の雨に打たれる紫陽花が、それなりに風情を持って心癒やしてくれるものだ。しかしながら、沖縄・奄美地方はすでに梅雨明けが報じられたとはいえ、関東地方は梅雨らしからぬ晴れマークの日々である。暑熱順化が十分でない6月の晴天は殊更暑さが身に染みた。</p>
<p>例年より開催がかなり前倒しとなった第94回日本学生陸上競技対校選手権大会は6月5日〜8日の日程で岡山県JFE晴れの国スタジアムで開催された。総合優勝争いにおいて、男子は順大が関東インカレの雪辱を果たし、女子は筑波大が立命大との激戦をわずか2点上回り総合優勝となった。</p>
<p>このコラムを執筆するにあたって、常々スポーツを「する・見る・支える」の観点で俯瞰するように努めてきた。</p>
<p>今回の大会は東京や大阪などと違い、人口比率や交通網の整備といった点から一般の観客の方々がどれほど会場に足を運んでくださるのか注目していた。ところが予想以上に多くの陸上ファンの方々にご来場していただけたことはとてもうれしく感じた。</p>
<p>どの種目も熱戦が繰り広げられ、「見る」スポーツとしても十分に学生たちの熱い息吹を感じていただけたものだと確信している。</p>
<p>とはいえ、この時期は大学4年生の教職履修者は教育実習と重なる選手もいたりする。参加を回避したり、実習期間中ではあるが土日に電撃参加して再び実習校に戻る選手や、実習終了後に岡山に駆けつける選手もいたりと、調整に苦慮する選手もちらほらと聞くに及んだ。</p>
<p>今回も私はアスリートチャンネルでの長距離種目の解説を担当させていただいた。映像解説は可視化された選手の走りに付加価値として、レース展開や展望、選手の心象風景を織り交ぜて言語化し、視聴者の皆様方に臨場感を持ってお届けする使命であると認識している。</p>
<p>男子10000mでは最後の直線までケニア人留学生2人と壮絶な優勝争いを繰り広げた青学大の黒田朝日選手（岡山・玉野光南高出身）がインタビューの第一声で、「負けて悔しい」とコメントしていた。善戦することを良しとせず、あくまで勝負を挑み終盤までしのぎを削った姿と、その言葉はどれだけチームに自信と勇気を与えたことだろうか。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/06/FU3_2316.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">5000mで優勝し、1500mと2冠を果たした<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/210411" data-internallinksmanager029f6b8e52c="311" title="名鑑山口智規">山口智規</a>（早大）</span></p></div>
<p>1500mと5000mの2種目を制した早大の山口智規選手（福島・学法石川高出身）は圧巻の走りであった。内容もさることながら、レース後のインタビューで学生競技者としてのプライドと自覚が伝わってきた。</p>
<p>「自分のためではなくチームのために1点でも多く得点できるように走りました。日大の（シャドラック・）キップケメイ選手も10000mを走っており、お互いにハンディがある中でしたが、1500mと2種目を制することを目標にしていました。駅伝主将としてチームに何ができるのかを考えた時、このインカレの対校線戦で、言葉ではなく走りで伝統ある早稲田大学競走部が一丸となって戦う意義やエンジのユニフォームの思いを伝えたかったです」と熱く語ってくれた。</p>
<p>それ以上に新鮮に感心したことがある。アナウンサーが秋から始まる駅伝のことを質問するまで一言も駅伝に触れなかったことである。この大会がそれぞれの種目の学生チャンピオンを決める対校戦であり、駅伝の前哨戦ではないとの自覚とプライドを感じさせられたからである。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第58回「学び多き人生～高校指導者との会話から～」</h2><p>高温多湿はトレーニングにおいても、競技会においてもあまり歓迎される気象条件ではない。</p><p>この季節は梅雨の雨に打たれる紫陽花が、それなりに風情を持って心癒やしてくれるものだ。しかしながら、沖縄・奄美地方はすでに梅雨明けが報じられたとはいえ、関東地方は梅雨らしからぬ晴れマークの日々である。暑熱順化が十分でない6月の晴天は殊更暑さが身に染みた。</p><p>例年より開催がかなり前倒しとなった第94回日本学生陸上競技対校選手権大会は6月5日〜8日の日程で岡山県JFE晴れの国スタジアムで開催された。総合優勝争いにおいて、男子は順大が関東インカレの雪辱を果たし、女子は筑波大が立命大との激戦をわずか2点上回り総合優勝となった。</p><p>このコラムを執筆するにあたって、常々スポーツを「する・見る・支える」の観点で俯瞰するように努めてきた。</p><p>今回の大会は東京や大阪などと違い、人口比率や交通網の整備といった点から一般の観客の方々がどれほど会場に足を運んでくださるのか注目していた。ところが予想以上に多くの陸上ファンの方々にご来場していただけたことはとてもうれしく感じた。</p><p>どの種目も熱戦が繰り広げられ、「見る」スポーツとしても十分に学生たちの熱い息吹を感じていただけたものだと確信している。</p><p>とはいえ、この時期は大学4年生の教職履修者は教育実習と重なる選手もいたりする。参加を回避したり、実習期間中ではあるが土日に電撃参加して再び実習校に戻る選手や、実習終了後に岡山に駆けつける選手もいたりと、調整に苦慮する選手もちらほらと聞くに及んだ。</p><p>今回も私はアスリートチャンネルでの長距離種目の解説を担当させていただいた。映像解説は可視化された選手の走りに付加価値として、レース展開や展望、選手の心象風景を織り交ぜて言語化し、視聴者の皆様方に臨場感を持ってお届けする使命であると認識している。</p><p>男子10000mでは最後の直線までケニア人留学生2人と壮絶な優勝争いを繰り広げた青学大の黒田朝日選手（岡山・玉野光南高出身）がインタビューの第一声で、「負けて悔しい」とコメントしていた。善戦することを良しとせず、あくまで勝負を挑み終盤までしのぎを削った姿と、その言葉はどれだけチームに自信と勇気を与えたことだろうか。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/06/FU3_2316.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">5000mで優勝し、1500mと2冠を果たした<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/210411" data-internallinksmanager029f6b8e52c="311" title="名鑑山口智規">山口智規</a>（早大）</span></p></div><p>1500mと5000mの2種目を制した早大の山口智規選手（福島・学法石川高出身）は圧巻の走りであった。内容もさることながら、レース後のインタビューで学生競技者としてのプライドと自覚が伝わってきた。</p><p>「自分のためではなくチームのために1点でも多く得点できるように走りました。日大の（シャドラック・）キップケメイ選手も10000mを走っており、お互いにハンディがある中でしたが、1500mと2種目を制することを目標にしていました。駅伝主将としてチームに何ができるのかを考えた時、このインカレの対校線戦で、言葉ではなく走りで伝統ある早稲田大学競走部が一丸となって戦う意義やエンジのユニフォームの思いを伝えたかったです」と熱く語ってくれた。</p><p>それ以上に新鮮に感心したことがある。アナウンサーが秋から始まる駅伝のことを質問するまで一言も駅伝に触れなかったことである。この大会がそれぞれの種目の学生チャンピオンを決める対校戦であり、駅伝の前哨戦ではないとの自覚とプライドを感じさせられたからである。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第57回「節目の関東インカレ～チームメイトの声援を身に纏って～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/171990</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 31 May 2025 16:55:23 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[関東インカレ]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 02 Jun 2025 12:34:23 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 02 Jun 2025 12:34:23 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第57回「節目の関東インカレ～チームメイトの声援を身に纏って～」</h2>
<p>今年の春のシーズンは今までにない過密スケジュールで競技会が開催されている。9月には東京で世界選手権が開催されることから、ほとんどの主要競技会が前半シーズンに組み込まれている。</p>
<p>4月の日本学生個人選手権（ワールドユニバーシティゲームズ選考会）を皮切りに、5月には関東インカレ、その直後に全日本大学駅伝関東地区選考会、そして、アジア選手権と続いている。6月早々には日本インカレ、7月には世界選手権の代表選考会となる日本選手権、そして、ユニバが控えている。</p>
<p>その間に各グランプリシリーズやホクレン・ディスタンスチャレンジが予定されているので、指導者だけでなく選手のみなさんもコンディショニングとピーキングにはかなり気を遣われていると拝察する。</p>
<p>104回目を迎えた関東インカレは神奈川・相模原ギオンスタアジアムで、5月8日から4日間の日程で熱戦が繰り広げられた。男子は1部16校・657人、2部65校・720人の選手がエントリーされ、覇を競い合った。</p>
<p>男子総合優勝は最終種目の4×400mリレーへともつれ込み、1点差を追う順大と逃げ切りたい東海大との激しい鍔迫り合いがスタンドを大いに盛り上げた。最終結果は東海大が14大会ぶり8度目の優勝、女子は日体大が5年連続13度目の優勝で幕を閉じた。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/05/KO25051110978.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年の関東インカレも大声援の中で行われた</span></p></div>
<p>少し過去を振り返ってみたい。山梨学大として創部した1985年から2部校として参加したことを思い起こすことができる。翌年の86年、箱根駅伝予選会を6位で突破する年の65回大会で福田正志が1500m優勝、5000m2位、本田正義が1500m5位、5000m5位、鈴木治が20kkm4位、夏目勝也3000障害6位、市原保紀は10000m競歩２位。26点で総合7位だった（当時は1位6点、6位1点）。</p>
<p>2部での総合順位は7-4-2-2-3-3-2-2-2と続き、創部して7年目に箱根駅伝の初優勝を味わうも、関東インカレ1部昇格への道のりは険しかった。創部11年目の第74回大会（1995年）に悲願の1部昇格を果たした。</p>
<p>北村智弘が800m優勝、藤脇友介が2位に続き、1500mでは優勝。小嶋厚は1500mで2位、大﨑悟史（現・監督）は1500mで3位、ステファン・マヤカが5000mと10000mで2冠を飾った。</p>
<p>中馬大輔は5000m7位、10000m4位、中村祐二は10000m2位、里内正幸がハーフマラソン2位、川口智弘は3000m障害優勝、南忍が4位に続いた。総合得点は84点で優勝し、翌年の75回大会からは1部校としてインカレの舞台で戦えることになった。</p>
<p>今でも当時キャプテンだった藤脇（福岡・自由ケ丘高教）やマヤカ（桜美林大総監督）は顔を合わせると、「自分たちが最終学年で1部に昇格しましたが、1部の舞台で競えなかったことが残念でした。けれど、後輩たちが１部残留を懸けて熱く競い合ってくれていることに喜びと誇りを感じます」と語ってくれる。</p>
<p>30年連続で1部校として競い合い、30回目の節目となる年が今回の104回大会だった。</p>
<p>なぜ節目なのかと言えば、私は来年の1月で67歳となり、本学の規定により定年退官の年を迎えるからだ。大学教員としてチームの指導を司り、最後のインカレで2部降格や中距離コーチとして得点に貢献できずに終えたくはないとの思いが強かったからだ。結果は、総合得点54点で8位、トラック部門は3位であった。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第57回「節目の関東インカレ～チームメイトの声援を身に纏って～」</h2><p>今年の春のシーズンは今までにない過密スケジュールで競技会が開催されている。9月には東京で世界選手権が開催されることから、ほとんどの主要競技会が前半シーズンに組み込まれている。</p><p>4月の日本学生個人選手権（ワールドユニバーシティゲームズ選考会）を皮切りに、5月には関東インカレ、その直後に全日本大学駅伝関東地区選考会、そして、アジア選手権と続いている。6月早々には日本インカレ、7月には世界選手権の代表選考会となる日本選手権、そして、ユニバが控えている。</p><p>その間に各グランプリシリーズやホクレン・ディスタンスチャレンジが予定されているので、指導者だけでなく選手のみなさんもコンディショニングとピーキングにはかなり気を遣われていると拝察する。</p><p>104回目を迎えた関東インカレは神奈川・相模原ギオンスタアジアムで、5月8日から4日間の日程で熱戦が繰り広げられた。男子は1部16校・657人、2部65校・720人の選手がエントリーされ、覇を競い合った。</p><p>男子総合優勝は最終種目の4×400mリレーへともつれ込み、1点差を追う順大と逃げ切りたい東海大との激しい鍔迫り合いがスタンドを大いに盛り上げた。最終結果は東海大が14大会ぶり8度目の優勝、女子は日体大が5年連続13度目の優勝で幕を閉じた。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/05/KO25051110978.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年の関東インカレも大声援の中で行われた</span></p></div><p>少し過去を振り返ってみたい。山梨学大として創部した1985年から2部校として参加したことを思い起こすことができる。翌年の86年、箱根駅伝予選会を6位で突破する年の65回大会で福田正志が1500m優勝、5000m2位、本田正義が1500m5位、5000m5位、鈴木治が20kkm4位、夏目勝也3000障害6位、市原保紀は10000m競歩２位。26点で総合7位だった（当時は1位6点、6位1点）。</p><p>2部での総合順位は7-4-2-2-3-3-2-2-2と続き、創部して7年目に箱根駅伝の初優勝を味わうも、関東インカレ1部昇格への道のりは険しかった。創部11年目の第74回大会（1995年）に悲願の1部昇格を果たした。</p><p>北村智弘が800m優勝、藤脇友介が2位に続き、1500mでは優勝。小嶋厚は1500mで2位、大﨑悟史（現・監督）は1500mで3位、ステファン・マヤカが5000mと10000mで2冠を飾った。</p><p>中馬大輔は5000m7位、10000m4位、中村祐二は10000m2位、里内正幸がハーフマラソン2位、川口智弘は3000m障害優勝、南忍が4位に続いた。総合得点は84点で優勝し、翌年の75回大会からは1部校としてインカレの舞台で戦えることになった。</p><p>今でも当時キャプテンだった藤脇（福岡・自由ケ丘高教）やマヤカ（桜美林大総監督）は顔を合わせると、「自分たちが最終学年で1部に昇格しましたが、1部の舞台で競えなかったことが残念でした。けれど、後輩たちが１部残留を懸けて熱く競い合ってくれていることに喜びと誇りを感じます」と語ってくれる。</p><p>30年連続で1部校として競い合い、30回目の節目となる年が今回の104回大会だった。</p><p>なぜ節目なのかと言えば、私は来年の1月で67歳となり、本学の規定により定年退官の年を迎えるからだ。大学教員としてチームの指導を司り、最後のインカレで2部降格や中距離コーチとして得点に貢献できずに終えたくはないとの思いが強かったからだ。結果は、総合得点54点で8位、トラック部門は3位であった。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第56回「昭和100年とスポーツ用具の進化」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/168498</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Apr 2025 18:27:54 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 20 Apr 2026 01:22:06 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 20 Apr 2026 01:22:06 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第56回「昭和100年とスポーツ用具の進化」</h2>
<p>昨年は記念大会となる第100回箱根駅伝が開催され、第二次世界大戦による4回の開催中止を含む104年間の歴史を振り返ってみたのだが、今年はなんと昭和100年と言われているようだ。</p>
<p>1926年12月25日から元号が大正から昭和へと変わり、平成そして令和へと時代が移り変わり今日に至っている。</p>
<p>日本テレビの箱根駅伝ホームページにも書かせていただいたが、第1回箱根駅伝が開催された年に発売された「日本乃日本人」と1927年（昭和2年）発売の「科学画報」という雑誌に、この時代の文化人や著名人が100年後の未来を想像して発表している内容が興味深い。</p>
<p>100年後には「太陽エネルギーを蓄電可能」と予測し、現在は太陽光発電パネルなどが利用されている。また、雑誌の代わりに「畜音畜映装置」を使って様々な映像や雑誌の購読が可能となると予測しており、インターネットによるニュースや動画配信など様々なシステムが生活に浸透する時代となっている。</p>
<p>さらにはいちいち会議に集まらなくとも世界各地から「離身電波」によって遠隔会議が可能になると予測されている。まさに現在のZoomやTeamsなどにより世界中どこにいてもネット環境さえ整っていれば誰とでもつながり会議や会話ができる時代となっている。</p>
<p>便利で簡単、サクサクと何でも検索の時代となっている。とはいうものの1959年生まれで現在66歳の私にとって、PCと携帯の進化についてゆくのには苦戦を強いられることがしばしばである。過去を振り返っているうちに時代ははるか先へと進み、その波に飲み込まれぬよう何とか乗りこなさなければならないとじたばたしているのが現状である。</p>
<p>今年は近未来の夢と希望を膨らませる大阪・関西万博が開催されている。100年後の未来を予測するパビリオンはあるのだろうか？　今の進歩のペースからすれば20年後の未来であるかもしれない。</p>
<p>1970年、私が小学6年生の時に大阪万博が太陽の塔を囲むようにして開催された。アメリカ館の月の石が見たくて何時間も並んで待ったことが思い出される。剣道少年だった私は、その年から陸上競技に足を踏み入れたこととなる。</p>
<p>初めて走るために購入したシューズは、スポーツ店ではなく普通の靴屋さんで、「運動靴をください」と言って購入したことが思い起こされた。紐付きではあったが薄っぺらなソール（5mm程度）であった。</p>
<p>中学3年生ごろにマラソン専用シューズがあるのを知り、スポーツ店で取り寄せてもらったのがオニツカタイガーのマジックランナーである。今まで履いていた運動靴とは違い、路面のグリップや衝撃の吸収・通気性の良さなど感動したものだった。</p>
<p>今は化学繊維がポピュラーであり、軽量で足のフィット感も高いのだが、マジックランナーは帆布と呼ばれるキャンパスを裁断して作られていた。試しに陸上経験者ではないゼミ生にこのシューズを持たせ、「何のシューズだと思いますか？」と尋ねたところ「昔の体育の授業で使った体育館シューズですか？」との返答だった。</p>
<p>近年の箱根駅伝やオリンピックなどでほぼ100％使用されているいわゆる圧底シューズと比較しても、マジックランナーははるかに重く現在の最新シューズと比べれば機能的に劣っているかもしれない。</p>
<p>しかし、1964年の東京マラソンで円谷幸吉選手が銅メダルを獲得し、メキシコオリンピックでは君原健二選手が銀メダルを獲得した時はこのシューズで走破してのことである。</p>
<p>もっと時代をさかのぼれば、日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三氏（1912年ストックホルムオリンピック）はマラソンで途中棄権となっている。失意の中で帰国する道中で、「日本が世界で戦うためには」という問いに対する答えを見つけようと思案し、箱根駅伝が創設されることとなった。</p>
<p>そして硬い路面に苦しめられた経験から座敷足袋の裏にゴムを張り付けた金栗足袋を考案するに至っている。</p>
<p>オリンピックは座敷用の黒足袋の裏に丈夫な布を何重にも縫い付けたものであったそうだ。海外の選手がゴム底のシューズで走るのを見て、帰国後にハリマヤ足袋店の黒坂幸作氏と試行錯誤を重ねて試作し、自らが履いて走り、改良を重ねたという。</p>
<p>やがて大正末期には足袋独特の留め具であるハゼをやめて、甲の部分をひもで結ぶ現在のシューズ型にまで進化させている。</p>
<p>この型のマラソンシューズを履いて1953年のボストンマラソンで山田敬蔵選手が優勝している。オニツカタイガー創始者鬼塚喜八郎氏がマラソン足袋を発売したのもこの年である。スポーツ用具変遷の歴史は様々な創意工夫と知恵が積み重なっており、テクノロジーの進化はさらに拍車をかけてゆくと思われる。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第56回「昭和100年とスポーツ用具の進化」</h2><p>昨年は記念大会となる第100回箱根駅伝が開催され、第二次世界大戦による4回の開催中止を含む104年間の歴史を振り返ってみたのだが、今年はなんと昭和100年と言われているようだ。</p><p>1926年12月25日から元号が大正から昭和へと変わり、平成そして令和へと時代が移り変わり今日に至っている。</p><p>日本テレビの箱根駅伝ホームページにも書かせていただいたが、第1回箱根駅伝が開催された年に発売された「日本乃日本人」と1927年（昭和2年）発売の「科学画報」という雑誌に、この時代の文化人や著名人が100年後の未来を想像して発表している内容が興味深い。</p><p>100年後には「太陽エネルギーを蓄電可能」と予測し、現在は太陽光発電パネルなどが利用されている。また、雑誌の代わりに「畜音畜映装置」を使って様々な映像や雑誌の購読が可能となると予測しており、インターネットによるニュースや動画配信など様々なシステムが生活に浸透する時代となっている。</p><p>さらにはいちいち会議に集まらなくとも世界各地から「離身電波」によって遠隔会議が可能になると予測されている。まさに現在のZoomやTeamsなどにより世界中どこにいてもネット環境さえ整っていれば誰とでもつながり会議や会話ができる時代となっている。</p><p>便利で簡単、サクサクと何でも検索の時代となっている。とはいうものの1959年生まれで現在66歳の私にとって、PCと携帯の進化についてゆくのには苦戦を強いられることがしばしばである。過去を振り返っているうちに時代ははるか先へと進み、その波に飲み込まれぬよう何とか乗りこなさなければならないとじたばたしているのが現状である。</p><p>今年は近未来の夢と希望を膨らませる大阪・関西万博が開催されている。100年後の未来を予測するパビリオンはあるのだろうか？　今の進歩のペースからすれば20年後の未来であるかもしれない。</p><p>1970年、私が小学6年生の時に大阪万博が太陽の塔を囲むようにして開催された。アメリカ館の月の石が見たくて何時間も並んで待ったことが思い出される。剣道少年だった私は、その年から陸上競技に足を踏み入れたこととなる。</p><p>初めて走るために購入したシューズは、スポーツ店ではなく普通の靴屋さんで、「運動靴をください」と言って購入したことが思い起こされた。紐付きではあったが薄っぺらなソール（5mm程度）であった。</p><p>中学3年生ごろにマラソン専用シューズがあるのを知り、スポーツ店で取り寄せてもらったのがオニツカタイガーのマジックランナーである。今まで履いていた運動靴とは違い、路面のグリップや衝撃の吸収・通気性の良さなど感動したものだった。</p><p>今は化学繊維がポピュラーであり、軽量で足のフィット感も高いのだが、マジックランナーは帆布と呼ばれるキャンパスを裁断して作られていた。試しに陸上経験者ではないゼミ生にこのシューズを持たせ、「何のシューズだと思いますか？」と尋ねたところ「昔の体育の授業で使った体育館シューズですか？」との返答だった。</p><p>近年の箱根駅伝やオリンピックなどでほぼ100％使用されているいわゆる圧底シューズと比較しても、マジックランナーははるかに重く現在の最新シューズと比べれば機能的に劣っているかもしれない。</p><p>しかし、1964年の東京マラソンで円谷幸吉選手が銅メダルを獲得し、メキシコオリンピックでは君原健二選手が銀メダルを獲得した時はこのシューズで走破してのことである。</p><p>もっと時代をさかのぼれば、日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三氏（1912年ストックホルムオリンピック）はマラソンで途中棄権となっている。失意の中で帰国する道中で、「日本が世界で戦うためには」という問いに対する答えを見つけようと思案し、箱根駅伝が創設されることとなった。</p><p>そして硬い路面に苦しめられた経験から座敷足袋の裏にゴムを張り付けた金栗足袋を考案するに至っている。</p><p>オリンピックは座敷用の黒足袋の裏に丈夫な布を何重にも縫い付けたものであったそうだ。海外の選手がゴム底のシューズで走るのを見て、帰国後にハリマヤ足袋店の黒坂幸作氏と試行錯誤を重ねて試作し、自らが履いて走り、改良を重ねたという。</p><p>やがて大正末期には足袋独特の留め具であるハゼをやめて、甲の部分をひもで結ぶ現在のシューズ型にまで進化させている。</p><p>この型のマラソンシューズを履いて1953年のボストンマラソンで山田敬蔵選手が優勝している。オニツカタイガー創始者鬼塚喜八郎氏がマラソン足袋を発売したのもこの年である。スポーツ用具変遷の歴史は様々な創意工夫と知恵が積み重なっており、テクノロジーの進化はさらに拍車をかけてゆくと思われる。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第55回「努力でコンパスを大きくする～マラソン強化のDNAを引き継ぐ～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/165362</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 31 Mar 2025 18:57:34 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[三菱重工]]></category>
		<category><![CDATA[黒木純]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 31 Mar 2025 18:32:53 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 31 Mar 2025 18:32:53 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第55回「努力でコンパスを大きくする～マラソン強化のDNAを引き継ぐ～」</h2>
<p>彼はゴール後のインタビューで息を弾ませながら「余力を残してゴールしたくありませんでした」と語った。</p>
<p>第70回箱根駅伝、9区中継点へ向かう最後の直線で、渾身のスパートを披露した直後の言葉だ。</p>
<p>第69回大会は同じ9区を担当し、区間賞を獲得するもチームは2位。最終学年で再び9区を走り、早大の櫛部静二選手（現・城西大監督）の猛追をかわす後半の走りであった。</p>
<p>彼とは……その年、チームキャプテンを務めた黒木純。現在は三菱重工マラソン部総監督、日本陸連男子マラソン強化コーチである。</p>
<p>あの頃の箱根駅伝は、監督・指導者が乗車する各校1台の運営管理者はなかった。ワゴン車に5チームの監督が同乗。まさに呉越同舟形式でレースの行方を見守っていた。</p>
<p>当然定点での声掛けなどはできず、ペースや通過タイム・前後のタイム差などは伝えようがない。コース沿道に配置されたチームメイトからの情報で前後のタイム差を知るくらいで、ペースやレース展開は自己判断にゆだねられる厳しさもあった。</p>
<p>当時は「常時、声掛けをする中で箱根駅伝を走らせるような指導では将来のマラソン選手は育成できない」との声が上がる時代背景。そこに交通規制が絡み合うといった事情があった。<br />
※1991年第67回～2002年第78回まで合同乗者形式。2003年より現在の各校1台の運営管理車が大会の運営車両として車両隊列に組み込まれた。</p>
<p>4年生として、そしてチームキャプテンとして迎えた最後の箱根駅伝。遠い直線の先にはアンカーの選手が待ち受ける「余力を残して終わりたくない」との思いは中継点手前で脳裏をよぎった言葉ではないと確信している。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/03/ff7203ac8d50a036f6d82285532bd738.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">第70回箱根駅伝で9区を走る山梨学大・黒木純</span></p></div>
<p>駅伝やマラソンは、その時のその感情だけで身体を動かし続けることができるほど甘くはないことを知っているからだ。ただ、彼が入学してからの4年間の軌跡をたどれば、その言葉が心に響き、納得したことを思い起こすことができる。</p>
<p>1990年4月、宮崎県高鍋高校から箱根駅伝への大志を抱き一般入試で入学してきた黒木君は、私と同様に小柄な選手であった。5000mの自己ベストが15分16秒。主だった実績など何もない選手であった。</p>
<p>私は黒木君にこのように問いかけたことを思い出した。</p>
<p>「箱根駅伝でチームの代表として活躍しようとする円の大きさは、君の持つ現在のコンパスで描ける円と比べると到底描き切れない大きさのであると思う。それでも覚悟を決めて、向かうべき円の大きさを獲得する努力をいとわなければ可能性はある。君にはその現状と覚悟はできていますか？」</p>
<p>その時、彼は「自分のコンパスを努力で大きくして見せます」と即答してくれた。</p>
<p>誰もが今の自分というコンパスで最大限の円を描くことができる。しかし、現状に甘んじたり向上心が薄れると、そのコンパスは短くなったり錆びついて開かなくなってしまうものだ。</p>
<p>逆に、自分で描いた円が自分の“限界”だと思わず、自分が引いた“限定”ラインだとの認識で、その円の先に行こうとすれば自分のコンパスは大きく成長するものだ。そのようなスピリッツがスポーツの世界では必要である。</p>
<p>その発言通り、彼は「一升の枡に二升を入れることはできないからあまり無理をしないように」とのアドバイスをしたくなるほどに走りこむ選手であった。</p>
<p>それでも、2年生まではチーム代表のユニフォームを着ることはなかった（2年の好調時に自転車の事故で代表選考を逃している）。</p>
<p>満を持して3年で初出場した箱根駅伝。チームは準優勝と、早大の後塵を浴びるも、個人では9区で区間賞を獲得。翌年の最終学年でのレース後の言葉通り、4年間の積み重ねのすべてを残さず出し切る走りでゴールに飛び込むほどの熱いラストスパートができたのだと思う。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第55回「努力でコンパスを大きくする～マラソン強化のDNAを引き継ぐ～」</h2><p>彼はゴール後のインタビューで息を弾ませながら「余力を残してゴールしたくありませんでした」と語った。</p><p>第70回箱根駅伝、9区中継点へ向かう最後の直線で、渾身のスパートを披露した直後の言葉だ。</p><p>第69回大会は同じ9区を担当し、区間賞を獲得するもチームは2位。最終学年で再び9区を走り、早大の櫛部静二選手（現・城西大監督）の猛追をかわす後半の走りであった。</p><p>彼とは……その年、チームキャプテンを務めた黒木純。現在は三菱重工マラソン部総監督、日本陸連男子マラソン強化コーチである。</p><p>あの頃の箱根駅伝は、監督・指導者が乗車する各校1台の運営管理者はなかった。ワゴン車に5チームの監督が同乗。まさに呉越同舟形式でレースの行方を見守っていた。</p><p>当然定点での声掛けなどはできず、ペースや通過タイム・前後のタイム差などは伝えようがない。コース沿道に配置されたチームメイトからの情報で前後のタイム差を知るくらいで、ペースやレース展開は自己判断にゆだねられる厳しさもあった。</p><p>当時は「常時、声掛けをする中で箱根駅伝を走らせるような指導では将来のマラソン選手は育成できない」との声が上がる時代背景。そこに交通規制が絡み合うといった事情があった。<br />※1991年第67回～2002年第78回まで合同乗者形式。2003年より現在の各校1台の運営管理車が大会の運営車両として車両隊列に組み込まれた。</p><p>4年生として、そしてチームキャプテンとして迎えた最後の箱根駅伝。遠い直線の先にはアンカーの選手が待ち受ける「余力を残して終わりたくない」との思いは中継点手前で脳裏をよぎった言葉ではないと確信している。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/03/ff7203ac8d50a036f6d82285532bd738.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">第70回箱根駅伝で9区を走る山梨学大・黒木純</span></p></div><p>駅伝やマラソンは、その時のその感情だけで身体を動かし続けることができるほど甘くはないことを知っているからだ。ただ、彼が入学してからの4年間の軌跡をたどれば、その言葉が心に響き、納得したことを思い起こすことができる。</p><p>1990年4月、宮崎県高鍋高校から箱根駅伝への大志を抱き一般入試で入学してきた黒木君は、私と同様に小柄な選手であった。5000mの自己ベストが15分16秒。主だった実績など何もない選手であった。</p><p>私は黒木君にこのように問いかけたことを思い出した。</p><p>「箱根駅伝でチームの代表として活躍しようとする円の大きさは、君の持つ現在のコンパスで描ける円と比べると到底描き切れない大きさのであると思う。それでも覚悟を決めて、向かうべき円の大きさを獲得する努力をいとわなければ可能性はある。君にはその現状と覚悟はできていますか？」</p><p>その時、彼は「自分のコンパスを努力で大きくして見せます」と即答してくれた。</p><p>誰もが今の自分というコンパスで最大限の円を描くことができる。しかし、現状に甘んじたり向上心が薄れると、そのコンパスは短くなったり錆びついて開かなくなってしまうものだ。</p><p>逆に、自分で描いた円が自分の“限界”だと思わず、自分が引いた“限定”ラインだとの認識で、その円の先に行こうとすれば自分のコンパスは大きく成長するものだ。そのようなスピリッツがスポーツの世界では必要である。</p><p>その発言通り、彼は「一升の枡に二升を入れることはできないからあまり無理をしないように」とのアドバイスをしたくなるほどに走りこむ選手であった。</p><p>それでも、2年生まではチーム代表のユニフォームを着ることはなかった（2年の好調時に自転車の事故で代表選考を逃している）。</p><p>満を持して3年で初出場した箱根駅伝。チームは準優勝と、早大の後塵を浴びるも、個人では9区で区間賞を獲得。翌年の最終学年でのレース後の言葉通り、4年間の積み重ねのすべてを残さず出し切る走りでゴールに飛び込むほどの熱いラストスパートができたのだと思う。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第54回「学生スタッフにエールを～大月駅伝の思い出から～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/162953</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Feb 2025 17:55:39 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 27 Feb 2025 11:34:52 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 27 Feb 2025 11:34:52 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第54回「学生スタッフにエールを～大月駅伝の思い出から～」</h2>
<p>寒波が日本列島を包み込むように覆い、各地で豪雪の被害に見舞われた今月であった。幸い甲府は積雪もなく過ぎていったが、盆地特有の朝夕の冷え込みは厳しかった。</p>
<p>その寒さを吹き飛ばすように、別府大分毎日マラソン、香川丸亀国際ハーフマラソンと好レース、好記録に沸くなか、ハーフの世界記録樹立のニュースが飛び込んできた。</p>
<p>5kmを13分38秒、5kmから10kmは13分12秒、15kmまでの5kmは13分17秒、そこからの5kmは13分32秒、最後は3分03秒のラップを刻んだ。10kmごとでは26分50秒、26分49秒。キーボードに打ち込む手が震えるほど、脅威のスピード感が五感を駆け巡った。</p>
<p>「五感を駆け巡る」といった大げさな言葉を使ったが、人間の五感と記憶は密接に連携しているようだ。香りや味、曲や情景などを聴いたり、見たり、味わったりすると、自分が体験したエピソードや記憶が蘇ることがあると言われている。</p>
<p>そのような体験を誰しもが何度かは経験しているはずだ。心理学的に、若い頃に聴いていた親しみのある曲は、自分の経験した「自伝的記憶」として紐づいているそうだ。</p>
<p>1959年、昭和（34年）生まれの私なので、10代の1970年代に聴いていたのは、井上陽水や荒井由実（松任谷由実）、中島みゆきだった。80年に差し掛かる頃からはサザンオールスターズ、山下達郎と続き、今でもたびたび聴いている。米国のロックバンド・イーグルスの『ホテルカリフォルニア』のイントロが流れてくると、作業を中断して今でも聞き入ってしまうほどである。</p>
<p>そんなわけでいろいろと懐かしい曲を選曲して聞き入ってしまう。ゆえに筆がなかなか進まないのだが、ふと90年～95年頃の記憶が蘇った。山梨県で1月に開催される大月市駅伝に各大学の主務（チーフマネージャー）が連合チームで出場した時の思い出である。</p>
<p>大学の主務の存在は大きく、その年のチームカラーを変える影響力があるほどである。チーム運営はもとより、選手の悩みや対外的な渉外活動までその仕事は多岐にわたる。監督の右腕というよりも監督をも動かすくらいの勢いと力量を持つくらいでないと務まらない。思い起こせば、チームを思う気持ちは箱根駅伝でチームのタスキを肩にかけて走る選手を凌駕するほどであった。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/02/FN2_0030.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">各大学の主務たちのサポートによって、選手たちは競技に集中できている</span></p></div>
<p>各チームの主務同士も、レースではライバルであっても大会や会議などで顔を合わせるので、それなりに交流があって親交を深めている。</p>
<p>あるとき、選手のやる気に火をつけるために「マネージャーはどんなに君たちやチームのために尽くしても代表のユニフォームやタスキを身に着けることはないんだぞ！」と語ったたことがある。そんな言葉を発しながら、公式戦もしくは箱根駅伝用のランニングシャツとランニングパンツと、そしてタスキを肩に走らせてあげることはできないものかと思っていた。</p>
<p>そこで思いついたのが1月中旬に山梨県大月市で開催されている駅伝で、各大学の主務の連合チームで参加できないかということであった。駅伝のルールでは同一チームのユニフォームは統一しなければならないとあるのだが、大会事務局に参加の趣旨を説明したところ、「各大学の箱根駅伝用ユニフォームでタスキをつないでくれても良いですよ」と快諾していただいた。</p>
<p>前日に甲府市内の小さな温泉宿に集って親睦会を開き、皆と楽しく語り合ったことが思い出される。翌日のレースはその年の箱根駅伝で、チームが使用したランニングとランパンに身を包んで出場。疾走とはいかないよたよたペースで、走り込んでいない身体は悲鳴を上げながらも楽しんで走ってくれた。</p>
<p>マネージャーとして入学してくる者はまれ。入学時は選手であったが、故障や適性などで途中からマネージャー業をこなしてきたものがほとんどである。それぞれさまざまな事情と葛藤を抱えながら、チームのために尽くしてきた。そんな主務たちが卒業前に他大学の主務たちとタスキをつなぐ経験は貴重であった。そして、主務として経験したことをその後の人生につないでほしいと願ってもいた。当時走った主務に連絡してみた。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第54回「学生スタッフにエールを～大月駅伝の思い出から～」</h2><p>寒波が日本列島を包み込むように覆い、各地で豪雪の被害に見舞われた今月であった。幸い甲府は積雪もなく過ぎていったが、盆地特有の朝夕の冷え込みは厳しかった。</p><p>その寒さを吹き飛ばすように、別府大分毎日マラソン、香川丸亀国際ハーフマラソンと好レース、好記録に沸くなか、ハーフの世界記録樹立のニュースが飛び込んできた。</p><p>5kmを13分38秒、5kmから10kmは13分12秒、15kmまでの5kmは13分17秒、そこからの5kmは13分32秒、最後は3分03秒のラップを刻んだ。10kmごとでは26分50秒、26分49秒。キーボードに打ち込む手が震えるほど、脅威のスピード感が五感を駆け巡った。</p><p>「五感を駆け巡る」といった大げさな言葉を使ったが、人間の五感と記憶は密接に連携しているようだ。香りや味、曲や情景などを聴いたり、見たり、味わったりすると、自分が体験したエピソードや記憶が蘇ることがあると言われている。</p><p>そのような体験を誰しもが何度かは経験しているはずだ。心理学的に、若い頃に聴いていた親しみのある曲は、自分の経験した「自伝的記憶」として紐づいているそうだ。</p><p>1959年、昭和（34年）生まれの私なので、10代の1970年代に聴いていたのは、井上陽水や荒井由実（松任谷由実）、中島みゆきだった。80年に差し掛かる頃からはサザンオールスターズ、山下達郎と続き、今でもたびたび聴いている。米国のロックバンド・イーグルスの『ホテルカリフォルニア』のイントロが流れてくると、作業を中断して今でも聞き入ってしまうほどである。</p><p>そんなわけでいろいろと懐かしい曲を選曲して聞き入ってしまう。ゆえに筆がなかなか進まないのだが、ふと90年～95年頃の記憶が蘇った。山梨県で1月に開催される大月市駅伝に各大学の主務（チーフマネージャー）が連合チームで出場した時の思い出である。</p><p>大学の主務の存在は大きく、その年のチームカラーを変える影響力があるほどである。チーム運営はもとより、選手の悩みや対外的な渉外活動までその仕事は多岐にわたる。監督の右腕というよりも監督をも動かすくらいの勢いと力量を持つくらいでないと務まらない。思い起こせば、チームを思う気持ちは箱根駅伝でチームのタスキを肩にかけて走る選手を凌駕するほどであった。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/02/FN2_0030.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">各大学の主務たちのサポートによって、選手たちは競技に集中できている</span></p></div><p>各チームの主務同士も、レースではライバルであっても大会や会議などで顔を合わせるので、それなりに交流があって親交を深めている。</p><p>あるとき、選手のやる気に火をつけるために「マネージャーはどんなに君たちやチームのために尽くしても代表のユニフォームやタスキを身に着けることはないんだぞ！」と語ったたことがある。そんな言葉を発しながら、公式戦もしくは箱根駅伝用のランニングシャツとランニングパンツと、そしてタスキを肩に走らせてあげることはできないものかと思っていた。</p><p>そこで思いついたのが1月中旬に山梨県大月市で開催されている駅伝で、各大学の主務の連合チームで参加できないかということであった。駅伝のルールでは同一チームのユニフォームは統一しなければならないとあるのだが、大会事務局に参加の趣旨を説明したところ、「各大学の箱根駅伝用ユニフォームでタスキをつないでくれても良いですよ」と快諾していただいた。</p><p>前日に甲府市内の小さな温泉宿に集って親睦会を開き、皆と楽しく語り合ったことが思い出される。翌日のレースはその年の箱根駅伝で、チームが使用したランニングとランパンに身を包んで出場。疾走とはいかないよたよたペースで、走り込んでいない身体は悲鳴を上げながらも楽しんで走ってくれた。</p><p>マネージャーとして入学してくる者はまれ。入学時は選手であったが、故障や適性などで途中からマネージャー業をこなしてきたものがほとんどである。それぞれさまざまな事情と葛藤を抱えながら、チームのために尽くしてきた。そんな主務たちが卒業前に他大学の主務たちとタスキをつなぐ経験は貴重であった。そして、主務として経験したことをその後の人生につないでほしいと願ってもいた。当時走った主務に連絡してみた。</p>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第53回「39回目の生中継とエンドロールから」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/160704</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Jan 2025 17:55:12 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[日本テレビ]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 31 Jan 2025 17:10:25 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Fri, 31 Jan 2025 17:10:25 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第53回「39回目の生中継とエンドロールから」</h2>
<p>箱根駅伝は1920年（大正9年）から開催され、その5年後に日本初のラジオ放送が開始されている。</p>
<p>箱根駅伝のラジオ中継がNHKによって開始されたのは、戦後の53年（第29回大会）からであった。79年（第55回大会）からはテレビ東京で録画ダイジェスト、さらに87年（第63回大会）には日本テレビが生中継に挑んだ。</p>
<p>今年の第101回大会で、すでに39回目の中継を継承してきたことになる。中継では北は北海道、南は鹿児島までの各系列局から放送技術の専門職が集められ、現在では総勢1000人のチームで中継が行われている。</p>
<p>あらゆるスポーツ中継では、そのスポーツの魅力と臨場感を視聴者に伝えようと、工夫と努力が積み重ねられている。特に生中継の醍醐味は、レースやゲーム展開をそのまま視聴者に届けることにある。</p>
<p>科学技術の進歩により中継技術は相応の進歩を遂げている。と言っても、箱根駅伝の中継は競技場や体育館など固定されたエリアではない。そして、マラソンのように広域とは言え、限定された規制区間で行われる競技会でもない。</p>
<p>箱根駅伝は100kmを超える5区間を移動しつつ、中継しなければならない。特に電波が届きにくい箱根山中からの中継は、いかに技術の進歩をもってしても困難を極めたという。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/01/KAU_5312.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">第101回箱根駅伝の日本テレビの中継車</span></p></div>
<p>「どのような悪天候であろうとも選手の力走を伝えなければならない」というスポーツ生中継の命題を完璧に実行しなければならない。そのために初中継に挑んだ当時、箱根山中での電波中継担当は年末から箱根山中に籠り、準備万端に整えていたそうだ。</p>
<p>首都圏から箱根の山岳地帯を含む広域移動型スポーツ中継の難易度は、想像以上に過酷であり、困難を極める。昭和の後半に箱根駅伝で初の生中継に挑もうとしても、社内外の識者からの「無理だ、無謀だ」との反応に苦慮したそうだ。（＊1）</p>
<p>それを乗り越え、切り開いたのは当時の日本テレビプロヂューサー・坂田信久氏である。坂田氏から初生中継当時とこれまで、そして、これからを語っていただいた。</p>
<p>「もとより無理で無謀で不可能と言われることは十分理解していた。しかし、これまで培ってきた中継ノウハウや技術スタッフと工夫を凝らせば何とか壁を突破できるのではないかという確信を抱いていた。なぜならば、それは不可能だ、無謀だといわれても『挑戦してみましょうよ』という製作スタッフのパイオニア精神や「やれるかもしれませんね」と未開拓の中継方法に果敢に取り組んでくれた技術スタッフがいてくれたからだ。特に総合ディレクターに抜擢した盟友、田中晃氏（現WOWOW会長執行役員）の献身があったからこそ」</p>
<p>「スポーツの中継に関わるスタッフには『スポーツに対する愛情と真摯な姿勢を持ち続けること。何よりも自分たちが放送するスポーツが成長してゆくためにテレビがどのように表現すれば良いのかを常に考えることを怠ってはいけない』というフィロソフィー（哲学）をことあるごとに語ってきた」とお聞きした。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第53回「39回目の生中継とエンドロールから」</h2><p>箱根駅伝は1920年（大正9年）から開催され、その5年後に日本初のラジオ放送が開始されている。</p><p>箱根駅伝のラジオ中継がNHKによって開始されたのは、戦後の53年（第29回大会）からであった。79年（第55回大会）からはテレビ東京で録画ダイジェスト、さらに87年（第63回大会）には日本テレビが生中継に挑んだ。</p><p>今年の第101回大会で、すでに39回目の中継を継承してきたことになる。中継では北は北海道、南は鹿児島までの各系列局から放送技術の専門職が集められ、現在では総勢1000人のチームで中継が行われている。</p><p>あらゆるスポーツ中継では、そのスポーツの魅力と臨場感を視聴者に伝えようと、工夫と努力が積み重ねられている。特に生中継の醍醐味は、レースやゲーム展開をそのまま視聴者に届けることにある。</p><p>科学技術の進歩により中継技術は相応の進歩を遂げている。と言っても、箱根駅伝の中継は競技場や体育館など固定されたエリアではない。そして、マラソンのように広域とは言え、限定された規制区間で行われる競技会でもない。</p><p>箱根駅伝は100kmを超える5区間を移動しつつ、中継しなければならない。特に電波が届きにくい箱根山中からの中継は、いかに技術の進歩をもってしても困難を極めたという。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2025/01/KAU_5312.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">第101回箱根駅伝の日本テレビの中継車</span></p></div><p>「どのような悪天候であろうとも選手の力走を伝えなければならない」というスポーツ生中継の命題を完璧に実行しなければならない。そのために初中継に挑んだ当時、箱根山中での電波中継担当は年末から箱根山中に籠り、準備万端に整えていたそうだ。</p><p>首都圏から箱根の山岳地帯を含む広域移動型スポーツ中継の難易度は、想像以上に過酷であり、困難を極める。昭和の後半に箱根駅伝で初の生中継に挑もうとしても、社内外の識者からの「無理だ、無謀だ」との反応に苦慮したそうだ。（＊1）</p><p>それを乗り越え、切り開いたのは当時の日本テレビプロヂューサー・坂田信久氏である。坂田氏から初生中継当時とこれまで、そして、これからを語っていただいた。</p><p>「もとより無理で無謀で不可能と言われることは十分理解していた。しかし、これまで培ってきた中継ノウハウや技術スタッフと工夫を凝らせば何とか壁を突破できるのではないかという確信を抱いていた。なぜならば、それは不可能だ、無謀だといわれても『挑戦してみましょうよ』という製作スタッフのパイオニア精神や「やれるかもしれませんね」と未開拓の中継方法に果敢に取り組んでくれた技術スタッフがいてくれたからだ。特に総合ディレクターに抜擢した盟友、田中晃氏（現WOWOW会長執行役員）の献身があったからこそ」</p><p>「スポーツの中継に関わるスタッフには『スポーツに対する愛情と真摯な姿勢を持ち続けること。何よりも自分たちが放送するスポーツが成長してゆくためにテレビがどのように表現すれば良いのかを常に考えることを怠ってはいけない』というフィロソフィー（哲学）をことあるごとに語ってきた」とお聞きした。</p>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第52回「師走の空に輝く星たち～故・横溝三郎氏との会話から～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/157261</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Dec 2024 17:55:38 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[横溝三郎]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 30 Dec 2024 17:14:11 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 30 Dec 2024 17:14:11 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第52回「師走の空に輝く星たち～故・横溝三郎氏との会話から～」</h2>
<p>冬至を過ぎると、殊更に寒さが身に染みてくる。それでも、これを境に陽が長くなってくるという思いが少し心を軽くしてくれる。クリスマスの定番ソングがラジオから流れてくるかと思いきや、一気に年の瀬が見える頃となった。</p>
<p>箱根駅伝の100回記念大会がついこの前であったような錯覚を覚えるほど、この1年は迅速に過ぎていった。</p>
<p>いよいよ101回大会である。箱根駅伝のレース予想や各チームのコメントなどは専門誌や特集号をはじめ、各種メディアが事細かに報道している。スタートを待たずして、箱根駅伝の大きな波のうねりに飲み込まれてゆきそうでもある。</p>
<p>辰年の背を越え、巳年を迎えるためにもしばし立ち止まって、この1年を振り返りたい。誰もが悲喜こもごものできごとに一喜一憂してきたことと思う。</p>
<p>そのような中で、年末の紙面には毎年“追悼”と書かれた記事が掲載される。2024年は能登半島地震から始まり、多くの犠牲者や被災者を出す甚大な被害をもたらした。そのような状況下にあって、箱根駅伝は100回大会を開催させていただいた。</p>
<p>新たな一歩を踏み出す大会を迎えるにあたり、犠牲になられた方々へ心からの哀悼と、被害に遭われた方々にとって箱根駅伝が少しでも心の励みになる大会であればと願っている。</p>
<p>そのうえで箱根駅伝に長らくかかわってきた身として、11月14日に84歳でお亡くなりになられた横溝三郎氏を追悼したい。訃報の知らせは、冬枯れの枝を夕暮れ時に見上げるようで寂しさを感じた。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/Z9A_7419.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">24年11月に84歳で亡くなった横溝三郎氏。10月の箱根駅伝予選会では現地に駆けつけていた</span></p></div>
<p>横溝氏は1939年、横浜市生まれ。この年の第20回箱根駅伝は出場6回目の専大が初優勝した年でもある。幼少期は戦時下ということもあり、箱根駅伝は5回中止を余儀なくされている（戦時下の1941年、42年、44年、45年、終戦後の46年）。</p>
<p>7歳の時に23回大会か開催されその後は連続開催されてきた。中学1年時の53年の28回大会からNHKラジオで移動型スポーツイベントの中継がされるようになっている。</p>
<p>横浜高時代の56年、57年にインターハイで5000ｍ2連覇、57年は1500ｍとの2冠を達成。その秋には高校生で当時初となる14分台達成（14分47秒6）などの実績と、スーパー高校生としての期待を背負い、中大に入学している。</p>
<p>筆者の私が生まれた59年の35回大会からは4年連続で箱根を走り、在学中に4連覇を達成。その後の優勝を合わせ中大は不滅の箱根駅伝6連勝を飾っている。</p>
<p>トラックでは5000ｍと3000m障害で日本記録を樹立。実業団で競技を続け、64年の東京五輪に3000ｍ障害で出場を果たしている。</p>
<p>私との出会いは横溝氏がNHKの第1中継車で解説をされた82年～87年（58回～63回）の中で、当時香川で中学教員だった頃の58回、59回大会、山梨学大の監督1年目だった86年の62回大会でゲスト解説として第2中継車に搭乗させていただいた時である。</p>
<p>箱根駅伝のレジェンド的存在であり、五輪選手、元日本記録保持者でもあった横溝氏と解説をご一緒させていただけることは光栄であった。そのような方が、箱根駅伝をどのような視点で俯瞰し、戦況や選手の状態、心情をどのように表現するのか。自分の解説を忘れるほど、聞き入っていたことを思い出す。</p>
<p>その後、87年の日本テレビの完全生中継が始まる年に山梨学大も創部2年目で初出場。以後88年（64回）から2006年（82回）までは日本テレビの中継をとおして、解説者としてレースを見守っていただき、適切な解説を多くしていただいた。</p>
<p>私以上に関わりが深く、親交があった方がおられる。横溝氏と同じ学年で、東農大で箱根駅伝を4回走った秋山勉氏だ。秋山氏は山梨県甲府市在住であり、私が香川から山梨に来るきっかけを作っていただいた方である。さらに山梨学大創部時から顧問として私たちを支えていただいてきた。</p>
<p>お互いが戦中・戦後の激動の時代を生き、戦後復興の時代に箱根路を駆けた者同士ということで親交があり、たびたび秋山宅を訪れていた。そのような縁もあり、親しく話す機会をたびたび得ることができた。</p>
<p>箱根駅伝の時代背景やその時代のご苦労、そして指導者として選手とどう向き合ってゆくのかなど、興味深い話のキャッチボールだった。まさに箱根駅伝中継時に放映される今昔物語をリアルタイムに聞けるかのような楽しさがあった。</p>
<p>大正時代に始まった箱根駅伝は100回を超える開催ともなると、開催当時の時代を昔話として当事者からお話を聞くことはほぼ不可能と思える。戦中戦後を生き、その後の時代を駆け抜けた方も今は80歳～90歳となっている。</p>
<p>私が1985年～2019年まで34年間駅伝監督として指導してこられたのも、今年の3月までの10年間、関東学生陸上競技連盟で駅伝対策委員長として箱根駅伝などに携わらせていただいたことも、過去を知る機会に恵まれたからこそではないかと我が身を振り返った。</p>
<p>このような思いを横溝氏の生前に、直接語ることができなかったことが悔やまれる。</p>
<p>横溝氏とこのような会話をしたことを思い出した。</p>
<p>「上田さん、夜空の星を英語でなんて言うの？」と聞かれたので、「スターです」と返答すると、横溝氏は「どの星がスターなの？」となぞかけのように聞き返してきた。</p>
<p>この話の流れは箱根駅伝を走るすべての学生ランナーたちや、走ることがかなわなかった部員たちにとっての箱根駅伝とはどういうものか――と、秋山氏を交えて談義した時であった。話の真意は　“夜空に瞬く星たちは箱根駅伝を目指すすべてのランナーであり、箱根駅伝にかかわったすべての人たちなんだよ”という意味で私は受け止めた。</p>
<p>そのような思いで箱根路を駆け抜け、世界と勝負し、箱根駅伝を慈しむ解説に終始した足跡に敬意を表しつつ、新年を迎える師走の空に輝く星に向かい手を合わせたい。合掌。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/FN1_0968.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">第100回箱根駅伝でスタートの構えをする1区の選手たち</span></p></div>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
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<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第52回「師走の空に輝く星たち～故・横溝三郎氏との会話から～」</h2><p>冬至を過ぎると、殊更に寒さが身に染みてくる。それでも、これを境に陽が長くなってくるという思いが少し心を軽くしてくれる。クリスマスの定番ソングがラジオから流れてくるかと思いきや、一気に年の瀬が見える頃となった。</p><p>箱根駅伝の100回記念大会がついこの前であったような錯覚を覚えるほど、この1年は迅速に過ぎていった。</p><p>いよいよ101回大会である。箱根駅伝のレース予想や各チームのコメントなどは専門誌や特集号をはじめ、各種メディアが事細かに報道している。スタートを待たずして、箱根駅伝の大きな波のうねりに飲み込まれてゆきそうでもある。</p><p>辰年の背を越え、巳年を迎えるためにもしばし立ち止まって、この1年を振り返りたい。誰もが悲喜こもごものできごとに一喜一憂してきたことと思う。</p><p>そのような中で、年末の紙面には毎年“追悼”と書かれた記事が掲載される。2024年は能登半島地震から始まり、多くの犠牲者や被災者を出す甚大な被害をもたらした。そのような状況下にあって、箱根駅伝は100回大会を開催させていただいた。</p><p>新たな一歩を踏み出す大会を迎えるにあたり、犠牲になられた方々へ心からの哀悼と、被害に遭われた方々にとって箱根駅伝が少しでも心の励みになる大会であればと願っている。</p><p>そのうえで箱根駅伝に長らくかかわってきた身として、11月14日に84歳でお亡くなりになられた横溝三郎氏を追悼したい。訃報の知らせは、冬枯れの枝を夕暮れ時に見上げるようで寂しさを感じた。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/Z9A_7419.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">24年11月に84歳で亡くなった横溝三郎氏。10月の箱根駅伝予選会では現地に駆けつけていた</span></p></div><p>横溝氏は1939年、横浜市生まれ。この年の第20回箱根駅伝は出場6回目の専大が初優勝した年でもある。幼少期は戦時下ということもあり、箱根駅伝は5回中止を余儀なくされている（戦時下の1941年、42年、44年、45年、終戦後の46年）。</p><p>7歳の時に23回大会か開催されその後は連続開催されてきた。中学1年時の53年の28回大会からNHKラジオで移動型スポーツイベントの中継がされるようになっている。</p><p>横浜高時代の56年、57年にインターハイで5000ｍ2連覇、57年は1500ｍとの2冠を達成。その秋には高校生で当時初となる14分台達成（14分47秒6）などの実績と、スーパー高校生としての期待を背負い、中大に入学している。</p><p>筆者の私が生まれた59年の35回大会からは4年連続で箱根を走り、在学中に4連覇を達成。その後の優勝を合わせ中大は不滅の箱根駅伝6連勝を飾っている。</p><p>トラックでは5000ｍと3000m障害で日本記録を樹立。実業団で競技を続け、64年の東京五輪に3000ｍ障害で出場を果たしている。</p><p>私との出会いは横溝氏がNHKの第1中継車で解説をされた82年～87年（58回～63回）の中で、当時香川で中学教員だった頃の58回、59回大会、山梨学大の監督1年目だった86年の62回大会でゲスト解説として第2中継車に搭乗させていただいた時である。</p><p>箱根駅伝のレジェンド的存在であり、五輪選手、元日本記録保持者でもあった横溝氏と解説をご一緒させていただけることは光栄であった。そのような方が、箱根駅伝をどのような視点で俯瞰し、戦況や選手の状態、心情をどのように表現するのか。自分の解説を忘れるほど、聞き入っていたことを思い出す。</p><p>その後、87年の日本テレビの完全生中継が始まる年に山梨学大も創部2年目で初出場。以後88年（64回）から2006年（82回）までは日本テレビの中継をとおして、解説者としてレースを見守っていただき、適切な解説を多くしていただいた。</p><p>私以上に関わりが深く、親交があった方がおられる。横溝氏と同じ学年で、東農大で箱根駅伝を4回走った秋山勉氏だ。秋山氏は山梨県甲府市在住であり、私が香川から山梨に来るきっかけを作っていただいた方である。さらに山梨学大創部時から顧問として私たちを支えていただいてきた。</p><p>お互いが戦中・戦後の激動の時代を生き、戦後復興の時代に箱根路を駆けた者同士ということで親交があり、たびたび秋山宅を訪れていた。そのような縁もあり、親しく話す機会をたびたび得ることができた。</p><p>箱根駅伝の時代背景やその時代のご苦労、そして指導者として選手とどう向き合ってゆくのかなど、興味深い話のキャッチボールだった。まさに箱根駅伝中継時に放映される今昔物語をリアルタイムに聞けるかのような楽しさがあった。</p><p>大正時代に始まった箱根駅伝は100回を超える開催ともなると、開催当時の時代を昔話として当事者からお話を聞くことはほぼ不可能と思える。戦中戦後を生き、その後の時代を駆け抜けた方も今は80歳～90歳となっている。</p><p>私が1985年～2019年まで34年間駅伝監督として指導してこられたのも、今年の3月までの10年間、関東学生陸上競技連盟で駅伝対策委員長として箱根駅伝などに携わらせていただいたことも、過去を知る機会に恵まれたからこそではないかと我が身を振り返った。</p><p>このような思いを横溝氏の生前に、直接語ることができなかったことが悔やまれる。</p><p>横溝氏とこのような会話をしたことを思い出した。</p><p>「上田さん、夜空の星を英語でなんて言うの？」と聞かれたので、「スターです」と返答すると、横溝氏は「どの星がスターなの？」となぞかけのように聞き返してきた。</p><p>この話の流れは箱根駅伝を走るすべての学生ランナーたちや、走ることがかなわなかった部員たちにとっての箱根駅伝とはどういうものか――と、秋山氏を交えて談義した時であった。話の真意は　“夜空に瞬く星たちは箱根駅伝を目指すすべてのランナーであり、箱根駅伝にかかわったすべての人たちなんだよ”という意味で私は受け止めた。</p><p>そのような思いで箱根路を駆け抜け、世界と勝負し、箱根駅伝を慈しむ解説に終始した足跡に敬意を表しつつ、新年を迎える師走の空に輝く星に向かい手を合わせたい。合掌。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/FN1_0968.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">第100回箱根駅伝でスタートの構えをする1区の選手たち</span></p></div><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第51回「切磋琢磨の日々を出し切って」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/154622</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Dec 2024 18:00:27 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Sun, 01 Dec 2024 18:04:09 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sun, 01 Dec 2024 18:04:09 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第51回「切磋琢磨の日々を出し切って」</h2>
<p>今年は短い秋だった。富士山の初冠雪は平年だと10月2日ごろに観測されるのだが、今年は観測史上最も遅い11月7日であった。</p>
<p>農作業はまったくの素人の私も、縁あって小さな畑の一角を借り、いくつか食用野菜を栽培してみようと挑戦している。家庭菜園を楽しんでおられる方や農業に従事されている方に笑われるかもしれないが、昨年のこの時期に苗植えをしたタマネギがどうにも大きく育たなかった。</p>
<p>今年も苗植えの季節がやってきたので、大きく育つようにと苗の間隔を少し離し気味に植え付けようと作業を始めた。そこを通りがかったご老人と、世間話になった。</p>
<p>「今年の残暑は年寄りにはなかなかこたえっちもーたけんど、その分秋がちっとばかしになっちまったじゃんね！」。そう甲州弁で話しつつ、苗植えを一瞥すると「ほんなに苗の間隔を空けっちもーとタマネギの玉はデカくならんずらに」と助言をいただいた。</p>
<p>（「今年の残暑は年寄りの身体にはなかなかきついものがあったけれど、その分秋のシーズンがとても短くなってしまったね」「そんなに間隔を開けてしまうとタマネギは大きく育たないよ」）</p>
<p>私は、勝手な思い込みで苗の間隔をしっかり開けて、苗に養分がしっかり吸収できる快適な環境を提供したつもりであった。</p>
<p>そのように話すと、「それだと苗は甘えてちっとも大きくならんよ。間隔が狭いくらいがお互いに競争してタマネギはどんどん大きくなるから」とご老人に教えていただいた。</p>
<p>切磋琢磨とはこのような環境においてなされることであり、真の能力開発には欠かせないことだろうと思いが及んだ。さりげない一言であったが、コーチングの真髄を言い表した言葉ではないだろうか。</p>
<p>脳裏に浮かんだのは、ハリウッド映画の空手キッド（ベストキッド：日本では１９８５年公開）の師匠が弟子に空手を伝授するシーン。苗植えを伝授してくれたご老人が、まるでこの映画の師匠とオーバーラップしてしまった。</p>
<p>「花鳥風月・春夏秋冬、吹く風や野に咲く花からも教えを乞うことができる！」とは語っている。しかしながら、まだまだ知らぬことや気づかないことがいかに多いかと、反省至極である。それだけにコーチングの現場に立つ身として、素直にその言葉が心に染みこんだ。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/OIS_0321.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">24年全日本大学駅伝1区を走る選手たち</span></p></div>
<p>中国最古の詩集『詩経』に「切磋琢磨」は書かれており、“切するように、磋するように、琢するように、磨するように”と自己研鑽に励むことを言い表している。</p>
<p>「切」の意味は獣の骨や象牙などを切ること。「磋」の意味は獣の骨や象牙などを研くこと。「琢」の意味は玉や岩石を打ち砕き、削って形を整えること。「磨」の意味は玉や岩石を磨くことを表している。</p>
<p>「切磋」で学問に励み努力を重ね徳義を磨くこと、「琢磨」で学問や技芸を磨き上げることを意味している。</p>
<p>これら４つの漢字「切磋琢磨」からは、個人として単独でも学問や徳義に励む事を意味し、仲間やライバルとの関係性の中にあっては、励まし合いしのぎを削るように競い合い向上してゆく事を表している。</p>
<p>切磋琢磨の日々は苦しみを伴う。その努力のやり方を表した言葉を大切にし、私が山梨学院大学の監督に就任した1985年から毎年手帳の裏表紙に書き込んでいる（三つ目の言葉は<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/OIS_0321.jpg">vol38</a>に掲載）。</p>
<p>そのうちの一つが「何にも咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」である。</p>
<p>この言葉は京都・大徳寺の僧侶尾関宗園氏の著書に記されており、確か高校時代に読んでメモをしたことを記憶している。監督として選手たちにどのような努力をすべきかを解く時に、しばしばこの言葉を引用させてもらった。</p>
<p>何も咲かないような寒い時期こそ、しっかりと根を張る努力をしなければならない。たとえ砂地であろうと岩盤に行く手を遮られようとそこを突き抜け、時には遠回りでも地道に包み込んで根を張る努力を怠ってはいけない。</p>
<p>地表からはその姿は見えないかもしれないが、やがてくる春を待って大輪の花を咲かせたいのであればそのような気持ちで取り組む事が必要だからと理解している。</p>
<p>この言葉をシドニーオリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子さんがレース直後のTV出演のとき、色紙に書いて披露していただいた。</p>
<p>高橋さんは「何故なら高校時代の恩師が山梨学院大学箱根駅伝初出場の時に６区の山下りをやった中沢正仁先生でした。中沢先生が大学時代に、ことあるごとにこの言葉を聞かされてきたそうです。中沢先生が教師となってからは、私がことあるごとにこの言葉を聞いてきたからです」と話していただいた。</p>
<p>切磋琢磨の努力で向上してゆく。その積み重ねこそが根を張る努力であると認識している。</p>
<p>師走に入れば年の瀬が迫り来る。辰年とあらば、年の瀬は龍の背に乗り勢い良く超えてゆきたいところである。</p>
<p>12月は全国中学駅伝（15日）、全国高校駅伝（22日）・全日本大学女子選抜駅伝（30日）。年が明けると、元旦には全日本実業団駅伝、そして箱根駅伝。</p>
<p>切磋琢磨の日々をともに鍛えぬき、励まし合った仲間との団結と信頼であるタスキを肩にかけ、チームの誇りを胸に選手たちが走る。雲を突き抜け雷鳴を物ともせず、各選手たちが龍の如く駆け抜ける大会に向けて胸が高鳴り、心が躍る。</p>
<p>ケガや故障、体調不良などにならず、万全の状態で全ての選手が切磋琢磨の日々を思い切り出し切るレースが体現できることを願っている。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第51回「切磋琢磨の日々を出し切って」</h2><p>今年は短い秋だった。富士山の初冠雪は平年だと10月2日ごろに観測されるのだが、今年は観測史上最も遅い11月7日であった。</p><p>農作業はまったくの素人の私も、縁あって小さな畑の一角を借り、いくつか食用野菜を栽培してみようと挑戦している。家庭菜園を楽しんでおられる方や農業に従事されている方に笑われるかもしれないが、昨年のこの時期に苗植えをしたタマネギがどうにも大きく育たなかった。</p><p>今年も苗植えの季節がやってきたので、大きく育つようにと苗の間隔を少し離し気味に植え付けようと作業を始めた。そこを通りがかったご老人と、世間話になった。</p><p>「今年の残暑は年寄りにはなかなかこたえっちもーたけんど、その分秋がちっとばかしになっちまったじゃんね！」。そう甲州弁で話しつつ、苗植えを一瞥すると「ほんなに苗の間隔を空けっちもーとタマネギの玉はデカくならんずらに」と助言をいただいた。</p><p>（「今年の残暑は年寄りの身体にはなかなかきついものがあったけれど、その分秋のシーズンがとても短くなってしまったね」「そんなに間隔を開けてしまうとタマネギは大きく育たないよ」）</p><p>私は、勝手な思い込みで苗の間隔をしっかり開けて、苗に養分がしっかり吸収できる快適な環境を提供したつもりであった。</p><p>そのように話すと、「それだと苗は甘えてちっとも大きくならんよ。間隔が狭いくらいがお互いに競争してタマネギはどんどん大きくなるから」とご老人に教えていただいた。</p><p>切磋琢磨とはこのような環境においてなされることであり、真の能力開発には欠かせないことだろうと思いが及んだ。さりげない一言であったが、コーチングの真髄を言い表した言葉ではないだろうか。</p><p>脳裏に浮かんだのは、ハリウッド映画の空手キッド（ベストキッド：日本では１９８５年公開）の師匠が弟子に空手を伝授するシーン。苗植えを伝授してくれたご老人が、まるでこの映画の師匠とオーバーラップしてしまった。</p><p>「花鳥風月・春夏秋冬、吹く風や野に咲く花からも教えを乞うことができる！」とは語っている。しかしながら、まだまだ知らぬことや気づかないことがいかに多いかと、反省至極である。それだけにコーチングの現場に立つ身として、素直にその言葉が心に染みこんだ。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/OIS_0321.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">24年全日本大学駅伝1区を走る選手たち</span></p></div><p>中国最古の詩集『詩経』に「切磋琢磨」は書かれており、“切するように、磋するように、琢するように、磨するように”と自己研鑽に励むことを言い表している。</p><p>「切」の意味は獣の骨や象牙などを切ること。「磋」の意味は獣の骨や象牙などを研くこと。「琢」の意味は玉や岩石を打ち砕き、削って形を整えること。「磨」の意味は玉や岩石を磨くことを表している。</p><p>「切磋」で学問に励み努力を重ね徳義を磨くこと、「琢磨」で学問や技芸を磨き上げることを意味している。</p><p>これら４つの漢字「切磋琢磨」からは、個人として単独でも学問や徳義に励む事を意味し、仲間やライバルとの関係性の中にあっては、励まし合いしのぎを削るように競い合い向上してゆく事を表している。</p><p>切磋琢磨の日々は苦しみを伴う。その努力のやり方を表した言葉を大切にし、私が山梨学院大学の監督に就任した1985年から毎年手帳の裏表紙に書き込んでいる（三つ目の言葉は<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/12/OIS_0321.jpg">vol38</a>に掲載）。</p><p>そのうちの一つが「何にも咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」である。</p><p>この言葉は京都・大徳寺の僧侶尾関宗園氏の著書に記されており、確か高校時代に読んでメモをしたことを記憶している。監督として選手たちにどのような努力をすべきかを解く時に、しばしばこの言葉を引用させてもらった。</p><p>何も咲かないような寒い時期こそ、しっかりと根を張る努力をしなければならない。たとえ砂地であろうと岩盤に行く手を遮られようとそこを突き抜け、時には遠回りでも地道に包み込んで根を張る努力を怠ってはいけない。</p><p>地表からはその姿は見えないかもしれないが、やがてくる春を待って大輪の花を咲かせたいのであればそのような気持ちで取り組む事が必要だからと理解している。</p><p>この言葉をシドニーオリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子さんがレース直後のTV出演のとき、色紙に書いて披露していただいた。</p><p>高橋さんは「何故なら高校時代の恩師が山梨学院大学箱根駅伝初出場の時に６区の山下りをやった中沢正仁先生でした。中沢先生が大学時代に、ことあるごとにこの言葉を聞かされてきたそうです。中沢先生が教師となってからは、私がことあるごとにこの言葉を聞いてきたからです」と話していただいた。</p><p>切磋琢磨の努力で向上してゆく。その積み重ねこそが根を張る努力であると認識している。</p><p>師走に入れば年の瀬が迫り来る。辰年とあらば、年の瀬は龍の背に乗り勢い良く超えてゆきたいところである。</p><p>12月は全国中学駅伝（15日）、全国高校駅伝（22日）・全日本大学女子選抜駅伝（30日）。年が明けると、元旦には全日本実業団駅伝、そして箱根駅伝。</p><p>切磋琢磨の日々をともに鍛えぬき、励まし合った仲間との団結と信頼であるタスキを肩にかけ、チームの誇りを胸に選手たちが走る。雲を突き抜け雷鳴を物ともせず、各選手たちが龍の如く駆け抜ける大会に向けて胸が高鳴り、心が躍る。</p><p>ケガや故障、体調不良などにならず、万全の状態で全ての選手が切磋琢磨の日々を思い切り出し切るレースが体現できることを願っている。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第50回「刹那の差を生んだ箱根駅伝予選会～それぞれのドラマを紡いで～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/150642</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 01 Nov 2024 17:57:26 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝予選会]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 01 Nov 2024 17:43:40 +0900</gnf:modified>
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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第50回「刹那の差を生んだ予選会～それぞれのドラマを紡いで～」</h2>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/10/FN1_0134.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">10月19日行われた第101回箱根駅伝予選会</span></p></div>
<p>一瞬の出来事を表す表現に“刹那”がある。由来は仏教における時間の最小単位だそうだ。</p>
<p>箱根駅伝予選会はハーフマラソンの距離を各校チーム最大12名が走り、トップ10名の記録を合計したもので順位づけられる。</p>
<p>ハーフマラソンは21.0975km×10＝210.975km。箱根駅伝の往復217.1kmに匹敵する距離である。</p>
<p>10位・順天堂大学　11時間01分12秒<br />
11位・東京農業大学11時間01分13秒</p>
<p>明暗を分けた1秒。1人0.1秒の差はまさに“刹那の差”と表現せざるを得ない。</p>
<p>過去11回の優勝経験のある順大が10位。エース・前田和摩（2年）が不在でも、あと1秒及ばなかった東農大。机上の起算や下馬評が的中しないほど高温多湿のレース環境は、選手の体力を蝕んだことは事実であろう。</p>
<p>東海大の10番目でフィニッシュするはずであった選手。フィニッシュまで残り10mだった。目前にして気力を振り絞り、本能的にもそこに到達しようと渾身の力を振り絞ろうとしたはずだ。</p>
<p>20kmの通過が1時間2分31秒で100位前後の通過。1時間6分を割るゴールタイムを関係者は予測したはずだ。しかし、熱中症による脱水症状はその気力をも闇に閉じ込めてしまった。</p>
<p>ゴール手前で棄権を余儀なくされてしまったその刹那、選手の無念と関係者の悲痛な思いが心象風景となって私の胸を締め付ける。</p>
<p>結果的にチーム10番目は396位で1時間12分29秒、11番目が401番目で1時間12分47秒。1時間10分以内で走破していれば10位通過となっていたことを思えば悔やまれる。</p>
<p>レースが終了すれば、言い訳などは語れない。「たら・れば」談義は外野がするものとはいえ、レースの詳細を分析せずにはいられない。</p>
<p>出場権を争った上位チームで途中棄権を余儀なくされたのは、東海大学以外に東京国際大、神奈川大、日体大、国士大。日大は12番目の選手も完走者リザルトの最終盤、1時間18分19秒の480位。歩くようにやっとの思いでゴールしている。</p>
<p>参加44チームのうち、途中棄権は6人。その中で上位を争う大学が5チームあったことは出場権を懸けてリスキーなペース配分を余儀なくされたのか。はたまた、プレッシャーからくる体調の異変が加味されたのかは知れぬと思いを巡らせた。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/10/FY1_0838.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">箱根駅伝予選会の結果発表ボード。10位順大と11位東農大の差はわずか1秒だった</span></p></div>
<p>箱根駅伝予選会の2週間後には、大学駅伝日本一決定戦ともいえる全日本大学駅伝が控えている。近年の高速化に対応しようと、スピードの適応性を高めて挑む必要がある。</p>
<p>トレーニング医科学の進歩とともにトレーニング方法もブラッシュアップが図られ、その結果、スピード化が各チームの平均タイムの向上として表れている。厚底シューズやカーボンプレート入りスパイクの登場が高速化にさらに拍車をかけていることに疑う余地はない。</p>
<p>しかしながら、最終的には鍛え抜かれた肉体と精神の戦いがすべてを凌駕すると信じている。その中で今回の箱根駅伝予選会を俯瞰すれば、東海大や中大などは全日本大学駅伝で覇を競い合うためにスピード対応を重視したのかもしれない。</p>
<p>今回のように過酷な気象条件にあってはベーシックにスタミナ重視の有酸素系トレーニングの厚みを優先し、慎重にレースを進めたチームに軍配が上がったと捉えている。</p>
<p>その筆頭が2年ぶりに本戦復帰を決めた専大であろう。レース展開以上に、チームという集団の熱量（箱根駅伝に対する思いの丈）が、培ってきた走力を存分に発揮させ総合2位で出場権をもぎ取っていったからだ。</p>
<p>箱根駅伝10区間の激走まで2か月半。山を含めたそれぞれの区間の役割と特性を踏まえた中で、タスキをかけての継走戦となる。今回の予選会のように、机上の計算と下馬評が的中しないほどに選手を翻弄する気象条件でないことを願いたい。</p>
<p>とはいえ、いかなる条件下であろうともリザルトを受け止める覚悟が必要であろう。なぜなら、スタートラインに立つまでは最善を尽くし万全を期す。そしてレースは死力を尽くし最良の結果を求めて挑んだ中での結果だからだ。</p>
<p>予選会参加44チームとシード10校を含む54大学以外の関東学連加盟校からも箱根駅伝の2日間の補助員が動員される。前回大会は64大学計1794人であった。</p>
<p>箱根駅伝当日は黄色のジャンパーに身を包み、沿道の走路補助員として走路及び沿道の観衆のみなさんの安全確保を担っている。（年末特別編<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/21270">「黄色きウェアーでランナーに背を向けて立つ君たちへ～」</a>）</p>
<p>タスキをかけた継走戦と先ほど書かせていただいた。箱根駅伝を走る幸せや喜びは、20チームの代表選手だけのためにあるのではない。関東学連加盟校の同じ学生たちが箱根駅伝に懸ける思いを共有していることを、少しだけタスキのどこかに込めて走っていただきたいと願う。</p>
<p>勝者を常に讃えることはいとわないが、箱根駅伝はスポットライトの当たらぬ中にもそれぞれのヒューマンドラマが数多く紡がれているからだ。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第50回「刹那の差を生んだ予選会～それぞれのドラマを紡いで～」</h2><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/10/FN1_0134.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">10月19日行われた第101回箱根駅伝予選会</span></p></div><p>一瞬の出来事を表す表現に“刹那”がある。由来は仏教における時間の最小単位だそうだ。</p><p>箱根駅伝予選会はハーフマラソンの距離を各校チーム最大12名が走り、トップ10名の記録を合計したもので順位づけられる。</p><p>ハーフマラソンは21.0975km×10＝210.975km。箱根駅伝の往復217.1kmに匹敵する距離である。</p><p>10位・順天堂大学　11時間01分12秒<br />11位・東京農業大学11時間01分13秒</p><p>明暗を分けた1秒。1人0.1秒の差はまさに“刹那の差”と表現せざるを得ない。</p><p>過去11回の優勝経験のある順大が10位。エース・前田和摩（2年）が不在でも、あと1秒及ばなかった東農大。机上の起算や下馬評が的中しないほど高温多湿のレース環境は、選手の体力を蝕んだことは事実であろう。</p><p>東海大の10番目でフィニッシュするはずであった選手。フィニッシュまで残り10mだった。目前にして気力を振り絞り、本能的にもそこに到達しようと渾身の力を振り絞ろうとしたはずだ。</p><p>20kmの通過が1時間2分31秒で100位前後の通過。1時間6分を割るゴールタイムを関係者は予測したはずだ。しかし、熱中症による脱水症状はその気力をも闇に閉じ込めてしまった。</p><p>ゴール手前で棄権を余儀なくされてしまったその刹那、選手の無念と関係者の悲痛な思いが心象風景となって私の胸を締め付ける。</p><p>結果的にチーム10番目は396位で1時間12分29秒、11番目が401番目で1時間12分47秒。1時間10分以内で走破していれば10位通過となっていたことを思えば悔やまれる。</p><p>レースが終了すれば、言い訳などは語れない。「たら・れば」談義は外野がするものとはいえ、レースの詳細を分析せずにはいられない。</p><p>出場権を争った上位チームで途中棄権を余儀なくされたのは、東海大学以外に東京国際大、神奈川大、日体大、国士大。日大は12番目の選手も完走者リザルトの最終盤、1時間18分19秒の480位。歩くようにやっとの思いでゴールしている。</p><p>参加44チームのうち、途中棄権は6人。その中で上位を争う大学が5チームあったことは出場権を懸けてリスキーなペース配分を余儀なくされたのか。はたまた、プレッシャーからくる体調の異変が加味されたのかは知れぬと思いを巡らせた。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/10/FY1_0838.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">箱根駅伝予選会の結果発表ボード。10位順大と11位東農大の差はわずか1秒だった</span></p></div><p>箱根駅伝予選会の2週間後には、大学駅伝日本一決定戦ともいえる全日本大学駅伝が控えている。近年の高速化に対応しようと、スピードの適応性を高めて挑む必要がある。</p><p>トレーニング医科学の進歩とともにトレーニング方法もブラッシュアップが図られ、その結果、スピード化が各チームの平均タイムの向上として表れている。厚底シューズやカーボンプレート入りスパイクの登場が高速化にさらに拍車をかけていることに疑う余地はない。</p><p>しかしながら、最終的には鍛え抜かれた肉体と精神の戦いがすべてを凌駕すると信じている。その中で今回の箱根駅伝予選会を俯瞰すれば、東海大や中大などは全日本大学駅伝で覇を競い合うためにスピード対応を重視したのかもしれない。</p><p>今回のように過酷な気象条件にあってはベーシックにスタミナ重視の有酸素系トレーニングの厚みを優先し、慎重にレースを進めたチームに軍配が上がったと捉えている。</p><p>その筆頭が2年ぶりに本戦復帰を決めた専大であろう。レース展開以上に、チームという集団の熱量（箱根駅伝に対する思いの丈）が、培ってきた走力を存分に発揮させ総合2位で出場権をもぎ取っていったからだ。</p><p>箱根駅伝10区間の激走まで2か月半。山を含めたそれぞれの区間の役割と特性を踏まえた中で、タスキをかけての継走戦となる。今回の予選会のように、机上の計算と下馬評が的中しないほどに選手を翻弄する気象条件でないことを願いたい。</p><p>とはいえ、いかなる条件下であろうともリザルトを受け止める覚悟が必要であろう。なぜなら、スタートラインに立つまでは最善を尽くし万全を期す。そしてレースは死力を尽くし最良の結果を求めて挑んだ中での結果だからだ。</p><p>予選会参加44チームとシード10校を含む54大学以外の関東学連加盟校からも箱根駅伝の2日間の補助員が動員される。前回大会は64大学計1794人であった。</p><p>箱根駅伝当日は黄色のジャンパーに身を包み、沿道の走路補助員として走路及び沿道の観衆のみなさんの安全確保を担っている。（年末特別編<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/21270">「黄色きウェアーでランナーに背を向けて立つ君たちへ～」</a>）</p><p>タスキをかけた継走戦と先ほど書かせていただいた。箱根駅伝を走る幸せや喜びは、20チームの代表選手だけのためにあるのではない。関東学連加盟校の同じ学生たちが箱根駅伝に懸ける思いを共有していることを、少しだけタスキのどこかに込めて走っていただきたいと願う。</p><p>勝者を常に讃えることはいとわないが、箱根駅伝はスポットライトの当たらぬ中にもそれぞれのヒューマンドラマが数多く紡がれているからだ。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第49回「教え子から学べる喜び～日本インカレ中距離を見て～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/147893</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Sep 2024 17:57:26 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[尾方剛]]></category>
		<category><![CDATA[日本インカレ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 30 Sep 2024 16:20:58 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 30 Sep 2024 16:20:58 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第49回「教え子から学べる喜び～日本インカレ中距離を見て～」</h2>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/09/31e6eb1a3c3636b4c013bd3426886be0.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">日本インカレで東秀太（左）、寺西満輝（右）と記念撮影する筆者</span></p></div>
<p>昨年より1週遅く開催された日本インカレ（天皇賜盃第93回日本学生陸上競技対校選手権大会）は、残暑も少し和らぎ“秋高気爽”の中開催されるとの期待があった。</p>
<p>しかし、9月半ばを過ぎても猛暑日が続くなか、真夏の大会と同等のコンディションと覚悟を決めて、甲府から神奈川県川崎市の等々力陸上競技場へと向かった。</p>
<p>大会初日は雷雨による競技の一時中断があり、2日目以降も強風や雨により高温多湿に追い打ちをかけるようなコンディションであった。</p>
<p>しかしながら、学生チャンピオンと対校戦“天皇賜杯”獲得を目指す学生競技者の熱き挑戦は随所に好勝負・好記録を展開した。</p>
<p>圧巻は男子400mハードル準決勝。立て続けにU20日本記録が更新され、来年9月に東京で開催される世界選手権の参加標準記録を突破者が出るなど会場を沸かせた。</p>
<p>男子4×100mリレーでは早大と東洋大が息詰まるような接戦。両校とも日本学生新記録でバトンをつないだ。早大に軍配が上がるも、大会最終種目の4×400mリレーでは東洋大のアンカーがバックストレートで早大を捉え、そのまま逃げ切って2連覇を達成した。</p>
<p>競技場の選手・役員、そしてスタンドの観客すべての視線が注がれるインカレ最終種目とあって、全力を振り絞る熱き走りが毎年心を揺さぶり、感動を与えてくれる。</p>
<p>そして、すべての競技を終えた後の競技場の余韻と静寂は、熱き夏を越えて鍛えてきた学生競技者たちに、しばしの安息を与えてくれる。このような高揚感を感じるのは私だけではないだろう。</p>
<p>来年岡山県で6月に開催予定の日本インカレを観戦にご来場される方がおられるなら、この一瞬まで味わっていただければと願っている。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/09/KH9_1521.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">24年日本インカレ男子800mを制した東秀太（左）と2位の寺西満輝</span></p></div>
<p>私は2019年からは駅伝監督を次世代の指導者に引き継ぎ、もっぱら中距離コーチとして指導している。800mでは2020年には瀬戸口大地が日本インカレ2位、日本選手権優勝。昨年の日本インカレは北村魁士が優勝した。今年は1500mでは北村と八鍬拓斗の2人が決勝に進み。北村が6位（八鍬は12位）。800mでは寺西満輝が2位、北村が4位であった。</p>
<p>中距離ランナー競技力育成方法は、「（有酸素能力＋無酸素能力）×ランニングエコノミー」と書けば簡単に競技力向上の理論展開が説明できそうだが、レース展開やポジショニングなど含めるとなかなか奥深くおもしろい。</p>
<p>800m、1500mの中距離のトレーニング変革とパフォーマンス向上は、必ず5000mのレベルアップに寄与できるはずだと信じている。そのスピードなくして世界は見えてこない。</p>
<p>ノルウェーのヤコブ・インゲブリグトセンがアフリカ勢を置き去りにし、猛烈なラストスパートに痺れる思いを抱くのも、スローペースからギアチェンジしたわけではないからだった。</p>
<p>その走りは指導者としての好奇心に火をつけるには十分すぎるインパクトであった。</p>
<p>30年以上もアフリカ・ケニアからの留学生を指導し、幾度となくケニアのトレーニングや競技会を目の当たりにしてきて、ケニアのトップ選手のすさまじい強さは肌で感じてきた。その彼らが後塵を拝する姿は驚愕に値した。「なぜ？」から「どうすれば？」と疑問がぐるぐる頭の中を駆け巡った。</p>
<p>同じように軸足を中距離の指導において、素晴らしい結果に導いているのが広島経大監督の尾方剛氏である。山梨学大時代は箱根駅伝で、大会新記録を樹立した第70回大会（1994年）のアンカーを走り区間賞。その後は故障やストレスから全身の脱毛症になるなど苦しい時期を耐え、卒業後は中国電力陸上部に在籍した。</p>
<p>少しずつ走りのリズムと自信を取り戻し、世界選手権のマラソン代表として2003年パリ、05年ヘルシンキ、07年大阪大会に出場。ヘルシンキ大会では銅メダルを獲得している。04年の福岡国際優勝、08年北京五輪では13位と第一線で活躍してきた。</p>
<p>現役引退後は指導者としての道を歩むため、広島大大学院生涯活動教育学を専攻。健康スポーツ教育学を専修し、現在は広島経大スポーツ経営学科教授となっている。マラソンや駅伝の解説者としてもこれまでの経験と知見を生かした解説は好評である。</p>
<p>今回の日本インカレで男子800mを大会新記録で制したのは尾方監督が指導育成している東秀太君（3年）である。1500mを3位入賞した後のレースで、４日間フル出場であった。</p>
<p>尾方監督はインカレ期間の土曜日と日曜日は、日本スポーツ協会が主催するコーチデベロッパー養成講習会をオンラインで受講しなければならず、800mの予選、準決勝はzoomで講習中。レースを見ることはできなかったらしい。決勝はお昼休みの時間帯だったので、走りを見ることができて、「おめでとう」の一声だけかけて午後の講習会を受講したとのことだった。</p>
<p>学生競技者として東君は日頃の指導を基に、レース展開やメンタルコントロールを自身で、判断→決断→実行に移し、勝利を得たことに喝采を送りたい。そのような選手育成を実践できていることは、まさにコーチデベロッパーの資格獲得に相応しいコーチではないかと感嘆した。</p>
<p>教え子から学べる喜びを感じつつ脱帽し、乾杯！</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第49回「教え子から学べる喜び～日本インカレ中距離を見て～」</h2><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/09/31e6eb1a3c3636b4c013bd3426886be0.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">日本インカレで東秀太（左）、寺西満輝（右）と記念撮影する筆者</span></p></div><p>昨年より1週遅く開催された日本インカレ（天皇賜盃第93回日本学生陸上競技対校選手権大会）は、残暑も少し和らぎ“秋高気爽”の中開催されるとの期待があった。</p><p>しかし、9月半ばを過ぎても猛暑日が続くなか、真夏の大会と同等のコンディションと覚悟を決めて、甲府から神奈川県川崎市の等々力陸上競技場へと向かった。</p><p>大会初日は雷雨による競技の一時中断があり、2日目以降も強風や雨により高温多湿に追い打ちをかけるようなコンディションであった。</p><p>しかしながら、学生チャンピオンと対校戦“天皇賜杯”獲得を目指す学生競技者の熱き挑戦は随所に好勝負・好記録を展開した。</p><p>圧巻は男子400mハードル準決勝。立て続けにU20日本記録が更新され、来年9月に東京で開催される世界選手権の参加標準記録を突破者が出るなど会場を沸かせた。</p><p>男子4×100mリレーでは早大と東洋大が息詰まるような接戦。両校とも日本学生新記録でバトンをつないだ。早大に軍配が上がるも、大会最終種目の4×400mリレーでは東洋大のアンカーがバックストレートで早大を捉え、そのまま逃げ切って2連覇を達成した。</p><p>競技場の選手・役員、そしてスタンドの観客すべての視線が注がれるインカレ最終種目とあって、全力を振り絞る熱き走りが毎年心を揺さぶり、感動を与えてくれる。</p><p>そして、すべての競技を終えた後の競技場の余韻と静寂は、熱き夏を越えて鍛えてきた学生競技者たちに、しばしの安息を与えてくれる。このような高揚感を感じるのは私だけではないだろう。</p><p>来年岡山県で6月に開催予定の日本インカレを観戦にご来場される方がおられるなら、この一瞬まで味わっていただければと願っている。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/09/KH9_1521.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">24年日本インカレ男子800mを制した東秀太（左）と2位の寺西満輝</span></p></div><p>私は2019年からは駅伝監督を次世代の指導者に引き継ぎ、もっぱら中距離コーチとして指導している。800mでは2020年には瀬戸口大地が日本インカレ2位、日本選手権優勝。昨年の日本インカレは北村魁士が優勝した。今年は1500mでは北村と八鍬拓斗の2人が決勝に進み。北村が6位（八鍬は12位）。800mでは寺西満輝が2位、北村が4位であった。</p><p>中距離ランナー競技力育成方法は、「（有酸素能力＋無酸素能力）×ランニングエコノミー」と書けば簡単に競技力向上の理論展開が説明できそうだが、レース展開やポジショニングなど含めるとなかなか奥深くおもしろい。</p><p>800m、1500mの中距離のトレーニング変革とパフォーマンス向上は、必ず5000mのレベルアップに寄与できるはずだと信じている。そのスピードなくして世界は見えてこない。</p><p>ノルウェーのヤコブ・インゲブリグトセンがアフリカ勢を置き去りにし、猛烈なラストスパートに痺れる思いを抱くのも、スローペースからギアチェンジしたわけではないからだった。</p><p>その走りは指導者としての好奇心に火をつけるには十分すぎるインパクトであった。</p><p>30年以上もアフリカ・ケニアからの留学生を指導し、幾度となくケニアのトレーニングや競技会を目の当たりにしてきて、ケニアのトップ選手のすさまじい強さは肌で感じてきた。その彼らが後塵を拝する姿は驚愕に値した。「なぜ？」から「どうすれば？」と疑問がぐるぐる頭の中を駆け巡った。</p><p>同じように軸足を中距離の指導において、素晴らしい結果に導いているのが広島経大監督の尾方剛氏である。山梨学大時代は箱根駅伝で、大会新記録を樹立した第70回大会（1994年）のアンカーを走り区間賞。その後は故障やストレスから全身の脱毛症になるなど苦しい時期を耐え、卒業後は中国電力陸上部に在籍した。</p><p>少しずつ走りのリズムと自信を取り戻し、世界選手権のマラソン代表として2003年パリ、05年ヘルシンキ、07年大阪大会に出場。ヘルシンキ大会では銅メダルを獲得している。04年の福岡国際優勝、08年北京五輪では13位と第一線で活躍してきた。</p><p>現役引退後は指導者としての道を歩むため、広島大大学院生涯活動教育学を専攻。健康スポーツ教育学を専修し、現在は広島経大スポーツ経営学科教授となっている。マラソンや駅伝の解説者としてもこれまでの経験と知見を生かした解説は好評である。</p><p>今回の日本インカレで男子800mを大会新記録で制したのは尾方監督が指導育成している東秀太君（3年）である。1500mを3位入賞した後のレースで、４日間フル出場であった。</p><p>尾方監督はインカレ期間の土曜日と日曜日は、日本スポーツ協会が主催するコーチデベロッパー養成講習会をオンラインで受講しなければならず、800mの予選、準決勝はzoomで講習中。レースを見ることはできなかったらしい。決勝はお昼休みの時間帯だったので、走りを見ることができて、「おめでとう」の一声だけかけて午後の講習会を受講したとのことだった。</p><p>学生競技者として東君は日頃の指導を基に、レース展開やメンタルコントロールを自身で、判断→決断→実行に移し、勝利を得たことに喝采を送りたい。そのような選手育成を実践できていることは、まさにコーチデベロッパーの資格獲得に相応しいコーチではないかと感嘆した。</p><p>教え子から学べる喜びを感じつつ脱帽し、乾杯！</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第48回「パリオリンピックに寄せて～信頼関係の大切さ～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/145635</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 31 Aug 2024 18:00:07 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[パリ五輪]]></category>
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		<gnf:modified>Sat, 31 Aug 2024 16:05:52 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sat, 31 Aug 2024 16:05:52 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第48回「パリオリンピックに寄せて～信頼関係の大切さ～」</h2>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/08/C7A0005.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">パリ五輪では17日間に及ぶ熱戦が繰り広げられた</span></p></div>
<p>2024パリオリンピックが華やかなスポーツの祭典を印象づけて開催された。</p>
<p>華の都パリを彷彿とさせる演出で、セーヌ川を舞台に繰り広げられた開会式。選手たちが通過する航路を「自由」・「平等」・「スポーツマンシップ」・「暗闇」・「連隊」・「シンクロシティー（共時性）」など12のブロックに分け、スポーツという文化が多様性の受け入れや優しさ、寛容さなどの役割を担いどのような影響があるのかを表現していた。</p>
<p>それを受け、今回のパリ大会は「Games Wide Open:広く開かれた大会」をテーマに17日間の熱闘が繰り広げられた。</p>
<p>すべての会場がアスリートや観客、テレビ視聴者にとって壮観で見応えのある舞台となり、時差と睡眠不足を感じさせぬほど熱戦を満喫させてもらった。</p>
<p>近代オリンピックの歴史は、さまざまな社会情勢の変節を乗り越え、その世代を担うアスリートたちの熱きパフォーマンスの舞台を提供し続けてきたこととして刻まれている。</p>
<p>思い起こせばコロナ禍で１年遅れの開催となった東京オリンピックとの対比がどうしても脳裏をよぎる。</p>
<p>スタンドを埋め尽くす大観衆の声援の中でプレーする選手と、無観客の静まり返ったスタジアムで死力を振り絞る選手に違いなどあるはずはない。そうであるならばあの国立競技場を埋め尽くす観衆の中でプレーさせてあげたかったと回顧したのは私だけではないだろう。</p>
<p>1年間の延期を経て開催された東京オリンピックでも、世の中はまだまだ有観客での開催ができぬほどの感染状況であった。単なる災難を乗り切ったオリンピックではなく、この運営ノウハウは今後のあらゆるリスクマネージメントの指標を提示することができた貴重な大会であったと確信している。</p>
<p>そのようにパリオリンピックの、選手の熱量を反映する、観衆の燃え上がるような声援を、ライブ中継で見守りつつしみじみ思った。</p>
<p>今となってはコロナ禍も、“喉元過ぎればなんとやら”の感が否めなくなっている。しかしながら、コロナ禍の感染症対策を乗り越え“New Normal”の時代を耐え忍んだ選手たちが、解き放たれたように盛夏の日本国内でも、全日本中学選手権や全国高校総体で熱闘を繰り広げられている。</p>
<p>そしてその延長線上に、今回女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花さん（JAL）が満面の笑みと喜びを爆発させるように、オリンピックスタジアムで打ち鳴らした鐘の音がある。</p>
<p>コロナ禍で不自由な練習環境と大会の中止などで競技会にさえ出場の機会が与えられなかった全ての競技者に「苦難を乗り越えた先にこそこの喜びがあるんだ！」と励ますかのごとく響き渡った。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/08/45I5032.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">スタジアム内に設置された鐘</span></p></div>
<p>そのオリンピック終了後の山梨県内の清里にて、馬術でご活躍されている上野きりさんとお話をさせていただく機会があった。パリオリンピックでは、総合馬術団体で“初老ジャパン”の愛称で挑んだ日本代表が、オリンピック史上初となる銅メダルを獲得した後であったこともあり、話がはずんだ。</p>
<p>話の中で、乗馬は“人馬一体”という言葉があるように、騎手と馬がなだらかで巧みな連携が行われていることが最良である。それには騎手と馬との言葉ではないコミュニケーションが成立しなければならないこと。さらには、騎手の不安や緊張・焦りは馬に備に伝わっていることと同時に、騎手は馬のそのような感情を機敏に感じ取り手綱を裁かなければ成らないことなどお聞きした。</p>
<p>その話の中で、東京オリンピック近代五種でのできごとの話となった。（前日までメダル圏内にいたドイツのアニカ・シュロイ選手の騎乗する馬が、障害の飛越を拒否したことから、キム・ライスナーコーチが「馬を叩け」と指示し、コーチが自らの拳で一度、殴っている様子が映像に記録された。そのことによりコーチが追放処分を受けた事案）</p>
<p>近代五種の馬術で騎乗する馬は大会主催者が準備し、抽選でどの馬に騎乗するか決まる。出場するまでに馬との対面は20分と決められているそうだ。</p>
<p>東京オリンピックの後、その馬（セントボーイ号）には飛べない気難しい馬との評判が先行し、評価が下がってしまったという。その馬をなんとかしたいとオリンピック直後の秋に引き取り、小淵沢にある山梨県馬術競技場で再度“人馬一体”となるよう調教に取り組んだ青年がいると話された。</p>
<p>「実はその青年は上田先生の講義を受講していたんですよ」と言われてビックリ仰天した。</p>
<p>「アッ！堀田駿（ほった・しゅん）ですよね」と返答すると、「エッ覚えていらっしゃったのですか！」と驚かれた。（現在はドイツより帰国し青森県競技力向上対策本部スポーツ専門委員：馬術）</p>
<p>山梨学院大学スポーツ科学部の講義に、スポーツキャリア演習という科目がある。2年生約25名前後がランダムに割り当てられ、将来のキャリアスキル向上のため講義を担当する。</p>
<p>そういえば馬のことをやたらと熱く語って、卒業後はドイツへ行って世界に挑んでいる杉谷泰三氏の元へ修行に行く――と夢を語っていたことが記憶に刻まれていた。さらに名前が「ほりた」ではなく「ほった」。馬にちなんだのか“駿“ということもあり印象に残っていたからだ。</p>
<p>後日、彼に連絡をしたところ、「オリンピックに参加させる馬は決して飛べない馬ではない。何かしらの原因で騎手との信頼を損ねたり、障害への余計な恐怖が芽生えたりさまざまな原因がある、馬は言葉が話せません、それでも日々接しているとたくさんのことが伝わり分かってきます。それを日々の騎乗で、馬とのコミュニケーションを取ることによって、自信と本来の勇気を取り戻してあげることができると信じてやってきています。」と答えてくれた。</p>
<p>今は11月の日本選手権に向けて練習に励んでいるとのことだった。</p>
<p>この話を聞き、選手とコーチとの関係もかくあらんことを願うばかりであり、まだまだ自己研鑽せねば成らぬと自戒した。</p>
<p>きっと北口選手とチェコ人コーチのデービッド・スケラックさんもそのような師弟関係で歩んで来られたのかなと思ったりもした。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第48回「パリオリンピックに寄せて～信頼関係の大切さ～」</h2><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/08/C7A0005.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">パリ五輪では17日間に及ぶ熱戦が繰り広げられた</span></p></div><p>2024パリオリンピックが華やかなスポーツの祭典を印象づけて開催された。</p><p>華の都パリを彷彿とさせる演出で、セーヌ川を舞台に繰り広げられた開会式。選手たちが通過する航路を「自由」・「平等」・「スポーツマンシップ」・「暗闇」・「連隊」・「シンクロシティー（共時性）」など12のブロックに分け、スポーツという文化が多様性の受け入れや優しさ、寛容さなどの役割を担いどのような影響があるのかを表現していた。</p><p>それを受け、今回のパリ大会は「Games Wide Open:広く開かれた大会」をテーマに17日間の熱闘が繰り広げられた。</p><p>すべての会場がアスリートや観客、テレビ視聴者にとって壮観で見応えのある舞台となり、時差と睡眠不足を感じさせぬほど熱戦を満喫させてもらった。</p><p>近代オリンピックの歴史は、さまざまな社会情勢の変節を乗り越え、その世代を担うアスリートたちの熱きパフォーマンスの舞台を提供し続けてきたこととして刻まれている。</p><p>思い起こせばコロナ禍で１年遅れの開催となった東京オリンピックとの対比がどうしても脳裏をよぎる。</p><p>スタンドを埋め尽くす大観衆の声援の中でプレーする選手と、無観客の静まり返ったスタジアムで死力を振り絞る選手に違いなどあるはずはない。そうであるならばあの国立競技場を埋め尽くす観衆の中でプレーさせてあげたかったと回顧したのは私だけではないだろう。</p><p>1年間の延期を経て開催された東京オリンピックでも、世の中はまだまだ有観客での開催ができぬほどの感染状況であった。単なる災難を乗り切ったオリンピックではなく、この運営ノウハウは今後のあらゆるリスクマネージメントの指標を提示することができた貴重な大会であったと確信している。</p><p>そのようにパリオリンピックの、選手の熱量を反映する、観衆の燃え上がるような声援を、ライブ中継で見守りつつしみじみ思った。</p><p>今となってはコロナ禍も、“喉元過ぎればなんとやら”の感が否めなくなっている。しかしながら、コロナ禍の感染症対策を乗り越え“New Normal”の時代を耐え忍んだ選手たちが、解き放たれたように盛夏の日本国内でも、全日本中学選手権や全国高校総体で熱闘を繰り広げられている。</p><p>そしてその延長線上に、今回女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花さん（JAL）が満面の笑みと喜びを爆発させるように、オリンピックスタジアムで打ち鳴らした鐘の音がある。</p><p>コロナ禍で不自由な練習環境と大会の中止などで競技会にさえ出場の機会が与えられなかった全ての競技者に「苦難を乗り越えた先にこそこの喜びがあるんだ！」と励ますかのごとく響き渡った。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/08/45I5032.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">スタジアム内に設置された鐘</span></p></div><p>そのオリンピック終了後の山梨県内の清里にて、馬術でご活躍されている上野きりさんとお話をさせていただく機会があった。パリオリンピックでは、総合馬術団体で“初老ジャパン”の愛称で挑んだ日本代表が、オリンピック史上初となる銅メダルを獲得した後であったこともあり、話がはずんだ。</p><p>話の中で、乗馬は“人馬一体”という言葉があるように、騎手と馬がなだらかで巧みな連携が行われていることが最良である。それには騎手と馬との言葉ではないコミュニケーションが成立しなければならないこと。さらには、騎手の不安や緊張・焦りは馬に備に伝わっていることと同時に、騎手は馬のそのような感情を機敏に感じ取り手綱を裁かなければ成らないことなどお聞きした。</p><p>その話の中で、東京オリンピック近代五種でのできごとの話となった。（前日までメダル圏内にいたドイツのアニカ・シュロイ選手の騎乗する馬が、障害の飛越を拒否したことから、キム・ライスナーコーチが「馬を叩け」と指示し、コーチが自らの拳で一度、殴っている様子が映像に記録された。そのことによりコーチが追放処分を受けた事案）</p><p>近代五種の馬術で騎乗する馬は大会主催者が準備し、抽選でどの馬に騎乗するか決まる。出場するまでに馬との対面は20分と決められているそうだ。</p><p>東京オリンピックの後、その馬（セントボーイ号）には飛べない気難しい馬との評判が先行し、評価が下がってしまったという。その馬をなんとかしたいとオリンピック直後の秋に引き取り、小淵沢にある山梨県馬術競技場で再度“人馬一体”となるよう調教に取り組んだ青年がいると話された。</p><p>「実はその青年は上田先生の講義を受講していたんですよ」と言われてビックリ仰天した。</p><p>「アッ！堀田駿（ほった・しゅん）ですよね」と返答すると、「エッ覚えていらっしゃったのですか！」と驚かれた。（現在はドイツより帰国し青森県競技力向上対策本部スポーツ専門委員：馬術）</p><p>山梨学院大学スポーツ科学部の講義に、スポーツキャリア演習という科目がある。2年生約25名前後がランダムに割り当てられ、将来のキャリアスキル向上のため講義を担当する。</p><p>そういえば馬のことをやたらと熱く語って、卒業後はドイツへ行って世界に挑んでいる杉谷泰三氏の元へ修行に行く――と夢を語っていたことが記憶に刻まれていた。さらに名前が「ほりた」ではなく「ほった」。馬にちなんだのか“駿“ということもあり印象に残っていたからだ。</p><p>後日、彼に連絡をしたところ、「オリンピックに参加させる馬は決して飛べない馬ではない。何かしらの原因で騎手との信頼を損ねたり、障害への余計な恐怖が芽生えたりさまざまな原因がある、馬は言葉が話せません、それでも日々接しているとたくさんのことが伝わり分かってきます。それを日々の騎乗で、馬とのコミュニケーションを取ることによって、自信と本来の勇気を取り戻してあげることができると信じてやってきています。」と答えてくれた。</p><p>今は11月の日本選手権に向けて練習に励んでいるとのことだった。</p><p>この話を聞き、選手とコーチとの関係もかくあらんことを願うばかりであり、まだまだ自己研鑽せねば成らぬと自戒した。</p><p>きっと北口選手とチェコ人コーチのデービッド・スケラックさんもそのような師弟関係で歩んで来られたのかなと思ったりもした。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第47回「不測を楽しむくらいのメンタリティーを」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/142433</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 31 Jul 2024 18:00:03 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[石元潤樹]]></category>
		<category><![CDATA[北村魁士]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Sun, 04 Aug 2024 10:28:38 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sun, 04 Aug 2024 10:28:38 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第47回「不測を楽しむくらいのメンタリティーを」</h2>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/1bd23549b98f1e4ff96723d3f98334be.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">関東学連の強化事業で海外に遠征した北村魁志（左）と石元潤樹</span></p></div>
<p>「１€＝¥181.7」（7月12日羽田空港国際線ターミナルでの換金レート）</p>
<p>2000年ならば、¥99.54であった。円安レートでの海外遠征は、日本円に換算するたび冷や汗が出る･･････、と書き始めたことには訳がある。</p>
<p>関東学生陸上競技連盟の選手強化事業の一環として、イタリアのリグーリア州サヴォーナ県チェッレ・リーグレという地方の町で開催された「35°Meeting Arcobaleno EAP AtleticaEuropa」の800mに石元潤樹君（日大）と、北村魁士（山梨学大）を引率して参加してきたからだ。</p>
<p>石元君は初めての海外遠征。北村君は昨年末の日本陸連ジュニア中距離合宿で韓国遠征は経験しているものの、今回のような長時間移動・時差・ノンアテンドの海外遠征は初めてである。</p>
<p>フライトが夜０時05分発ということで、羽田空港国際線ターミナルの集合時間が22時。<br />
本来ならアスリートにとって、ベッドで横になりたい時間だ。ここから日本との時差、マイナス7時間がスタートしたといえる。</p>
<p>顔合わせが終わると、まずは一般的な海外遠征での諸注意から始めた。<br />
・スリや置き引きなどに合わないための自己防衛を過去の渡航事例を話して注意喚起。<br />
・発熱・感染症など含めて海外で罹患した場合の諸注意と体調管理。<br />
・疾病とは言えないが、下痢や便秘などパフォーマンスに影響する体調の不備を自己管理するための方法。<br />
・時差の克服・順化の要点。などなど･･････。</p>
<p>実は、私自身も海外渡航でさまざまなアクシデントやトラブル遭遇してきた。それについては1週間の生活の中で、ゆっくりと食事中のネタ話としてさせてもらった。<br />
　<br />
諸注意を終えると今回の遠征の目的を伝えた。当然のごとく大会に出場するので、そのレースで自己最高のパフォーマンスを発揮することに努めるのは当然。円安の経済状況のなか、貴重な強化費を使って海外遠征を経験させていただくのだから、まずはそのことを自覚しなければならない。</p>
<p>それともう一つ、私からのリクエストとして次のようなことを遠征での課題として提示させてもらった。</p>
<p>「君たちが将来、海外での転戦やトレーニングに一人で出かけられるようになるための布石として、今回の遠征を体験してほしい。自分でできることは見守るのでチャレンジしてほしい」とリクエストした。</p>
<p>旅慣れた方ならなんともないイミグレーションでの入国審査や、巨大な国際空港でのトランジットで航空便の乗り換えも、初めてとなるとかなり戸惑うものだ。</p>
<p>今回の遠征はホテルのバウチャーと航空券のみ手渡され、後はノンアテンドでの遠征。自力移動となる。ドバイ国際空港でのトランジットを経て、到着地はフランスのニース国際空港。空港では彼ら2人で電光掲示板や案内ボードで確認させつつ、戸惑いながら歩く彼らの後をついて歩くようにした。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/7108aafdddd5fe6e0f4cdd93f077f228.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">自分たちで空港の乗り換えゲートの案内を見る2人</span></p></div>
<p>そこから車で50km離れたイタリアのヴェンティミーリア駅まで移動。列車に乗り換えて約2時間かけて目的地のサヴォーナに到着となる。</p>
<p>ここで数日間の調整となるのだが、直面するのが冒頭の円安ユーロ高である。</p>
<p>しかし、北イタリアの港町でもあるので、安価な市場のイートインとテイクアウトを幾度か利用させてもらった。夜21時50分スタート予定のレースを終えてホテルに帰ってくると深夜になる。市場でピザとチキンローストをテイクアウトし、部屋の冷蔵庫で保管しておいて、ホテルの電子レンジをお借りして温め直していただいたりもした。</p>
<p>肝心のレースは、出場エントリー一覧を見ると3組では入りきらない人数で、どのように組分けするのかを杞憂した。会場となるトラックは６レーンしかない。ウォ―ミングアップエリアはフットサルのコート１面。チェックインを待つホテルのロビーでウォ―ミングアップをしているようである。</p>
<p>正式な組み編成とレーンが提示されたのはスタート１時間前。結果的にスタート時間は40分ほど遅れた。</p>
<p>国際レースは、日本国内の自己公認記録ではなくWRkという世界陸連が認定したワールドランキングコンペティションで出した記録にて判断するという制度。今回もこの制度の適応となった。最終的に2人ともB組になり、ペースメーカーを含め11名での出走となった。</p>
<p>なんと各レーンに２名ずつのスタート。スタート位置は北村君が１レーン内側、石元君が４レーン内側。ペースメーカーの予定が400m50秒50との提示があったが、スタート直前のB組の話し合いで51秒5となった。</p>
<p>スタートでは両名とも同じレーンの外国人選手に遅れをとり、しかもオープンとなった時点で2人とも集団の後方からのレースとなった。２周目も集団は崩れず、集団の前に出るには相当のエネルギーを使ってしまった。</p>
<p>帰国後、関東学連中距離担当松井一樹氏からは、「現在、日本記録保持者の川元（奨・スズキ）君も海外のレースで自分の走るポジションを確保するのに苦労してきた。集団の中で自分の走りやすいポジションを確保するためには、初速の速い海外レースを体験し、そのことを生かして行かなければなりませんね」と語ってくれた。</p>
<p>レースを終え、私からは「スタートの出遅れを中盤で回復し、最後でのスプリント勝負に持ち込めるほど世界は甘くはない。その感覚を持ち帰らなければ800mをやっていく価値はない」と多少厳しいコメント二人に発した。</p>
<p>その言葉を受け、若き2人のランナーが、「体格も走るリズムもまったく違う選手に混じり、勝ち切るパフォーマンスを発揮するには、まだまだやらなければならないトレーニングがある。スタートラインに立つ時の各国の選手の気概の違いを感じた」と語り合っていたのが頼もしい。</p>
<p>海外遠征は常に不便で不慣れがつきまとう。不平不満を募らせている場合ではない。不測の事態など当然のように降りかかる。それに対応・対処しつつ、それを楽しむくらいのメンタリティーが求められる。</p>
<p>食事や言語・習慣、風習など、それをストレスと感じずにレースでベストパフォーマンスを発揮できるような選手に育ってゆくことを期待したい。</p>
<p>そして、パソコンに向かいつつも、テレビからは開幕直後のパリ五輪の放送が気になってしまう。日本代表選手は、いくつもの海外遠征や世界大会を積み重ね、さまざまなプレッシャーをも乗り超えてきたアスリートである。</p>
<p>しばらくはアスリートの頂点を目指すオリンピアンの熱き戦いに、7時間の時差を乗り越えてエールを送りつつ、中継から目が離せない日々を送りそうだ。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第47回「不測を楽しむくらいのメンタリティーを」</h2><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/1bd23549b98f1e4ff96723d3f98334be.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">関東学連の強化事業で海外に遠征した北村魁志（左）と石元潤樹</span></p></div><p>「１€＝¥181.7」（7月12日羽田空港国際線ターミナルでの換金レート）</p><p>2000年ならば、¥99.54であった。円安レートでの海外遠征は、日本円に換算するたび冷や汗が出る･･････、と書き始めたことには訳がある。</p><p>関東学生陸上競技連盟の選手強化事業の一環として、イタリアのリグーリア州サヴォーナ県チェッレ・リーグレという地方の町で開催された「35°Meeting Arcobaleno EAP AtleticaEuropa」の800mに石元潤樹君（日大）と、北村魁士（山梨学大）を引率して参加してきたからだ。</p><p>石元君は初めての海外遠征。北村君は昨年末の日本陸連ジュニア中距離合宿で韓国遠征は経験しているものの、今回のような長時間移動・時差・ノンアテンドの海外遠征は初めてである。</p><p>フライトが夜０時05分発ということで、羽田空港国際線ターミナルの集合時間が22時。<br />本来ならアスリートにとって、ベッドで横になりたい時間だ。ここから日本との時差、マイナス7時間がスタートしたといえる。</p><p>顔合わせが終わると、まずは一般的な海外遠征での諸注意から始めた。<br />・スリや置き引きなどに合わないための自己防衛を過去の渡航事例を話して注意喚起。<br />・発熱・感染症など含めて海外で罹患した場合の諸注意と体調管理。<br />・疾病とは言えないが、下痢や便秘などパフォーマンスに影響する体調の不備を自己管理するための方法。<br />・時差の克服・順化の要点。などなど･･････。</p><p>実は、私自身も海外渡航でさまざまなアクシデントやトラブル遭遇してきた。それについては1週間の生活の中で、ゆっくりと食事中のネタ話としてさせてもらった。<br />　<br />諸注意を終えると今回の遠征の目的を伝えた。当然のごとく大会に出場するので、そのレースで自己最高のパフォーマンスを発揮することに努めるのは当然。円安の経済状況のなか、貴重な強化費を使って海外遠征を経験させていただくのだから、まずはそのことを自覚しなければならない。</p><p>それともう一つ、私からのリクエストとして次のようなことを遠征での課題として提示させてもらった。</p><p>「君たちが将来、海外での転戦やトレーニングに一人で出かけられるようになるための布石として、今回の遠征を体験してほしい。自分でできることは見守るのでチャレンジしてほしい」とリクエストした。</p><p>旅慣れた方ならなんともないイミグレーションでの入国審査や、巨大な国際空港でのトランジットで航空便の乗り換えも、初めてとなるとかなり戸惑うものだ。</p><p>今回の遠征はホテルのバウチャーと航空券のみ手渡され、後はノンアテンドでの遠征。自力移動となる。ドバイ国際空港でのトランジットを経て、到着地はフランスのニース国際空港。空港では彼ら2人で電光掲示板や案内ボードで確認させつつ、戸惑いながら歩く彼らの後をついて歩くようにした。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/7108aafdddd5fe6e0f4cdd93f077f228.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">自分たちで空港の乗り換えゲートの案内を見る2人</span></p></div><p>そこから車で50km離れたイタリアのヴェンティミーリア駅まで移動。列車に乗り換えて約2時間かけて目的地のサヴォーナに到着となる。</p><p>ここで数日間の調整となるのだが、直面するのが冒頭の円安ユーロ高である。</p><p>しかし、北イタリアの港町でもあるので、安価な市場のイートインとテイクアウトを幾度か利用させてもらった。夜21時50分スタート予定のレースを終えてホテルに帰ってくると深夜になる。市場でピザとチキンローストをテイクアウトし、部屋の冷蔵庫で保管しておいて、ホテルの電子レンジをお借りして温め直していただいたりもした。</p><p>肝心のレースは、出場エントリー一覧を見ると3組では入りきらない人数で、どのように組分けするのかを杞憂した。会場となるトラックは６レーンしかない。ウォ―ミングアップエリアはフットサルのコート１面。チェックインを待つホテルのロビーでウォ―ミングアップをしているようである。</p><p>正式な組み編成とレーンが提示されたのはスタート１時間前。結果的にスタート時間は40分ほど遅れた。</p><p>国際レースは、日本国内の自己公認記録ではなくWRkという世界陸連が認定したワールドランキングコンペティションで出した記録にて判断するという制度。今回もこの制度の適応となった。最終的に2人ともB組になり、ペースメーカーを含め11名での出走となった。</p><p>なんと各レーンに２名ずつのスタート。スタート位置は北村君が１レーン内側、石元君が４レーン内側。ペースメーカーの予定が400m50秒50との提示があったが、スタート直前のB組の話し合いで51秒5となった。</p><p>スタートでは両名とも同じレーンの外国人選手に遅れをとり、しかもオープンとなった時点で2人とも集団の後方からのレースとなった。２周目も集団は崩れず、集団の前に出るには相当のエネルギーを使ってしまった。</p><p>帰国後、関東学連中距離担当松井一樹氏からは、「現在、日本記録保持者の川元（奨・スズキ）君も海外のレースで自分の走るポジションを確保するのに苦労してきた。集団の中で自分の走りやすいポジションを確保するためには、初速の速い海外レースを体験し、そのことを生かして行かなければなりませんね」と語ってくれた。</p><p>レースを終え、私からは「スタートの出遅れを中盤で回復し、最後でのスプリント勝負に持ち込めるほど世界は甘くはない。その感覚を持ち帰らなければ800mをやっていく価値はない」と多少厳しいコメント二人に発した。</p><p>その言葉を受け、若き2人のランナーが、「体格も走るリズムもまったく違う選手に混じり、勝ち切るパフォーマンスを発揮するには、まだまだやらなければならないトレーニングがある。スタートラインに立つ時の各国の選手の気概の違いを感じた」と語り合っていたのが頼もしい。</p><p>海外遠征は常に不便で不慣れがつきまとう。不平不満を募らせている場合ではない。不測の事態など当然のように降りかかる。それに対応・対処しつつ、それを楽しむくらいのメンタリティーが求められる。</p><p>食事や言語・習慣、風習など、それをストレスと感じずにレースでベストパフォーマンスを発揮できるような選手に育ってゆくことを期待したい。</p><p>そして、パソコンに向かいつつも、テレビからは開幕直後のパリ五輪の放送が気になってしまう。日本代表選手は、いくつもの海外遠征や世界大会を積み重ね、さまざまなプレッシャーをも乗り超えてきたアスリートである。</p><p>しばらくはアスリートの頂点を目指すオリンピアンの熱き戦いに、7時間の時差を乗り越えてエールを送りつつ、中継から目が離せない日々を送りそうだ。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第46回「教えて然るのちに困しむを知る～全日本の選考会シーズンを迎えて～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/140321</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 Jul 2024 18:00:10 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[全日本大学駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[全日本大学駅伝関東選考会]]></category>
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		<gnf:modified>Sun, 07 Jul 2024 11:12:32 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sun, 07 Jul 2024 11:12:32 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第46回「教えて然るのちに困しむを知る～全日本の選考会シーズンを迎えて～」</h2>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/DSC_3222.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年も相模原ギオンスタジアムで行われた全日本大学駅伝関東学連推薦校選考会</span></p></div>
<p>早朝練習の帰り道。</p>
<p>垣根の向こう側で紫陽花が、淡い色合いで雨に濡れつつ咲いている。</p>
<p>そのような姿に心癒されることもないほど、梅雨入りが例年より遅い6月であった。</p>
<p>多くの地区で、全日本大学駅伝の出場校選考会が行われるのもこの時期だ。</p>
<p>今年の関東地区の選考会は相模原ギオンスタジアムで例年通りの開催となった。</p>
<p>高温多湿の気象条件は覚悟の上とはいえ、確実に選手たちの体力を奪い、疲労を蓄積させてゆくグラウンドコンディションである。</p>
<p>選手は体調を整え暑熱対策を施し、スタートラインに立つ。出場権をかけたレースであるが故に、後半の組になれば暑さを凌駕するハイスピードの展開が繰り広げられることもしばしばである。</p>
<p>関東では10000m上位8名の平均タイムで選考され、選考会に出場する大学は20校。10000のレースを4組行い、各組2名ずつが戦略を持ってエントリーされている。レース4組8人の合計タイム上位7校が、11月の全日本大学駅伝へと駒を進めることができる。</p>
<p>オーソドックスに各組の役割をとらえてみる。</p>
<p>1組は駅伝と同じく、その後の2組目以降でストレスがかからないように流れを作ることが使命となる。レースは安定したペースで進み、後半につれてペースが徐々に上がり始める。ラスト5周前後はかなりのハイペースで進むことが予測される。少なくとも終了時点で、総合10位以内につけておきたい。</p>
<p>2組はペース変化に柔軟に対応できる選手が望ましい。2組も1組同様に、前半から無謀なペースで集団を引く選手はほぼ出ない。しかしながら、後半のペースアップは1組よりも激しいものとなる。</p>
<p>前半戦の1、2組でチームのボトムアップや、総合力の高さを窺い知ることができる。</p>
<p>3組はいよいよチームの主力級の登用となる。本戦を見据えて、主要区間を任される選手であることは疑う余地はない。それだけに流れに身を任せるように走っていた1、2組とは違い、ペースメイクを買って出るように先頭に立ってハイペースに持ち込む選手が現れる。</p>
<p>スピードレースとなっても集団が大きく崩れることはなく、中盤まで形成される。後半はさすがに走力の差がジリジリと現れ、ここでの差が最終順位を決定づけることもしばしばである。</p>
<p>最終4組はチームの大黒柱である2枚看板の登場である。ケニア人留学生が当然のごとくレースの流れを作る。しかしながら、近年は日本人エースとの差がそれほど開かない傾向にある。</p>
<p>秋から冬にかけての絶好の気象条件で出された自己記録は、高温多湿のこの時期ではあくまで参考程度の数字である。しかしながら、最終組を任された選手は、速さと強さを兼ね揃えた強者たちの集まりだけに、粘り強い耐久レースが展開される。</p>
<p>3組4組の中盤で苦悶の表情を浮かべる状況だと、第4コーナーのコーチングエリアに立って指示を出す監督の表情も厳しいものとなる。</p>
<p>レースが終了し、最終結果確定の発表をメインスタンド正面に設置されたマイクで、関東学連の次呂久幹事長が1位から順に読み上げた。同時に電光掲示板のスクリーン上に大学名が映し出される。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/IMG_5933.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">全レース終了後に結果が発表された</span></p></div>
<p>1位東海大学<br />
2位東洋大学<br />
3位早稲田大学<br />
4位日本体育大学<br />
5位立教大学<br />
6位帝京大学<br />
7位神奈川大学<br />
と発表された。<br />
ここまでが関東学連選考会での選出だ。<br />
昨年のシード校（駒沢、青山学院、國學院、中央、城西、創価、大東文化、東京国際）と関東から15チームが出場することになる。</p>
<p>1位から7位の大学名を見て、「そうなんだ･･･」と思わず独り言を呟いてしまった。そして、しばし想いを巡らせてみた。</p>
<p>それは予選通過の7校は、いずれも留学生を擁しないチームであることに思いが至ったからだ。</p>
<p>留学生の走りがチームのマイナスを補うことにも限界があるのだろう。留学生の加入によってチーム全体のレベルアップが図られることが重要であり、マイナスを補うことではなく、プラスを産むことが目指すところである。</p>
<p>この問いは、監督時代のジョセフ・オツオリ以来、数えきれないほど自問自答してきたことだ。その時の思いが再び蘇った。</p>
<p>駅伝や今回のような選考会には、エースの存在が重要であることは疑う余地がない。<br />
しかしながら、それ以上にエース各（複数）の存在が必要であり、それにつれてチームの底上げや総合力が試されるのだろう。</p>
<p>今回選考されたチームは一くくりにチーム状況を解説できぬほど個性的である。とは言え、共通して言えることは、留学生の有無に関わらず、この選考レースを戦い抜く戦略としてトレーニングを積み重ね、戦術としてのレース展開をまっとうできたからにほかならない。<br />
　<br />
この日を境に次のようなルートマップが描かれた。</p>
<p>・出雲駅伝→全日本大学駅伝→箱根駅伝と向かう大学（全日本、箱根ともシード権獲得と今回の予選通過の東洋、早稲田、帝京）</p>
<p>・出雲駅伝→箱根駅伝となるチーム（法政）</p>
<p>・箱根駅伝予選会→全日本大学駅伝→予選会を通過すれば箱根駅伝（東海、日体、立教、神奈川、中央、東京国際）</p>
<p>・箱根駅伝予選会→通過すれば箱根駅伝（関東予選に出場した大学では明治、日大、山梨学院、中央学院、駿河台、麗澤、東農、国士、専修、順天、流経、亜細亜などを含めた数10校が参加）</p>
<p>そして、10月17日の午前には箱根駅伝予選会で終了する大学が決定づけられる。</p>
<p>古代中国の『礼記』に「学然後知不足、教然後知困」とある。<br />
「学びて然（しか）る後に足らざるを知り、教えて然る後に困（くる）しむを知る」と読む。</p>
<p>この箴言の意味は「学ぶことで自分に足らないことが分かる。学ばなければ足らない事すら分からない」。そして「人に教えることで、自分の不勉強に気づかされる。自分の未熟さを知ることで努力しなければならないことに気づかされる」ということだろうか。</p>
<p>残念ながら選考順位に至らなかったチームにあっても、何かしら課題と収穫はあったはず。後悔やミス、レース展開や心理的な不覚を含めて、課題は対策の立案となり次の目標に向けて始動するしかない。</p>
<p>予選会は選手以上に指導者の方々の苦悩が伝わってくるものだ。まさに“教えて然るのちに困しむを知る”である。</p>
<p>その苦しみの先にこそ歓喜が訪れることを信じ、秋のシーズンを待ちたい。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第46回「教えて然るのちに困しむを知る～全日本の選考会シーズンを迎えて～」</h2><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/DSC_3222.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年も相模原ギオンスタジアムで行われた全日本大学駅伝関東学連推薦校選考会</span></p></div><p>早朝練習の帰り道。</p><p>垣根の向こう側で紫陽花が、淡い色合いで雨に濡れつつ咲いている。</p><p>そのような姿に心癒されることもないほど、梅雨入りが例年より遅い6月であった。</p><p>多くの地区で、全日本大学駅伝の出場校選考会が行われるのもこの時期だ。</p><p>今年の関東地区の選考会は相模原ギオンスタジアムで例年通りの開催となった。</p><p>高温多湿の気象条件は覚悟の上とはいえ、確実に選手たちの体力を奪い、疲労を蓄積させてゆくグラウンドコンディションである。</p><p>選手は体調を整え暑熱対策を施し、スタートラインに立つ。出場権をかけたレースであるが故に、後半の組になれば暑さを凌駕するハイスピードの展開が繰り広げられることもしばしばである。</p><p>関東では10000m上位8名の平均タイムで選考され、選考会に出場する大学は20校。10000のレースを4組行い、各組2名ずつが戦略を持ってエントリーされている。レース4組8人の合計タイム上位7校が、11月の全日本大学駅伝へと駒を進めることができる。</p><p>オーソドックスに各組の役割をとらえてみる。</p><p>1組は駅伝と同じく、その後の2組目以降でストレスがかからないように流れを作ることが使命となる。レースは安定したペースで進み、後半につれてペースが徐々に上がり始める。ラスト5周前後はかなりのハイペースで進むことが予測される。少なくとも終了時点で、総合10位以内につけておきたい。</p><p>2組はペース変化に柔軟に対応できる選手が望ましい。2組も1組同様に、前半から無謀なペースで集団を引く選手はほぼ出ない。しかしながら、後半のペースアップは1組よりも激しいものとなる。</p><p>前半戦の1、2組でチームのボトムアップや、総合力の高さを窺い知ることができる。</p><p>3組はいよいよチームの主力級の登用となる。本戦を見据えて、主要区間を任される選手であることは疑う余地はない。それだけに流れに身を任せるように走っていた1、2組とは違い、ペースメイクを買って出るように先頭に立ってハイペースに持ち込む選手が現れる。</p><p>スピードレースとなっても集団が大きく崩れることはなく、中盤まで形成される。後半はさすがに走力の差がジリジリと現れ、ここでの差が最終順位を決定づけることもしばしばである。</p><p>最終4組はチームの大黒柱である2枚看板の登場である。ケニア人留学生が当然のごとくレースの流れを作る。しかしながら、近年は日本人エースとの差がそれほど開かない傾向にある。</p><p>秋から冬にかけての絶好の気象条件で出された自己記録は、高温多湿のこの時期ではあくまで参考程度の数字である。しかしながら、最終組を任された選手は、速さと強さを兼ね揃えた強者たちの集まりだけに、粘り強い耐久レースが展開される。</p><p>3組4組の中盤で苦悶の表情を浮かべる状況だと、第4コーナーのコーチングエリアに立って指示を出す監督の表情も厳しいものとなる。</p><p>レースが終了し、最終結果確定の発表をメインスタンド正面に設置されたマイクで、関東学連の次呂久幹事長が1位から順に読み上げた。同時に電光掲示板のスクリーン上に大学名が映し出される。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/07/IMG_5933.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">全レース終了後に結果が発表された</span></p></div><p>1位東海大学<br />2位東洋大学<br />3位早稲田大学<br />4位日本体育大学<br />5位立教大学<br />6位帝京大学<br />7位神奈川大学<br />と発表された。<br />ここまでが関東学連選考会での選出だ。<br />昨年のシード校（駒沢、青山学院、國學院、中央、城西、創価、大東文化、東京国際）と関東から15チームが出場することになる。</p><p>1位から7位の大学名を見て、「そうなんだ･･･」と思わず独り言を呟いてしまった。そして、しばし想いを巡らせてみた。</p><p>それは予選通過の7校は、いずれも留学生を擁しないチームであることに思いが至ったからだ。</p><p>留学生の走りがチームのマイナスを補うことにも限界があるのだろう。留学生の加入によってチーム全体のレベルアップが図られることが重要であり、マイナスを補うことではなく、プラスを産むことが目指すところである。</p><p>この問いは、監督時代のジョセフ・オツオリ以来、数えきれないほど自問自答してきたことだ。その時の思いが再び蘇った。</p><p>駅伝や今回のような選考会には、エースの存在が重要であることは疑う余地がない。<br />しかしながら、それ以上にエース各（複数）の存在が必要であり、それにつれてチームの底上げや総合力が試されるのだろう。</p><p>今回選考されたチームは一くくりにチーム状況を解説できぬほど個性的である。とは言え、共通して言えることは、留学生の有無に関わらず、この選考レースを戦い抜く戦略としてトレーニングを積み重ね、戦術としてのレース展開をまっとうできたからにほかならない。<br />　<br />この日を境に次のようなルートマップが描かれた。</p><p>・出雲駅伝→全日本大学駅伝→箱根駅伝と向かう大学（全日本、箱根ともシード権獲得と今回の予選通過の東洋、早稲田、帝京）</p><p>・出雲駅伝→箱根駅伝となるチーム（法政）</p><p>・箱根駅伝予選会→全日本大学駅伝→予選会を通過すれば箱根駅伝（東海、日体、立教、神奈川、中央、東京国際）</p><p>・箱根駅伝予選会→通過すれば箱根駅伝（関東予選に出場した大学では明治、日大、山梨学院、中央学院、駿河台、麗澤、東農、国士、専修、順天、流経、亜細亜などを含めた数10校が参加）</p><p>そして、10月17日の午前には箱根駅伝予選会で終了する大学が決定づけられる。</p><p>古代中国の『礼記』に「学然後知不足、教然後知困」とある。<br />「学びて然（しか）る後に足らざるを知り、教えて然る後に困（くる）しむを知る」と読む。</p><p>この箴言の意味は「学ぶことで自分に足らないことが分かる。学ばなければ足らない事すら分からない」。そして「人に教えることで、自分の不勉強に気づかされる。自分の未熟さを知ることで努力しなければならないことに気づかされる」ということだろうか。</p><p>残念ながら選考順位に至らなかったチームにあっても、何かしら課題と収穫はあったはず。後悔やミス、レース展開や心理的な不覚を含めて、課題は対策の立案となり次の目標に向けて始動するしかない。</p><p>予選会は選手以上に指導者の方々の苦悩が伝わってくるものだ。まさに“教えて然るのちに困しむを知る”である。</p><p>その苦しみの先にこそ歓喜が訪れることを信じ、秋のシーズンを待ちたい。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第45回「インカレの舞台に立つ難しさ～走ることを楽しみ、意義を見出して～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/136841</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 May 2024 18:00:51 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[関東インカレ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[山口純平]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 30 May 2024 12:15:58 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 30 May 2024 12:15:58 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第45回「インカレの舞台に立つ難しさ～走ることを楽しみ、意義を見出して～」</h2>
<p>5月のコラムは関東インカレの話題で書かせていただいてきた（<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/34430">第9回</a>、<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/73437">21回</a>、<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/103424">33回</a>）。毎年のように激闘の末のドラマがあり、悲喜こもごもの熱い青春のたぎりを感じさせてくれる大会だからだ。</p>
<p>今年の第103回関東学生陸上競技対校選手権は、新型コロナウイルスの5類への移行を受けて、各大学恒例の集団応援が響き渡る国立競技場にて開催された。</p>
<p>2年前の応援自粛の中で、静かに開催せざるを得なかったことを思えば、国立競技場でこの大声援に包まれて大会を開催できることにありがたき幸せを感じる。<br />
　<br />
山梨学院大学は、800mで3名が決勝に進出。10000m競歩、1500m、3000m障害、走幅跳、三段跳でも得点を重ね、留学生が出場した10000mとハーフマラソン以外の得点でも1部残留得点を超え29年連続で1部残留を果たした。</p>
<p>1部16校の総合得点の15位と16位が2部に降格となる。15位の大東大が21点、14位で残留となった明大が24点。わずか3点の差が明暗を分けた。</p>
<p>インカレは対校戦であるがに故に、総合得点が最終評価となる。その雰囲気の中で、それぞれの種目の覇者となることの意義と難しさ、得点を加算できる8位以内に入賞することの重要性を自覚する部員たちの競技会である。</p>
<p>選手も指導者も、それなりに高い緊張感と大きなプレッシャーを抱えての4日間であったことだろう。</p>
<p>インカレ中も箱根駅伝を目指す各チームは、集団応援の合間を縫ってジョギングやペース走などの練習時間を確保して神宮外苑などで走りこんでいる。過去開催してきた相模原ギオンスタジアムであれば併設のクロスカントリーコース。神奈川・日産スタジアムであれば外周コースなどがある。</p>
<p>スタンドで応援する学生たちや、合間を縫うように練習に励む各大学部員たちの後姿を見るにつけ、4年間という限られた時間の中で代表選手としてこのような大声援を背に走ることができるチャンスは限られていることを常々思ってしまう。</p>
<p>そのようにひとりごちていると、ある選手のことが脳裏をよぎった。</p>
<p>山梨学院高校卒業生の山口純平君（ELDORESO）、27歳。</p>
<p>2013年、山梨学院高校が第64回全国高校駅伝で優勝した時の登録選手であったが出走の機会はなく、翌年の65回大会はキャプテンとして4区を走り区間34位。卒業後は国士舘大学へ進学するも4年間は対校戦など公式戦への出場はなかった。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/05/TK1_16781.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">2014年の第65回全国高校駅伝で4区を走った山口純平</span></p></div>
<p>インカレ期間中などで、前述のような練習時間が各大学と重なる中で走っている姿を見かけるたびに、「お～い純平。頑張れよ！」と声をかけていた。</p>
<p>大学を卒業後はそうそう顔を合わせる機会もなくなるだろうと思っていた。</p>
<p>そんな矢先の2019年のおかやまマラソンを2時間17分37秒で２位、翌年の2020年高知龍馬マラソン優勝。市民ランナーとしての活躍を目にするようになった。</p>
<p>そんなこんなでたびたびネット上で見かけるようになり、なんと2022年の第31回IAU100km世界選手権（ドイツ・ベルリン）の日本代表となっている。この大会では個人として銀メダル、チームジャパンとして団体金メダルを獲得している。</p>
<p>東京マラソンや福岡国際マラソンなどにも参加しつつ、ウルトラマラソンランナーとしての活躍が目覚ましい。ポップで派手目のウェアーで走る姿の山口選手の市民ランナーとしての認知度が浸透してきているのを感じている。</p>
<p>月間走行距離が1000kmを超える月もあるそうで、一般社員として仕事をこなしつつトレーニングを継続してゆくことは並大抵のことではないと思い本人に聞いてみた。</p>
<p>「市民マラソンの大会に参加させていただくようになって、走ることを楽しんでいる方々から刺激をいただいて今がある。だから走ることの楽しさを見失わないように取り組んでいる。ウルトラマラソンも苦しみはあるが、その先の喜びや楽しさがあると想像できれば今の苦しみも楽しみに変わる。高校駅伝や箱根駅伝に向けて、その大会で走れなければ意味がないと自分を追い込んでいた時期があった。だからこそ今の楽しさを見つけることができた。会社を含めて応援していただいている方々に、自分が頑張っていることによって喜んでいただけると思うと今日も頑張れる」と語ってもらった。</p>
<p>ランニングウェアーのELDORESOを展開している株式会社タイムマシーンの阿久澤隆社長は、国士舘大学で添田正美前駅伝監督の1年先輩にあたる陸上部のご出身とお聞きした。</p>
<p>「2019年に卒業する走ることが好きな学生を紹介してほしい」と添田前監督に依頼したところ山口君を紹介されたそうだ。</p>
<p>早速どのような競技実績があるのかネットで検索してみたものの、何も主だった競技成績が出てこない。再度どのような選手なのか添田前監督に確認したところ、「山口は一生走り続けるような子ですよ」と推薦されたそうだ。</p>
<p>その言葉通り走り続け、走ることを楽しみ、走ることの意義さえも見出している。</p>
<p>昨年のサロマ湖100kmウルトラマラソンでは6時間6分08秒の日本新記録を達成している。世界記録はリトアニアのA.ソロキン選手が持つ6時間5分35秒（１km平均約3分39秒のペース）だ。</p>
<p>その33秒に挑むサロマ湖100kmウルトラマラソンが6月に開催される。楽しみを見失わず走った先に、新記録達成が成就されることを願ってやまない。</p>
<p>そういえば2014年2月に甲府市内のホテルで高校駅伝優勝の報告会を行ったとき、甲府市は気象観測始まって以来の豪雪に見舞われてしまい、交通機関が完全にストップしてしまった。</p>
<p>報告会に参加していた山口君のお母さんは、量販店で長靴を買い求め徒歩で笹子峠を越え中央本線の始発に間に合うように夜通し歩いて帰ったと聞いた。</p>
<p>5人兄弟の次男である山口君なので、お母さんが弟や妹のことを考えて徒歩で山越えを果たしたパワーは、確実に遺伝子として山口君に受け継がれていると確信している。</p>
<p>「ガンバレ純平！」</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/05/2G4A49801.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">昨年6月のサロマ湖100kmウルトラマラソンで日本記録を樹立した山口純平（ELDORESO提供）</span></p></div>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第45回「インカレの舞台に立つ難しさ～走ることを楽しみ、意義を見出して～」</h2><p>5月のコラムは関東インカレの話題で書かせていただいてきた（<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/34430">第9回</a>、<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/73437">21回</a>、<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/103424">33回</a>）。毎年のように激闘の末のドラマがあり、悲喜こもごもの熱い青春のたぎりを感じさせてくれる大会だからだ。</p><p>今年の第103回関東学生陸上競技対校選手権は、新型コロナウイルスの5類への移行を受けて、各大学恒例の集団応援が響き渡る国立競技場にて開催された。</p><p>2年前の応援自粛の中で、静かに開催せざるを得なかったことを思えば、国立競技場でこの大声援に包まれて大会を開催できることにありがたき幸せを感じる。<br />　<br />山梨学院大学は、800mで3名が決勝に進出。10000m競歩、1500m、3000m障害、走幅跳、三段跳でも得点を重ね、留学生が出場した10000mとハーフマラソン以外の得点でも1部残留得点を超え29年連続で1部残留を果たした。</p><p>1部16校の総合得点の15位と16位が2部に降格となる。15位の大東大が21点、14位で残留となった明大が24点。わずか3点の差が明暗を分けた。</p><p>インカレは対校戦であるがに故に、総合得点が最終評価となる。その雰囲気の中で、それぞれの種目の覇者となることの意義と難しさ、得点を加算できる8位以内に入賞することの重要性を自覚する部員たちの競技会である。</p><p>選手も指導者も、それなりに高い緊張感と大きなプレッシャーを抱えての4日間であったことだろう。</p><p>インカレ中も箱根駅伝を目指す各チームは、集団応援の合間を縫ってジョギングやペース走などの練習時間を確保して神宮外苑などで走りこんでいる。過去開催してきた相模原ギオンスタジアムであれば併設のクロスカントリーコース。神奈川・日産スタジアムであれば外周コースなどがある。</p><p>スタンドで応援する学生たちや、合間を縫うように練習に励む各大学部員たちの後姿を見るにつけ、4年間という限られた時間の中で代表選手としてこのような大声援を背に走ることができるチャンスは限られていることを常々思ってしまう。</p><p>そのようにひとりごちていると、ある選手のことが脳裏をよぎった。</p><p>山梨学院高校卒業生の山口純平君（ELDORESO）、27歳。</p><p>2013年、山梨学院高校が第64回全国高校駅伝で優勝した時の登録選手であったが出走の機会はなく、翌年の65回大会はキャプテンとして4区を走り区間34位。卒業後は国士舘大学へ進学するも4年間は対校戦など公式戦への出場はなかった。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/05/TK1_16781.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">2014年の第65回全国高校駅伝で4区を走った山口純平</span></p></div><p>インカレ期間中などで、前述のような練習時間が各大学と重なる中で走っている姿を見かけるたびに、「お～い純平。頑張れよ！」と声をかけていた。</p><p>大学を卒業後はそうそう顔を合わせる機会もなくなるだろうと思っていた。</p><p>そんな矢先の2019年のおかやまマラソンを2時間17分37秒で２位、翌年の2020年高知龍馬マラソン優勝。市民ランナーとしての活躍を目にするようになった。</p><p>そんなこんなでたびたびネット上で見かけるようになり、なんと2022年の第31回IAU100km世界選手権（ドイツ・ベルリン）の日本代表となっている。この大会では個人として銀メダル、チームジャパンとして団体金メダルを獲得している。</p><p>東京マラソンや福岡国際マラソンなどにも参加しつつ、ウルトラマラソンランナーとしての活躍が目覚ましい。ポップで派手目のウェアーで走る姿の山口選手の市民ランナーとしての認知度が浸透してきているのを感じている。</p><p>月間走行距離が1000kmを超える月もあるそうで、一般社員として仕事をこなしつつトレーニングを継続してゆくことは並大抵のことではないと思い本人に聞いてみた。</p><p>「市民マラソンの大会に参加させていただくようになって、走ることを楽しんでいる方々から刺激をいただいて今がある。だから走ることの楽しさを見失わないように取り組んでいる。ウルトラマラソンも苦しみはあるが、その先の喜びや楽しさがあると想像できれば今の苦しみも楽しみに変わる。高校駅伝や箱根駅伝に向けて、その大会で走れなければ意味がないと自分を追い込んでいた時期があった。だからこそ今の楽しさを見つけることができた。会社を含めて応援していただいている方々に、自分が頑張っていることによって喜んでいただけると思うと今日も頑張れる」と語ってもらった。</p><p>ランニングウェアーのELDORESOを展開している株式会社タイムマシーンの阿久澤隆社長は、国士舘大学で添田正美前駅伝監督の1年先輩にあたる陸上部のご出身とお聞きした。</p><p>「2019年に卒業する走ることが好きな学生を紹介してほしい」と添田前監督に依頼したところ山口君を紹介されたそうだ。</p><p>早速どのような競技実績があるのかネットで検索してみたものの、何も主だった競技成績が出てこない。再度どのような選手なのか添田前監督に確認したところ、「山口は一生走り続けるような子ですよ」と推薦されたそうだ。</p><p>その言葉通り走り続け、走ることを楽しみ、走ることの意義さえも見出している。</p><p>昨年のサロマ湖100kmウルトラマラソンでは6時間6分08秒の日本新記録を達成している。世界記録はリトアニアのA.ソロキン選手が持つ6時間5分35秒（１km平均約3分39秒のペース）だ。</p><p>その33秒に挑むサロマ湖100kmウルトラマラソンが6月に開催される。楽しみを見失わず走った先に、新記録達成が成就されることを願ってやまない。</p><p>そういえば2014年2月に甲府市内のホテルで高校駅伝優勝の報告会を行ったとき、甲府市は気象観測始まって以来の豪雪に見舞われてしまい、交通機関が完全にストップしてしまった。</p><p>報告会に参加していた山口君のお母さんは、量販店で長靴を買い求め徒歩で笹子峠を越え中央本線の始発に間に合うように夜通し歩いて帰ったと聞いた。</p><p>5人兄弟の次男である山口君なので、お母さんが弟や妹のことを考えて徒歩で山越えを果たしたパワーは、確実に遺伝子として山口君に受け継がれていると確信している。</p><p>「ガンバレ純平！」</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/05/2G4A49801.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">昨年6月のサロマ湖100kmウルトラマラソンで日本記録を樹立した山口純平（ELDORESO提供）</span></p></div><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第44回「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/134267</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Apr 2024 18:00:39 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[森井勇磨]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
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		<gnf:modified>Wed, 01 May 2024 11:03:50 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Wed, 01 May 2024 11:03:50 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第44回「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」</h2>
<p>４月を振り返ると、前半は水彩画の技法のように、薄く水で溶いた黄緑色が野山に少し潤いを与えたように彩られていた。そう思う間もなく後半には濃い緑が新緑の勢いを誇示する風景となってきた。</p>
<p>春爛漫と言いたいところではあるが、花粉症と黄砂に悩まされた日々でもあった。眼のかゆみ・くしゃみ・鼻水・鼻詰まりは、なかなかしんどいものである。コロナ禍でマスク着用が日常であったことを顧みれば、点眼薬に助けられつつも耐えようがある。</p>
<p>4月は年度の始めということもあり新生活がスタートする。会社では入社式、学校ならば入学式や始業式が執り行われる。生活環境や生活様式、規則や規律、風土・風習などの違いは戸惑う日々となったことだろう。不慣れを受け入れ、それを理解してゆくにはそれぞれの時間軸に違いが生じるものだ。</p>
<p>「習うより慣れよ」としばしば言われるが、言ってはみるものの慣れるには時間が必要と承知している。慣れないうちにしでかしたミスは、後の教訓となり生きる財産となることが多い。この年になって振り返るとつくづく実感される。</p>
<p>学校スポーツの現場では、さながら「習いながら慣れよ」といった実践が施されてゆく。コーチングは常に、放任を自主性重視と言い換えたり、改革改善の余地がある行動規範を伝統といいつつ、そのタイミングを失ってしまうことの無いように取り組まなければならないからだ。</p>
<p>“習う＝学ぶ”と捉えれば、学ぶ意欲や楽しさを享受できる環境や指導法に一工夫凝らす努力が必要となってくる。</p>
<p>「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」の言葉がある。コーチングの基本に立ち返れば『やって見せ（手本・見本を示す）、言って聞かせて（理論や根拠を教える）、させてみて（実践と継続）、褒めて（経過観察による評価・称賛）人を動かす（モチベーションセオリー）』のように多岐にわたる配慮が必要となってくる。そのうえでさらに踏み込めば、「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」と言いたくもなる。</p>
<p>マニュアルは知っているが、頭でっかちとなって実戦で役立たないようでは競技者としての成長が望めないからだ。<br />
　<br />
最初は「知らない・できない・わからない」で当然。失敗と下手、追いつかない・届かないことが当たり前からのスタートだ。選手は常に知らないことを知ろうとする学習意欲を保ち、できないことができるようになるための継続をあきらめず、わからないことの真意を探求し理解する勤勉さを持つべきともいえる。</p>
<p>このような思いで選手と指導者がグラウンドに立つ時に相互の思いが結ばれ、それがチームに反映されるならば集団の熱量となって結果につながると信じてきた。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/PoYBDB25-0151-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年2月の大阪マラソンを走る森井勇磨。一時期実業団に在籍したが、現在は市民ランナーとして走り続けている</span></p></div>
<p>ある卒業生が“知らない・できない・わからない”からスタートし、やがて「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」との思いを、まさしく実践と結果で示してくれたことに驚いた。</p>
<p>4月15日伝統のボストンマラソン。2時間9分59秒で日本人トップの8位に入賞。森井勇磨（33歳：京都陸協）の名前がリザルトに書き込まれていた。</p>
<p>森井は2014年の第90回箱根駅伝のアンカー。留年して迎えたこの大会で１回のみ出走を果たしている。ちなみのこの年は2区のエノック・オムワンバが腓骨疲労骨折のため途中棄権した年であり、3区以降は参考記録となっている。そのため区間順位はついていないが、区間５位相当の記録で走破している。</p>
<p>京都・山城高校から入学してきた森井君は、真面目で一徹な走ることが大好きな選手の印象があった。そんな良き面を覆いかぶせるほどに、リズム体操やラダー、ミニハードル・バランスボールなど、何をやらせても下手で不器用で遅かった。</p>
<p>何しろできない時間（日々･･･月日）が長く、あきれるほどであったことが思い起こされる。今でもリズム体操を、壊れたブリキのおもちゃのような動きでやっている姿を鮮明に思い出す。</p>
<p>卒業後は一時期実業団等に在籍するも、“真面目で一徹＝周りが見えない”ところもあったためか退社。その後は市民ランナーとして走り続けてきた。ボストンマラソンの結果は1981年のこの大会を2時間9分26秒で制した瀬古利彦氏以来の“サブテン”（2時間10分切り）を達成しての入賞であったと後に知った。</p>
<p>不器用を絵にかいたような森井君が「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」をまさしく卒業後10年かけてボストンで証明してくれたことは誇らしい。</p>
<p>“知らない・できない・わからない”がやがて“知っている・できる・理解している”になる日を楽しみに、すべての“新入生・新入社員”にエールを贈る。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第44回「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」</h2><p>４月を振り返ると、前半は水彩画の技法のように、薄く水で溶いた黄緑色が野山に少し潤いを与えたように彩られていた。そう思う間もなく後半には濃い緑が新緑の勢いを誇示する風景となってきた。</p><p>春爛漫と言いたいところではあるが、花粉症と黄砂に悩まされた日々でもあった。眼のかゆみ・くしゃみ・鼻水・鼻詰まりは、なかなかしんどいものである。コロナ禍でマスク着用が日常であったことを顧みれば、点眼薬に助けられつつも耐えようがある。</p><p>4月は年度の始めということもあり新生活がスタートする。会社では入社式、学校ならば入学式や始業式が執り行われる。生活環境や生活様式、規則や規律、風土・風習などの違いは戸惑う日々となったことだろう。不慣れを受け入れ、それを理解してゆくにはそれぞれの時間軸に違いが生じるものだ。</p><p>「習うより慣れよ」としばしば言われるが、言ってはみるものの慣れるには時間が必要と承知している。慣れないうちにしでかしたミスは、後の教訓となり生きる財産となることが多い。この年になって振り返るとつくづく実感される。</p><p>学校スポーツの現場では、さながら「習いながら慣れよ」といった実践が施されてゆく。コーチングは常に、放任を自主性重視と言い換えたり、改革改善の余地がある行動規範を伝統といいつつ、そのタイミングを失ってしまうことの無いように取り組まなければならないからだ。</p><p>“習う＝学ぶ”と捉えれば、学ぶ意欲や楽しさを享受できる環境や指導法に一工夫凝らす努力が必要となってくる。</p><p>「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」の言葉がある。コーチングの基本に立ち返れば『やって見せ（手本・見本を示す）、言って聞かせて（理論や根拠を教える）、させてみて（実践と継続）、褒めて（経過観察による評価・称賛）人を動かす（モチベーションセオリー）』のように多岐にわたる配慮が必要となってくる。そのうえでさらに踏み込めば、「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」と言いたくもなる。</p><p>マニュアルは知っているが、頭でっかちとなって実戦で役立たないようでは競技者としての成長が望めないからだ。<br />　<br />最初は「知らない・できない・わからない」で当然。失敗と下手、追いつかない・届かないことが当たり前からのスタートだ。選手は常に知らないことを知ろうとする学習意欲を保ち、できないことができるようになるための継続をあきらめず、わからないことの真意を探求し理解する勤勉さを持つべきともいえる。</p><p>このような思いで選手と指導者がグラウンドに立つ時に相互の思いが結ばれ、それがチームに反映されるならば集団の熱量となって結果につながると信じてきた。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/PoYBDB25-0151-1.jpg" alt="" width="800" height="600" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年2月の大阪マラソンを走る森井勇磨。一時期実業団に在籍したが、現在は市民ランナーとして走り続けている</span></p></div><p>ある卒業生が“知らない・できない・わからない”からスタートし、やがて「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」との思いを、まさしく実践と結果で示してくれたことに驚いた。</p><p>4月15日伝統のボストンマラソン。2時間9分59秒で日本人トップの8位に入賞。森井勇磨（33歳：京都陸協）の名前がリザルトに書き込まれていた。</p><p>森井は2014年の第90回箱根駅伝のアンカー。留年して迎えたこの大会で１回のみ出走を果たしている。ちなみのこの年は2区のエノック・オムワンバが腓骨疲労骨折のため途中棄権した年であり、3区以降は参考記録となっている。そのため区間順位はついていないが、区間５位相当の記録で走破している。</p><p>京都・山城高校から入学してきた森井君は、真面目で一徹な走ることが大好きな選手の印象があった。そんな良き面を覆いかぶせるほどに、リズム体操やラダー、ミニハードル・バランスボールなど、何をやらせても下手で不器用で遅かった。</p><p>何しろできない時間（日々･･･月日）が長く、あきれるほどであったことが思い起こされる。今でもリズム体操を、壊れたブリキのおもちゃのような動きでやっている姿を鮮明に思い出す。</p><p>卒業後は一時期実業団等に在籍するも、“真面目で一徹＝周りが見えない”ところもあったためか退社。その後は市民ランナーとして走り続けてきた。ボストンマラソンの結果は1981年のこの大会を2時間9分26秒で制した瀬古利彦氏以来の“サブテン”（2時間10分切り）を達成しての入賞であったと後に知った。</p><p>不器用を絵にかいたような森井君が「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」をまさしく卒業後10年かけてボストンで証明してくれたことは誇らしい。</p><p>“知らない・できない・わからない”がやがて“知っている・できる・理解している”になる日を楽しみに、すべての“新入生・新入社員”にエールを贈る。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/131858</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Mar 2024 17:55:56 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 28 Mar 2024 12:50:02 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 28 Mar 2024 12:50:02 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」</h2>
<p>桜の開花予報が伝えられるこの季節は、年度末であり卒業のシーズンだ。</p>
<p>教育現場に籍を置けば、人生の節目でもある卒業生に対し、惜別と激励の言葉を述べなければならない。ともに過ごした年月を回顧しつつ、卒業生に対する思い出が甦ってくる。</p>
<p>“指導”という言葉は“指を指し示して導く”という意味だろう。それと知りつつ、実際に指を指し示してみると、自分自身に指が3本向いていることに気づかされる。</p>
<p>「惜別と激励の言葉にふさわしい指導ができたのか？」<br />
自問自答を繰り返す。</p>
<p>新入生を前に、これからともに歩んでいく希望や信念を語るのとは趣が異なる。それでも過去を振り返り、これから社会人として一歩を踏み出す彼らに花向けの言葉を述べなければならない。</p>
<p>冬の寒さに厳しさを知りたるがゆえに<br />
春の到来をことのほか喜び<br />
夏の暑さに挫けそうになりながらも<br />
秋の訪れに心が和む</p>
<p>四季折々の美しさや厳しさ、春夏秋冬それぞれの季節がくっきりと彩られる中で、花鳥風月をともとして過ごされてきた卒業生諸君。それぞれの学び舎で、君たちはどのようなことを学んだだろうか。どれだけ心のフィールドを広げてきただろうか。</p>
<p>毎年手帳に書き込む好きな言葉の1つに、<strong>『春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む』</strong>がある。江戸時代の儒学者・佐藤一斎は、人としての生き方を短い言葉の中に表している。</p>
<p>「春風を以て……」<br />
春の日に優しく吹く風のように人と接することは、人の世を生きていくうえでとても大切なことだろう。優しさは厳しさの中にあって、心を広く深く育ててきた人が持つ財産だから。</p>
<p>それゆえに</p>
<p>「秋霜を以て……」<br />
厳しい寒さに向かう季節を告げるかのような秋の霜のように、自らを厳しく見つめることが肝要なのだと締めくくっている。</p>
<p>競技者として自己の限界に挑み、ライバルとの勝負に集中する程に、波立つ気持ちやささくれた感情を制御しきれず、苛立ちや怒りをどこに持って行けば良いのか途方に暮れた経験があるはずだ。競技に真剣に取り組むからこそ、他者に厳しく自分に甘き人の弱さに気づかされる。自らを厳しく律し、人には思いやりを持ち続けることの難しさは、嫌というほど思い知らされてきたことだろう。</p>
<p>それでも陸上競技者として喜怒哀楽の経験を重ね、困難苦難を乗り越えた経験があればこそ、本当の優しさとはどのようなものかに気づき、無意識に行動は伴ってくると信じている。</p>
<p>陸上競技に明け暮れた4年間。速さだの強さだのと言ったところで、人生の一瞬の出来事に過ぎない。肝心なのは、君たちがこの先どのように人と関わり、生きていくかということだろう。</p>
<p>そして、忘れてはならないことがある。君達が入学した2020年は、コロナパンデミックによる感染症対策の真っただ中にいたことだ。</p>
<p>人と関わりつつ生きてゆくことの大切さを語っておきながら、感染症対策の日々はそれとは真逆の生活を余儀なくさてきた経験がある。世界的な感染症の蔓延が私たちに与えた衝撃は余りにも大きく、あらゆる生活様式の規制があった。さらには、大会や行事の中止・延期に対する慟哭（どうこく）があったことだろう。ぶつけようのない怒りを内に秘め、日々を過ごすしかなかったことと思う。</p>
<p>だからこそ君たちは、人と関わり、人として生きるとはどのようなことなのかを深く考えさせられたはずだ。</p>
<p>陸上競技を通じて経験した喜怒哀楽の思い出は、単なる思い出としてではなく、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」の言の葉が持つ意味を、深く知る社会人として歩んでいってほしいと願っている。</p>
<div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864.jpg" alt="" width="800" height="600" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">山梨学大の卒業式にて。中距離ブロックの選手たちと</span></p></div>
<p>【追記】<br />
今年の箱根駅伝後に神奈川大学監督を勇退し、4月から総監督となる大後栄治氏。昨年3月末で駒澤大学監督を勇退し、現在は総監督としてトップ選手の指導にあたる私と同年代の大八木弘明氏。お二人とも、長らく箱根駅伝というステージでともに切磋琢磨してきた盟友である。<br />
<span style="font-size: 8pt;">※編集部注・・・1990年代後半には、そろって駅伝で優勝候補に挙げられたことから、それぞれの大学の頭文字を取って「YKK（山梨学大・神奈川大・駒大）」と呼ばれた</span></p>
<p>お人柄もタイプの違いこそあれ、“春風秋霜”を指導に実践してこられたことは疑う余地がない。</p>
<p>大後氏は、初代を担った青葉昌幸氏の後継として、関東学連の駅伝対策委員長を2014年まで務められた。私がその後を引き継いだこともあり、感慨もひとしおである。</p>
<div id="attachment_131863" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131863" class="wp-image-131863 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-131863" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">歴代駅伝対策委員長の3人。右から初代の青葉昌幸氏、2代目の大後栄治氏、3代目の上田氏</span></p></div>
<p>大八木氏は、田澤廉選手（トヨタ自動車）など一部の卒業生の指導を引き継ぎ担い、世界を目指して有言実行に努めておられる。</p>
<p>お二人には尊敬すべき指導者として多くの刺激を与えていただいた。箱根駅伝を一つの大きな終着駅かつ乗換駅としてチームを育成し、選手に熱き情熱を傾けた監督が、箱根路を卒業するのは一抹の寂しさを感じる。</p>
<p>しかしながら、まだまだその後ろ姿には迸（ほとばし）るエネルギーを感じる。</p>
<p>私は2019年に山梨学院大学の駅伝監督を退いて以来、駅伝チームとは距離を置く立場となったが、駅伝対策委員長として駅伝競技の大会運営の一端に関わらせていただいた。</p>
<p>特に大会の準備・運営で関係各所でのご苦労の深淵を知ることができた。そのことは箱根駅伝をこよなく愛する一人として、さらに慈しみが増したと言える。</p>
<p>今年度限りで駅伝対策委員長も卒業となる。多くの方々に支えていただいたことに感謝の念でいっぱいである。残された本学在籍期間は、中距離コーチとして選手とともに歩みを進めることに情熱を傾けたい。</p>
<p>「春風秋霜」を糧として。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」</h2><p>桜の開花予報が伝えられるこの季節は、年度末であり卒業のシーズンだ。</p><p>教育現場に籍を置けば、人生の節目でもある卒業生に対し、惜別と激励の言葉を述べなければならない。ともに過ごした年月を回顧しつつ、卒業生に対する思い出が甦ってくる。</p><p>“指導”という言葉は“指を指し示して導く”という意味だろう。それと知りつつ、実際に指を指し示してみると、自分自身に指が3本向いていることに気づかされる。</p><p>「惜別と激励の言葉にふさわしい指導ができたのか？」<br />自問自答を繰り返す。</p><p>新入生を前に、これからともに歩んでいく希望や信念を語るのとは趣が異なる。それでも過去を振り返り、これから社会人として一歩を踏み出す彼らに花向けの言葉を述べなければならない。</p><p>冬の寒さに厳しさを知りたるがゆえに<br />春の到来をことのほか喜び<br />夏の暑さに挫けそうになりながらも<br />秋の訪れに心が和む</p><p>四季折々の美しさや厳しさ、春夏秋冬それぞれの季節がくっきりと彩られる中で、花鳥風月をともとして過ごされてきた卒業生諸君。それぞれの学び舎で、君たちはどのようなことを学んだだろうか。どれだけ心のフィールドを広げてきただろうか。</p><p>毎年手帳に書き込む好きな言葉の1つに、<strong>『春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む』</strong>がある。江戸時代の儒学者・佐藤一斎は、人としての生き方を短い言葉の中に表している。</p><p>「春風を以て……」<br />春の日に優しく吹く風のように人と接することは、人の世を生きていくうえでとても大切なことだろう。優しさは厳しさの中にあって、心を広く深く育ててきた人が持つ財産だから。</p><p>それゆえに</p><p>「秋霜を以て……」<br />厳しい寒さに向かう季節を告げるかのような秋の霜のように、自らを厳しく見つめることが肝要なのだと締めくくっている。</p><p>競技者として自己の限界に挑み、ライバルとの勝負に集中する程に、波立つ気持ちやささくれた感情を制御しきれず、苛立ちや怒りをどこに持って行けば良いのか途方に暮れた経験があるはずだ。競技に真剣に取り組むからこそ、他者に厳しく自分に甘き人の弱さに気づかされる。自らを厳しく律し、人には思いやりを持ち続けることの難しさは、嫌というほど思い知らされてきたことだろう。</p><p>それでも陸上競技者として喜怒哀楽の経験を重ね、困難苦難を乗り越えた経験があればこそ、本当の優しさとはどのようなものかに気づき、無意識に行動は伴ってくると信じている。</p><p>陸上競技に明け暮れた4年間。速さだの強さだのと言ったところで、人生の一瞬の出来事に過ぎない。肝心なのは、君たちがこの先どのように人と関わり、生きていくかということだろう。</p><p>そして、忘れてはならないことがある。君達が入学した2020年は、コロナパンデミックによる感染症対策の真っただ中にいたことだ。</p><p>人と関わりつつ生きてゆくことの大切さを語っておきながら、感染症対策の日々はそれとは真逆の生活を余儀なくさてきた経験がある。世界的な感染症の蔓延が私たちに与えた衝撃は余りにも大きく、あらゆる生活様式の規制があった。さらには、大会や行事の中止・延期に対する慟哭（どうこく）があったことだろう。ぶつけようのない怒りを内に秘め、日々を過ごすしかなかったことと思う。</p><p>だからこそ君たちは、人と関わり、人として生きるとはどのようなことなのかを深く考えさせられたはずだ。</p><p>陸上競技を通じて経験した喜怒哀楽の思い出は、単なる思い出としてではなく、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」の言の葉が持つ意味を、深く知る社会人として歩んでいってほしいと願っている。</p><div id="attachment_131862" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131862" class="size-full wp-image-131862" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864.jpg" alt="" width="800" height="600" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/IMG_5864-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-131862" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">山梨学大の卒業式にて。中距離ブロックの選手たちと</span></p></div><p>【追記】<br />今年の箱根駅伝後に神奈川大学監督を勇退し、4月から総監督となる大後栄治氏。昨年3月末で駒澤大学監督を勇退し、現在は総監督としてトップ選手の指導にあたる私と同年代の大八木弘明氏。お二人とも、長らく箱根駅伝というステージでともに切磋琢磨してきた盟友である。<br /><span style="font-size: 8pt;">※編集部注・・・1990年代後半には、そろって駅伝で優勝候補に挙げられたことから、それぞれの大学の頭文字を取って「YKK（山梨学大・神奈川大・駒大）」と呼ばれた</span></p><p>お人柄もタイプの違いこそあれ、“春風秋霜”を指導に実践してこられたことは疑う余地がない。</p><p>大後氏は、初代を担った青葉昌幸氏の後継として、関東学連の駅伝対策委員長を2014年まで務められた。私がその後を引き継いだこともあり、感慨もひとしおである。</p><div id="attachment_131863" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-131863" class="wp-image-131863 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/KPW231016_091-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-131863" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">歴代駅伝対策委員長の3人。右から初代の青葉昌幸氏、2代目の大後栄治氏、3代目の上田氏</span></p></div><p>大八木氏は、田澤廉選手（トヨタ自動車）など一部の卒業生の指導を引き継ぎ担い、世界を目指して有言実行に努めておられる。</p><p>お二人には尊敬すべき指導者として多くの刺激を与えていただいた。箱根駅伝を一つの大きな終着駅かつ乗換駅としてチームを育成し、選手に熱き情熱を傾けた監督が、箱根路を卒業するのは一抹の寂しさを感じる。</p><p>しかしながら、まだまだその後ろ姿には迸（ほとばし）るエネルギーを感じる。</p><p>私は2019年に山梨学院大学の駅伝監督を退いて以来、駅伝チームとは距離を置く立場となったが、駅伝対策委員長として駅伝競技の大会運営の一端に関わらせていただいた。</p><p>特に大会の準備・運営で関係各所でのご苦労の深淵を知ることができた。そのことは箱根駅伝をこよなく愛する一人として、さらに慈しみが増したと言える。</p><p>今年度限りで駅伝対策委員長も卒業となる。多くの方々に支えていただいたことに感謝の念でいっぱいである。残された本学在籍期間は、中距離コーチとして選手とともに歩みを進めることに情熱を傾けたい。</p><p>「春風秋霜」を糧として。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第42回「スポーツの世界における“矛と盾”～切磋琢磨の末に生まれる新時代の息吹～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/129500</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 28 Feb 2024 18:46:26 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Wed, 28 Feb 2024 18:56:05 +0900</gnf:modified>
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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第42回「スポーツの世界における“矛と盾”～切磋琢磨の末に生まれる新時代の息吹～」</h2>
<p>矛盾という言葉の意味は「韓非子」に記されている。</p>
<p>「何でも突き通す矛（剣）」と「どんな攻撃でも防ぐ盾」を売る商人に対して、ある客が「あなたの矛であなたの盾を貫いたらどうなりますか？」と問うてみたところ、商人は答えることができなかった。そこから、つじつまの合わないことを「矛盾」（むじゅん）と言うようになったそうだ。</p>
<p>しかしながら、今回は100回の歴史を重ねてきた箱根駅伝を終え振り返った時、「むじゅん」として使われる漢字の「矛」と「盾」を別の捉え方に思い至った。</p>
<p>故事成語の出典である韓非子による「つじつまが合わぬ矛盾」を語るのではなく、勝負の世界で好敵手としての「盾と矛」の存在としてのイメージが浮かんできたからだ。</p>
<p>より鋭き剣となって最強とうたわれた盾を突き破らんとすることと同じく、より逞しき盾となって鋭き剣に打ち破られんとすることは、ライバル関係であるお互いの必然である。</p>
<p>“好敵手”いわゆる良きライバルの存在があればこそ、レベルの向上を目指す飽くなき探求心が生まれ、日々の鍛錬が継続される。</p>
<p>しのぎを削る矛と盾の勝負に着目しがちであるが、そのようになるまでにどのように鍛え上げてきたのかに興味が尽きない。</p>
<p>いずれにせよ、ライバルとして相手の力を知り、それを認め、超えようとすることがスポーツの醍醐味であり魅力でもあるからだ。</p>
<p>箱根駅伝の勝負のゆくえは臨場感満載の中継や専門誌で伝えられている。その背景には前回王者の駒澤大学に挑み、見事大会新記録で制した青山学院大学を筆頭に、すべての大学が、前方の盾を突き破ろうと挑戦し、後方からの矛に突き崩されまいと、鍛錬の1年間を過ごしてきたことに疑う余地はない。チーム内での鍛錬と精進は“切磋琢磨”の日々と言える。</p>
<p>すでに丸亀国際ハーフマラソンなど次年度を見据えた強化とせめぎ合いは始まっている。箱根駅伝の余韻も冷めやらぬ1月下旬、駒澤大学の佐藤圭汰選手（2年）が米国のボストンで行われた室内競技会において5000m13分09秒45の室内日本記録を更新。</p>
<p>……と書き終えたところで、2月25日の大阪マラソンでは國學院大學の平林清澄選手（3年）が2時間6分18秒の日本学生新記録・初マラソン日本人最高記録を樹立して優勝した。30km過ぎから先頭を譲らない圧巻の走りであった。</p>
<div id="attachment_129501" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-129501" class="size-full wp-image-129501" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-129501" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">駒大・佐藤圭汰選手（左）と國學院大・平林清澄選手</span></p></div>
<p>ともに「箱根から世界へ」との思いを牽引するランナーとして、今年の活躍を期待したい。</p>
<p>そして、箱根駅伝での結果を受けて、それぞれのチームが監督と学生スタッフとともにどのようにチーム作りを進めてゆくのか注目だ。</p>
<p>大学は毎年選手の入れ替えが行われ、経験を積んだ主将や主務も巣立って行く。それと同時に新たに主将や主務の引継ぎが行われ、歴史を継承すべくチーム作りが始まっている。</p>
<p>3月は卒業式を迎える。現在から未来を見つめるだけでは夢（フィクション・仮想）に過ぎず、卒業して行く先輩やチームの歴史の中にあって、過去から学ぶ姿勢を持つことでノンフィクション（現実）の中で目標を追うことができる。順天堂大学時代に体育経営学の北森義明先生のチームマネージメント（チームビルディング）の講義で、そのように拝聴したことがある。</p>
<p>より強き矛と盾になるためのチーム作りを行うとすれば、未来を予見する鋭い洞察力と現状を把握する観察眼、そして過去から学ぶ姿勢と経緯の検証を謙虚に進めることが必要であろう。</p>
<p>「優れた矛の存在無くして優れた盾の存在はあり得ない」と読み取るならば、すべてのチームがしっかりとしたチーム運営を司り、昨年以上の戦力と結束力を築き上げて再び激戦の箱根路に挑んでくることを信じている。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第42回「スポーツの世界における“矛と盾”～切磋琢磨の末に生まれる新時代の息吹～」</h2><p>矛盾という言葉の意味は「韓非子」に記されている。</p><p>「何でも突き通す矛（剣）」と「どんな攻撃でも防ぐ盾」を売る商人に対して、ある客が「あなたの矛であなたの盾を貫いたらどうなりますか？」と問うてみたところ、商人は答えることができなかった。そこから、つじつまの合わないことを「矛盾」（むじゅん）と言うようになったそうだ。</p><p>しかしながら、今回は100回の歴史を重ねてきた箱根駅伝を終え振り返った時、「むじゅん」として使われる漢字の「矛」と「盾」を別の捉え方に思い至った。</p><p>故事成語の出典である韓非子による「つじつまが合わぬ矛盾」を語るのではなく、勝負の世界で好敵手としての「盾と矛」の存在としてのイメージが浮かんできたからだ。</p><p>より鋭き剣となって最強とうたわれた盾を突き破らんとすることと同じく、より逞しき盾となって鋭き剣に打ち破られんとすることは、ライバル関係であるお互いの必然である。</p><p>“好敵手”いわゆる良きライバルの存在があればこそ、レベルの向上を目指す飽くなき探求心が生まれ、日々の鍛錬が継続される。</p><p>しのぎを削る矛と盾の勝負に着目しがちであるが、そのようになるまでにどのように鍛え上げてきたのかに興味が尽きない。</p><p>いずれにせよ、ライバルとして相手の力を知り、それを認め、超えようとすることがスポーツの醍醐味であり魅力でもあるからだ。</p><p>箱根駅伝の勝負のゆくえは臨場感満載の中継や専門誌で伝えられている。その背景には前回王者の駒澤大学に挑み、見事大会新記録で制した青山学院大学を筆頭に、すべての大学が、前方の盾を突き破ろうと挑戦し、後方からの矛に突き崩されまいと、鍛錬の1年間を過ごしてきたことに疑う余地はない。チーム内での鍛錬と精進は“切磋琢磨”の日々と言える。</p><p>すでに丸亀国際ハーフマラソンなど次年度を見据えた強化とせめぎ合いは始まっている。箱根駅伝の余韻も冷めやらぬ1月下旬、駒澤大学の佐藤圭汰選手（2年）が米国のボストンで行われた室内競技会において5000m13分09秒45の室内日本記録を更新。</p><p>……と書き終えたところで、2月25日の大阪マラソンでは國學院大學の平林清澄選手（3年）が2時間6分18秒の日本学生新記録・初マラソン日本人最高記録を樹立して優勝した。30km過ぎから先頭を譲らない圧巻の走りであった。</p><div id="attachment_129501" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-129501" class="size-full wp-image-129501" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/02/f1e768ab3fc7286954bb5543c0107c33-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-129501" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">駒大・佐藤圭汰選手（左）と國學院大・平林清澄選手</span></p></div><p>ともに「箱根から世界へ」との思いを牽引するランナーとして、今年の活躍を期待したい。</p><p>そして、箱根駅伝での結果を受けて、それぞれのチームが監督と学生スタッフとともにどのようにチーム作りを進めてゆくのか注目だ。</p><p>大学は毎年選手の入れ替えが行われ、経験を積んだ主将や主務も巣立って行く。それと同時に新たに主将や主務の引継ぎが行われ、歴史を継承すべくチーム作りが始まっている。</p><p>3月は卒業式を迎える。現在から未来を見つめるだけでは夢（フィクション・仮想）に過ぎず、卒業して行く先輩やチームの歴史の中にあって、過去から学ぶ姿勢を持つことでノンフィクション（現実）の中で目標を追うことができる。順天堂大学時代に体育経営学の北森義明先生のチームマネージメント（チームビルディング）の講義で、そのように拝聴したことがある。</p><p>より強き矛と盾になるためのチーム作りを行うとすれば、未来を予見する鋭い洞察力と現状を把握する観察眼、そして過去から学ぶ姿勢と経緯の検証を謙虚に進めることが必要であろう。</p><p>「優れた矛の存在無くして優れた盾の存在はあり得ない」と読み取るならば、すべてのチームがしっかりとしたチーム運営を司り、昨年以上の戦力と結束力を築き上げて再び激戦の箱根路に挑んでくることを信じている。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第41回「箱根駅伝100回大会の背景にあるもの～101回大会へ繋げるために～」</title>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Jan 2024 17:55:50 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[関東学連]]></category>
		<category><![CDATA[能登半島地震]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 30 Jan 2024 19:25:59 +0900</gnf:modified>
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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第41回「箱根駅伝100回大会の背景にあるもの～101回大会へ繋げるために～」</h2>
<p>あの日が始まりであった。</p>
<p>1920年2月14日午後1時スタートラインに並んだのは早大・慶大・明大・東京高師（現・筑波大）の4大学。記念すべき第1回大会の号砲と共に代表4名の選手たちは信じる未来へと駆けだした。</p>
<p>そして2024年1月3日。100回目の学生たちが信じる気持ちを未来へ届ける襷の継走が終了した。</p>
<p>その名も通称「箱根駅伝」。</p>
<p>創設に至る情熱や苦難の過程は100年前を知らぬ私が論を述べるには憚（はばか）られるが、金栗四三・沢田英一・野口源三郎（敬称略）を中心に学生たちの熱い息吹と行動力があったことは事実である。まさに敬服の至りであり、いかに時代が変われども、その熱い息吹が継承される大会でなければならないだろう。</p>
<p>しかも、100回の歴史を積み重ねてきたことを振り返れば、時代の波に翻弄されながらも、創意と工夫を加えながら学生たちの力を結集して乗り越えてきた経緯も見逃してはならない。</p>
<p>箱根駅伝開催1年前の1919年に、関東学生陸上競技連盟（以下、関東学連）は日本で最古の学生競技団体として設立されている。戦後復興過程の中でいち早く開催されたのが関東学生陸上競技対校選手権大会（以下、関東インカレ）であり、その後数々の交渉を乗り越え箱根駅伝の再スタートが切られている。<br />
（※すでに関東インカレは3年前の2021年に100回の記念大会を終えている）</p>
<p>箱根駅伝の開催は、関東学連の設立なくしてありえなかったことは事実であるから、箱根駅伝の歴史とともに関東学連の歩みがある。</p>
<p>今年度の関東学連年間業務カレンダーを振り返ると、下記のような大会が並ぶ。</p>
<blockquote><p>5月　関東インカレ<br />
6月　全日本大学駅伝関東地区選考会<br />
7月　網走夏季記録挑戦競技会、トワイライト・ゲームス<br />
9月　関東学生新人、関東大学女子駅伝<br />
10月　箱根駅伝予選会<br />
11月　10000m記録挑戦競技会<br />
1月　箱根駅伝<br />
3月　春季オープン競技会</p></blockquote>
<p>これら競技会の開催に向けての競技場の決定および審判・補助員の依頼など、開催準備・大会運営・終了後の各種事務処理や記録申請など多岐にわたる業務を行いながらも、年間を通して箱根駅伝の準備・運営にも携わっていただいている。</p>
<div id="attachment_127185" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127185" class="wp-image-127185 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-127185" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">箱根駅伝の運営にあたった関東学連の学生スタッフ</span></p></div>
<p>その他にも強化合宿や海外派遣事業、日本学連主催の日本インカレ・出雲駅伝・全日本大学駅伝・日本学生個人選手権の運営協力など多岐にわたっている。</p>
<p>箱根駅伝関連に焦点を当てれば、予選会で使用させていただいている陸上自衛隊立川駐屯地や昭和記念公園の借用交渉や、立川市内の道路使用許可申請。箱根駅伝では大手町から箱根・芦ノ湖までの道路使用許可申請、各中継所での施設利用申請、通過する自治体との運営協力のお願い。大手町・芦ノ湖での各大学の応援団活動をさせていただくビルや駐車場の借用申請に至るまで奔走していただいている。</p>
<p>近年は応援団の活動する場所近くで声援を送りたいと考える方が多くなり、人の流れが滞る状況が散見されるようになってきている。警視庁や神奈川県警からの指導もあり、専任の警備員を各大学2名配置し、人の流れが滞らないようにすることと車道に人が溢れないように担当していただいている。今回は23校2日間で184名の警備員を手配したことになる。</p>
<div id="attachment_127188" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127188" class="wp-image-127188 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-127188" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今大会も警視庁、神奈川県警の白バイ隊員が先導を務めた</span></p></div>
<p>箱根駅伝2日間では加盟各大学にご協力いただき、学生補助員を約2000名派遣していただいている。大会プログラムをお持ちの方ならぜひページをめくっていただきたい。すべての補助員の氏名が記載されている。競技運営と審判および交通規制担当者には、誰がどの場所を担当するのか、そして誰が責任者となるのかも事前に知らされてくる。</p>
<p>コース上での交通規制のみならず、沿道と沿線での交通網を利用しての移動と人流整備を含む安全の確保は、年々ハードルが高くなる思いである。</p>
<div id="attachment_127187" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127187" class="wp-image-127187 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/KO2401020011.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/KO2401020011.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/KO2401020011-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/KO2401020011-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-127187" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">箱根駅伝は学生補助員のサポートなくして開催は成立しない</span></p></div>
<p>学生補助員と走路審判員およびセコムなどプロの警備員の配置は前回大会の課題や反省点を踏まえ、手直しと協議を重ねつつ、警察官の交通規制態勢が整えられてゆく。なるべく一般の道路利用者や地元の住人の方々にご迷惑がかからないよう、片道100kmを超えるコースを最小限の交通規制で運営する工夫と体制を整えてゆく。</p>
<p>大正時代では箱根山中で松明を灯しながら走り切ったとの逸話が残っているが、時代の流れとともに交通事情など安全の確保第一で運営してきた歴史が刻まれつつ、今日を迎えていると言える。</p>
<p>数々の配慮のうち報道各社も自主的に御協力いただいていることも見逃せない。</p>
<p>特別後援いただいている日本テレビ放送網は、各中継所のテレビ中継カメラを設置する櫓（やぐら）に箱根駅伝のロゴを印刷した幕は張らない方針を示していただいた。その幕があると、どうしても記念撮影等で人の流れが滞ってしまい、安全確保の障害となるからという。</p>
<p>また読売新聞社・報知新聞社は、沿道で配布する小旗を今大会より各中継所の前後1kmのみに留めていただいた。それは、関東学連として安全確保のため各大学に幟（のぼり）や小旗の掲出は自粛していただくようにお願いしていることを受けての判断だそうだ。まずは共催の読売新聞社・後援の報知新聞社が率先して自主規制させていただくことで協力したいとお聞きした。</p>
<p>マスコミだからとて、華やかな見てくれを優先するのではなく、大会本来の在り方を示す“心意気”を示していただいたと感じた。このことはスタート前に、これから走り出す選手の“心意気”を示す眼差しと同じものであり、その結果襷リレーを終えた時の“心映え”した表情に繋がるのではないかと思えた。</p>
<p>100回記念大会が無事終了し、すべての選手関係者の心映えを力の源として101回大会は新たな心意気を示す大会となるよう期待している。</p>
<p><strong>～能登半島地震で被災された皆様へ～</strong><br />
1月1日元旦夕刻。家族団欒、友人知人との再会や語らい。住み慣れた住居や街並みまで地震という不意に訪れる自然災害の脅威に直撃されてしまい、被災された皆様方に心からのお見舞申し上げます。そして、残念ながら尊い命を奪われた方々に衷心より哀悼の意をお伝えしたいと思います。</p>
<p>この災害のなか、箱根駅伝を開催させていただきました。大会当日スタート前の監督会議で関東学連の有吉正博会長が口にした「被災された方々に少しでも力を与えることができるよう、選手諸君には全力で頑張ってほしい」との言葉を受け、選手たちは襷に被災された皆様がたへの思いを込めて走り抜けてくれたことと確信しております。</p>
<p>1月21日に人口3万人ほどの東京都瑞穂町の町内駅伝に参加した折に、能登半島に深い思い入れのある駅伝ランナーと語らう機会を得ました。日体大で箱根駅伝4年連続優勝、区間賞3回、区間2位1回のうち9区と5区で区間新記録を樹立された石倉義隆さん（78歳）です。</p>
<p>昭和の時代、当時の三大駅伝（能登駅伝・全日本駅伝・箱根駅伝）と呼ばれていた全日本学生選抜能登半島一周駅伝（1968～77年）に4年間出場し、優勝4回・区間賞7回を獲得（3日間で2回出走可能）したという偉大なる大先輩。</p>
<p>石倉さんは、能登駅伝には昭和45年（1970年）から出場されており、3日間で能登半島を一周する26区間343.1kmのコースだったので、「連日報道されている七尾や珠洲、輪島など走らせていただいた風光明媚な景色と街並みの思い出が、無残な形で映し出されるのを見て、とても心痛めている」と語られていました。</p>
<p>特に宿泊は主に民宿であったため、「地元の獲れたての魚や食材で温かくもてなされ、応援も心に届けていただいた思い出が蘇ってきて、なおも心が強く締め付けられる」とも。</p>
<p>能登の景色と地元の方々の温かい声援を受けた思い出があればこそ、被災された皆さんに温かいお見舞いの言葉を届けることができると思い、この場を借りてお伝えさせていただきました。</p>
<div id="attachment_127189" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127189" class="size-full wp-image-127189" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676.jpg" alt="" width="2560" height="1706" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-1024x682.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-1536x1024.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-127189" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中央が上田氏、右下が石倉氏、左下が箱根駅伝で駒大初出場時のメンバーである井上氏、右上が東農大OBの清水氏</span></p></div>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第41回「箱根駅伝100回大会の背景にあるもの～101回大会へ繋げるために～」</h2><p>あの日が始まりであった。</p><p>1920年2月14日午後1時スタートラインに並んだのは早大・慶大・明大・東京高師（現・筑波大）の4大学。記念すべき第1回大会の号砲と共に代表4名の選手たちは信じる未来へと駆けだした。</p><p>そして2024年1月3日。100回目の学生たちが信じる気持ちを未来へ届ける襷の継走が終了した。</p><p>その名も通称「箱根駅伝」。</p><p>創設に至る情熱や苦難の過程は100年前を知らぬ私が論を述べるには憚（はばか）られるが、金栗四三・沢田英一・野口源三郎（敬称略）を中心に学生たちの熱い息吹と行動力があったことは事実である。まさに敬服の至りであり、いかに時代が変われども、その熱い息吹が継承される大会でなければならないだろう。</p><p>しかも、100回の歴史を積み重ねてきたことを振り返れば、時代の波に翻弄されながらも、創意と工夫を加えながら学生たちの力を結集して乗り越えてきた経緯も見逃してはならない。</p><p>箱根駅伝開催1年前の1919年に、関東学生陸上競技連盟（以下、関東学連）は日本で最古の学生競技団体として設立されている。戦後復興過程の中でいち早く開催されたのが関東学生陸上競技対校選手権大会（以下、関東インカレ）であり、その後数々の交渉を乗り越え箱根駅伝の再スタートが切られている。<br />（※すでに関東インカレは3年前の2021年に100回の記念大会を終えている）</p><p>箱根駅伝の開催は、関東学連の設立なくしてありえなかったことは事実であるから、箱根駅伝の歴史とともに関東学連の歩みがある。</p><p>今年度の関東学連年間業務カレンダーを振り返ると、下記のような大会が並ぶ。</p><blockquote><p>5月　関東インカレ<br />6月　全日本大学駅伝関東地区選考会<br />7月　網走夏季記録挑戦競技会、トワイライト・ゲームス<br />9月　関東学生新人、関東大学女子駅伝<br />10月　箱根駅伝予選会<br />11月　10000m記録挑戦競技会<br />1月　箱根駅伝<br />3月　春季オープン競技会</p></blockquote><p>これら競技会の開催に向けての競技場の決定および審判・補助員の依頼など、開催準備・大会運営・終了後の各種事務処理や記録申請など多岐にわたる業務を行いながらも、年間を通して箱根駅伝の準備・運営にも携わっていただいている。</p><div id="attachment_127185" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127185" class="wp-image-127185 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/ARI28271-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-127185" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">箱根駅伝の運営にあたった関東学連の学生スタッフ</span></p></div><p>その他にも強化合宿や海外派遣事業、日本学連主催の日本インカレ・出雲駅伝・全日本大学駅伝・日本学生個人選手権の運営協力など多岐にわたっている。</p><p>箱根駅伝関連に焦点を当てれば、予選会で使用させていただいている陸上自衛隊立川駐屯地や昭和記念公園の借用交渉や、立川市内の道路使用許可申請。箱根駅伝では大手町から箱根・芦ノ湖までの道路使用許可申請、各中継所での施設利用申請、通過する自治体との運営協力のお願い。大手町・芦ノ湖での各大学の応援団活動をさせていただくビルや駐車場の借用申請に至るまで奔走していただいている。</p><p>近年は応援団の活動する場所近くで声援を送りたいと考える方が多くなり、人の流れが滞る状況が散見されるようになってきている。警視庁や神奈川県警からの指導もあり、専任の警備員を各大学2名配置し、人の流れが滞らないようにすることと車道に人が溢れないように担当していただいている。今回は23校2日間で184名の警備員を手配したことになる。</p><div id="attachment_127188" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127188" class="wp-image-127188 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/TOS_8518-300x200.jpg 300w, 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8pt;">箱根駅伝は学生補助員のサポートなくして開催は成立しない</span></p></div><p>学生補助員と走路審判員およびセコムなどプロの警備員の配置は前回大会の課題や反省点を踏まえ、手直しと協議を重ねつつ、警察官の交通規制態勢が整えられてゆく。なるべく一般の道路利用者や地元の住人の方々にご迷惑がかからないよう、片道100kmを超えるコースを最小限の交通規制で運営する工夫と体制を整えてゆく。</p><p>大正時代では箱根山中で松明を灯しながら走り切ったとの逸話が残っているが、時代の流れとともに交通事情など安全の確保第一で運営してきた歴史が刻まれつつ、今日を迎えていると言える。</p><p>数々の配慮のうち報道各社も自主的に御協力いただいていることも見逃せない。</p><p>特別後援いただいている日本テレビ放送網は、各中継所のテレビ中継カメラを設置する櫓（やぐら）に箱根駅伝のロゴを印刷した幕は張らない方針を示していただいた。その幕があると、どうしても記念撮影等で人の流れが滞ってしまい、安全確保の障害となるからという。</p><p>また読売新聞社・報知新聞社は、沿道で配布する小旗を今大会より各中継所の前後1kmのみに留めていただいた。それは、関東学連として安全確保のため各大学に幟（のぼり）や小旗の掲出は自粛していただくようにお願いしていることを受けての判断だそうだ。まずは共催の読売新聞社・後援の報知新聞社が率先して自主規制させていただくことで協力したいとお聞きした。</p><p>マスコミだからとて、華やかな見てくれを優先するのではなく、大会本来の在り方を示す“心意気”を示していただいたと感じた。このことはスタート前に、これから走り出す選手の“心意気”を示す眼差しと同じものであり、その結果襷リレーを終えた時の“心映え”した表情に繋がるのではないかと思えた。</p><p>100回記念大会が無事終了し、すべての選手関係者の心映えを力の源として101回大会は新たな心意気を示す大会となるよう期待している。</p><p><strong>～能登半島地震で被災された皆様へ～</strong><br />1月1日元旦夕刻。家族団欒、友人知人との再会や語らい。住み慣れた住居や街並みまで地震という不意に訪れる自然災害の脅威に直撃されてしまい、被災された皆様方に心からのお見舞申し上げます。そして、残念ながら尊い命を奪われた方々に衷心より哀悼の意をお伝えしたいと思います。</p><p>この災害のなか、箱根駅伝を開催させていただきました。大会当日スタート前の監督会議で関東学連の有吉正博会長が口にした「被災された方々に少しでも力を与えることができるよう、選手諸君には全力で頑張ってほしい」との言葉を受け、選手たちは襷に被災された皆様がたへの思いを込めて走り抜けてくれたことと確信しております。</p><p>1月21日に人口3万人ほどの東京都瑞穂町の町内駅伝に参加した折に、能登半島に深い思い入れのある駅伝ランナーと語らう機会を得ました。日体大で箱根駅伝4年連続優勝、区間賞3回、区間2位1回のうち9区と5区で区間新記録を樹立された石倉義隆さん（78歳）です。</p><p>昭和の時代、当時の三大駅伝（能登駅伝・全日本駅伝・箱根駅伝）と呼ばれていた全日本学生選抜能登半島一周駅伝（1968～77年）に4年間出場し、優勝4回・区間賞7回を獲得（3日間で2回出走可能）したという偉大なる大先輩。</p><p>石倉さんは、能登駅伝には昭和45年（1970年）から出場されており、3日間で能登半島を一周する26区間343.1kmのコースだったので、「連日報道されている七尾や珠洲、輪島など走らせていただいた風光明媚な景色と街並みの思い出が、無残な形で映し出されるのを見て、とても心痛めている」と語られていました。</p><p>特に宿泊は主に民宿であったため、「地元の獲れたての魚や食材で温かくもてなされ、応援も心に届けていただいた思い出が蘇ってきて、なおも心が強く締め付けられる」とも。</p><p>能登の景色と地元の方々の温かい声援を受けた思い出があればこそ、被災された皆さんに温かいお見舞いの言葉を届けることができると思い、この場を借りてお伝えさせていただきました。</p><div id="attachment_127189" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-127189" class="size-full wp-image-127189" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676.jpg" alt="" width="2560" height="1706" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-1024x682.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-1536x1024.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5418-scaled-e1706594385676-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-127189" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中央が上田氏、右下が石倉氏、左下が箱根駅伝で駒大初出場時のメンバーである井上氏、右上が東農大OBの清水氏</span></p></div><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第40回「いよいよ100回目の箱根駅伝！～山梨の地からすべての学生ランナーへエール～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/124899</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Dec 2023 17:55:28 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 28 Dec 2023 16:31:08 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 28 Dec 2023 16:31:08 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第40回「いよいよ100回目の箱根駅伝！～山梨の地からすべての学生ランナーへエール～」</h2>
<p>箱根駅伝が100回目の歴史を刻もうとしている。</p>
<p>大正時代に金栗四三氏、沢田英一氏、野口源三郎氏ら若き先達の熱い思いと実行力で創設され、大正・昭和・平成・令和と今の時代まで引き継がれてきた。</p>
<p>積み重ねてきた歴史と伝統に思いを馳せれば、100回目の継走を紡ごうとする箱根駅伝に対する思いの糸は尊い。</p>
<p>打ち寄せる波は、世の流れがどうあろうと変わらぬように見えるが、岩を削り、浜を動かす、の例えがある。箱根駅伝は過去の歴史の中で数々の困難や苦難を乗り越え、今の世に伝えなければならないメッセージを携えて100回を迎えようとしている。</p>
<p>箱根駅伝が、今の世のスポーツ文化を醸成しつつ今日に至っているとすれば、真摯に過去と向き合いこれからを思いたい。</p>
<p>まずは大会を支えていただいた多くのファンの皆様方と、さまざまなかたちでご協力いただいた関係各位の熱意に支えられてきたことに感謝したい。</p>
<p>さらには箱根駅伝創設の前年に設立された学生競技団体である関東学生陸上競技連盟が、綿々と継承してきた学生幹事を中心として、加盟大学の協力のもと大会の運営と開催に従事してきた伝統と継承を讃えたい。</p>
<p>参加各大学が襷にかけた渾身の走りの場を1年間かけて準備し、当日も多岐にわたる大会運営のオペレーションを淡々と処理してゆく姿に、歴代のOB幹事も温かく支える風土が育まれている。</p>
<p>だからこそ、連盟の各種専門委員会はもちろん、共催の読売新聞社、特別後援の日本テレビ放送網株式会社、後援の報知新聞社をはじめ、特別協賛・協賛・運営協力に至るまで一貫して箱根駅伝を支え、応援する姿勢がぶれないことも開催を重ねてこられた理由の一つであろうと捉えている。</p>
<p>大会実行委員会が編成された8月下旬から今日まで延べ30回以上の会議が行われ、各種申請や依頼を含めると、学生幹事や関係者は選手たちが鍛錬する日々とともに全力で駆け抜けるような日々であったと実感している。</p>
<div id="attachment_124900" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-124900" class="size-full wp-image-124900" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-124900" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">11月に開催された箱根駅伝100回記念シンポジウムの様子</span></p></div>
<p>そして迎える100回記念大会。</p>
<p>なんと出場校の23校中10000ｍ上位10名の平均タイムは駒澤大学の28分21秒16を筆頭に20校が29分未満（20位の東農大で28分59秒97）というハイレベルとなっている。</p>
<p>予選会10位通過の東海大が28分32秒14でランキング4位、予選会トップの大東大が28分36秒16でランキング6位。昨年予選会で辛酸をなめた中央学大が28分46秒46で9位ながら27分台の自己ベストを持つエース（吉田礼志選手）を育成してきている。</p>
<p>10000ｍの平均タイムがそのまま駅伝の順位を占う指標になりえないことは、百も承知である。とはいえ、史上最速最強の呼び声高い駒大にどのような戦いを挑むのか、優勝と上位争いから目が離せない。</p>
<p>さらにはシード権をいずれの大学がつかみ取るかなど、過去になく激烈なものとなることは必至だ。それぞれの順位争いを多チャンネルで視聴したいくらいである。</p>
<p>視点を変えると、選手たちの熱き走りを、日本テレビ放送網を通じて完全生中継する技術や配慮も、選手の走力とともに向上してきていることを、中継を通してご理解いただけると思う。</p>
<p>道路規制とコース整理には、ことのほか配慮と準備が必要であることは言うに及ばず。近年はそれに加えて人流の整理や交通網を含めた導線の確保が求められるようになってきている。</p>
<p>安心と安全の構築のために、沿道にお集まりになる観衆の方々にも、大会を運営する当事者意識が芽生えることだろう。駅伝の進行とともに、審判・補助員・警察官と警備員らと協力し合いながら流れるようにご声援いただき、選手の後押しをしていただけたらと願っている。駅伝は道路規制と解除を淀みなく実施しながら走路を確保するという非常に難易度の高いオペレーションを余儀なくされるからだ。</p>
<p>以前のコラムにも書かせていただいたように、駅伝は実力を競う「競走」である。選手が通過する沿道も含めた空間は、審判や補助員・警察官や警備員を含めた協力がなくてはならず、それを「協創」と呼ばせていただきたい。</p>
<p><strong>「する・みる・支える」</strong>の視点からとらえると、歴史を築いてこられた多くの先人たちのご苦労と献身を含め、今回の大会を現地から離れた場所で声援を送り、報道に興味を抱いて記事をお読みになる方、さらにはこの大会によって交通渋滞などご迷惑をおかけした方々も含めて、共に創り上げる「共創」という箱根駅伝が醸し出すスポーツ文化が今後もさらなる醸成を深めなければならないだろう。</p>
<p>まさしく100回を迎えた箱根駅伝は、競走を支える協創、そしてそれらを支える人々と共に創り上げる「共創」へと思いと行動を一致させることで、未来へと襷の継走が可能となるのではないだろうか。</p>
<p>年の瀬を越えようとするこの時期は気運も盛り上がってくるので、またしても大仰なことを書いてしまったが、つい先日このような言葉を駆けられ箱根駅伝に対する初心の一歩を気付かされてしまった。</p>
<p>現在指導しているミドル（中距離）チームは、甲府市にある湯村山の坂道を利用して朝練習をしている。ちょうど折り返し地点が、毎朝ラジオ体操をする方々がお集まりになる場所だ。ラジオから曲が流れてくると、学生時代の手ほどきを思い返しつつ手本？になればとの思いでご一緒させていただいている。</p>
<div id="attachment_124901" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-124901" class="size-full wp-image-124901" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1831" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-300x215.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-1024x732.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-768x549.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-1536x1099.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-2048x1465.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-124901" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">甲府市にある湯村山にて毎朝ラジオ体操をする地域のみなさん。左端が上田氏、右奥で走り込むのは山梨学大の中距離ブロック</span></p></div>
<p>ほぼ毎日80歳以上の方々20名ほどが顔をそろえる。緑ヶ丘運動公園からちょうど1kmの地点である。この寒空にご自宅から2km前後は歩いてこられていると思われる。体操を終え、毎回元気に下山されながら、「学生さんたちの頑張る姿に元気を分けてもらっていますよ」と温かく声をかけていただいている。</p>
<p>その中で最高齢92歳の平賀方子さんが帰り際に「いよいよ箱根ですね。毎年楽しみにしているんですよ。どのチームも一生懸命チームのために一心に走っている姿にひたすら『頑張れ』と応援しています。すべての学生さんにこの思いが届いていると信じていますよ」との言葉が驚くほど心にしみ込んだ。</p>
<p>何故かというと「すべての学生さん」という思いと言葉が心の琴線に触れたからだ。</p>
<p>箱根駅伝が持つ魅力は、すべての学生競技者がこのような思いと信じる気持ちを襷に込めて未来へ運ぶからこそ生み出されるのである。</p>
<p>2024年1月2日午前8時<br />
東京・大手町、読売新聞社前<br />
第100回東京箱根間往復大学駅伝競走<br />
凛として一瞬の静寂を打ち破る<br />
スタートの号砲を待つ！</p>
<p>※箱根駅伝番組公式サイト<a href="https://www.ntv.co.jp/hakone/articles/3758ajnfylku7ij1rzqv.html">「メッセージ~私と箱根駅伝~」</a>にて上田誠仁氏のコラムが掲載！</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第40回「いよいよ100回目の箱根駅伝！～山梨の地からすべての学生ランナーへエール～」</h2><p>箱根駅伝が100回目の歴史を刻もうとしている。</p><p>大正時代に金栗四三氏、沢田英一氏、野口源三郎氏ら若き先達の熱い思いと実行力で創設され、大正・昭和・平成・令和と今の時代まで引き継がれてきた。</p><p>積み重ねてきた歴史と伝統に思いを馳せれば、100回目の継走を紡ごうとする箱根駅伝に対する思いの糸は尊い。</p><p>打ち寄せる波は、世の流れがどうあろうと変わらぬように見えるが、岩を削り、浜を動かす、の例えがある。箱根駅伝は過去の歴史の中で数々の困難や苦難を乗り越え、今の世に伝えなければならないメッセージを携えて100回を迎えようとしている。</p><p>箱根駅伝が、今の世のスポーツ文化を醸成しつつ今日に至っているとすれば、真摯に過去と向き合いこれからを思いたい。</p><p>まずは大会を支えていただいた多くのファンの皆様方と、さまざまなかたちでご協力いただいた関係各位の熱意に支えられてきたことに感謝したい。</p><p>さらには箱根駅伝創設の前年に設立された学生競技団体である関東学生陸上競技連盟が、綿々と継承してきた学生幹事を中心として、加盟大学の協力のもと大会の運営と開催に従事してきた伝統と継承を讃えたい。</p><p>参加各大学が襷にかけた渾身の走りの場を1年間かけて準備し、当日も多岐にわたる大会運営のオペレーションを淡々と処理してゆく姿に、歴代のOB幹事も温かく支える風土が育まれている。</p><p>だからこそ、連盟の各種専門委員会はもちろん、共催の読売新聞社、特別後援の日本テレビ放送網株式会社、後援の報知新聞社をはじめ、特別協賛・協賛・運営協力に至るまで一貫して箱根駅伝を支え、応援する姿勢がぶれないことも開催を重ねてこられた理由の一つであろうと捉えている。</p><p>大会実行委員会が編成された8月下旬から今日まで延べ30回以上の会議が行われ、各種申請や依頼を含めると、学生幹事や関係者は選手たちが鍛錬する日々とともに全力で駆け抜けるような日々であったと実感している。</p><div id="attachment_124900" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-124900" class="size-full wp-image-124900" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/TOS_3913-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-124900" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">11月に開催された箱根駅伝100回記念シンポジウムの様子</span></p></div><p>そして迎える100回記念大会。</p><p>なんと出場校の23校中10000ｍ上位10名の平均タイムは駒澤大学の28分21秒16を筆頭に20校が29分未満（20位の東農大で28分59秒97）というハイレベルとなっている。</p><p>予選会10位通過の東海大が28分32秒14でランキング4位、予選会トップの大東大が28分36秒16でランキング6位。昨年予選会で辛酸をなめた中央学大が28分46秒46で9位ながら27分台の自己ベストを持つエース（吉田礼志選手）を育成してきている。</p><p>10000ｍの平均タイムがそのまま駅伝の順位を占う指標になりえないことは、百も承知である。とはいえ、史上最速最強の呼び声高い駒大にどのような戦いを挑むのか、優勝と上位争いから目が離せない。</p><p>さらにはシード権をいずれの大学がつかみ取るかなど、過去になく激烈なものとなることは必至だ。それぞれの順位争いを多チャンネルで視聴したいくらいである。</p><p>視点を変えると、選手たちの熱き走りを、日本テレビ放送網を通じて完全生中継する技術や配慮も、選手の走力とともに向上してきていることを、中継を通してご理解いただけると思う。</p><p>道路規制とコース整理には、ことのほか配慮と準備が必要であることは言うに及ばず。近年はそれに加えて人流の整理や交通網を含めた導線の確保が求められるようになってきている。</p><p>安心と安全の構築のために、沿道にお集まりになる観衆の方々にも、大会を運営する当事者意識が芽生えることだろう。駅伝の進行とともに、審判・補助員・警察官と警備員らと協力し合いながら流れるようにご声援いただき、選手の後押しをしていただけたらと願っている。駅伝は道路規制と解除を淀みなく実施しながら走路を確保するという非常に難易度の高いオペレーションを余儀なくされるからだ。</p><p>以前のコラムにも書かせていただいたように、駅伝は実力を競う「競走」である。選手が通過する沿道も含めた空間は、審判や補助員・警察官や警備員を含めた協力がなくてはならず、それを「協創」と呼ばせていただきたい。</p><p><strong>「する・みる・支える」</strong>の視点からとらえると、歴史を築いてこられた多くの先人たちのご苦労と献身を含め、今回の大会を現地から離れた場所で声援を送り、報道に興味を抱いて記事をお読みになる方、さらにはこの大会によって交通渋滞などご迷惑をおかけした方々も含めて、共に創り上げる「共創」という箱根駅伝が醸し出すスポーツ文化が今後もさらなる醸成を深めなければならないだろう。</p><p>まさしく100回を迎えた箱根駅伝は、競走を支える協創、そしてそれらを支える人々と共に創り上げる「共創」へと思いと行動を一致させることで、未来へと襷の継走が可能となるのではないだろうか。</p><p>年の瀬を越えようとするこの時期は気運も盛り上がってくるので、またしても大仰なことを書いてしまったが、つい先日このような言葉を駆けられ箱根駅伝に対する初心の一歩を気付かされてしまった。</p><p>現在指導しているミドル（中距離）チームは、甲府市にある湯村山の坂道を利用して朝練習をしている。ちょうど折り返し地点が、毎朝ラジオ体操をする方々がお集まりになる場所だ。ラジオから曲が流れてくると、学生時代の手ほどきを思い返しつつ手本？になればとの思いでご一緒させていただいている。</p><div id="attachment_124901" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-124901" class="size-full wp-image-124901" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1831" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-300x215.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-1024x732.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-768x549.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-1536x1099.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/12/IMG_4835-2048x1465.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-124901" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">甲府市にある湯村山にて毎朝ラジオ体操をする地域のみなさん。左端が上田氏、右奥で走り込むのは山梨学大の中距離ブロック</span></p></div><p>ほぼ毎日80歳以上の方々20名ほどが顔をそろえる。緑ヶ丘運動公園からちょうど1kmの地点である。この寒空にご自宅から2km前後は歩いてこられていると思われる。体操を終え、毎回元気に下山されながら、「学生さんたちの頑張る姿に元気を分けてもらっていますよ」と温かく声をかけていただいている。</p><p>その中で最高齢92歳の平賀方子さんが帰り際に「いよいよ箱根ですね。毎年楽しみにしているんですよ。どのチームも一生懸命チームのために一心に走っている姿にひたすら『頑張れ』と応援しています。すべての学生さんにこの思いが届いていると信じていますよ」との言葉が驚くほど心にしみ込んだ。</p><p>何故かというと「すべての学生さん」という思いと言葉が心の琴線に触れたからだ。</p><p>箱根駅伝が持つ魅力は、すべての学生競技者がこのような思いと信じる気持ちを襷に込めて未来へ運ぶからこそ生み出されるのである。</p><p>2024年1月2日午前8時<br />東京・大手町、読売新聞社前<br />第100回東京箱根間往復大学駅伝競走<br />凛として一瞬の静寂を打ち破る<br />スタートの号砲を待つ！</p><p>※箱根駅伝番組公式サイト<a href="https://www.ntv.co.jp/hakone/articles/3758ajnfylku7ij1rzqv.html">「メッセージ~私と箱根駅伝~」</a>にて上田誠仁氏のコラムが掲載！</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第39回「『駅伝とは……』を真剣に考えてみた」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/121304</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Nov 2023 17:55:19 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[東日本実業団対抗駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[富士山の銘水]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 21 May 2024 13:37:16 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 21 May 2024 13:37:16 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第39回「『駅伝とは……』を真剣に考えてみた」</h2>
<p>残暑の厳しさを嘆き、給水の手段を検討していたかと思えば、三段跳の“ホップ・ステップ・ジャンプ”のごとく“残暑→紅葉→落ち葉”と一気に冬を迎え入れた感がする。</p>
<p>四季折々の味覚や風情は季節の移ろいとともに楽しみたいものだが、なんだか今年は気忙しい。</p>
<p>気忙しいからとて、カレンダーのスケジュールは待ったなしに迫ってくる。先月号のコラムを書き上げ、一息ついたと思っているともう月末である。</p>
<p>10月から11月にかけては、出雲駅伝、箱根駅伝予選会、全日本大学女子駅伝、全日本大学駅伝と立て続けに大学関連の駅伝が息つく暇もなく開催され、早送りボタンを押された画像の様に日々が過ぎてゆく。</p>
<p>その間隙となる11月3日、第64回東日本実業団対抗駅伝が彩の国埼玉県庁から熊谷スポーツ公園陸上競技場までの7区間76.9kmで開催された。この大会は翌年の1月1日に開催される全日本実業団対抗駅伝、通称「ニューイヤー駅伝」の予選会でもある。<br />
※マラソン選手育成の配慮として、10月に行われたMGC（マラソングランドチャンピオンシップ）の参加選手が所属するチームは、選手の負担軽減のためニューイヤー駅伝出場の権利が与えられるルールが新たに導入されている。</p>
<p>今大会では山梨県初の実業団チームである「富士山の銘水」長距離陸上部が初出場。2022年4月に選手3人で発足したばかりだったが、創部2年目で見事11位となり、ニューイヤー駅伝の出場権を獲得した。創部当初は2025年を目途にニューイヤー駅伝の出場権の獲得を目指していただけに、「望みなしと思われることも、あえて行えば成ることしばし有り」とシェイクスピアが語っているが如く成しえたといえる。</p>
<p>私が山梨学院大学の監督として、箱根駅伝に初出場を決めたのが創部2年目の11月3日であったことを思えば、感慨もひとしおである。</p>
<div id="attachment_121305" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-121305" class="size-full wp-image-121305" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-121305" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">2023年東日本実業団駅伝で初のニューイヤー駅伝出場を決めた富士山の銘水</span></p></div>
<p>チームを率いる高嶋哲監督は、山梨学院大学時代に駅伝主務を務め、卒業後は「もっと陸上競技やコーチングを学びたい」とのことで私の研究室の研修生として1年間在籍した経緯がある。その後、千葉県内の私立高校教員を経て、順天堂大学大学院でスポーツ科学を学び、山形県の南陽市役所で公務員チームとしてニューイヤー駅伝に初出場。同じく山形県のNDソフトでもニューイヤー駅伝に出場した経歴を持つ。今回の初出場も、過去の経験値とスポーツ科学の知見を生かしたコーチングおよびチームマネジメントの成果であったのではないかと感じた。</p>
<p>山梨県の人口は約80万人。関東の各県と比べれば格段に少ない人口ではあるが、サッカーＪリーグのヴァンフォーレ甲府が昨年の天皇杯で優勝、女子バレーボールの山梨中央銀行が全日本6人制クラブカップ選手権優勝、女子バスケットボールの山梨クィーンビーズなど県民の声援を背に頑張っている企業チームやクラブチームがある。</p>
<p>地元の声援を受けながらとはいえ、勝負の対象は常に全国レベルであり、個人としてもさらに高みを目指す期待も込められるのが企業スポーツの宿命でもある。</p>
<p>今後はニューイヤー駅伝の常連チームとなり、順位を少しずつでも上げて行くには当然険しい道のりを歩むこととなる。そのことは十分承知の上ではあろうと思うが、今後の活躍がますます楽しみでもある。</p>
<p>晴れがましい初出場を決めた直後の高嶋監督は「山梨県内を拠点に活動する企業チームの存在意義は、地域のみなさんにどれだけ貢献できるかというところにある。今回の結果を受けて、山梨の誇れるものの一つになるためのスタートを切れたのではないかと思う」と語っている。</p>
<p>今年の富士山の銘水チーム構成は、14人中箱根駅伝経験者はわずか4名、平均年齢は24歳以下と若いチームである。</p>
<p>特筆すべきは、チーム最年長28歳の才記壮人選手（筑波大卒）。彼は今季1500mを中心にスピードに磨きをかけ、日本選手権の決勝では3分39秒58の好記録で４位入賞を果たしている。東日本実業団駅伝の1区では先頭から10秒以内で襷をつなぎ（区間7位）、持ち味のスピードを駅伝に生かす走りであった。</p>
<p>このコラムを書きつつ、11月25日に行われた八王子ロングディスタンスのリザルト表示に才記選手が29分13秒68の自己記録を大幅に更新し、28分23秒83をマークしたとの速報が飛び込んできた。今後は1500mを3分35秒前後で走破できる選手が5000m・10000mで高速レースを組み立てて勝負を決する時代となるのではないかと想像を膨らませた。これはあながち妄想ではないかもしれない。</p>
<div id="attachment_121306" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-121306" class="size-full wp-image-121306" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-121306" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">23年八王子ロングディスタンス10000mで28分23秒83の自己新をマークした才記壮人（富士山の銘水）</span></p></div>
<p>などと思いつつ、12月に入れば全中駅伝、全国高校駅伝、富士山女子駅伝、そして年明けのオープニングを飾るニューイヤー駅伝、お待ちかねの箱根駅伝と、正月三ヶ日は駅伝三昧となる。</p>
<p>駅伝は各区間のコースの特徴や区間距離、さらには予想されるレース展開にいかに対応し持ち味を出し切れるかが焦点となる。</p>
<p>今日もコラムで駅伝を語りつつ、「駅伝とは……」と自分自身に問いを立ててみた。色々思いを巡らせながら、シンプルに「信じる気持ちを未来に届けるチームスポーツである」と思い至った。</p>
<p>駅伝は襷をつながなければならぬ競争であり、決して1人では完結しないチーム競技である。襷とはチームにとって、その駅伝に向けての想いの集積であり、団結と絆の象徴であるはずだ。</p>
<p>襷を作る布は縦糸に対し横糸を織り上げてこそ完成する。ならば縦糸はスタートラインに立つまでにすべてのチームの部員全員に与えられた1年という平等な時間軸である。チームメイトが持つ横糸は、走力や体調それぞれが置かれた状況に関わらず、志と熱量として紡がれてゆかなければならない。</p>
<p>このようにチームとして喜怒哀楽の過程を経て襷の布が織り上がるからこそ、信じる気持ちが育まれる。団結と絆の象徴の襷を掛け、それぞれが信じる気持ちを失わずゴールに向かって懸命に走り抜くのが駅伝であり、その襷の織り上がり方を披露する場が駅伝のレースという舞台ではないだろうか。</p>
<p>実は、自分たちのチーム状況を一番知るのは、代表選手が肩に懸けている襷なのだろう。</p>
<p>100回の信じる気持ちを運んできた箱根駅伝まであと１ヵ月。</p>
<p>※箱根駅伝番組公式サイト<a href="https://www.ntv.co.jp/hakone/articles/3758ajnfylku7ij1rzqv.html">「メッセージ~私と箱根駅伝~」</a>にて上田誠仁氏のコラムが掲載！</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第39回「『駅伝とは……』を真剣に考えてみた」</h2><p>残暑の厳しさを嘆き、給水の手段を検討していたかと思えば、三段跳の“ホップ・ステップ・ジャンプ”のごとく“残暑→紅葉→落ち葉”と一気に冬を迎え入れた感がする。</p><p>四季折々の味覚や風情は季節の移ろいとともに楽しみたいものだが、なんだか今年は気忙しい。</p><p>気忙しいからとて、カレンダーのスケジュールは待ったなしに迫ってくる。先月号のコラムを書き上げ、一息ついたと思っているともう月末である。</p><p>10月から11月にかけては、出雲駅伝、箱根駅伝予選会、全日本大学女子駅伝、全日本大学駅伝と立て続けに大学関連の駅伝が息つく暇もなく開催され、早送りボタンを押された画像の様に日々が過ぎてゆく。</p><p>その間隙となる11月3日、第64回東日本実業団対抗駅伝が彩の国埼玉県庁から熊谷スポーツ公園陸上競技場までの7区間76.9kmで開催された。この大会は翌年の1月1日に開催される全日本実業団対抗駅伝、通称「ニューイヤー駅伝」の予選会でもある。<br />※マラソン選手育成の配慮として、10月に行われたMGC（マラソングランドチャンピオンシップ）の参加選手が所属するチームは、選手の負担軽減のためニューイヤー駅伝出場の権利が与えられるルールが新たに導入されている。</p><p>今大会では山梨県初の実業団チームである「富士山の銘水」長距離陸上部が初出場。2022年4月に選手3人で発足したばかりだったが、創部2年目で見事11位となり、ニューイヤー駅伝の出場権を獲得した。創部当初は2025年を目途にニューイヤー駅伝の出場権の獲得を目指していただけに、「望みなしと思われることも、あえて行えば成ることしばし有り」とシェイクスピアが語っているが如く成しえたといえる。</p><p>私が山梨学院大学の監督として、箱根駅伝に初出場を決めたのが創部2年目の11月3日であったことを思えば、感慨もひとしおである。</p><div id="attachment_121305" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-121305" class="size-full wp-image-121305" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/TOS_9749-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-121305" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">2023年東日本実業団駅伝で初のニューイヤー駅伝出場を決めた富士山の銘水</span></p></div><p>チームを率いる高嶋哲監督は、山梨学院大学時代に駅伝主務を務め、卒業後は「もっと陸上競技やコーチングを学びたい」とのことで私の研究室の研修生として1年間在籍した経緯がある。その後、千葉県内の私立高校教員を経て、順天堂大学大学院でスポーツ科学を学び、山形県の南陽市役所で公務員チームとしてニューイヤー駅伝に初出場。同じく山形県のNDソフトでもニューイヤー駅伝に出場した経歴を持つ。今回の初出場も、過去の経験値とスポーツ科学の知見を生かしたコーチングおよびチームマネジメントの成果であったのではないかと感じた。</p><p>山梨県の人口は約80万人。関東の各県と比べれば格段に少ない人口ではあるが、サッカーＪリーグのヴァンフォーレ甲府が昨年の天皇杯で優勝、女子バレーボールの山梨中央銀行が全日本6人制クラブカップ選手権優勝、女子バスケットボールの山梨クィーンビーズなど県民の声援を背に頑張っている企業チームやクラブチームがある。</p><p>地元の声援を受けながらとはいえ、勝負の対象は常に全国レベルであり、個人としてもさらに高みを目指す期待も込められるのが企業スポーツの宿命でもある。</p><p>今後はニューイヤー駅伝の常連チームとなり、順位を少しずつでも上げて行くには当然険しい道のりを歩むこととなる。そのことは十分承知の上ではあろうと思うが、今後の活躍がますます楽しみでもある。</p><p>晴れがましい初出場を決めた直後の高嶋監督は「山梨県内を拠点に活動する企業チームの存在意義は、地域のみなさんにどれだけ貢献できるかというところにある。今回の結果を受けて、山梨の誇れるものの一つになるためのスタートを切れたのではないかと思う」と語っている。</p><p>今年の富士山の銘水チーム構成は、14人中箱根駅伝経験者はわずか4名、平均年齢は24歳以下と若いチームである。</p><p>特筆すべきは、チーム最年長28歳の才記壮人選手（筑波大卒）。彼は今季1500mを中心にスピードに磨きをかけ、日本選手権の決勝では3分39秒58の好記録で４位入賞を果たしている。東日本実業団駅伝の1区では先頭から10秒以内で襷をつなぎ（区間7位）、持ち味のスピードを駅伝に生かす走りであった。</p><p>このコラムを書きつつ、11月25日に行われた八王子ロングディスタンスのリザルト表示に才記選手が29分13秒68の自己記録を大幅に更新し、28分23秒83をマークしたとの速報が飛び込んできた。今後は1500mを3分35秒前後で走破できる選手が5000m・10000mで高速レースを組み立てて勝負を決する時代となるのではないかと想像を膨らませた。これはあながち妄想ではないかもしれない。</p><div id="attachment_121306" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-121306" class="size-full wp-image-121306" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/11/FN1_3560-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-121306" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">23年八王子ロングディスタンス10000mで28分23秒83の自己新をマークした才記壮人（富士山の銘水）</span></p></div><p>などと思いつつ、12月に入れば全中駅伝、全国高校駅伝、富士山女子駅伝、そして年明けのオープニングを飾るニューイヤー駅伝、お待ちかねの箱根駅伝と、正月三ヶ日は駅伝三昧となる。</p><p>駅伝は各区間のコースの特徴や区間距離、さらには予想されるレース展開にいかに対応し持ち味を出し切れるかが焦点となる。</p><p>今日もコラムで駅伝を語りつつ、「駅伝とは……」と自分自身に問いを立ててみた。色々思いを巡らせながら、シンプルに「信じる気持ちを未来に届けるチームスポーツである」と思い至った。</p><p>駅伝は襷をつながなければならぬ競争であり、決して1人では完結しないチーム競技である。襷とはチームにとって、その駅伝に向けての想いの集積であり、団結と絆の象徴であるはずだ。</p><p>襷を作る布は縦糸に対し横糸を織り上げてこそ完成する。ならば縦糸はスタートラインに立つまでにすべてのチームの部員全員に与えられた1年という平等な時間軸である。チームメイトが持つ横糸は、走力や体調それぞれが置かれた状況に関わらず、志と熱量として紡がれてゆかなければならない。</p><p>このようにチームとして喜怒哀楽の過程を経て襷の布が織り上がるからこそ、信じる気持ちが育まれる。団結と絆の象徴の襷を掛け、それぞれが信じる気持ちを失わずゴールに向かって懸命に走り抜くのが駅伝であり、その襷の織り上がり方を披露する場が駅伝のレースという舞台ではないだろうか。</p><p>実は、自分たちのチーム状況を一番知るのは、代表選手が肩に懸けている襷なのだろう。</p><p>100回の信じる気持ちを運んできた箱根駅伝まであと１ヵ月。</p><p>※箱根駅伝番組公式サイト<a href="https://www.ntv.co.jp/hakone/articles/3758ajnfylku7ij1rzqv.html">「メッセージ~私と箱根駅伝~」</a>にて上田誠仁氏のコラムが掲載！</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第38回「第100回箱根駅伝予選会の舞台裏から思うこと～1986年の予選会を想起してみた～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/118112</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 27 Oct 2023 17:55:50 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝予選会]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 27 Oct 2023 17:19:29 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Fri, 27 Oct 2023 17:19:29 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第38回「第100回箱根駅伝予選会の舞台裏から思うこと～1986年の予選会を想起してみた～」</h2>
<p>「いよいよ箱根だね！」<br />
「箱根が楽しみだ！」<br />
「今年の箱稲はどうかな？」<br />
との会話が秋の深まりとともに交わされる。</p>
<p>箱根の紅葉の話？<br />
温泉の話？<br />
年末年始にかけての家族旅行の話題？<br />
とも受け取れるのは間違いではない。</p>
<p>しかしながら、このコラムを目にしているみなさんは、「東京箱根間往復大学駅伝競走」通称・箱根駅伝、しかも第100回記念大会のことを指していることは百も承知であることは疑う余地はない。</p>
<p>その第100回箱根駅伝予選会が10月14日、この時期にしては絶好の気象条件のもと開催された。東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路をスタートし、約8km過ぎから13km地点までの立川市街地を経て、国営昭和記念公園関内をフィニッシュとするハーフマラソン公認コースを走り抜けた。</p>
<p>いずれも国の施設と公共の道路を使用させていただくので、使用許可を得ての開催となった。これだけの規模の大会開催となれば、このように施設の使用を快くお借りさせていただいていることに、まずもって感謝を申し上げたい。</p>
<p>100回を記念する大会として、関東地区以外の参加校11チームを含む57校665名が、箱根駅伝本選への出場枠「13」を目指す激走が展開された。</p>
<p>今年の予選会は、日本テレビ放送網初の地上波実況全国生中継となり、リアルタイムでその激しい競走が全国のお茶の間に届けられた。</p>
<p>この予選会のわずか2週間前の9月30日に、関東大学女子駅伝対校選手権大会が全日本大学女子駅伝の予選を兼ねて開催している。全日本大学女子駅伝のエントリー締め切りが10月5日ということもあり、日本列島が季節外れの猛暑（30度超え）が続いていたさなかに開催せねばならず、熱中症や脱水症状などで2年連続棄権者を出すという状況があった。</p>
<p>そのようなこともあり、箱根駅伝予選会の距離がハーフマラソン（21.0975km）という長丁場でおいて、気温が上昇すればそれなりのリスクを背負って走ることになることを懸念していた。</p>
<p>選手の安心・安全な走行と健康上の甚大な障害を引き起こさないために、ドクターを交えて綿密な打ち合わせをし、できる限りの態勢を整えた。特に早めの確実な給水方法をご提案いただいたこともあり、最初の給水を8km地点に57校専用給水テーブルを、コース両サイドに設置した。確実な給水と給水時の混雑や転倒を避けるための配置である。</p>
<p>57台の給水テーブルと予備テーブル8台の設置は、自衛隊駐屯地だからこそできた初めての試みであった。スタート直前まで関東学連の藤坂英二総務委員長とテーブルの位置確認と給水方法を各大学に説明して回った。</p>
<div id="attachment_118116" style="width: 838px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-118116" class="size-full wp-image-118116" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522.png" alt="" width="828" height="552" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522.png 828w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522-300x200.png 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522-768x512.png 768w" sizes="auto, (max-width: 828px) 100vw, 828px" /><p id="caption-attachment-118116" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">給水地点の様子</span></p></div>
<p>幸いスタート時の気温は20度を下回り、雲が直射日光を隠す天候となった。そのこともあり、冒頭に「絶好のコンディション」と書かせていただいた。</p>
<p>また、57チームが一斉にスタートするため、接触転倒などのリスク回避も懸念事項であった。事前の審判補助員会議や参加各大学の代表者会議、さらにはスタート直前の各大学へ再度の注意喚起を行うなど、赤峰俊彦審判長を中心に徹底していただき、整然とスタートできたことはホッと胸をなでおろした。</p>
<div id="attachment_118114" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-118114" class="wp-image-118114 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-118114" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">100回記念大会のため関東学連加盟校以外の大学もスタートラインに立った</span></p></div>
<p>しかしながら、毎回緊張感を持って対応しなければ、今年の事例が必ず次回の成功につながる約束がないのは、事の常であることを肝に念じておきたい。</p>
<p>今回は感染症対策でさまざまな規制を強いられてきた近年の大会運営から、従来の有観客開催とし、各大学公認の応援団やブラスバンド・チアリーディングなどが場の雰囲気を盛り上げてくれた。</p>
<p>この日の昭和記念公園チケット購入者数は約3万人との報告を受けている。大学の関係者はもとより、多くの箱根駅伝ファンの方が駆けつけていただいたことは大変ありがたく、多くの方々に支えられている大会なのだと改めて感慨を深めた。</p>
<p>箱根駅伝本選スタート前の緊張感とは違い、予選会のチームとしての明暗を分けた競走の緊張感は異質のものがある。</p>
<p>スポーツにおける勝敗のゆくえに、約束された結果など何もないことはどのチームも心得ていると思う。だからこそ予選通過に向けての手応えをつかむために、トレーニングに打ち込む日々があるはずだ。そのことを基盤にして、チームとしての成長に裏打ちされた、相互の連携や絆が構築されてくるものだろう。</p>
<p>チームとしてスタートラインに立つまでの過程では、箱根駅伝に向かう熱量や思いの齟齬を修正してきたと思う。チームといえども、それぞれの夢や希望を目指す中で逡巡や葛藤を乗り越えてきたことだろう。そのうえで、故障やスランプ、人間関係までをも織り込んだチームの代表がスタートラインに立つ。</p>
<p>だからこそ、チームの思いを託す襷（たすき）に、OBやチーム全員の魂が宿ると信じている。</p>
<p>そのようなタスキをかけて駅伝がしたいがために、この予選会を駆け抜けるのだと認識している。</p>
<p>しかしながら、予選を通過しなければその思いを結実させる駅伝ができない。この予選会は「箱根に出たい」という思いだけではなく「箱根駅伝でチームのタスキ襷をつなぎたい」との覚悟が試される場なのだろう。</p>
<p>今や箱根駅伝は注目度も高く、たくさんの沿道の声援を受けながら走り抜ける高視聴率のスポーツ競技会となっている。それは紛れもない事実である。</p>
<p>だからこそ「箱根を走りたい」こと以上に「箱根駅伝を走るチームとは」という問いを指導者とチームのメンバーがそれぞれ深く考えつつ、チームのかたちを整えて行くのだろう。そしてその先の本戦では、どのような熱量で襷を継走して行くのかに着目したい。</p>
<p>このように、チームとしても高い熱量があったとしても、本選出場が叶わなかったチームや順位がはるかに届かなかったチームはある。順位に関係なく高い熱量で予選会に参加するチームが集った事実は、応援に駆けつけた方々とともにしっかりと受け止めた。</p>
<p>今回本選出場が叶ったチームには、ぜひとも予選会で共にスタートラインに並んだ同士の思いを襷にかけ、渾身の走りを披露していただきたいと願っている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-118113" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p>私にとってその思いを固くした大会は1986年11月3日である。</p>
<p>第63回箱根駅伝予選会が大井ふ頭周回コースを参加37校で開催された。当時の箱根駅伝は15校で行われ、シードは9位まで。以下6校が予選会へとなるルールであった。</p>
<p>創部2年目で箱根駅伝初出場へ挑んだレースは総合6位。薄氷を踏む思いでギリギリ初の出場権を得た。その年は、日本テレビが63回大会から箱根駅伝完全生中継を行うとの発表があった年でもある。部員たちの達成動機（やる気）を高めるには十分すぎるインパクトのある発表ではあった。</p>
<p>やる気があればあるほど空回りと行き違いが生まれるものである。当コラムvol32でも記したように、指導とは言うものの、つまずいたり滑ったりの連続で、「こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうか」と不安な日々を過ごしていたことを思い出す。それゆえに、発表を聞いて号泣してしまった。</p>
<p>大学からは当時の古屋忠彦理事長をはじめ、各学部長など多くの教職員や保護者等が応援に駆けつけていただいていた。発表後はさまざまな方から祝福の握手を涙ながらに受け止めた。いろいろな方からの祝福の言葉をいただきながら、ある方が握手をしながらこのように私に語りかけてきた。</p>
<p>「上田さん、地方の大学からポッと出てきて、今回はなかなかうまいレースで予選会を通過しておめでとう。まあ、今回限りだと思うけどせいぜい頑張っておいでよ！」</p>
<p>かなりきつい言葉をいただいたので、今でもはっきりと思い出すことができる。突然のことで返答のしようもなく唖然としていると、握手で握りしめた手をさらに強く握りしめ、続けて次のようなことを語った。</p>
<p>「予選を何とか通過して初出場で涙に暮れてはいるが、本当の戦いの場はさらにレベルも高く厳しくなる本選だぞ！ 今が最高だと喜んでいるようでは満月も次の日からは欠けてくるんだよ！」</p>
<p>そう言ってどこかに行ってしまった。最初の言葉を聞いたときは、少しむっとした思いもあった。しかしながら、最後のフレーズは私の心を鷲掴みにして離れなかった。</p>
<p>すっかり涙腺に蓋をされた状態で報告会に向かい、当時の法学部長が応援団の顧問ということもあり、万歳三唱の音頭を行おうとしたとき、思わず「ちょっと待ってください！」とストップをかけてしまった。</p>
<p>報告会に参加していただいた方々はざわついていたが、壇上で選手たちと打ち合わせをして「今日は万歳ではなく、キャプテンの号令で『箱根駅伝に向けて頑張るぞ！』とのシュプレヒコールをさせていただきます」とお願いをさせていただいた。万歳で手のひらを広げるのではなく、握りこぶしを突き上げることとしたのを思い起こすことができる。</p>
<p>それは、先ほどの方の「満月も次の日からは欠けてくるんだよ」との言葉を受けたこともあり、万歳三唱をすると両方の手のひらから大切なものが零れ落ちそうな気がしたからである。ここは握りこぶしを固めてゆかなければならないとの判断であった。</p>
<p>若き指導者に対し、厳しくもありがたいお言葉をいただいたことを、今も感謝している。しかしながら、未だにその方がどなたかを残念ながら知るよしもない。</p>
<p>耳に心地よい言葉は心をくすぐるが、すべてが正しいわけではない。耳に痛い一言も自分の歩み方や運命を左右させるのだと刻み込まれた過去の思い出である。</p>
<div id="attachment_118117" style="width: 1177px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-118117" class="wp-image-118117 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001.jpg" alt="" width="1167" height="440" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001.jpg 1167w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001-300x113.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001-1024x386.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001-768x290.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1167px) 100vw, 1167px" /><p id="caption-attachment-118117" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">1986年箱根駅伝予選会の様子</span></p></div>
<p>毎年手帳の１ページ目に書き込む言葉が3つある。そのうちの一つがこうだ。</p>
<p>「驕るなよ　丸い月夜も　ただ一夜」</p>
<p>自分自身の戒めの言葉として大切にしている。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第38回「第100回箱根駅伝予選会の舞台裏から思うこと～1986年の予選会を想起してみた～」</h2><p>「いよいよ箱根だね！」<br />「箱根が楽しみだ！」<br />「今年の箱稲はどうかな？」<br />との会話が秋の深まりとともに交わされる。</p><p>箱根の紅葉の話？<br />温泉の話？<br />年末年始にかけての家族旅行の話題？<br />とも受け取れるのは間違いではない。</p><p>しかしながら、このコラムを目にしているみなさんは、「東京箱根間往復大学駅伝競走」通称・箱根駅伝、しかも第100回記念大会のことを指していることは百も承知であることは疑う余地はない。</p><p>その第100回箱根駅伝予選会が10月14日、この時期にしては絶好の気象条件のもと開催された。東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路をスタートし、約8km過ぎから13km地点までの立川市街地を経て、国営昭和記念公園関内をフィニッシュとするハーフマラソン公認コースを走り抜けた。</p><p>いずれも国の施設と公共の道路を使用させていただくので、使用許可を得ての開催となった。これだけの規模の大会開催となれば、このように施設の使用を快くお借りさせていただいていることに、まずもって感謝を申し上げたい。</p><p>100回を記念する大会として、関東地区以外の参加校11チームを含む57校665名が、箱根駅伝本選への出場枠「13」を目指す激走が展開された。</p><p>今年の予選会は、日本テレビ放送網初の地上波実況全国生中継となり、リアルタイムでその激しい競走が全国のお茶の間に届けられた。</p><p>この予選会のわずか2週間前の9月30日に、関東大学女子駅伝対校選手権大会が全日本大学女子駅伝の予選を兼ねて開催している。全日本大学女子駅伝のエントリー締め切りが10月5日ということもあり、日本列島が季節外れの猛暑（30度超え）が続いていたさなかに開催せねばならず、熱中症や脱水症状などで2年連続棄権者を出すという状況があった。</p><p>そのようなこともあり、箱根駅伝予選会の距離がハーフマラソン（21.0975km）という長丁場でおいて、気温が上昇すればそれなりのリスクを背負って走ることになることを懸念していた。</p><p>選手の安心・安全な走行と健康上の甚大な障害を引き起こさないために、ドクターを交えて綿密な打ち合わせをし、できる限りの態勢を整えた。特に早めの確実な給水方法をご提案いただいたこともあり、最初の給水を8km地点に57校専用給水テーブルを、コース両サイドに設置した。確実な給水と給水時の混雑や転倒を避けるための配置である。</p><p>57台の給水テーブルと予備テーブル8台の設置は、自衛隊駐屯地だからこそできた初めての試みであった。スタート直前まで関東学連の藤坂英二総務委員長とテーブルの位置確認と給水方法を各大学に説明して回った。</p><div id="attachment_118116" style="width: 838px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-118116" class="size-full wp-image-118116" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522.png" alt="" width="828" height="552" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522.png 828w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522-300x200.png 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/6FC85E92-7521-44F2-AFA9-52B94B342522-768x512.png 768w" sizes="auto, (max-width: 828px) 100vw, 828px" /><p id="caption-attachment-118116" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">給水地点の様子</span></p></div><p>幸いスタート時の気温は20度を下回り、雲が直射日光を隠す天候となった。そのこともあり、冒頭に「絶好のコンディション」と書かせていただいた。</p><p>また、57チームが一斉にスタートするため、接触転倒などのリスク回避も懸念事項であった。事前の審判補助員会議や参加各大学の代表者会議、さらにはスタート直前の各大学へ再度の注意喚起を行うなど、赤峰俊彦審判長を中心に徹底していただき、整然とスタートできたことはホッと胸をなでおろした。</p><div id="attachment_118114" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-118114" class="wp-image-118114 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/KH9_9495-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-118114" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">100回記念大会のため関東学連加盟校以外の大学もスタートラインに立った</span></p></div><p>しかしながら、毎回緊張感を持って対応しなければ、今年の事例が必ず次回の成功につながる約束がないのは、事の常であることを肝に念じておきたい。</p><p>今回は感染症対策でさまざまな規制を強いられてきた近年の大会運営から、従来の有観客開催とし、各大学公認の応援団やブラスバンド・チアリーディングなどが場の雰囲気を盛り上げてくれた。</p><p>この日の昭和記念公園チケット購入者数は約3万人との報告を受けている。大学の関係者はもとより、多くの箱根駅伝ファンの方が駆けつけていただいたことは大変ありがたく、多くの方々に支えられている大会なのだと改めて感慨を深めた。</p><p>箱根駅伝本選スタート前の緊張感とは違い、予選会のチームとしての明暗を分けた競走の緊張感は異質のものがある。</p><p>スポーツにおける勝敗のゆくえに、約束された結果など何もないことはどのチームも心得ていると思う。だからこそ予選通過に向けての手応えをつかむために、トレーニングに打ち込む日々があるはずだ。そのことを基盤にして、チームとしての成長に裏打ちされた、相互の連携や絆が構築されてくるものだろう。</p><p>チームとしてスタートラインに立つまでの過程では、箱根駅伝に向かう熱量や思いの齟齬を修正してきたと思う。チームといえども、それぞれの夢や希望を目指す中で逡巡や葛藤を乗り越えてきたことだろう。そのうえで、故障やスランプ、人間関係までをも織り込んだチームの代表がスタートラインに立つ。</p><p>だからこそ、チームの思いを託す襷（たすき）に、OBやチーム全員の魂が宿ると信じている。</p><p>そのようなタスキをかけて駅伝がしたいがために、この予選会を駆け抜けるのだと認識している。</p><p>しかしながら、予選を通過しなければその思いを結実させる駅伝ができない。この予選会は「箱根に出たい」という思いだけではなく「箱根駅伝でチームのタスキ襷をつなぎたい」との覚悟が試される場なのだろう。</p><p>今や箱根駅伝は注目度も高く、たくさんの沿道の声援を受けながら走り抜ける高視聴率のスポーツ競技会となっている。それは紛れもない事実である。</p><p>だからこそ「箱根を走りたい」こと以上に「箱根駅伝を走るチームとは」という問いを指導者とチームのメンバーがそれぞれ深く考えつつ、チームのかたちを整えて行くのだろう。そしてその先の本戦では、どのような熱量で襷を継走して行くのかに着目したい。</p><p>このように、チームとしても高い熱量があったとしても、本選出場が叶わなかったチームや順位がはるかに届かなかったチームはある。順位に関係なく高い熱量で予選会に参加するチームが集った事実は、応援に駆けつけた方々とともにしっかりと受け止めた。</p><p>今回本選出場が叶ったチームには、ぜひとも予選会で共にスタートラインに並んだ同士の思いを襷にかけ、渾身の走りを披露していただきたいと願っている。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-118113" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/FN1_1409-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p><p>私にとってその思いを固くした大会は1986年11月3日である。</p><p>第63回箱根駅伝予選会が大井ふ頭周回コースを参加37校で開催された。当時の箱根駅伝は15校で行われ、シードは9位まで。以下6校が予選会へとなるルールであった。</p><p>創部2年目で箱根駅伝初出場へ挑んだレースは総合6位。薄氷を踏む思いでギリギリ初の出場権を得た。その年は、日本テレビが63回大会から箱根駅伝完全生中継を行うとの発表があった年でもある。部員たちの達成動機（やる気）を高めるには十分すぎるインパクトのある発表ではあった。</p><p>やる気があればあるほど空回りと行き違いが生まれるものである。当コラムvol32でも記したように、指導とは言うものの、つまずいたり滑ったりの連続で、「こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうか」と不安な日々を過ごしていたことを思い出す。それゆえに、発表を聞いて号泣してしまった。</p><p>大学からは当時の古屋忠彦理事長をはじめ、各学部長など多くの教職員や保護者等が応援に駆けつけていただいていた。発表後はさまざまな方から祝福の握手を涙ながらに受け止めた。いろいろな方からの祝福の言葉をいただきながら、ある方が握手をしながらこのように私に語りかけてきた。</p><p>「上田さん、地方の大学からポッと出てきて、今回はなかなかうまいレースで予選会を通過しておめでとう。まあ、今回限りだと思うけどせいぜい頑張っておいでよ！」</p><p>かなりきつい言葉をいただいたので、今でもはっきりと思い出すことができる。突然のことで返答のしようもなく唖然としていると、握手で握りしめた手をさらに強く握りしめ、続けて次のようなことを語った。</p><p>「予選を何とか通過して初出場で涙に暮れてはいるが、本当の戦いの場はさらにレベルも高く厳しくなる本選だぞ！ 今が最高だと喜んでいるようでは満月も次の日からは欠けてくるんだよ！」</p><p>そう言ってどこかに行ってしまった。最初の言葉を聞いたときは、少しむっとした思いもあった。しかしながら、最後のフレーズは私の心を鷲掴みにして離れなかった。</p><p>すっかり涙腺に蓋をされた状態で報告会に向かい、当時の法学部長が応援団の顧問ということもあり、万歳三唱の音頭を行おうとしたとき、思わず「ちょっと待ってください！」とストップをかけてしまった。</p><p>報告会に参加していただいた方々はざわついていたが、壇上で選手たちと打ち合わせをして「今日は万歳ではなく、キャプテンの号令で『箱根駅伝に向けて頑張るぞ！』とのシュプレヒコールをさせていただきます」とお願いをさせていただいた。万歳で手のひらを広げるのではなく、握りこぶしを突き上げることとしたのを思い起こすことができる。</p><p>それは、先ほどの方の「満月も次の日からは欠けてくるんだよ」との言葉を受けたこともあり、万歳三唱をすると両方の手のひらから大切なものが零れ落ちそうな気がしたからである。ここは握りこぶしを固めてゆかなければならないとの判断であった。</p><p>若き指導者に対し、厳しくもありがたいお言葉をいただいたことを、今も感謝している。しかしながら、未だにその方がどなたかを残念ながら知るよしもない。</p><p>耳に心地よい言葉は心をくすぐるが、すべてが正しいわけではない。耳に痛い一言も自分の歩み方や運命を左右させるのだと刻み込まれた過去の思い出である。</p><div id="attachment_118117" style="width: 1177px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-118117" class="wp-image-118117 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001.jpg" alt="" width="1167" height="440" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001.jpg 1167w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001-300x113.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001-1024x386.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/10/20231026221712_page-0001-768x290.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1167px) 100vw, 1167px" /><p id="caption-attachment-118117" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">1986年箱根駅伝予選会の様子</span></p></div><p>毎年手帳の１ページ目に書き込む言葉が3つある。そのうちの一つがこうだ。</p><p>「驕るなよ　丸い月夜も　ただ一夜」</p><p>自分自身の戒めの言葉として大切にしている。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第37回「スポーツの醍醐味～92回日本インカレの解説を終えて～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/115485</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 30 Sep 2023 17:55:01 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[日本インカレ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Sun, 01 Oct 2023 04:56:02 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sun, 01 Oct 2023 04:56:02 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第37回「スポーツの醍醐味～92回日本インカレの解説を終えて～」</h2>
<p>今月は92回目の日本学生陸上競技対校選手権大会（日本インカレ）が埼玉県の熊谷スポーツ文化公園で開催された。</p>
<p>今回も昨年同様に1500ｍ以上の中・長距離種目のネット中継解説を担当させていただいた。（「あすリートチャンネル」と「月陸 Online」のコラボ企画）</p>
<p>「スポーツの醍醐味は、不確定な未来の結果に対して、不安定に揺れ動く心を自らの意思でコントロールし、判断・決断・実行に移し望むべく結果につなげるところある。スポーツの楽しみや感動は、素直にプレーヤの躍動感や頑張る姿に心動かされるところにあると思う」</p>
<p>このような観点を中心に据えて選手の頑張りにエールを送るつもりで解説させていただいた。</p>
<p>熊谷で開催と聞けば、ほとんどの方が「残暑厳しい時期にまた暑い場所でやるんですね！」と立ち話が始まる。初日に行われた男女10000ｍ決勝時の気温が32度。昨年の京都は今回よりも一週間早い開催であったにもかかわらず27度だったため、もはや残暑ではなく季節外れの猛暑と言いたくなるほどの暑さであった。そのことからも、いかに過酷な状況下で行われたかを知ることができる。</p>
<div id="attachment_115491" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-115491" class="size-full wp-image-115491" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/09/738e04a59f77326460fcec209d8c4661.jpg" alt="" width="800" height="533" /><p id="caption-attachment-115491" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">気温も暑かったが、集団応援の熱もすごかった！</span></p></div>
<p>今大会において特筆すべきは、男子110ｍハードルの村竹ラシッド君（順大4年）の樹立した13秒04の日本タイ記録だろう。ブダペスト世界選手権で5位入賞を果たした大学の先輩である泉谷駿介選手（住友電工）の記録と並んだわけである。圧巻の走りとハードリングの巧みさもさることながら、鍛え上げた身体から発するオーラが、すでに他選手を圧倒していた。</p>
<p>中長距離においては女子3000m障害優勝の山田桃愛選手（玉川大4年）が特に印象深い。昨年の大会では入賞圏内で最後の水郷を越えたところで転倒。実はこの時に足首をひねっており、左足小指の中足骨を骨折していたそうだ。痛みをこらえての入賞をかけたラストスパートも実らず、9位に沈んだ。</p>
<p>ラストスパートで力を入れたので骨折の状態も悪化したらしく、その後は3ヵ月ほど走れない日々が続いたという。女性の小指側の中足骨といえば割り箸の先よりも細い骨である。そこが折れたとなると体重負荷をかけられるまでに通常3ヵ月以上はかかる。メインのトレーニングからの長期離脱は、足の痛み以上に心に重くのしかかっていただろう。</p>
<p>玉川大学で指導する山下誠監督に話をうかがったところ、「埼玉県立川口高校3年時の県総体では1500ｍ・3000ｍともに9位。いたって真面目に競技に取り組む努力家で、やっと全国レベルの大会で入賞を果たせるところまで実力をつけてきた。そんな矢先にあのアクシデントは大きなショックであっただろう」と語ってくれた。</p>
<p>今回の優勝インタビューでは、昨年の大会で骨折し、走れない日々が続いたことで陸上競技が嫌いになり、競技を辞めたいと思った時期もあったと語っていた。</p>
<p>競技で高みを目指そうとすれば、故障のリスクはついて回る。さらに競技中のケガとなれば不運な要素が含まれ、本人が悔やむ割合が増幅される。まさに長期にわたり光の届かぬ深海に沈んだような日々を送ったことは想像に難くない。</p>
<p>そこからの復帰は、様々な葛藤や逡巡があり、幾度も心が折れそうになったのではないだろうか。優勝インタビューの中にチームメイトの支えと指導者の教えに感謝するコメントがあったのは、心からの感謝の気持ちの表れだったと声の響きから伝わってきた。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="UI7BC2BHcN"><p><a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/114366">玉川大の山田桃愛が3000m障害V！白血病と向き合いながら日本一「支えてくださった方へ感謝したい」／日本IC</a></p></blockquote>
<p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;玉川大の山田桃愛が3000m障害V！白血病と向き合いながら日本一「支えてくださった方へ感謝したい」／日本IC&#8221; &#8212; 月陸Online｜月刊陸上競技" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/114366/embed#?secret=k8txmSEJgY#?secret=UI7BC2BHcN" data-secret="UI7BC2BHcN" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>日本インカレは男子総合優勝校に天皇賜杯、女子総合優勝校には秩父宮妃杯が授与される。ちなみに天皇賜杯と銘打って開催される全日本学生競技会は陸上競技と水泳だけである（全日本大学駅伝は秩父宮賜杯）。</p>
<p>私は大阪で開催された1980（昭和55）年の第49回大会で5000ｍと10000ｍに出場した。両種目とも日体大の大塚正美選手にゴール前でかわされ2位であった苦い思い出がある。</p>
<p>しかしながら、12回目の総合優勝を勝ち取り、閉会式後にチーム全員で集合写真を撮影した時のことは今でも昨日のように思い起こす。今年の男子は順大が31回目の総合優勝を果たし天皇賜杯獲得となった。</p>
<p>関東インカレの1部残留と1部昇格をかけた得点争いは胃袋蔵がひっくり返りそうなほどのプレッシャーの中で競い合われる。それにも増して天皇賜杯・秩父宮妃杯を獲得するためのせめぎあいも激しく、過去幾多のドラマを生んでいる。</p>
<p>今回は女子総合優勝をかけた戦いが最後の土壇場までわからない混戦となった。</p>
<p>初日は決勝種目も少なく、10000ｍで福岡大が2位に入り7点を獲得。2日目は日体大の26点に対し、福岡大が36点と依然リード。3日目は逆転して日体大54点に対して福岡大41点。最終日は女子3000m障害と400mハードル、800ｍ終了時点で日体大が59点、福岡大が44点と15点差となっていたが、200ｍで福岡大が1位・3位・5位と18点の大量得点。この時点で福岡大が62点と2点リード。残された決勝種目はフィールドで行われている女子三段跳とフィナーレを飾る4×400ｍリレー（通称マイルリレー）のみとなった。</p>
<p>スタンドの視線が注がれた女子三段跳は日体大の鴨下若菜さんがランキング8位、前半3回の跳躍を終えて8番目で決勝ラウンドへ。4回目に12ｍ74と伸ばし、4位となり5点追加。この時点で日体大64点として再逆転となった。マイルリレーは日体大がランキング4位とはいえ福岡大は200ｍ・400ｍ2冠の森山静穂さんを擁している。</p>
<p>手に汗握るレース展開はスタンドがどよめくような大歓声となって1点を争う白熱したレースとなった。福岡大2位で7点、最後まで粘り抜いた日体大が4位で5点。驚くことに両大学は69点と同点となって並んだ。</p>
<p>ルール上同点の場合は、優勝種目の多いチームに軍配は上がることになっている。日体大4種目に対し福岡大学2種目ということで日本体育大学に秩父宮妃杯が授与されることとなった。</p>
<div id="attachment_115490" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-115490" class="size-full wp-image-115490" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/09/36e137a4395e62bbb16488ce9b1a142e.jpg" alt="" width="800" height="533" /><p id="caption-attachment-115490" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">23年日本インカレ女子総合優勝の日体大</span></p></div>
<p>スポーツの醍醐味でもあるこのようなドラマチックな展開は、戦う当事者だけではなく、見る者の心を鷲掴みにする魅力がある。</p>
<p>必然というほど勝利は約束されたものではなく、偶然と言わしめるほど勝利が不確定なものではない。コーチングをする時に必然や当然を実現するための研鑽の日々を送るわけだが、偶然に頼るわけなどなく、あるとすれば最後まであきらめず戦い抜き、少しでもチャンスがあるならば一つでも順位を上げる戦い方を指導する。</p>
<p>必然と偶然のはざまを表す言葉は「蓋然（カンゼン）」という言葉がある。漢字をパソコンで探すときに変換ワードは「けだし」。</p>
<p>意味的には「おおよそ」「たぶん」「もし」という意味であろう。「蓋し」という漢字は「ふた」または物を「覆う」を意味するらしい。意味的には「蓋を開けてみなければわからない」と言うことか。</p>
<p>「然（シカル）」は「もっとも」という意味である。「蓋し」と「然る」を合わせた「蓋然」とは、「蓋を開けてみないとわからないが、蓋を開けるまでは万全の準備を施しておくこと。そして迎える大会への心の持ち方は、かなりの高確率で思った結果につながるだろうと確信するが、油断することなく泰然とスタートを迎える状況」を表すのではないかと勝手に解釈した。</p>
<p>今回の日本インカレも多くの選手が蓋然たる状況の中、ライバルたちに敢然と挑む真摯な姿に多くの感動をもらった。すべての参加選手の健闘を讃えたい。</p>
<p>【追記】<br />
私は2019年に山梨学院大の駅伝監督を後任へ引き継ぎ、以来中距離コーチとして指導している。</p>
<p>このコラムを掲載が始まった2020年9月はコロナ禍の新潟で日本インカレが開催され、<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/29893" data-internallinksmanager029f6b8e52c="35" title="名鑑瀬戸口大地">瀬戸口大地</a>（現・TeamSSP）が2位となっており（翌月の日本選手権優勝）、今年は2年生の北村魁士が優勝となった。</p>
<p>本学の日本インカレ800m優勝は1996年～98年に3連覇した北村智宏（現・四学香川西高教員）以来となる。</p>
<p>ちなみに1500mは藤脇友介（福岡・自由が丘高教員／箱根駅伝優勝時の6区区間賞）1992年～94年に3連覇しており、93年には3分43秒72の大会記録を樹立している。この記録は同じく本学のエノック・オムワンバ（現・三菱重工コーチ兼選手）が2014年に3分39秒01と更新し、現在も大会記録として継承されている。</p>
<p>今回800m3位の東秀太選手（広島経大2年）を指導するのは本学OBの尾方剛監督（1994年箱根駅伝優勝時のアンカー／2005年世界選手権マラソン銅メダル）である。表彰台に立つ選手を尾方監督と並んで祝福できたことはとても感慨深かった。</p>
<div id="attachment_115487" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-115487" class="size-full wp-image-115487" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/09/8213d9dbb65c5ebb6b9e20715ee4273d.jpg" alt="" width="800" height="533" /><p id="caption-attachment-115487" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">23年日本インカレ男子800ｍの上位3人（中央は優勝した山梨学大の北村魁士、左は2位の東海大・安倍優紀、右は3位の広島経大・東秀太）</span></p></div>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第37回「スポーツの醍醐味～92回日本インカレの解説を終えて～」</h2><p>今月は92回目の日本学生陸上競技対校選手権大会（日本インカレ）が埼玉県の熊谷スポーツ文化公園で開催された。</p><p>今回も昨年同様に1500ｍ以上の中・長距離種目のネット中継解説を担当させていただいた。（「あすリートチャンネル」と「月陸 Online」のコラボ企画）</p><p>「スポーツの醍醐味は、不確定な未来の結果に対して、不安定に揺れ動く心を自らの意思でコントロールし、判断・決断・実行に移し望むべく結果につなげるところある。スポーツの楽しみや感動は、素直にプレーヤの躍動感や頑張る姿に心動かされるところにあると思う」</p><p>このような観点を中心に据えて選手の頑張りにエールを送るつもりで解説させていただいた。</p><p>熊谷で開催と聞けば、ほとんどの方が「残暑厳しい時期にまた暑い場所でやるんですね！」と立ち話が始まる。初日に行われた男女10000ｍ決勝時の気温が32度。昨年の京都は今回よりも一週間早い開催であったにもかかわらず27度だったため、もはや残暑ではなく季節外れの猛暑と言いたくなるほどの暑さであった。そのことからも、いかに過酷な状況下で行われたかを知ることができる。</p><div id="attachment_115491" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-115491" class="size-full wp-image-115491" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/09/738e04a59f77326460fcec209d8c4661.jpg" alt="" width="800" height="533" /><p id="caption-attachment-115491" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">気温も暑かったが、集団応援の熱もすごかった！</span></p></div><p>今大会において特筆すべきは、男子110ｍハードルの村竹ラシッド君（順大4年）の樹立した13秒04の日本タイ記録だろう。ブダペスト世界選手権で5位入賞を果たした大学の先輩である泉谷駿介選手（住友電工）の記録と並んだわけである。圧巻の走りとハードリングの巧みさもさることながら、鍛え上げた身体から発するオーラが、すでに他選手を圧倒していた。</p><p>中長距離においては女子3000m障害優勝の山田桃愛選手（玉川大4年）が特に印象深い。昨年の大会では入賞圏内で最後の水郷を越えたところで転倒。実はこの時に足首をひねっており、左足小指の中足骨を骨折していたそうだ。痛みをこらえての入賞をかけたラストスパートも実らず、9位に沈んだ。</p><p>ラストスパートで力を入れたので骨折の状態も悪化したらしく、その後は3ヵ月ほど走れない日々が続いたという。女性の小指側の中足骨といえば割り箸の先よりも細い骨である。そこが折れたとなると体重負荷をかけられるまでに通常3ヵ月以上はかかる。メインのトレーニングからの長期離脱は、足の痛み以上に心に重くのしかかっていただろう。</p><p>玉川大学で指導する山下誠監督に話をうかがったところ、「埼玉県立川口高校3年時の県総体では1500ｍ・3000ｍともに9位。いたって真面目に競技に取り組む努力家で、やっと全国レベルの大会で入賞を果たせるところまで実力をつけてきた。そんな矢先にあのアクシデントは大きなショックであっただろう」と語ってくれた。</p><p>今回の優勝インタビューでは、昨年の大会で骨折し、走れない日々が続いたことで陸上競技が嫌いになり、競技を辞めたいと思った時期もあったと語っていた。</p><p>競技で高みを目指そうとすれば、故障のリスクはついて回る。さらに競技中のケガとなれば不運な要素が含まれ、本人が悔やむ割合が増幅される。まさに長期にわたり光の届かぬ深海に沈んだような日々を送ったことは想像に難くない。</p><p>そこからの復帰は、様々な葛藤や逡巡があり、幾度も心が折れそうになったのではないだろうか。優勝インタビューの中にチームメイトの支えと指導者の教えに感謝するコメントがあったのは、心からの感謝の気持ちの表れだったと声の響きから伝わってきた。</p><blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="UI7BC2BHcN"><p><a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/114366">玉川大の山田桃愛が3000m障害V！白血病と向き合いながら日本一「支えてくださった方へ感謝したい」／日本IC</a></p></blockquote><p><iframe loading="lazy" class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;玉川大の山田桃愛が3000m障害V！白血病と向き合いながら日本一「支えてくださった方へ感謝したい」／日本IC&#8221; &#8212; 月陸Online｜月刊陸上競技" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/114366/embed#?secret=k8txmSEJgY#?secret=UI7BC2BHcN" data-secret="UI7BC2BHcN" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p><p>日本インカレは男子総合優勝校に天皇賜杯、女子総合優勝校には秩父宮妃杯が授与される。ちなみに天皇賜杯と銘打って開催される全日本学生競技会は陸上競技と水泳だけである（全日本大学駅伝は秩父宮賜杯）。</p><p>私は大阪で開催された1980（昭和55）年の第49回大会で5000ｍと10000ｍに出場した。両種目とも日体大の大塚正美選手にゴール前でかわされ2位であった苦い思い出がある。</p><p>しかしながら、12回目の総合優勝を勝ち取り、閉会式後にチーム全員で集合写真を撮影した時のことは今でも昨日のように思い起こす。今年の男子は順大が31回目の総合優勝を果たし天皇賜杯獲得となった。</p><p>関東インカレの1部残留と1部昇格をかけた得点争いは胃袋蔵がひっくり返りそうなほどのプレッシャーの中で競い合われる。それにも増して天皇賜杯・秩父宮妃杯を獲得するためのせめぎあいも激しく、過去幾多のドラマを生んでいる。</p><p>今回は女子総合優勝をかけた戦いが最後の土壇場までわからない混戦となった。</p><p>初日は決勝種目も少なく、10000ｍで福岡大が2位に入り7点を獲得。2日目は日体大の26点に対し、福岡大が36点と依然リード。3日目は逆転して日体大54点に対して福岡大41点。最終日は女子3000m障害と400mハードル、800ｍ終了時点で日体大が59点、福岡大が44点と15点差となっていたが、200ｍで福岡大が1位・3位・5位と18点の大量得点。この時点で福岡大が62点と2点リード。残された決勝種目はフィールドで行われている女子三段跳とフィナーレを飾る4×400ｍリレー（通称マイルリレー）のみとなった。</p><p>スタンドの視線が注がれた女子三段跳は日体大の鴨下若菜さんがランキング8位、前半3回の跳躍を終えて8番目で決勝ラウンドへ。4回目に12ｍ74と伸ばし、4位となり5点追加。この時点で日体大64点として再逆転となった。マイルリレーは日体大がランキング4位とはいえ福岡大は200ｍ・400ｍ2冠の森山静穂さんを擁している。</p><p>手に汗握るレース展開はスタンドがどよめくような大歓声となって1点を争う白熱したレースとなった。福岡大2位で7点、最後まで粘り抜いた日体大が4位で5点。驚くことに両大学は69点と同点となって並んだ。</p><p>ルール上同点の場合は、優勝種目の多いチームに軍配は上がることになっている。日体大4種目に対し福岡大学2種目ということで日本体育大学に秩父宮妃杯が授与されることとなった。</p><div id="attachment_115490" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-115490" class="size-full wp-image-115490" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/09/36e137a4395e62bbb16488ce9b1a142e.jpg" alt="" width="800" height="533" /><p id="caption-attachment-115490" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">23年日本インカレ女子総合優勝の日体大</span></p></div><p>スポーツの醍醐味でもあるこのようなドラマチックな展開は、戦う当事者だけではなく、見る者の心を鷲掴みにする魅力がある。</p><p>必然というほど勝利は約束されたものではなく、偶然と言わしめるほど勝利が不確定なものではない。コーチングをする時に必然や当然を実現するための研鑽の日々を送るわけだが、偶然に頼るわけなどなく、あるとすれば最後まであきらめず戦い抜き、少しでもチャンスがあるならば一つでも順位を上げる戦い方を指導する。</p><p>必然と偶然のはざまを表す言葉は「蓋然（カンゼン）」という言葉がある。漢字をパソコンで探すときに変換ワードは「けだし」。</p><p>意味的には「おおよそ」「たぶん」「もし」という意味であろう。「蓋し」という漢字は「ふた」または物を「覆う」を意味するらしい。意味的には「蓋を開けてみなければわからない」と言うことか。</p><p>「然（シカル）」は「もっとも」という意味である。「蓋し」と「然る」を合わせた「蓋然」とは、「蓋を開けてみないとわからないが、蓋を開けるまでは万全の準備を施しておくこと。そして迎える大会への心の持ち方は、かなりの高確率で思った結果につながるだろうと確信するが、油断することなく泰然とスタートを迎える状況」を表すのではないかと勝手に解釈した。</p><p>今回の日本インカレも多くの選手が蓋然たる状況の中、ライバルたちに敢然と挑む真摯な姿に多くの感動をもらった。すべての参加選手の健闘を讃えたい。</p><p>【追記】<br />私は2019年に山梨学院大の駅伝監督を後任へ引き継ぎ、以来中距離コーチとして指導している。</p><p>このコラムを掲載が始まった2020年9月はコロナ禍の新潟で日本インカレが開催され、<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/29893" data-internallinksmanager029f6b8e52c="35" title="名鑑瀬戸口大地">瀬戸口大地</a>（現・TeamSSP）が2位となっており（翌月の日本選手権優勝）、今年は2年生の北村魁士が優勝となった。</p><p>本学の日本インカレ800m優勝は1996年～98年に3連覇した北村智宏（現・四学香川西高教員）以来となる。</p><p>ちなみに1500mは藤脇友介（福岡・自由が丘高教員／箱根駅伝優勝時の6区区間賞）1992年～94年に3連覇しており、93年には3分43秒72の大会記録を樹立している。この記録は同じく本学のエノック・オムワンバ（現・三菱重工コーチ兼選手）が2014年に3分39秒01と更新し、現在も大会記録として継承されている。</p><p>今回800m3位の東秀太選手（広島経大2年）を指導するのは本学OBの尾方剛監督（1994年箱根駅伝優勝時のアンカー／2005年世界選手権マラソン銅メダル）である。表彰台に立つ選手を尾方監督と並んで祝福できたことはとても感慨深かった。</p><div id="attachment_115487" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-115487" class="size-full wp-image-115487" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/09/8213d9dbb65c5ebb6b9e20715ee4273d.jpg" alt="" width="800" height="533" /><p id="caption-attachment-115487" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">23年日本インカレ男子800ｍの上位3人（中央は優勝した山梨学大の北村魁士、左は2位の東海大・安倍優紀、右は3位の広島経大・東秀太）</span></p></div><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第36回「『ユニバ』の視察研修を終えて～スポーツを通じて広がる各国との友好親善の輪～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/113177</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 28 Aug 2023 17:55:24 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[ユニバ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 16 Jan 2025 20:17:41 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 16 Jan 2025 20:17:41 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第36回「『ユニバ』の視察研修を終えて～スポーツを通じて広がる各国との友好親善の輪～」</h2>
<p>盛夏の7月28日～8月8日（陸上は8月1日～6日）、世界の学生選手権であり別名“学生のオリンピック”とも言われている「ワールドユニバーシティゲームズ（以下、WUG／World University Games/世界学生選手権）」が中国・四川省の成都で開催された。</p>
<p>前回大会まではユニバーシアード（Universiade）と呼称され、コロナ禍の影響で2年間の延期を余儀なくされた今大会より名称変更された。</p>
<p>歴史を振り返れば、国際学生連合の設立は、関東学生陸上競技連盟と同年の1919年（大正8年）である。そして、大戦後のスポーツ界における東西分断等を憂いながらも世界規模の組織の統合や合流を経て、現在WUGを主宰する国際大学スポーツ連盟（Federation Internationale du Sport Universitaire／FISU）が1949年に設立されている。</p>
<p>1957年にフランス・パリにおいて念願の東西両側の学生が参加する大会が開催され、2年後の1959年トリノ大会において、地元イタリアの組織委員会により「ユニバーシアード」と命名された。これが公式上の第1回ユニバーシアード競技大会となる。<br />
（※私の生まれ年でもある）</p>
<p>ちなみに日本学生陸上競技連合（日本学連）は、1927年に西日本と東日本の学生組織を統合。翌年の1928年に当時の明治神宮競技場にて発足式が行われ、第1回日本学生陸上競技対校選手権が行われている。</p>
<p>成都で繰り広げられた熱き学生たちの戦いぶりを連日見届けた。ほとんどの種目のメダル授与式に起立脱帽のうえ、メダル獲得をした選手をたたえた。</p>
<p>オリンピックであれば優勝者の国歌演奏のもと国旗が掲揚される。しかしながら、第1回ユニバーシアードから名称変更された今大会まで、国旗ではなく5色の星に囲まれた‘U’の字があしらわれたFISU旗が掲揚され、国歌の代わりにFISU賛歌「Gaudeamus Igitur （だから愉快にやろう）」の演奏が場内に流れる。</p>
<p>ラテン語で歌われる歌詞は「私たちを育てる学びの園は栄える。教えの源。学生よ、仲間よ、遠方寄り集まる者たちよ。いざ旅立ち、いざ集え！」と締めくくられる。</p>
<p>この歌はガウデアムス（学生歌）としてヨーロッパの卒業式の歌として定着しているそうだ。<br />
（日本ならば「仰げば尊し」だろうか？）</p>
<p>国のシンボル（国旗や国歌）や参加資格に関する問題などを含め、FISUは定款第2条に「FISUは、政治、宗教また人種に関わる思惑や差別と相容れることなく活動する」と記している。このような趣旨と信念において、世界規模の学生が集う競技会を2年毎に開催してくれていることを大変ありがたく思う。</p>
<p>勝者を称えるFISU賛歌の演奏とともに、この大会がスポーツ文化の醸成に寄与できるアスリートの育成に貢献しているのではないかと、掲揚ポールではためく3枚のFISU旗を眺め、思いを馳せた。</p>
<p>通称「ユニバ」と呼ばれるこの大会に私が選手を伴って初めて参加したのが、1989年のドイツ・デュースブルク大会からだった。次の英国・シェフィールド大会（91年）、米国のバッファロー大会（93年）、日本の福岡大会（95年）と当時の留学生ジョセフ・オツオリとケネディ・イセナ、そしてステファン・マヤカ（現在は日本国籍を取得し真也加ステファン）達と、いずれもケニア選手団の中に交じっての参加であった。</p>
<p>海外遠征の体験は、その国やその環境に身を置くことによって文化や言語、それぞれの国の歴史や風土的背景を直に感じ、学ぶ機会を得ることにあると思う。</p>
<p>デュースブルク大会では前年のソウル五輪男子3000m障害で8分05秒51の記録で金メダルを獲得しているジュリアス・カリウキ（ケニア）が10000mにエントリーしてきた。ラスト1000mまでオツオリがレースを引っ張るも、金メダリストの鮮やかなスパートに舌を巻いた。バッファロー大会では、マラソンでイセナが優勝。ドーピング検査に真夜中までかかってしまったことを懐かしく思い起こすことができる。</p>
<div id="attachment_113185" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113185" class="wp-image-113185 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1779" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-300x209.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-1024x712.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-768x534.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-1536x1068.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-2048x1424.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-113185" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">93年バッファロー大会マラソンで優勝したケネディ・イセナ（左）。中央の私を挟んで右は当時大学3年生だった北条幸治君</span></p></div>
<p>※ドーピング検査は試合後に自分の尿を決められた検査室で検査官の見ているところで採尿し、2本のボトル（1本は直後の検査用、もう1本は検査で陽性となった場合に再検査に使うためなど）に詰め替えて提出する。国際大会ではメダリストは必須となる場合がある。</p>
<p>真夏のフルマラソンを完走した後のドーピング検査は、絶望的に尿が出ない。レース後ドーピング検査室に招集された選手が、準備されたドリンクを散々飲み干しても尿意につながらない。検査官は「焦らなくても良いですよ」と落ち着いて座っているが、レースを終え、疲労困憊の選手は一刻も早く選手村に引き上げ、ゆっくり休みたいところである。</p>
<p>最後はドリンクを冷やしている大きな氷の塊をバスタオルで巻き、抱えながらシャワーを浴びてみようとアイディアを出し、各国の付き添いのコーチも了解してくれたのでシャワールームで水シャワーを浴びさせた。やっとのことで採尿ができて選手と各国のコーチとハイタッチしたことを昨日のように思い出す。</p>
<p>今回の猛暑の成都で行われた男女ハーフマラソンと競歩のドーピングコントロールはどうだったのだろう？と思い、日本選手団のコーチとして現地に帯同していた神奈川大学の大後栄治監督に話をうかがった。</p>
<p>「今大会から氷を張ったアイスバスがサブグラウンドやドーピングコントロール室など何ヵ所かに設置されており、選手は比較的早く採尿を終えて帰ってきましたよ」</p>
<p>熱中症予防もかねてこのような配慮があることは、スポーツ医科学の発展と浸透がなせることなのであろう。</p>
<div id="attachment_113181" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113181" class="size-full wp-image-113181" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1919" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-1024x768.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-768x576.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-1536x1151.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-2048x1535.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-113181" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">競歩の給水サポート</span></p></div>
<p>何はともあれスポーツを通した各国との友好親善の輪を広げるとともに、積極的に情報交換と交流の機会を逃さないことは肝要であり楽しみでもある。</p>
<p>スタンドでは各国のコーチや選手とも席を同じくさせていただき、折りあるごとにコミュニケーションをとり情報交換させていただく機会を得た。</p>
<p>特にケニアチームの選手（短距離）と監督が「ケニアは長距離だけでなく、これからは短距離やフィールドにも世界で戦える人材の育成をしてゆく」と語ってくれた。長距離は依然世界のトップクラスを席巻する勢いに衰えを見せないが、そう簡単なことではないのではないだろうかと話を振ると、キクユ、カレンジン、カンバ、キシイなどの各部族は長距離マラソンに向いた部族だが、「しっかりコーチングすれば、ビクトリアレイクの周辺に住むルオー族はパワーもありスピードも期待できるんだ！」とニコニコと話してくれた。</p>
<p>帰国後、世界陸上のテレビ中継を横目に当コラムの作成をしていると、男子100ｍ決勝にケニアのユニフォームがあることに感動を覚えた。選手の豊かな才能を開花させる指導者の育成とコーチング力の大切さを再認識させられた。</p>
<p>今回の視察研修は、関東学連所属の選手をWUGに代表として送り出した各大学の指導者の方々とのデレゲーションであった。普段はなかなかゆっくりとお話しをさせていただく機会もない方々であったが、今回は親しく交流させて頂いた。</p>
<p>いずれの先生方も日本代表や海外での遠征試合・合宿を経験したり、留学や海外のクラブチームで研鑽を積まれたりと、豊富なご経験と知見・問題解決能力をお持ちの方々であった。</p>
<div id="attachment_113182" style="width: 2226px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113182" class="size-full wp-image-113182" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a.jpeg" alt="" width="2216" height="1097" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a.jpeg 2216w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-300x149.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-1024x507.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-768x380.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-1536x760.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-2048x1014.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2216px) 100vw, 2216px" /><p id="caption-attachment-113182" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">現地視察団の面々</span></p></div>
<p>転じて思うに、海外遠征などで不自由な生活や様々な問題を自己解決してゆくバイタリティーを、今の大学生がいかに培っていくかということがとても大切な指導でもあると考えさせられた。そのようなことをふまえ、海外での様々な大会や合宿に派遣される選手、日本代表として海外に渡航する学生アスリート諸君には、そのような経験がその後に生かされるようしっかり学んできてほしいと願わずにはいられない。</p>
<p>今回開催された四川省・成都は、三国志の舞台となる歴史的に意義のある地域であり、パンダの生息地として馴染み深い。四川料理は日本の食文化にも溶け込む麻婆豆腐発祥の地であり、激辛の火鍋とともにこの地区の食文化を反映している。</p>
<p>中国国内でも多部族・多民族が固有の文化を形成しており、特に食文化に反映されているので競技場以外ではそのような食文化に触れつつその土地独特の生活習慣にも触れてみることとした。</p>
<div id="attachment_113186" style="width: 666px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113186" class="wp-image-113186 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/2b8bad59687d7aefc669c0ef04f7410f-656x1024.png" alt="" width="656" height="1024" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/2b8bad59687d7aefc669c0ef04f7410f-656x1024.png 656w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/2b8bad59687d7aefc669c0ef04f7410f-192x300.png 192w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/2b8bad59687d7aefc669c0ef04f7410f.png 698w" sizes="auto, (max-width: 656px) 100vw, 656px" /><p id="caption-attachment-113186" class="wp-caption-text">地元の露店で現地料理を食す</p></div>
<p>結局、火鍋が3回、麻婆豆腐など四川料理が2回、新疆ウイグル族の串焼きを１回夕食として食した。早朝行われた競歩・ハーフマラソンの応援隊はコース近くの露店で調理されるセイロ蒸しなどを地元の方々と肩を並べて食べた。ローカルな地元の生活感が滲み出るところで飲食を共有することが、その土地を知るきっかけになる。</p>
<p>早朝ジョグをする習慣があるので、中国独特の景観や市民の生活感あふれる写真や動画を視察団のトークグループで共有するように務めた。競技会以外にも時間を見つけ、三国志の諸葛孔明などを祀ってある武后祠に競技の合間に行ってみた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-113184" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923.jpg" alt="" width="2364" height="1773" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923.jpg 2364w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923-1024x768.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923-768x576.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923-1536x1152.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/4912817862832603123.09a2c1f85233b13ed5a284d4d9579d08.23080923-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2364px) 100vw, 2364px" /></p>
<p>積極的にその土地ならではの場所に赴き、歴史や文化に触れて帰ることは、ある種固定観念を払拭し、新たな視野や視点を得るという点で重視している。国内外を問わず積極的に行動してしまうのは、以前のコラムにも書いた通り、あちこちふらふらとうろつく野良犬的性格の私だからかもしれない。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第36回「『ユニバ』の視察研修を終えて～スポーツを通じて広がる各国との友好親善の輪～」</h2><p>盛夏の7月28日～8月8日（陸上は8月1日～6日）、世界の学生選手権であり別名“学生のオリンピック”とも言われている「ワールドユニバーシティゲームズ（以下、WUG／World University Games/世界学生選手権）」が中国・四川省の成都で開催された。</p><p>前回大会まではユニバーシアード（Universiade）と呼称され、コロナ禍の影響で2年間の延期を余儀なくされた今大会より名称変更された。</p><p>歴史を振り返れば、国際学生連合の設立は、関東学生陸上競技連盟と同年の1919年（大正8年）である。そして、大戦後のスポーツ界における東西分断等を憂いながらも世界規模の組織の統合や合流を経て、現在WUGを主宰する国際大学スポーツ連盟（Federation Internationale du Sport Universitaire／FISU）が1949年に設立されている。</p><p>1957年にフランス・パリにおいて念願の東西両側の学生が参加する大会が開催され、2年後の1959年トリノ大会において、地元イタリアの組織委員会により「ユニバーシアード」と命名された。これが公式上の第1回ユニバーシアード競技大会となる。<br />（※私の生まれ年でもある）</p><p>ちなみに日本学生陸上競技連合（日本学連）は、1927年に西日本と東日本の学生組織を統合。翌年の1928年に当時の明治神宮競技場にて発足式が行われ、第1回日本学生陸上競技対校選手権が行われている。</p><p>成都で繰り広げられた熱き学生たちの戦いぶりを連日見届けた。ほとんどの種目のメダル授与式に起立脱帽のうえ、メダル獲得をした選手をたたえた。</p><p>オリンピックであれば優勝者の国歌演奏のもと国旗が掲揚される。しかしながら、第1回ユニバーシアードから名称変更された今大会まで、国旗ではなく5色の星に囲まれた‘U’の字があしらわれたFISU旗が掲揚され、国歌の代わりにFISU賛歌「Gaudeamus Igitur （だから愉快にやろう）」の演奏が場内に流れる。</p><p>ラテン語で歌われる歌詞は「私たちを育てる学びの園は栄える。教えの源。学生よ、仲間よ、遠方寄り集まる者たちよ。いざ旅立ち、いざ集え！」と締めくくられる。</p><p>この歌はガウデアムス（学生歌）としてヨーロッパの卒業式の歌として定着しているそうだ。<br />（日本ならば「仰げば尊し」だろうか？）</p><p>国のシンボル（国旗や国歌）や参加資格に関する問題などを含め、FISUは定款第2条に「FISUは、政治、宗教また人種に関わる思惑や差別と相容れることなく活動する」と記している。このような趣旨と信念において、世界規模の学生が集う競技会を2年毎に開催してくれていることを大変ありがたく思う。</p><p>勝者を称えるFISU賛歌の演奏とともに、この大会がスポーツ文化の醸成に寄与できるアスリートの育成に貢献しているのではないかと、掲揚ポールではためく3枚のFISU旗を眺め、思いを馳せた。</p><p>通称「ユニバ」と呼ばれるこの大会に私が選手を伴って初めて参加したのが、1989年のドイツ・デュースブルク大会からだった。次の英国・シェフィールド大会（91年）、米国のバッファロー大会（93年）、日本の福岡大会（95年）と当時の留学生ジョセフ・オツオリとケネディ・イセナ、そしてステファン・マヤカ（現在は日本国籍を取得し真也加ステファン）達と、いずれもケニア選手団の中に交じっての参加であった。</p><p>海外遠征の体験は、その国やその環境に身を置くことによって文化や言語、それぞれの国の歴史や風土的背景を直に感じ、学ぶ機会を得ることにあると思う。</p><p>デュースブルク大会では前年のソウル五輪男子3000m障害で8分05秒51の記録で金メダルを獲得しているジュリアス・カリウキ（ケニア）が10000mにエントリーしてきた。ラスト1000mまでオツオリがレースを引っ張るも、金メダリストの鮮やかなスパートに舌を巻いた。バッファロー大会では、マラソンでイセナが優勝。ドーピング検査に真夜中までかかってしまったことを懐かしく思い起こすことができる。</p><div id="attachment_113185" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113185" class="wp-image-113185 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1779" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-300x209.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-1024x712.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-768x534.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-1536x1068.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/BA5FFEFC-9634-4FDE-BBEE-7FD1E754D315_1_201_a-2048x1424.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-113185" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">93年バッファロー大会マラソンで優勝したケネディ・イセナ（左）。中央の私を挟んで右は当時大学3年生だった北条幸治君</span></p></div><p>※ドーピング検査は試合後に自分の尿を決められた検査室で検査官の見ているところで採尿し、2本のボトル（1本は直後の検査用、もう1本は検査で陽性となった場合に再検査に使うためなど）に詰め替えて提出する。国際大会ではメダリストは必須となる場合がある。</p><p>真夏のフルマラソンを完走した後のドーピング検査は、絶望的に尿が出ない。レース後ドーピング検査室に招集された選手が、準備されたドリンクを散々飲み干しても尿意につながらない。検査官は「焦らなくても良いですよ」と落ち着いて座っているが、レースを終え、疲労困憊の選手は一刻も早く選手村に引き上げ、ゆっくり休みたいところである。</p><p>最後はドリンクを冷やしている大きな氷の塊をバスタオルで巻き、抱えながらシャワーを浴びてみようとアイディアを出し、各国の付き添いのコーチも了解してくれたのでシャワールームで水シャワーを浴びさせた。やっとのことで採尿ができて選手と各国のコーチとハイタッチしたことを昨日のように思い出す。</p><p>今回の猛暑の成都で行われた男女ハーフマラソンと競歩のドーピングコントロールはどうだったのだろう？と思い、日本選手団のコーチとして現地に帯同していた神奈川大学の大後栄治監督に話をうかがった。</p><p>「今大会から氷を張ったアイスバスがサブグラウンドやドーピングコントロール室など何ヵ所かに設置されており、選手は比較的早く採尿を終えて帰ってきましたよ」</p><p>熱中症予防もかねてこのような配慮があることは、スポーツ医科学の発展と浸透がなせることなのであろう。</p><div id="attachment_113181" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113181" class="size-full wp-image-113181" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1919" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-1024x768.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-768x576.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-1536x1151.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/16FB7E84-E7B5-4B52-A1F3-704A4ED17EC5-2048x1535.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-113181" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">競歩の給水サポート</span></p></div><p>何はともあれスポーツを通した各国との友好親善の輪を広げるとともに、積極的に情報交換と交流の機会を逃さないことは肝要であり楽しみでもある。</p><p>スタンドでは各国のコーチや選手とも席を同じくさせていただき、折りあるごとにコミュニケーションをとり情報交換させていただく機会を得た。</p><p>特にケニアチームの選手（短距離）と監督が「ケニアは長距離だけでなく、これからは短距離やフィールドにも世界で戦える人材の育成をしてゆく」と語ってくれた。長距離は依然世界のトップクラスを席巻する勢いに衰えを見せないが、そう簡単なことではないのではないだろうかと話を振ると、キクユ、カレンジン、カンバ、キシイなどの各部族は長距離マラソンに向いた部族だが、「しっかりコーチングすれば、ビクトリアレイクの周辺に住むルオー族はパワーもありスピードも期待できるんだ！」とニコニコと話してくれた。</p><p>帰国後、世界陸上のテレビ中継を横目に当コラムの作成をしていると、男子100ｍ決勝にケニアのユニフォームがあることに感動を覚えた。選手の豊かな才能を開花させる指導者の育成とコーチング力の大切さを再認識させられた。</p><p>今回の視察研修は、関東学連所属の選手をWUGに代表として送り出した各大学の指導者の方々とのデレゲーションであった。普段はなかなかゆっくりとお話しをさせていただく機会もない方々であったが、今回は親しく交流させて頂いた。</p><p>いずれの先生方も日本代表や海外での遠征試合・合宿を経験したり、留学や海外のクラブチームで研鑽を積まれたりと、豊富なご経験と知見・問題解決能力をお持ちの方々であった。</p><div id="attachment_113182" style="width: 2226px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113182" class="size-full wp-image-113182" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a.jpeg" alt="" width="2216" height="1097" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a.jpeg 2216w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-300x149.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-1024x507.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-768x380.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-1536x760.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/673CAFC7-D394-4601-BBDE-AC4D8294B06A_1_201_a-2048x1014.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2216px) 100vw, 2216px" /><p id="caption-attachment-113182" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">現地視察団の面々</span></p></div><p>転じて思うに、海外遠征などで不自由な生活や様々な問題を自己解決してゆくバイタリティーを、今の大学生がいかに培っていくかということがとても大切な指導でもあると考えさせられた。そのようなことをふまえ、海外での様々な大会や合宿に派遣される選手、日本代表として海外に渡航する学生アスリート諸君には、そのような経験がその後に生かされるようしっかり学んできてほしいと願わずにはいられない。</p><p>今回開催された四川省・成都は、三国志の舞台となる歴史的に意義のある地域であり、パンダの生息地として馴染み深い。四川料理は日本の食文化にも溶け込む麻婆豆腐発祥の地であり、激辛の火鍋とともにこの地区の食文化を反映している。</p><p>中国国内でも多部族・多民族が固有の文化を形成しており、特に食文化に反映されているので競技場以外ではそのような食文化に触れつつその土地独特の生活習慣にも触れてみることとした。</p><div id="attachment_113186" style="width: 666px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-113186" class="wp-image-113186 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/2b8bad59687d7aefc669c0ef04f7410f-656x1024.png" alt="" width="656" height="1024" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/08/2b8bad59687d7aefc669c0ef04f7410f-656x1024.png 656w, 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background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第35回「北の大地で学生たちが疾走！～関東学生網走夏季記録挑戦競技会のウラ側～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/109455</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 28 Jul 2023 17:30:32 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝予選会]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[関東学生網走夏季記録挑戦競技会]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 28 Jul 2023 12:26:28 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Fri, 28 Jul 2023 12:26:28 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第35回「北の大地で学生たちが疾走！～関東学生網走夏季記録挑戦競技会のウラ側～」</h2>
<p>盛夏（せいか）と書いてみて妙に合点のいく暑さである。</p>
<p>向日葵は、青空に映える黄色い花を太陽に向かって誇らしげに広げ、真夏の太陽に負けない美しさが羨ましくもある。</p>
<p>7月の大学は講義も後半に差しかかり、レポート課題や前期試験の対応などに追われている。慌ただしさの中にあっても、「いよいよ夏の強化が始まる」という心が引き締まる思いが湧き立つ時期でもある。</p>
<p>海の日を含む3連休の中日である7月16日に、関東学生陸上競技連盟（以下、関東学連）が主催し、5回目となる関東学生網走夏季記録挑戦競技会を北海道の網走市で開催させていただいた。</p>
<p>このコラムをご覧いただいている方は、陸上関係者が大多数だと仮定しても、なぜ関東学連主催の競技会をオホーツク海沿岸の道北網走市で、わざわざ開催するのかと訝しがるだろう。</p>
<p>この時期の関東は連日気温が30度を超え、35度以上の猛暑日との気象情報も耳に慣れるほどの酷暑である。夏季の合宿地を選ぶならば、北へ北へと向かうか、標高を高く上へ上へと向かうしかない。</p>
<p>合宿地として「涼」を求めるならば、標高が1500mを超える高地であっても、それなりのトレーニング効果があるので最適トレーニングの場所として選定できる。</p>
<p>しかしながら、記録を狙う競技会の開催となると高度を上げるわけにいかず、緯度を北に向けて上げるしかない。</p>
<p>同じような理由で、この時期に記録を狙う機会を選手に提供するため、日本陸上競技連盟が主催するホクレン・ディスタンスチャレンジが毎年北海道で開催されている。今年は7月1日に士別、5日に深川、8日に網走、12日に北見、15日に千歳と5戦が開催された。</p>
<p>こちらの大会も年々レベルが上がり、ターゲットナンバー（参加標準記録を切っていても申し込み記録順に出場選手数を絞り込む）が導入されているので、何とか出場をと考えていた選手が機会を失う場合がある。</p>
<p>関東学連はホクレン・ディスタンス出場条件の記録に到達していない選手を優先的にエントリーしてもらい、その上でターゲットナンバーから外れてしまった選手の記録挑戦の機会を作るという目的で、今回の関東学生網走夏季記録挑戦競技会を企画している。</p>
<p>また、ペースメーカーを関東学連出身の実業団選手やケニア人留学生に協力していただき、なるべく多くの選手に、男子であれば5000m13分台、10000m28分台の記録にチャレンジできるようペースメイキングをしている。<br />
<a href="http://www.kgrr.org/files/competition/14/10/abashiriyoko_henkougo.pdf">大会要項参照</a></p>
<p>前年度10000mを2組に分けて好記録が誕生したこともあり、各大学の要望を受けて今回は3組編成とした（男女5000m各１組、男子10000m3組）。</p>
<p>午後5時40分スタートの女子5000mの時点で、北の風1m、気温17℃。男子10000mが始まる午後6時35分頃には16℃と絶好の気象条件となった。</p>
<div id="attachment_109459" style="width: 1578px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-109459" class="size-full wp-image-109459" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB.jpeg" alt="" width="1568" height="1046" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB.jpeg 1568w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB-300x200.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB-1024x683.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB-768x512.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB-1536x1025.jpeg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1568px) 100vw, 1568px" /><p id="caption-attachment-109459" class="wp-caption-text">7月16日の関東学生網走夏季記録挑戦競技会の様子</p></div>
<p>私は昨年同様に、場内アナウンス兼ネット中継解説を仰せつかった。少しでもランナーのモチベーションを高めようと、このような言葉で鼓舞した。</p>
<p>「選手のみなさん、本日の関東地方は軒並み35度以上の猛暑日となり、日没の現在も茹だるような高温多湿の熱帯雨林の様相を呈しています。</p>
<p>しかしながらここ網走は、設定温度16℃の全館冷房状態です。東京のオフィスビルで16℃に冷房の設定をすることはありません。この気象条件で記録が出ないわけがありません。ペースメーカーもみなさんが未知の自己記録更新の世界へ誘ってくれるでしょう！</p>
<p>さぁ絶好のチャンスです。交通費と宿泊費をかけてでも、ここ網走に来たからには好記録樹立のお土産を持ち帰りましょう！」</p>
<p>寒いと感じるほどの好条件のなか、出場選手171名のうち75名が自己記録を更新し、セカンドベストを加えるとほとんどの選手が秋のシーズンに向けて自信を深めたことと感じた。</p>
<p>男子5000mでは13分台が14名。<br />
男子10000m１組目は目標タイム29分10秒までに9名、そのうち28分台が2名。<br />
男子10000m２組目は目標タイム28分55秒で28分台が5名。<br />
男子10000m３組目は目標タイム28分40秒で國學院大學の山本歩夢選手（3年）の28分16秒92を先頭に28分台が15名と活況を呈した。<br />
<a href="https://www.kgrr.org/event/event/2023/2023abashiri/kyougi.html">大会結果</a></p>
<p>ペースメイクを快く引き受けてくれた女子5000mのナオミ・ムッソーニ選手（ユニバーサルエンターテイメント）、順大の伊澤菜々花コーチ、男子5000mのボニフェス・ムルア選手（NDソフト）、キサルサク・エドウィン選手（富士山の銘水）、石原翔太郎選手（東海大）、10000mのポール・オニエゴ選手（富士山の銘水）、ゴッドフリー・ムサンガ選手（駿河台大）、スティーブン・レマヤン選手（駿河台大）にはとても感謝している。</p>
<div id="attachment_109460" style="width: 1578px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-109460" class="wp-image-109460 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D.jpeg" alt="" width="1568" height="1046" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D.jpeg 1568w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D-300x200.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D-1024x683.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D-768x512.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D-1536x1025.jpeg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1568px) 100vw, 1568px" /><p id="caption-attachment-109460" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">日本の大学を卒業した外国人留学生が多くペースメーカーを務めた。先頭は山梨学大をこの春卒業したポール・オニエゴ（富士山の銘水）</span></p></div>
<p>ペースアナウンスも日本語と英語、スワヒリ語を交えて<br />
Asante kwa kukubali kipima moyo leo 「今日はペースメイクありがとう」<br />
Nina hakika utafanya rekodi nzuri 「きっといい記録が生まれるよ！」<br />
ukurasa huo ni sawa 『そのペースでいいよ』<br />
kuwa kasi kidogo 「もう少し速く」<br />
punguza mwendo kidogo 「もう少しペースを落として」<br />
などと語りかけてしっかりと対応していただいた。</p>
<p>大会終了後、スポーツライターの加藤康博氏と電話で世間話をする中で、各大学における10000m平均タイムの向上度合いについて話が盛り上がった。</p>
<p>手元のデータでは、現状およそ上位16校が10人平均で28分台であること。トップが駒澤大学の28分18秒、2位が中央大学で28分29秒と既に28分30秒を切っていること。30校近くが29分30秒を切っているなど、凄まじいレベルアップを感じずにはいられない。</p>
<p>平均タイム28分台でないと、箱根駅伝予選会を突破できないような“超高速時代”は目前に迫っているのだろう。</p>
<p>2000年代前半は、28分台がチームに1人でもいれば注目を集めた時代であった。10年ほど前でも平均タイム29分30秒以内であれば十分シードを狙えた時代だった。それを隔世の感を禁じ得ない。</p>
<p>世界選手権の10000m参加標準記録が日本記録を上回る時代であることも踏まえて、今後も各大学がしのぎを削りながら、記録を向上していくスパイラルは淀みなく継続されていくことだろう。</p>
<p>競技力の発展向上には、選手の身体能力に上書きされていくように、スポーツ科学に反映されたトレーニングとメンタルマネージメントが必須である。</p>
<p>さらには、彼らを取り巻く環境を含めたスポーツ文化の成熟が必要となってくる。</p>
<p>ランニングシューズの開発や改良は記録の向上に追い風となっていることは明白で、今後はそれをいかに使いこなすかが課題となってくるだろう。</p>
<p>それらを踏まえて最終的に必要なことは、スポーツという文化を支える力により、鍛えられた力が成就するということだ。今回、網走市営陸上競技場では、競技会開催直前まで北海道選手権が開催されていた。当然大会を運営されていたオホーツク陸上競技協会の審判員の皆様方をはじめ、地元の高校生も補助員として北海道選手権終了後も、ナイターで開催した競技会を献身的にご協力いただいた。</p>
<p>スポーツは“する・みる・支える”の思いが強く交錯した時こそ真の力が発揮されると常々思っている。今回の素晴らしい気象条件と、競技会を支えていただいた方々の想い、さらには選手たちの記録に挑戦しようとする熱き想いが交錯したからこその結果であったのだろう。</p>
<p>いつもながら、支えていただいている方々に感謝している。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第35回「北の大地で学生たちが疾走！～関東学生網走夏季記録挑戦競技会のウラ側～」</h2><p>盛夏（せいか）と書いてみて妙に合点のいく暑さである。</p><p>向日葵は、青空に映える黄色い花を太陽に向かって誇らしげに広げ、真夏の太陽に負けない美しさが羨ましくもある。</p><p>7月の大学は講義も後半に差しかかり、レポート課題や前期試験の対応などに追われている。慌ただしさの中にあっても、「いよいよ夏の強化が始まる」という心が引き締まる思いが湧き立つ時期でもある。</p><p>海の日を含む3連休の中日である7月16日に、関東学生陸上競技連盟（以下、関東学連）が主催し、5回目となる関東学生網走夏季記録挑戦競技会を北海道の網走市で開催させていただいた。</p><p>このコラムをご覧いただいている方は、陸上関係者が大多数だと仮定しても、なぜ関東学連主催の競技会をオホーツク海沿岸の道北網走市で、わざわざ開催するのかと訝しがるだろう。</p><p>この時期の関東は連日気温が30度を超え、35度以上の猛暑日との気象情報も耳に慣れるほどの酷暑である。夏季の合宿地を選ぶならば、北へ北へと向かうか、標高を高く上へ上へと向かうしかない。</p><p>合宿地として「涼」を求めるならば、標高が1500mを超える高地であっても、それなりのトレーニング効果があるので最適トレーニングの場所として選定できる。</p><p>しかしながら、記録を狙う競技会の開催となると高度を上げるわけにいかず、緯度を北に向けて上げるしかない。</p><p>同じような理由で、この時期に記録を狙う機会を選手に提供するため、日本陸上競技連盟が主催するホクレン・ディスタンスチャレンジが毎年北海道で開催されている。今年は7月1日に士別、5日に深川、8日に網走、12日に北見、15日に千歳と5戦が開催された。</p><p>こちらの大会も年々レベルが上がり、ターゲットナンバー（参加標準記録を切っていても申し込み記録順に出場選手数を絞り込む）が導入されているので、何とか出場をと考えていた選手が機会を失う場合がある。</p><p>関東学連はホクレン・ディスタンス出場条件の記録に到達していない選手を優先的にエントリーしてもらい、その上でターゲットナンバーから外れてしまった選手の記録挑戦の機会を作るという目的で、今回の関東学生網走夏季記録挑戦競技会を企画している。</p><p>また、ペースメーカーを関東学連出身の実業団選手やケニア人留学生に協力していただき、なるべく多くの選手に、男子であれば5000m13分台、10000m28分台の記録にチャレンジできるようペースメイキングをしている。<br /><a href="http://www.kgrr.org/files/competition/14/10/abashiriyoko_henkougo.pdf">大会要項参照</a></p><p>前年度10000mを2組に分けて好記録が誕生したこともあり、各大学の要望を受けて今回は3組編成とした（男女5000m各１組、男子10000m3組）。</p><p>午後5時40分スタートの女子5000mの時点で、北の風1m、気温17℃。男子10000mが始まる午後6時35分頃には16℃と絶好の気象条件となった。</p><div id="attachment_109459" style="width: 1578px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-109459" class="size-full wp-image-109459" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB.jpeg" alt="" width="1568" height="1046" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB.jpeg 1568w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB-300x200.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C850BD00-5FE3-4B39-A061-60B4384D68DB-1024x683.jpeg 1024w, 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href="https://www.kgrr.org/event/event/2023/2023abashiri/kyougi.html">大会結果</a></p><p>ペースメイクを快く引き受けてくれた女子5000mのナオミ・ムッソーニ選手（ユニバーサルエンターテイメント）、順大の伊澤菜々花コーチ、男子5000mのボニフェス・ムルア選手（NDソフト）、キサルサク・エドウィン選手（富士山の銘水）、石原翔太郎選手（東海大）、10000mのポール・オニエゴ選手（富士山の銘水）、ゴッドフリー・ムサンガ選手（駿河台大）、スティーブン・レマヤン選手（駿河台大）にはとても感謝している。</p><div id="attachment_109460" style="width: 1578px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-109460" class="wp-image-109460 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D.jpeg" alt="" width="1568" height="1046" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D.jpeg 1568w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D-300x200.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/07/C0D2D90B-A4BF-4D9A-BDD9-5FFD30F8798D-1024x683.jpeg 1024w, 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/>などと語りかけてしっかりと対応していただいた。</p><p>大会終了後、スポーツライターの加藤康博氏と電話で世間話をする中で、各大学における10000m平均タイムの向上度合いについて話が盛り上がった。</p><p>手元のデータでは、現状およそ上位16校が10人平均で28分台であること。トップが駒澤大学の28分18秒、2位が中央大学で28分29秒と既に28分30秒を切っていること。30校近くが29分30秒を切っているなど、凄まじいレベルアップを感じずにはいられない。</p><p>平均タイム28分台でないと、箱根駅伝予選会を突破できないような“超高速時代”は目前に迫っているのだろう。</p><p>2000年代前半は、28分台がチームに1人でもいれば注目を集めた時代であった。10年ほど前でも平均タイム29分30秒以内であれば十分シードを狙えた時代だった。それを隔世の感を禁じ得ない。</p><p>世界選手権の10000m参加標準記録が日本記録を上回る時代であることも踏まえて、今後も各大学がしのぎを削りながら、記録を向上していくスパイラルは淀みなく継続されていくことだろう。</p><p>競技力の発展向上には、選手の身体能力に上書きされていくように、スポーツ科学に反映されたトレーニングとメンタルマネージメントが必須である。</p><p>さらには、彼らを取り巻く環境を含めたスポーツ文化の成熟が必要となってくる。</p><p>ランニングシューズの開発や改良は記録の向上に追い風となっていることは明白で、今後はそれをいかに使いこなすかが課題となってくるだろう。</p><p>それらを踏まえて最終的に必要なことは、スポーツという文化を支える力により、鍛えられた力が成就するということだ。今回、網走市営陸上競技場では、競技会開催直前まで北海道選手権が開催されていた。当然大会を運営されていたオホーツク陸上競技協会の審判員の皆様方をはじめ、地元の高校生も補助員として北海道選手権終了後も、ナイターで開催した競技会を献身的にご協力いただいた。</p><p>スポーツは“する・みる・支える”の思いが強く交錯した時こそ真の力が発揮されると常々思っている。今回の素晴らしい気象条件と、競技会を支えていただいた方々の想い、さらには選手たちの記録に挑戦しようとする熱き想いが交錯したからこその結果であったのだろう。</p><p>いつもながら、支えていただいている方々に感謝している。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第34回「メンタルタイムトラベル～全国の高校生たちへ贈りたい言葉～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/106938</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Jun 2023 17:30:15 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[インターハイ]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
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		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<oa:lastPubDate>Fri, 30 Jun 2023 16:56:51 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第34回「メンタルタイムトラベル～全国の高校生たちへ贈りたい言葉～」</h2>
<p>『日に褪せず　雨に色増す　紫陽花の　鮮やかたるや　言葉尽くせず』（詠人知らず）</p>
<p>誰かが読んだ短歌が、そのまま心にスッと溶け込むような情景が、町のあちらこちらに見受けられる梅雨の6月。今夏、北海道で開催される全国高校総体の地区予選も終了した。</p>
<p>全国大会への出場権を獲得した選手は、陽射しを浴びて咲き誇る紫陽花から、酷暑に耐えてトレーニングをする意欲を与えてもらえているだろうか？</p>
<p>惜しくも代表権を逃した選手は、雨に打たれつつも色褪せることなく静かに咲く紫陽花に、癒され勇気を与えてもらっているだろうか？　そんな思いをかき立てられるこの時期である。</p>
<p>心理学の緒研究では、人が過去の出来事を思いだす場合、青年期である10歳〜20歳頃が特に多いことがわかっている。それは「レミニセンス・バンプ」（回想のコブ）と呼ばれている。それゆえに、10代後半の高校生にとってインターハイ出場をかけた熱き戦いは、チームメイトと共に共有できる良き青春の思い出でもあると確信している。</p>
<p>しかも、人には「エピソード記憶」と呼ばれる特別な記憶回路があるとされており、人間のアイデンティティの基盤となるものだとも言われている。</p>
<p>何故かと言うと、このエピソード記憶というものは「メンタルタイムトラベル」（心の時間旅行）とも言われ、過去を想起するだけでなく、未来への想像やプランニングに深く関わることが明らかになってきているからだ。</p>
<p>言い換えれば、過去のエピソードを詳細に思い出せる人は、その実体験をもとに、未来を詳細に思い描き、プランニングを立てることができるそうだ。</p>
<p>私たち人類の脳内では、過去のあらゆる出来事を頭の中でメンタルタイムトラベルをして再体験する時と、未来を予見し想像する時にも、同じような脳内領域のメカニズムが使われるらしい。</p>
<p>ならば、各都道府県や地区高校総体で悲喜交々の結果に、泣き笑いの記憶がしっかりと思い出の記憶として刻まれていることだろう。そして将来のある日に、2023年６月のメンタルタイムトラベルをして思い起こす時が来るだろう。その思い出（エピソード記憶）にはあなたが未来に向かって歩んでいくための、新たなるプランニング作りに役立ってくれるだろうと紫陽花に願いを込めた。</p>
<div id="attachment_106940" style="width: 1810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-106940" class="wp-image-106940 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206.jpg" alt="" width="1800" height="1200" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-1024x683.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1800px) 100vw, 1800px" /><p id="caption-attachment-106940" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年も6月にインターハイの地区大会が開催された（写真は四国大会男子5000ｍ）</span></p></div>
<p>私とて記憶はさまざまな出来事と紐付いているようだ。視覚的・聴覚的・嗅覚的・味覚的などの情報で閉じ込められた「きっかけ」に触れたとき、脳裏にその時の情景が蘇る。これは自伝的記憶ともいわれ、コラムを執筆する際に常々スイッチが入る。</p>
<p>現在NHKで放映されている連続テレビ小説「らんまん」は、土佐（高知県）出身で日本の植物学者・牧野富太郎（作中では牧野万太郎）を題材として描かれている。香川県（讃岐）生まれの私にとって高知は四国総体などの舞台でもあり、お隣の県でもあるので親近感が湧く。</p>
<p>讃岐弁は当然として愛媛の伊予弁・徳島の阿波弁・高知の土佐弁と、どれも地方独特の風土まで表しているようで興味は尽きない。テレビから流れてくる土佐弁に耳を傾けていると、メンタルタイムトラベルをしてしまった。</p>
<p>1976年の四国高校総体は高知開催であった。当時の陸上競技場は高知城に程近い競輪場のバンクの内側に400mのアンツーカー（赤土）公認トラックが作られていた。大きくうねるようなコンクリートのバンクが押し寄せる高波のような圧迫感の記憶が蘇る。<br />
（当時の愛媛県・松山の陸上競技場も同じ作り）</p>
<p>前年の四国大会は徳島で開催され、800m・1500m・5000mの3種目優勝。その年のインターハイは東京・国立競技場で開催され、1500mで5位入賞を果たしていた。</p>
<p>それだけに再度の3種目優勝を目指すも、800mで同じ香川・三豊工の矢野朝生君に敗れ、3冠を逃した。目を瞑れば、南国・土佐の暑さとアンツーカーの土の匂いまで、レース展開も含めてありありと思い起こされる。レースが終了し、後輩と宿泊している旅館までダウンジョグを兼ねて走って帰った。その日の出来事まで思い出してしまった。</p>
<p>かなり喉の渇きもあったので、裏の厨房の勝手口へ行き、大きな声で「すみませーん。お冷やを2杯いただけませんか！」とお願いした。</p>
<p>すぐさま、「あいよー！」と威勢の良い返答があり、間もなくして朱塗りのお盆に2つのグラスを乗せておかみさんが笑顔で差し出してくれた。</p>
<p>「ありがとうございます」と一礼してグイッと口に含むと……むせて吹き出してしまった。</p>
<p>「うわっ、これお酒じゃないですか！」と驚いてつぶやくと、おかみさんが歯切れ良い土佐弁でこうまくしたてる。</p>
<p>「あんたらーが、お冷やをください言うたがやきーお冷やを出したがよ！ 土佐でお冷や言うたなら『冷や酒』のことを言うがぜよ！ 冷たい水が欲しいやったら、そうおっしゃいやな！ 坊主頭の高校生やろうが、お冷やをくれん言われたらそうしただけぜよ！」</p>
<p>「すみませんでした。冷たいお水をいただけないでしょうか！」と言い直し、まもなくすると、大きなビールジョッキのような入れ物に、かちわり氷を入れたお水を持ってきてくれた。</p>
<p>「ぼんたち安心しいや。これは水じゃきーの！」</p>
<p>こうした会話まで蘇ってきた。今から46年前の懐かしい記憶である。</p>
<p>懐かしさを伴うエピソード記憶には、必ずといっていいほど人とのつながりが存在するという。それは個人を超えた人とのつながりやその時の環境や社会的側面をも含むと捉えてみると、部活で声を掛け合い、励まし合った仲間との思い出とも言える。</p>
<p>懐かしさは心理学ではしばし「Bittersweet」と表現される。勝っても負けても懐かしさは、ポジティブとネガティブが複雑に入り混じった感情の記憶であり、人間ならではの感情特性だといえる。</p>
<p>インターハイ路線の学校代表を逃した選手も、地区大会への出場権やインターハイへの出場権を逃した選手も、君達の全力で鍛え挑んだBittersweetなエピソード記憶は、かけがえのないあなたを支える未来志向の記憶であると伝えたい。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第34回「メンタルタイムトラベル～全国の高校生たちへ贈りたい言葉～」</h2><p>『日に褪せず　雨に色増す　紫陽花の　鮮やかたるや　言葉尽くせず』（詠人知らず）</p><p>誰かが読んだ短歌が、そのまま心にスッと溶け込むような情景が、町のあちらこちらに見受けられる梅雨の6月。今夏、北海道で開催される全国高校総体の地区予選も終了した。</p><p>全国大会への出場権を獲得した選手は、陽射しを浴びて咲き誇る紫陽花から、酷暑に耐えてトレーニングをする意欲を与えてもらえているだろうか？</p><p>惜しくも代表権を逃した選手は、雨に打たれつつも色褪せることなく静かに咲く紫陽花に、癒され勇気を与えてもらっているだろうか？　そんな思いをかき立てられるこの時期である。</p><p>心理学の緒研究では、人が過去の出来事を思いだす場合、青年期である10歳〜20歳頃が特に多いことがわかっている。それは「レミニセンス・バンプ」（回想のコブ）と呼ばれている。それゆえに、10代後半の高校生にとってインターハイ出場をかけた熱き戦いは、チームメイトと共に共有できる良き青春の思い出でもあると確信している。</p><p>しかも、人には「エピソード記憶」と呼ばれる特別な記憶回路があるとされており、人間のアイデンティティの基盤となるものだとも言われている。</p><p>何故かと言うと、このエピソード記憶というものは「メンタルタイムトラベル」（心の時間旅行）とも言われ、過去を想起するだけでなく、未来への想像やプランニングに深く関わることが明らかになってきているからだ。</p><p>言い換えれば、過去のエピソードを詳細に思い出せる人は、その実体験をもとに、未来を詳細に思い描き、プランニングを立てることができるそうだ。</p><p>私たち人類の脳内では、過去のあらゆる出来事を頭の中でメンタルタイムトラベルをして再体験する時と、未来を予見し想像する時にも、同じような脳内領域のメカニズムが使われるらしい。</p><p>ならば、各都道府県や地区高校総体で悲喜交々の結果に、泣き笑いの記憶がしっかりと思い出の記憶として刻まれていることだろう。そして将来のある日に、2023年６月のメンタルタイムトラベルをして思い起こす時が来るだろう。その思い出（エピソード記憶）にはあなたが未来に向かって歩んでいくための、新たなるプランニング作りに役立ってくれるだろうと紫陽花に願いを込めた。</p><div id="attachment_106940" style="width: 1810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-106940" class="wp-image-106940 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206.jpg" alt="" width="1800" height="1200" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-1024x683.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/06/IMG_0206-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1800px) 100vw, 1800px" /><p id="caption-attachment-106940" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">今年も6月にインターハイの地区大会が開催された（写真は四国大会男子5000ｍ）</span></p></div><p>私とて記憶はさまざまな出来事と紐付いているようだ。視覚的・聴覚的・嗅覚的・味覚的などの情報で閉じ込められた「きっかけ」に触れたとき、脳裏にその時の情景が蘇る。これは自伝的記憶ともいわれ、コラムを執筆する際に常々スイッチが入る。</p><p>現在NHKで放映されている連続テレビ小説「らんまん」は、土佐（高知県）出身で日本の植物学者・牧野富太郎（作中では牧野万太郎）を題材として描かれている。香川県（讃岐）生まれの私にとって高知は四国総体などの舞台でもあり、お隣の県でもあるので親近感が湧く。</p><p>讃岐弁は当然として愛媛の伊予弁・徳島の阿波弁・高知の土佐弁と、どれも地方独特の風土まで表しているようで興味は尽きない。テレビから流れてくる土佐弁に耳を傾けていると、メンタルタイムトラベルをしてしまった。</p><p>1976年の四国高校総体は高知開催であった。当時の陸上競技場は高知城に程近い競輪場のバンクの内側に400mのアンツーカー（赤土）公認トラックが作られていた。大きくうねるようなコンクリートのバンクが押し寄せる高波のような圧迫感の記憶が蘇る。<br />（当時の愛媛県・松山の陸上競技場も同じ作り）</p><p>前年の四国大会は徳島で開催され、800m・1500m・5000mの3種目優勝。その年のインターハイは東京・国立競技場で開催され、1500mで5位入賞を果たしていた。</p><p>それだけに再度の3種目優勝を目指すも、800mで同じ香川・三豊工の矢野朝生君に敗れ、3冠を逃した。目を瞑れば、南国・土佐の暑さとアンツーカーの土の匂いまで、レース展開も含めてありありと思い起こされる。レースが終了し、後輩と宿泊している旅館までダウンジョグを兼ねて走って帰った。その日の出来事まで思い出してしまった。</p><p>かなり喉の渇きもあったので、裏の厨房の勝手口へ行き、大きな声で「すみませーん。お冷やを2杯いただけませんか！」とお願いした。</p><p>すぐさま、「あいよー！」と威勢の良い返答があり、間もなくして朱塗りのお盆に2つのグラスを乗せておかみさんが笑顔で差し出してくれた。</p><p>「ありがとうございます」と一礼してグイッと口に含むと……むせて吹き出してしまった。</p><p>「うわっ、これお酒じゃないですか！」と驚いてつぶやくと、おかみさんが歯切れ良い土佐弁でこうまくしたてる。</p><p>「あんたらーが、お冷やをください言うたがやきーお冷やを出したがよ！ 土佐でお冷や言うたなら『冷や酒』のことを言うがぜよ！ 冷たい水が欲しいやったら、そうおっしゃいやな！ 坊主頭の高校生やろうが、お冷やをくれん言われたらそうしただけぜよ！」</p><p>「すみませんでした。冷たいお水をいただけないでしょうか！」と言い直し、まもなくすると、大きなビールジョッキのような入れ物に、かちわり氷を入れたお水を持ってきてくれた。</p><p>「ぼんたち安心しいや。これは水じゃきーの！」</p><p>こうした会話まで蘇ってきた。今から46年前の懐かしい記憶である。</p><p>懐かしさを伴うエピソード記憶には、必ずといっていいほど人とのつながりが存在するという。それは個人を超えた人とのつながりやその時の環境や社会的側面をも含むと捉えてみると、部活で声を掛け合い、励まし合った仲間との思い出とも言える。</p><p>懐かしさは心理学ではしばし「Bittersweet」と表現される。勝っても負けても懐かしさは、ポジティブとネガティブが複雑に入り混じった感情の記憶であり、人間ならではの感情特性だといえる。</p><p>インターハイ路線の学校代表を逃した選手も、地区大会への出場権やインターハイへの出場権を逃した選手も、君達の全力で鍛え挑んだBittersweetなエピソード記憶は、かけがえのないあなたを支える未来志向の記憶であると伝えたい。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第33回「帰ってきた日本一の大声援！～関東インカレ観戦記2023～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/103424</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 31 May 2023 17:30:29 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[関東インカレ]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.rikujyokyogi.co.jp/?p=103424</guid>
		<gnf:modified>Wed, 31 May 2023 12:51:30 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Wed, 31 May 2023 12:51:30 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第33回「帰ってきた日本一の大声援！～関東インカレ観戦記2023～」</h2>
<p>新型コロナウイルスの「５類」への引き下げを受け、新たな日常が始まった5月であった。</p>
<p>「新たな」という表現が適切なのか、「失われた日常を取り戻しつつある」と表現したほうが適当であるか、迷うところではある。しかしながら、大学のキャンパスや、講義においてもマスクなしの表情と向き合うことに新鮮な喜びを感じる。</p>
<p>この3年間を振り返れば、国体やインターハイの中止や延期が相次ぎ、学生たちが楽しみにしていた修学旅行などの学校行事も軒並み挙行が見送られてきた。読者の皆様方も、受難の日々を過ごしてきた記憶が心の澱となって沈殿していることと想像に難くない。</p>
<p>これらのことは、今さらながら語るまでもない周知の事実である。「耐えるより慣れよ！」とまで言わしめしたコロナ禍は、多くの教訓とNEW NORMAL（新生活様式）という新たなライフスタイルを生み出し、やっと背を向けて少し距離を置いてくれたようだ。</p>
<p>新緑の五月晴れと言いたいところではあるが、第102回関東学生陸上競技対校選手権（以下、関東インカレ）は、冷たい雨に見舞われながらも、スタンドを揺らす大声援とともに開催された。</p>
<p>思い起こせば、感染症が急速に拡大し始めた2020年の関東インカレは、10月に時期をずらし、対校得点争いはしないなど、規模を縮小しての開催。2021年の記念すべき第100回大会は、無観客で関係者と選手のみでの開催が精一杯の対応であった。</p>
<p>昨年は東京オリンピックの舞台となった国立競技場を使用しての開催とし、応援にまわる部員たちも入場可能となった。しかしながら、コロナ対策は依然継続中であり、声を出しての応援は控えていただいた。</p>
<p>関東インカレは、日本一の大声援が響き渡る陸上競技会であると勝手に自己認識している。そんな舞台が4年ぶりに戻ってきたのだ。</p>
<div id="attachment_103426" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-103426" class="size-full wp-image-103426" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-103426" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">5月の関東インカレでは名物の集団応援が4年ぶりに帰ってきた</span></p></div>
<p>参加した加盟大学164校、エントリー総数2073名が覇を競う4日間の熱戦は、男子1部が順大、同2部は城西大、女子は日体大がそれぞれ総合優勝を飾り、大学院のカテゴリーである男子3部は東大大学院、女子2部は筑波大大学院が制した。</p>
<p>男子1部校と2部校の入れ替えは、1部校16校のうち下位2校が翌年から2部へ降格となり、2部上位2校が1部へと昇格となる。今年は国際武道大と東京学芸大が2部降格となり、城西大と流通経済大が1部昇格となった。</p>
<p>本学（山梨学院大）は長距離の留学生の活躍と、中距離ブロックの踏ん張りにより、1995年）に1部昇格を果たして以来28大会連続の1部残留となった。</p>
<p>1位8点～8位1点という得点の重みは、競う選手はもとより、スタンドを埋め尽くす部員たちにとっても思いは同じである。初日の応援から声を枯らした部員たちも、4日間の開催期間は選手の激走・激跳・激投を鼓舞し続けてくれた。</p>
<p>最終日は日本テレビ放送網ご協力のもと、ネット中継の解説を桐蔭横浜大の櫻井智野風先生（短距離・跳躍・投てき）と私（中長距離）が担当し、各競技の熱戦ぶりをお伝えさせていただいた。</p>
<p>箱根駅伝では、東洋大の選手が「その1秒をけずり出せ」のパワーワードを腕に書き込んで走る姿が目に焼きついているが、関東インカレの戦いは「その1点をもぎりとれ！」という刹那の願いが映像を通じてひしひしと伝わってきた。</p>
<p>特に4年生（場合によっては主将）の気迫溢れる戦いぶりは心を揺さぶった。</p>
<p>最終日は男子（1部・2部）・女子（1部）合わせて24の決勝種目（※リレー除く）が行われ、そのうちなんと4年生が13種目で優勝を飾った。</p>
<blockquote><p>（最終日4年生の優勝種目）<br />
男子1部　200ｍ、800ｍ、5000ｍ、3000m障害、走高跳、円盤投<br />
男子2部　ハーフマラソン、400ｍハードル、3000m障害<br />
女子1部　800ｍ、400m ハードル、砲丸投、七種競技</p></blockquote>
<p>最終日早朝から行われたハーフマラソン2部では、駒大の赤星雄斗君が4年生の意地を見せた。そのラストスパートの直後、1部校の日本人トップ（総合2位）としてフィニッシュに駆け込んだのが中大駅伝主将の湯浅仁君。レース後のインタビューで「駅伝主将として、自分の走りでチームを引っ張っていく覚悟で走りました」と力強く語ってくれた。</p>
<p>1部3000m障害3連覇の菖蒲敦司君（早大）も強さを見せつけたが、2部3000m障害では、長らく故障で苦しんでいた青学大の小原響君の大会新記録樹立は感慨深いものがあった。</p>
<p>女子800mで初優勝を果たしたヒリアー紗璃苗さん（青学大）の優勝インタビューは母の日にぴったりのお母さんに向けた感謝の言葉で溢れていた。レース前にアナウンサーから「注目選手は誰ですか？」の問いに、迷わずヒリアーさんの名前を上げさせていただいた。</p>
<p>私は2019年に駅伝監督を辞した後は中距離コーチを務めている。そのこともあって、800mのレースは男女とも注目して拝見させていただいてきた。ヒリアーさんは常に先行逃げ切り型のレースパターンで、他の選手の先頭をグイグイ引っ張る積極性が持ち味ではあった。しかしながら、ことごとくフィニッシュ手前で優勝を逃すパターンが続いていた。</p>
<p>ところが、今大会での予選・準決勝はいつもと違う後半の余力を感じていたので、初優勝の可能性が高いと思い、名前を挙げていた。</p>
<p>解説者とて間違うことはあるとは言え、ハラハラしながらレースを見守った。いつもより少しだけ抑え気味に入った最初の100mであったが、トップに躍り出て集団を引っ張ってゆくレースパターンに違いはなかった。後半に向けて淀みない走りはラスト80mを切っても失速することなく、先頭を死守しての初優勝であった。</p>
<p>その後も男子5000ｍにおける三浦龍司君（順大）のラストスパートなど場内を沸かす決勝が続き、いよいよ4日間のフィナーレを飾る4×400mリレー決勝の時が来た。</p>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第33回「帰ってきた日本一の大声援！～関東インカレ観戦記2023～」</h2><p>新型コロナウイルスの「５類」への引き下げを受け、新たな日常が始まった5月であった。</p><p>「新たな」という表現が適切なのか、「失われた日常を取り戻しつつある」と表現したほうが適当であるか、迷うところではある。しかしながら、大学のキャンパスや、講義においてもマスクなしの表情と向き合うことに新鮮な喜びを感じる。</p><p>この3年間を振り返れば、国体やインターハイの中止や延期が相次ぎ、学生たちが楽しみにしていた修学旅行などの学校行事も軒並み挙行が見送られてきた。読者の皆様方も、受難の日々を過ごしてきた記憶が心の澱となって沈殿していることと想像に難くない。</p><p>これらのことは、今さらながら語るまでもない周知の事実である。「耐えるより慣れよ！」とまで言わしめしたコロナ禍は、多くの教訓とNEW NORMAL（新生活様式）という新たなライフスタイルを生み出し、やっと背を向けて少し距離を置いてくれたようだ。</p><p>新緑の五月晴れと言いたいところではあるが、第102回関東学生陸上競技対校選手権（以下、関東インカレ）は、冷たい雨に見舞われながらも、スタンドを揺らす大声援とともに開催された。</p><p>思い起こせば、感染症が急速に拡大し始めた2020年の関東インカレは、10月に時期をずらし、対校得点争いはしないなど、規模を縮小しての開催。2021年の記念すべき第100回大会は、無観客で関係者と選手のみでの開催が精一杯の対応であった。</p><p>昨年は東京オリンピックの舞台となった国立競技場を使用しての開催とし、応援にまわる部員たちも入場可能となった。しかしながら、コロナ対策は依然継続中であり、声を出しての応援は控えていただいた。</p><p>関東インカレは、日本一の大声援が響き渡る陸上競技会であると勝手に自己認識している。そんな舞台が4年ぶりに戻ってきたのだ。</p><div id="attachment_103426" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-103426" class="size-full wp-image-103426" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/RI11390-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-103426" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">5月の関東インカレでは名物の集団応援が4年ぶりに帰ってきた</span></p></div><p>参加した加盟大学164校、エントリー総数2073名が覇を競う4日間の熱戦は、男子1部が順大、同2部は城西大、女子は日体大がそれぞれ総合優勝を飾り、大学院のカテゴリーである男子3部は東大大学院、女子2部は筑波大大学院が制した。</p><p>男子1部校と2部校の入れ替えは、1部校16校のうち下位2校が翌年から2部へ降格となり、2部上位2校が1部へと昇格となる。今年は国際武道大と東京学芸大が2部降格となり、城西大と流通経済大が1部昇格となった。</p><p>本学（山梨学院大）は長距離の留学生の活躍と、中距離ブロックの踏ん張りにより、1995年）に1部昇格を果たして以来28大会連続の1部残留となった。</p><p>1位8点～8位1点という得点の重みは、競う選手はもとより、スタンドを埋め尽くす部員たちにとっても思いは同じである。初日の応援から声を枯らした部員たちも、4日間の開催期間は選手の激走・激跳・激投を鼓舞し続けてくれた。</p><p>最終日は日本テレビ放送網ご協力のもと、ネット中継の解説を桐蔭横浜大の櫻井智野風先生（短距離・跳躍・投てき）と私（中長距離）が担当し、各競技の熱戦ぶりをお伝えさせていただいた。</p><p>箱根駅伝では、東洋大の選手が「その1秒をけずり出せ」のパワーワードを腕に書き込んで走る姿が目に焼きついているが、関東インカレの戦いは「その1点をもぎりとれ！」という刹那の願いが映像を通じてひしひしと伝わってきた。</p><p>特に4年生（場合によっては主将）の気迫溢れる戦いぶりは心を揺さぶった。</p><p>最終日は男子（1部・2部）・女子（1部）合わせて24の決勝種目（※リレー除く）が行われ、そのうちなんと4年生が13種目で優勝を飾った。</p><blockquote><p>（最終日4年生の優勝種目）<br />男子1部　200ｍ、800ｍ、5000ｍ、3000m障害、走高跳、円盤投<br />男子2部　ハーフマラソン、400ｍハードル、3000m障害<br />女子1部　800ｍ、400m ハードル、砲丸投、七種競技</p></blockquote><p>最終日早朝から行われたハーフマラソン2部では、駒大の赤星雄斗君が4年生の意地を見せた。そのラストスパートの直後、1部校の日本人トップ（総合2位）としてフィニッシュに駆け込んだのが中大駅伝主将の湯浅仁君。レース後のインタビューで「駅伝主将として、自分の走りでチームを引っ張っていく覚悟で走りました」と力強く語ってくれた。</p><p>1部3000m障害3連覇の菖蒲敦司君（早大）も強さを見せつけたが、2部3000m障害では、長らく故障で苦しんでいた青学大の小原響君の大会新記録樹立は感慨深いものがあった。</p><p>女子800mで初優勝を果たしたヒリアー紗璃苗さん（青学大）の優勝インタビューは母の日にぴったりのお母さんに向けた感謝の言葉で溢れていた。レース前にアナウンサーから「注目選手は誰ですか？」の問いに、迷わずヒリアーさんの名前を上げさせていただいた。</p><p>私は2019年に駅伝監督を辞した後は中距離コーチを務めている。そのこともあって、800mのレースは男女とも注目して拝見させていただいてきた。ヒリアーさんは常に先行逃げ切り型のレースパターンで、他の選手の先頭をグイグイ引っ張る積極性が持ち味ではあった。しかしながら、ことごとくフィニッシュ手前で優勝を逃すパターンが続いていた。</p><p>ところが、今大会での予選・準決勝はいつもと違う後半の余力を感じていたので、初優勝の可能性が高いと思い、名前を挙げていた。</p><p>解説者とて間違うことはあるとは言え、ハラハラしながらレースを見守った。いつもより少しだけ抑え気味に入った最初の100mであったが、トップに躍り出て集団を引っ張ってゆくレースパターンに違いはなかった。後半に向けて淀みない走りはラスト80mを切っても失速することなく、先頭を死守しての初優勝であった。</p><p>その後も男子5000ｍにおける三浦龍司君（順大）のラストスパートなど場内を沸かす決勝が続き、いよいよ4日間のフィナーレを飾る4×400mリレー決勝の時が来た。</p>]]></content:encoded>


					</item>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第32回「新たなる挑戦 “1985年の春”～香川から山梨へ～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/100487</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 01 May 2023 17:30:24 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 01 May 2023 11:23:59 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 01 May 2023 11:23:59 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第32回「新たなる挑戦 “1985年の春”～香川から山梨へ～」</h2>
<p>春爛漫。</p>
<p>麗かなる陽射しを浴び、スパイクシューズの軽やかなリズムに心が沸き立つ4月。まさに、以前のコラムで書いたヴィヴァルディの交響曲「四季」の第1楽章がピッタリのシーズンと言いたいところではあるが、後半は気温が急降下し、雨天の日々が続いた。</p>
<p>厳しい冬を超えてやっと回りきた春も、アスリートの天敵とも言える“春の5K”に悩まされるシーズンでもある。</p>
<p>“春の5K”とは「花粉・黄砂・強風・乾燥・寒暖差」のこと。いずれも屋外でトレーニングを行い、レースをする陸上競技選手にとっては厄介である。</p>
<p>厄介だとて避けて通れぬ関門のようなもので、あれやこれやと工夫を凝らしたり、苦手を克服したりでトラックシーズンを迎える。</p>
<p>花粉症の私は、今年も点眼・点鼻薬を供として春の訪れを待ち、新年度を迎えた。</p>
<p>この時期の甲府盆地は驚くほどの勢いで山が萌えてくる。山々の麓から新緑の色合いが湧き上がるように色づいてくるからだ。</p>
<p>桜が咲く頃には桃の開花も始まり、南アルプスから富士山に向かう三坂峠あたりまでぐるりと視線を走らせると、ピンクの絨毯を敷き詰めたような景色が心を和ませてくれる。時には黄砂の影響でその観景が霞む日も多々あるが、雨で洗われた翌朝は、紺碧の空と残雪を光らせる富士山、そして新緑の山々が桃の花で彩られた眺望は春の醍醐味でもある。</p>
<p>ランナーにとっては春夏秋冬、花鳥風月が友であり、豊かな自然の中に身を投じられるのが苦しいトレーニングの合間の楽しみの一つでもある。</p>
<p>この季節が来れば、毎年“1985年の春”を思い起こす。香川県の中学教員（丸亀市立本島中学）で離職の挨拶を済ませ、山梨学院大学に着任した創部初年度の頃のことだ。</p>
<p>まだ香川ナンバーのままの自家用車に、積み込めるだけ荷物を積んで、高松の港からフェリーに乗船した。夜中の出港にもかかわらず、教員の同僚や陸上仲間が見送ってくれた。神戸港で下船し、始めての高速道路を運転し、甲府へと向かったことなどをキーボードに向かいつつ思い起こした。</p>
<p>一年の計は元旦にありと言いつつも、日本の歳時記は年度の始まりが新たな節目となる。4月の新入生や新社会人は、新天地での生活に心躍らせながらも、不安と不慣れな生活リズムに苦慮を重ねているに違いない。</p>
<p>私も、山梨の地に根を下ろそうと意気込んでやってきたものの、つまずいたり滑ったりの連続だった。こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうかと不安な日々を過ごしていた。</p>
<p>初年度は8人の新入部員と、既にあった陸上同好会から押しかけるように入部希望してきた3年生1名（現・茨城県中学教員）、2年生1名（現・静岡県警察官）が加わり10名で集合住宅を借り、仮の合宿所としてスタートを切った。<br />
（とは言うものの、秋には6人となっていた）</p>
<p>今でこそスポーツ科学部の講義でコーチングやマネージメント・トレーニング論など語ってはいるが、あの頃は選手の不平、不満、愚痴、文句に、自分自身の心の熱量で向き合うことしかできない日々であったと思う。</p>
<p>創部のこの年に最後までついてきてくれた彼らがいなければ、その後のチームを作り上げることはできなかったと、今更ながらに頭の下がる思いである。</p>
<div id="attachment_100488" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-100488" class="size-full wp-image-100488" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1801" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-300x211.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-1024x720.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-768x540.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-1536x1080.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-2048x1440.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><p id="caption-attachment-100488" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">葡萄畑の上り坂を走る創部当初の陸上部員。前列中央は監督就任直後の上田氏</span></p></div>
<div id="attachment_100489" style="width: 935px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-100489" class="wp-image-100489 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1681-925x1024.jpg" alt="" width="925" height="1024" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1681-925x1024.jpg 925w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1681-271x300.jpg 271w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1681-768x850.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1681-1387x1536.jpg 1387w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1681-1849x2048.jpg 1849w" sizes="auto, (max-width: 925px) 100vw, 925px" /><p id="caption-attachment-100489" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">甲府市内で開業している今井整形外科でお借りしたマシーンでトレーニングに励む</span></p></div>
<p>この2年ほど前のことである。福島県郡山で開催されていた東日本30kmロードレースに参加した時、順大時代の恩師である沢木啓祐先生から「話があるから一緒に新幹線で上野まで行こう」と誘われた。</p>
<p>何事だろうと思いつつ、車中で沢木先生から「山梨学院大学が箱根駅伝出場を目指して監督を探している。お前を推薦しようと思う。どうだ！」と言われた。即答などできるはずもなく、「山梨は関東ですか？」などと今では笑い話にもならないような質問をしてしまったことが恥ずかしいほどであった。</p>
<p>大学卒業と同時に地元・香川に帰り、1年間の非常勤講師を務めた後に中学校教員として採用されたばかりの時である。父子家庭で育った私にとって、希望通り地元の教員採用が叶って勤務を始めたことや、すでに身体を患っていた父のことを思えば、おいそれと「山梨に行きます」とも言えずにいた。</p>
<p>さらに、いろんな方と相談しても「箱根駅伝出場なんか無理だ。やめとけ！」と言われることがほとんどであった。</p>
<p>そのような状況のなか、「挑戦してみたら」と勧めていただいたのが、最初の1年間、時間講師として勤務した三豊工業（現・観音寺総合）高校陸上部顧問・詫間茂先生（棒高跳でオリンピアンやインターハイ優勝者を輩出）と、明善（現・英明）高校陸上部顧問の真部卓一先生（女子でインターハイ優勝・入賞者を輩出／現・理事長）だった。</p>
<p>ある程度時も経ち、そろそろ返事をせねばならない頃が来ていた頃。ある日の夕食の席で父から「お前、そろそろ沢木先生に返事しなければならないと思うが、どうするんだ？」と尋ねられた。</p>
<p>答えを少し渋っていると、父が「お前の顔には山梨に行って挑戦してみたいと書いてあるぞ！」と言い切った。さらに、こう言って背中を押してくれた。</p>
<p>「俺のことは気にしなくていい。ただし、挑戦すると決めたならば何があろうとも、その夢に向かってつま先をきちんと向けて頑張れ。何かにつまずいて泥水に顔から突っ込むことや、冷たい向かい風でうずくまるようなことがあるかもしれない。そんなつらい時こそ、自分のつま先が夢の方向に向かっているか確認して、さらなる一歩を踏み出すんだぞ。その覚悟があるなら山梨に行って頑張ってこい！」</p>
<p>山梨に来て最初の歩み出しは厳しいことだらけだろうと覚悟はしていたものの、この言葉を受けて香川を後にしたことは、私のその後を支えてもらった事実である。</p>
<p>この言葉の意味を噛み締めたとき、その思いを選手たちに伝え、そのような選手を育成してゆきたいと誓った。</p>
<p>普段朴訥で多くを語らない父ではあったが、あの日のあの言葉は心に深く刻まれている。</p>
<p>手を合わせ、心で念じたい。<br />
「ありがとう」</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第32回「新たなる挑戦 “1985年の春”～香川から山梨へ～」</h2><p>春爛漫。</p><p>麗かなる陽射しを浴び、スパイクシューズの軽やかなリズムに心が沸き立つ4月。まさに、以前のコラムで書いたヴィヴァルディの交響曲「四季」の第1楽章がピッタリのシーズンと言いたいところではあるが、後半は気温が急降下し、雨天の日々が続いた。</p><p>厳しい冬を超えてやっと回りきた春も、アスリートの天敵とも言える“春の5K”に悩まされるシーズンでもある。</p><p>“春の5K”とは「花粉・黄砂・強風・乾燥・寒暖差」のこと。いずれも屋外でトレーニングを行い、レースをする陸上競技選手にとっては厄介である。</p><p>厄介だとて避けて通れぬ関門のようなもので、あれやこれやと工夫を凝らしたり、苦手を克服したりでトラックシーズンを迎える。</p><p>花粉症の私は、今年も点眼・点鼻薬を供として春の訪れを待ち、新年度を迎えた。</p><p>この時期の甲府盆地は驚くほどの勢いで山が萌えてくる。山々の麓から新緑の色合いが湧き上がるように色づいてくるからだ。</p><p>桜が咲く頃には桃の開花も始まり、南アルプスから富士山に向かう三坂峠あたりまでぐるりと視線を走らせると、ピンクの絨毯を敷き詰めたような景色が心を和ませてくれる。時には黄砂の影響でその観景が霞む日も多々あるが、雨で洗われた翌朝は、紺碧の空と残雪を光らせる富士山、そして新緑の山々が桃の花で彩られた眺望は春の醍醐味でもある。</p><p>ランナーにとっては春夏秋冬、花鳥風月が友であり、豊かな自然の中に身を投じられるのが苦しいトレーニングの合間の楽しみの一つでもある。</p><p>この季節が来れば、毎年“1985年の春”を思い起こす。香川県の中学教員（丸亀市立本島中学）で離職の挨拶を済ませ、山梨学院大学に着任した創部初年度の頃のことだ。</p><p>まだ香川ナンバーのままの自家用車に、積み込めるだけ荷物を積んで、高松の港からフェリーに乗船した。夜中の出港にもかかわらず、教員の同僚や陸上仲間が見送ってくれた。神戸港で下船し、始めての高速道路を運転し、甲府へと向かったことなどをキーボードに向かいつつ思い起こした。</p><p>一年の計は元旦にありと言いつつも、日本の歳時記は年度の始まりが新たな節目となる。4月の新入生や新社会人は、新天地での生活に心躍らせながらも、不安と不慣れな生活リズムに苦慮を重ねているに違いない。</p><p>私も、山梨の地に根を下ろそうと意気込んでやってきたものの、つまずいたり滑ったりの連続だった。こんなことで箱根駅伝の舞台が見えてくるのだろうかと不安な日々を過ごしていた。</p><p>初年度は8人の新入部員と、既にあった陸上同好会から押しかけるように入部希望してきた3年生1名（現・茨城県中学教員）、2年生1名（現・静岡県警察官）が加わり10名で集合住宅を借り、仮の合宿所としてスタートを切った。<br />（とは言うものの、秋には6人となっていた）</p><p>今でこそスポーツ科学部の講義でコーチングやマネージメント・トレーニング論など語ってはいるが、あの頃は選手の不平、不満、愚痴、文句に、自分自身の心の熱量で向き合うことしかできない日々であったと思う。</p><p>創部のこの年に最後までついてきてくれた彼らがいなければ、その後のチームを作り上げることはできなかったと、今更ながらに頭の下がる思いである。</p><div id="attachment_100488" style="width: 2570px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-100488" class="size-full wp-image-100488" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1801" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-300x211.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-1024x720.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-768x540.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_1680-1536x1080.jpg 1536w, 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8pt;">甲府市内で開業している今井整形外科でお借りしたマシーンでトレーニングに励む</span></p></div><p>この2年ほど前のことである。福島県郡山で開催されていた東日本30kmロードレースに参加した時、順大時代の恩師である沢木啓祐先生から「話があるから一緒に新幹線で上野まで行こう」と誘われた。</p><p>何事だろうと思いつつ、車中で沢木先生から「山梨学院大学が箱根駅伝出場を目指して監督を探している。お前を推薦しようと思う。どうだ！」と言われた。即答などできるはずもなく、「山梨は関東ですか？」などと今では笑い話にもならないような質問をしてしまったことが恥ずかしいほどであった。</p><p>大学卒業と同時に地元・香川に帰り、1年間の非常勤講師を務めた後に中学校教員として採用されたばかりの時である。父子家庭で育った私にとって、希望通り地元の教員採用が叶って勤務を始めたことや、すでに身体を患っていた父のことを思えば、おいそれと「山梨に行きます」とも言えずにいた。</p><p>さらに、いろんな方と相談しても「箱根駅伝出場なんか無理だ。やめとけ！」と言われることがほとんどであった。</p><p>そのような状況のなか、「挑戦してみたら」と勧めていただいたのが、最初の1年間、時間講師として勤務した三豊工業（現・観音寺総合）高校陸上部顧問・詫間茂先生（棒高跳でオリンピアンやインターハイ優勝者を輩出）と、明善（現・英明）高校陸上部顧問の真部卓一先生（女子でインターハイ優勝・入賞者を輩出／現・理事長）だった。</p><p>ある程度時も経ち、そろそろ返事をせねばならない頃が来ていた頃。ある日の夕食の席で父から「お前、そろそろ沢木先生に返事しなければならないと思うが、どうするんだ？」と尋ねられた。</p><p>答えを少し渋っていると、父が「お前の顔には山梨に行って挑戦してみたいと書いてあるぞ！」と言い切った。さらに、こう言って背中を押してくれた。</p><p>「俺のことは気にしなくていい。ただし、挑戦すると決めたならば何があろうとも、その夢に向かってつま先をきちんと向けて頑張れ。何かにつまずいて泥水に顔から突っ込むことや、冷たい向かい風でうずくまるようなことがあるかもしれない。そんなつらい時こそ、自分のつま先が夢の方向に向かっているか確認して、さらなる一歩を踏み出すんだぞ。その覚悟があるなら山梨に行って頑張ってこい！」</p><p>山梨に来て最初の歩み出しは厳しいことだらけだろうと覚悟はしていたものの、この言葉を受けて香川を後にしたことは、私のその後を支えてもらった事実である。</p><p>この言葉の意味を噛み締めたとき、その思いを選手たちに伝え、そのような選手を育成してゆきたいと誓った。</p><p>普段朴訥で多くを語らない父ではあったが、あの日のあの言葉は心に深く刻まれている。</p><p>手を合わせ、心で念じたい。<br />「ありがとう」</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第31回「指導者として必要な4つの目～慈眼・峻眼・慧眼・凝眼～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Mar 2023 17:53:46 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Fri, 31 Mar 2023 18:16:49 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Fri, 31 Mar 2023 18:16:49 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第31回「指導者として必要な4つの目～慈眼・峻眼・慧眼・凝眼～」</h2>
<p>桜の開花は敏感に気象状況に反応するので、3月半ばからのポカポカ陽気に誘発されて、すでに満開のシーズンを終えようとしている。</p>
<p>スポーツ界を振り返ると、東京マラソンを皮切りにワールド・ベースボール・クラシック（WBC）、世界フィギュアスケート選手権など大規模国際競技会が開催され、沿道やスタジアムは元より、世間を巻き込んで大いに盛り上がっていた。</p>
<p>いずれの大会も現地で視察観戦する機会を得た。これまでの新型コロナ感染症対策を施しながらの運営から一転し、選手に声援を送りつつ、プレーやパフォーマンスに一喜一憂し、それぞれの思いを共有することができていた。</p>
<p>東京マラソンでは、観戦者がお目当ての選手の通過に合わせて地下鉄などを駆使し、追いかけるようにして声を届けようとする、通称「追っかけ」と呼ばれる応援スタイルが常である。 「追っかけ」をしていると、地下鉄に乗り換えるたびに実業団の指導者や関係者など同じ顔ぶれでレース展開や選手の疲労状態など会話が進む。それはそれでワクワクしつつ、次の地点へ向かうので十分楽しめる。</p>
<div id="attachment_96711" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-96711" class="size-full wp-image-96711" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/03892974eac42a4a0221814b64c756ab.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/03892974eac42a4a0221814b64c756ab.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/03892974eac42a4a0221814b64c756ab-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/03892974eac42a4a0221814b64c756ab-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-96711" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">日本人2選手が2時間5分台を出すなど盛り上がりを見せた3月5日の東京マラソン</span></p></div>
<p>通常はトップ選手の走りに注目して選手の走りを追いかけているのだが、今回は後半35km地点でじっくりと腰を据え、すっかりお腹周りが大きくなった卒業生や職場の同僚などの通過を待った。</p>
<p>その際、沿道で弛まなく声援を送っている方とお話しをする機会を得た。その方は、トップアスリートは当然ながら、関門ギリギリまでなんとかフィニッシュを目指そうとするランナーたちとともに、東京マラソンそのものを応援していると語ってくれた。</p>
<p>スポーツを牽引してゆく力はトップアスリートの素晴らしいパフォーマンスかもしれない。しかし、スポーツを文化として支えてくれている層は、順位だけでなく、頑張る姿に温かい声援を送り続けていただける方々の小さな力の集積であると感じた。</p>
<p>WBCでは大谷翔平選手をはじめ、大リーガーや国内屈指のプロ野球選手が集結し、注目度も過去最高のボルテージであった。見せ場満載の大会ではあったが、多くのファンで埋め尽くされた日韓戦における東京ドーム周辺の人流コントロールに注目した。</p>
<p>大規模競技会は、人が集まり、観戦し、そして帰路につく。当然のことをスムーズに行うことの困難さは箱根駅伝で痛いほど経験している。この日、東京ドームに観戦に来られた方々は、既にプロ野球観戦を経験しており、帰路につくまでのマナーと様々な“間合い”を熟知した人がほとんど。混雑の状況を心得ている方々が大半を占めていると感じた。</p>
<p>主に大リーグなどでルールブックに記載されてはいないが暗黙の了解事項としてプレーヤーも観衆も理解しているルールを“アンリットンルール”と言う。<br />
（＊Unwritten Rules….暗黙の規則）</p>
<p>これは主にプレーの内容や態度についてなのだが、人が集まるスポーツ観戦においてもこのアンリットンルールとして“間”の取り方に長けた方が多かったのではないだろうか。</p>
<p>何事も間・間合いは大切で、漫才コンビでも“間”の取り方次第で笑いが取れる。オーケストラでも指揮者の“間”の取り方次第で同じ楽譜から名演奏が生まれる。剣道なども、この“間合い”の駆け引きが勝負の分け目となる。最寄りの水道橋駅付近での混雑は避けられないにせよ、混乱を生まないのは、この“間”を知る人が多いからに他ならないのではないだろうか。</p>
<p>世界フィギュアスケート選手権では、私の姪っ子がペアのアメリカ代表で選出されたとの連絡を受けた時には大きな驚きと喜びが交錯した。</p>
<p>さいたまスーパーアリーナで開催される世界選手権出場のため来日すると言うことで、この種目の初観戦となった。シングルでは坂本花織さん、宇野昌磨さん、「りくりゅうペア」こと三浦璃来さん・木原龍一さんコンビが金メダル獲得となった。トップスケーターが鎬をけずる戦いの厳しさと、氷上で刹那の勝敗の岐路を現場でことごとく観戦できた。</p>
<p>優雅に見える演技もエッジが氷を削る音に、この競技の難しさと過酷さを感じることができた。棒高跳で６mを超えるジャンプをサラリとやってのける、美しい上昇曲線を想起させられるような高い難易度も、そう感じさせない完成度は驚愕であった。テレビでは感じない氷の硬さが伝わってくるだけに息をつめて見入ってしまった。</p>
<div id="attachment_96710" style="width: 691px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-96710" class="wp-image-96710 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575-681x1024.jpeg" alt="" width="681" height="1024" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575-681x1024.jpeg 681w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575-199x300.jpeg 199w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575-768x1155.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575-1021x1536.jpeg 1021w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575.jpeg 1044w" sizes="auto, (max-width: 681px) 100vw, 681px" /><p id="caption-attachment-96710" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">中央でリフトアップしている男性がペアスケート米国代表の、ダニー・オシェイと姪のエリー・カム。左がエリーの祖父で東農大時代に箱根駅伝出走経験のある秋山勉さん、右が祖母の文子さん。エリーの母親が上田氏の妻の妹にあたる</span></p></div>
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		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第31回「指導者として必要な4つの目～慈眼・峻眼・慧眼・凝眼～」</h2><p>桜の開花は敏感に気象状況に反応するので、3月半ばからのポカポカ陽気に誘発されて、すでに満開のシーズンを終えようとしている。</p><p>スポーツ界を振り返ると、東京マラソンを皮切りにワールド・ベースボール・クラシック（WBC）、世界フィギュアスケート選手権など大規模国際競技会が開催され、沿道やスタジアムは元より、世間を巻き込んで大いに盛り上がっていた。</p><p>いずれの大会も現地で視察観戦する機会を得た。これまでの新型コロナ感染症対策を施しながらの運営から一転し、選手に声援を送りつつ、プレーやパフォーマンスに一喜一憂し、それぞれの思いを共有することができていた。</p><p>東京マラソンでは、観戦者がお目当ての選手の通過に合わせて地下鉄などを駆使し、追いかけるようにして声を届けようとする、通称「追っかけ」と呼ばれる応援スタイルが常である。 「追っかけ」をしていると、地下鉄に乗り換えるたびに実業団の指導者や関係者など同じ顔ぶれでレース展開や選手の疲労状態など会話が進む。それはそれでワクワクしつつ、次の地点へ向かうので十分楽しめる。</p><div id="attachment_96711" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-96711" class="size-full wp-image-96711" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/03892974eac42a4a0221814b64c756ab.jpg" alt="" width="800" height="533" 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8pt;">日本人2選手が2時間5分台を出すなど盛り上がりを見せた3月5日の東京マラソン</span></p></div><p>通常はトップ選手の走りに注目して選手の走りを追いかけているのだが、今回は後半35km地点でじっくりと腰を据え、すっかりお腹周りが大きくなった卒業生や職場の同僚などの通過を待った。</p><p>その際、沿道で弛まなく声援を送っている方とお話しをする機会を得た。その方は、トップアスリートは当然ながら、関門ギリギリまでなんとかフィニッシュを目指そうとするランナーたちとともに、東京マラソンそのものを応援していると語ってくれた。</p><p>スポーツを牽引してゆく力はトップアスリートの素晴らしいパフォーマンスかもしれない。しかし、スポーツを文化として支えてくれている層は、順位だけでなく、頑張る姿に温かい声援を送り続けていただける方々の小さな力の集積であると感じた。</p><p>WBCでは大谷翔平選手をはじめ、大リーガーや国内屈指のプロ野球選手が集結し、注目度も過去最高のボルテージであった。見せ場満載の大会ではあったが、多くのファンで埋め尽くされた日韓戦における東京ドーム周辺の人流コントロールに注目した。</p><p>大規模競技会は、人が集まり、観戦し、そして帰路につく。当然のことをスムーズに行うことの困難さは箱根駅伝で痛いほど経験している。この日、東京ドームに観戦に来られた方々は、既にプロ野球観戦を経験しており、帰路につくまでのマナーと様々な“間合い”を熟知した人がほとんど。混雑の状況を心得ている方々が大半を占めていると感じた。</p><p>主に大リーグなどでルールブックに記載されてはいないが暗黙の了解事項としてプレーヤーも観衆も理解しているルールを“アンリットンルール”と言う。<br />（＊Unwritten Rules….暗黙の規則）</p><p>これは主にプレーの内容や態度についてなのだが、人が集まるスポーツ観戦においてもこのアンリットンルールとして“間”の取り方に長けた方が多かったのではないだろうか。</p><p>何事も間・間合いは大切で、漫才コンビでも“間”の取り方次第で笑いが取れる。オーケストラでも指揮者の“間”の取り方次第で同じ楽譜から名演奏が生まれる。剣道なども、この“間合い”の駆け引きが勝負の分け目となる。最寄りの水道橋駅付近での混雑は避けられないにせよ、混乱を生まないのは、この“間”を知る人が多いからに他ならないのではないだろうか。</p><p>世界フィギュアスケート選手権では、私の姪っ子がペアのアメリカ代表で選出されたとの連絡を受けた時には大きな驚きと喜びが交錯した。</p><p>さいたまスーパーアリーナで開催される世界選手権出場のため来日すると言うことで、この種目の初観戦となった。シングルでは坂本花織さん、宇野昌磨さん、「りくりゅうペア」こと三浦璃来さん・木原龍一さんコンビが金メダル獲得となった。トップスケーターが鎬をけずる戦いの厳しさと、氷上で刹那の勝敗の岐路を現場でことごとく観戦できた。</p><p>優雅に見える演技もエッジが氷を削る音に、この競技の難しさと過酷さを感じることができた。棒高跳で６mを超えるジャンプをサラリとやってのける、美しい上昇曲線を想起させられるような高い難易度も、そう感じさせない完成度は驚愕であった。テレビでは感じない氷の硬さが伝わってくるだけに息をつめて見入ってしまった。</p><div id="attachment_96710" style="width: 691px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-96710" class="wp-image-96710 size-large" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/03/1F71E306-A08C-4BCC-8EFB-B81B77840575-681x1024.jpeg" alt="" width="681" 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14pt;"><strong>駒大3冠達成祝賀会に参加して</strong></span></a></p>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第30回「“縁を紡いでゆく”～鹿児島実業・上岡貞則先生の勇退に思いを馳せて～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/94515</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Feb 2023 18:00:22 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 28 Feb 2023 18:16:44 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 28 Feb 2023 18:16:44 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第30回「“縁を紡いでゆく”～鹿児島実業・上岡貞則先生の勇退に思いを馳せて～」</h2>
<p>鹿児島実業高校・上岡貞則先生の陸上部監督勇退記念パーティーと講演会に参列させていただいた。</p>
<p>上岡先生は、同校で50年間勤務し（7年間は短距離指導）、1980年から2022年までの42年間を陸上競技部監督として率いてこられた。その間、全国高校駅伝には29回出場している。</p>
<p>祝宴に集いし総勢300名を超える教え子や保護者の皆様方は、一様に指導者としてだけでなく、教育者として恩師に対する謝辞を述べ、感謝を口にしていた。</p>
<p>祝宴に先立っての講演では、「素晴らしい教え子たちに巡り会うことができ、苦労を苦労として実感したことはない」と静かに語っておられた。また、「指導の理念・信条は陸上競技を通して苦しい時に諦めないスピリット（鹿実魂）を身につけることである。そして、大会での結果は大切だが、それ以上に社会人としてしっかり歩んで行けるよう、人間教育に重点を置いてきた」と話された。</p>
<p>とはいえ、月刊陸上競技の誌面を飾るような選手を何人も輩出しており、私の記憶にありありと焼き付いている。</p>
<p>2004年日本選手権10000m。旭化成に入社2年目19歳の大野龍二選手が、同じ旭化成で鹿児島県出身の永田宏一郎選手との激しい競り合いの末、わずか0.80秒差の27分59秒32（当時・ジュニア日本記録）で優勝し、アテネオリンピック代表を決めた瞬間。</p>
<p>2005年岡山国体少年A5000m決勝において、森賢大選手がケニア人留学生を鋭いラストスパートで置き去りにして優勝を飾った勇姿。</p>
<div id="attachment_94504" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-94504" class="size-full wp-image-94504" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/ad62dfcb6c77753644c97490b931ec91.jpg" alt="" width="800" height="532" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/ad62dfcb6c77753644c97490b931ec91.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/ad62dfcb6c77753644c97490b931ec91-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/ad62dfcb6c77753644c97490b931ec91-768x511.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-94504" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">2010年の全国高校駅伝で優勝した鹿児島実高</span></p></div>
<p>圧巻は2010年第61回全国高校駅伝において、現在も旭化成で活躍する市田孝・宏兄弟ら、オール鹿児島県出身選手で初優勝を果たしたことが挙げられる。</p>
<p>この頃は鹿児島の競技会や駅伝など選手を見に行くたびに、上岡先生と杯を酌み交わしながら陸上談義に耳を傾けた。</p>
<p>当時、山梨学院大学附属高校（現・山梨学院高校）では、高大連携事業の一環として、2011年に入学する上田健太・市谷龍太郎・西山令・河村知樹・矢ノ倉弘らの入学が決まっていた。3年後の全国制覇を目標として指導サポートすることになっていたこともあり、指導者と選手、そして保護者たちが三位一体となった鹿児島実業の全国高校駅伝初優勝の軌跡を、3年間の時間軸に沿って学ばせてもらったと言える。</p>
<p>2013年第64回高校駅伝において、西京極陸上競技場に4校が踵を接する激戦で迎えたトラック勝負を制することができたのも、そのお陰であると感謝している。</p>
<div id="attachment_94505" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-94505" class="size-full wp-image-94505" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/08f69e77a1efb91449fd394f36769870.jpg" alt="" width="800" height="534" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/08f69e77a1efb91449fd394f36769870.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/08f69e77a1efb91449fd394f36769870-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/02/08f69e77a1efb91449fd394f36769870-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-94505" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">2013年の全国高校駅伝で初優勝した山梨学院大附高（現・山梨学院高）</span></p></div>
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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第29回「箱根駅伝現場検証！コース巡回の視点で総括する99回大会」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/91914</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Jan 2023 17:30:21 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<oa:lastPubDate>Mon, 30 Jan 2023 17:29:20 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第29回「箱根駅伝現場検証！コース巡回の視点で総括する99回大会」</h2>
<p>第99回東京箱根館往復大学駅伝競走が終了した。</p>
<p>通称“箱根駅伝”で、ほとんどの方々が理解していただける。それほど社会生活や各家庭のお茶の間に浸透しているといえる。会話も「今年の箱根はすごかったね……」と切り出しても、箱根の温泉の話題でもなければ強羅や仙石原・芦ノ湖などの観光地の話ではないことは承知の上で、箱根駅伝についての話を切り出したとて誰もが合点する。</p>
<p>私も大学1年時に10区の付き添いを体験し、2年～4年は山上りの5区を走って2度の区間賞と総合優勝を味わうことができた。</p>
<p>卒業後の教員時代から山梨学院大学創部初年度の新春1986年までの5年間は、NHKラジオ解説者として、ラジオ中継車ですべての区間の激走を見ることができた。</p>
<p>そして監督として33年間（1987年～2019年）はチームの走りを見守った。</p>
<p>その間、陸上自衛隊のジープによる監督車からの声掛け時代を経て、1990年の伴走車廃止に伴い各チームの監督がワゴン車3台に分乗し、呉越同舟する体制がしばらく続いた。</p>
<p>そして2003年の第79回大会から現在の運営管理車が各出場チームに1台つける時代へと変遷してきた。</p>
<p>現行の運営管理車の主たる目的は、従来の審判車・観察車・役員車を統合し、走者の安全確保および走路管理・観衆の整理、観衆への情報提供に努める車両である。</p>
<div id="attachment_91921" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-91921" class="wp-image-91921 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-91921" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">走者の安全確保および走路管理・観衆の整理、観衆への情報提供に努める運営管理車</span></p></div>
<p>交通規制の執行を行う白バイ隊員との連携を保ちつつ、選手の安全な走行確保を行い、繰り上げ対応など大会運営を滞りなく進行させるため、全体のオペレーション協力を行うことで隊列内運行許可を得ている。</p>
<p>運営管理車には以下の5名が乗りこみ、それぞれ重要な役割を担っている。</p>
<p><strong>・ドライバー</strong><br />
（学連が委託する無事故無違反10年以上の運転経歴を持つ者で、チームと同じ大学出身者を選出しない）</p>
<p><strong>・競技運営委員</strong><br />
（関東学生陸上競技連盟の競技審判委員および東京・神奈川陸上競技協会の審判員から選出し、走行時における意思決定の責任者としての権限を持つ。選手の走行や声かけポイントでの時間や内容などの審判活動・緊急時の判断と決定などの任にあたる）</p>
<p><strong>・走路管理員</strong><br />
（各運営管理車・白バイ隊員・大会本部との連携、複数校による併走時の車両入れ替え方法の指示・観衆の車道への踏み出し、前後の押し合い等による危険防止にあたる走路員に呼びかけを行い任務の適正化を図る）</p>
<p><strong>・走者の指導者</strong><br />
（チームの監督およびコーチなど指導者が乗車。競技運営委員の許可を得てあらかじめ決められた地点においてマイクを通じ1分程度走者に必要最低限の指示を与える事ができる。）＊1km・3km・5km・10km・15km・あと3km・あと1kmなど<br />
：現時点における順位と前後チームとの距離、各ポイントの通過タイム<br />
：スプリットタイム<br />
：その他走行時の注意点</p>
<p><strong>・指導者のアシスタント</strong><br />
（スプリットタイムなどの計時・記録、前後の差など指導者が必要とする情報の提供など主に指導者のサポート）</p>
<p>それぞれトラックレースで言うところの審判・タイム計測・周回掲示・通告業務などを行うこととなっている。当然のことながら運営管理車からの声かけがテレビ中継で話題にもなり注目度も高いわけだが、声かけポイントのルールも公平を記すために徹底されている。</p>
<p>また特別に走り終えた選手に労いの言葉や、次走者に一言程度の声かけを中継地点では認めている。</p>
<p>次のページ　<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/91914/2"><strong><span style="font-size: 18pt;">コース上を視察して気づいたこと</span></strong></a></p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
<p>関連記事はありません。</p>
</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第29回「箱根駅伝現場検証！コース巡回の視点で総括する99回大会」</h2><p>第99回東京箱根館往復大学駅伝競走が終了した。</p><p>通称“箱根駅伝”で、ほとんどの方々が理解していただける。それほど社会生活や各家庭のお茶の間に浸透しているといえる。会話も「今年の箱根はすごかったね……」と切り出しても、箱根の温泉の話題でもなければ強羅や仙石原・芦ノ湖などの観光地の話ではないことは承知の上で、箱根駅伝についての話を切り出したとて誰もが合点する。</p><p>私も大学1年時に10区の付き添いを体験し、2年～4年は山上りの5区を走って2度の区間賞と総合優勝を味わうことができた。</p><p>卒業後の教員時代から山梨学院大学創部初年度の新春1986年までの5年間は、NHKラジオ解説者として、ラジオ中継車ですべての区間の激走を見ることができた。</p><p>そして監督として33年間（1987年～2019年）はチームの走りを見守った。</p><p>その間、陸上自衛隊のジープによる監督車からの声掛け時代を経て、1990年の伴走車廃止に伴い各チームの監督がワゴン車3台に分乗し、呉越同舟する体制がしばらく続いた。</p><p>そして2003年の第79回大会から現在の運営管理車が各出場チームに1台つける時代へと変遷してきた。</p><p>現行の運営管理車の主たる目的は、従来の審判車・観察車・役員車を統合し、走者の安全確保および走路管理・観衆の整理、観衆への情報提供に努める車両である。</p><div id="attachment_91921" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-91921" class="wp-image-91921 size-full" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2023/01/f3671bc3f7e9b3701e418763d0158f59-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-91921" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">走者の安全確保および走路管理・観衆の整理、観衆への情報提供に努める運営管理車</span></p></div><p>交通規制の執行を行う白バイ隊員との連携を保ちつつ、選手の安全な走行確保を行い、繰り上げ対応など大会運営を滞りなく進行させるため、全体のオペレーション協力を行うことで隊列内運行許可を得ている。</p><p>運営管理車には以下の5名が乗りこみ、それぞれ重要な役割を担っている。</p><p><strong>・ドライバー</strong><br />（学連が委託する無事故無違反10年以上の運転経歴を持つ者で、チームと同じ大学出身者を選出しない）</p><p><strong>・競技運営委員</strong><br />（関東学生陸上競技連盟の競技審判委員および東京・神奈川陸上競技協会の審判員から選出し、走行時における意思決定の責任者としての権限を持つ。選手の走行や声かけポイントでの時間や内容などの審判活動・緊急時の判断と決定などの任にあたる）</p><p><strong>・走路管理員</strong><br />（各運営管理車・白バイ隊員・大会本部との連携、複数校による併走時の車両入れ替え方法の指示・観衆の車道への踏み出し、前後の押し合い等による危険防止にあたる走路員に呼びかけを行い任務の適正化を図る）</p><p><strong>・走者の指導者</strong><br />（チームの監督およびコーチなど指導者が乗車。競技運営委員の許可を得てあらかじめ決められた地点においてマイクを通じ1分程度走者に必要最低限の指示を与える事ができる。）＊1km・3km・5km・10km・15km・あと3km・あと1kmなど<br />：現時点における順位と前後チームとの距離、各ポイントの通過タイム<br />：スプリットタイム<br />：その他走行時の注意点</p><p><strong>・指導者のアシスタント</strong><br />（スプリットタイムなどの計時・記録、前後の差など指導者が必要とする情報の提供など主に指導者のサポート）</p><p>それぞれトラックレースで言うところの審判・タイム計測・周回掲示・通告業務などを行うこととなっている。当然のことながら運営管理車からの声かけがテレビ中継で話題にもなり注目度も高いわけだが、声かけポイントのルールも公平を記すために徹底されている。</p><p>また特別に走り終えた選手に労いの言葉や、次走者に一言程度の声かけを中継地点では認めている。</p><p>次のページ　<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/91914/2"><strong><span style="font-size: 18pt;">コース上を視察して気づいたこと</span></strong></a></p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


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		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第28回「箱根駅伝春夏秋冬～ヴィヴァルディの四季を聴きながら～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/89775</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 27 Dec 2022 18:00:53 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 27 Dec 2022 11:35:29 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 27 Dec 2022 11:35:29 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第28回「箱根駅伝春夏秋冬～ヴィヴァルディの四季を聴きながら～」</h2>
<p>師走も年の瀬という“胸突き八丁”を迎える頃となった。</p>
<p>前回のコラムでご紹介した千葉県柏市立酒井根中学が、12月18日の全国中学駅伝で初優勝を飾った。O Bの活躍によって慌ただしい年末の中、しみじみとした感動を与えていただいた。</p>
<p>振り返ってみると、コロナ禍とはいえ、さまざまな競技会の開催が沸々と湧き上がるような感動と興奮を、その熱気とともに運んでくれた1年であったと言える。</p>
<p>クリスマスまでの4週間で警視庁・神奈川県警への交通規制や雑踏警備の依頼や打ち合わせを含め、箱根駅伝・関東学連関連の会議が13回、開催に向け関連する皆様方との協議に参画させていただいた。その会議や打ち合わせのすべてを、関東学生陸上競技連盟の高橋花奈幹事長および学生幹事たちが、膨大な資料をそろえ、準備を滞りなく整えていただいた。</p>
<p>毎年のことではあるが、99回と回を重ねてきたと思えば、金栗四三氏らが箱根駅伝を創設した当時より脈々と受け継がれている若き学生たちの情熱と献身に頭が下がる思いである。</p>
<p>偉大なる作曲家のグスタフ・マーラーの「伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない」との思いが、学生たちのこの大会に懸ける思いとなって伝わってくる。</p>
<p>「春夏秋冬」とわずか漢字4文字で1年間を言い表すことができるが、何があったのかと振り返れば、胸の内に去来するさまざまなことが思い起こされる。</p>
<p>箱根駅伝までのカウントダウンも目前ともなれば、クリスマスソングが巷に流れていたかと思う間もなく、ベートーヴェン交響曲第9番「喜びの歌」の大合唱が年末気分を盛り上げてくる。</p>
<p>そんな中、2022年1月2日～3日の98回大会終了からこの1年を、箱根駅伝に向かうチーム目線で振り返って見ようと思う。ヴィヴァルディの『四季』の12楽章を聴きつつ、それぞれの情景を思い起こしながら振り返って見ようと思う。<br />
※読者のみなさんも聴きながら、当コラムをご覧いただきたい</p>
<p>（冬：第2楽章ラルゴ）：大会終了直後からなので、あえて第2楽章から始めたい。<br />
98回大会終了後、各チームはそれぞれのフランチャイズへと帰路につく。結果はともかくとして、しばしの安息と新たな1年の始まりを思う。10区間を駆け抜けたタスキはそれぞれの思いを汗とともに染み込ませ、チームメイトの元へ帰ってきた。<br />
明日からの試行錯誤の前にしばしその脚を休めよ。</p>
<p>（冬：第3楽章アレグロ）：1月～3月<br />
3月までは新入生の受け入れや、春のトラックシーズンに向けての準備となる。この間はハーフマラソンなどの実践経験を積み上げつつ、力を蓄える挑戦と鍛錬の日々だ。<br />
4年生が卒業し、新入生が合宿所へと入寮してくる。新たな息吹とともに新チームが始動し始める。</p>
<p>（春：第1楽章アレグロ）：4月、いよいよ新学期。<br />
学年も1つ上がり、これからのシーズンやチーム作りに期待が膨らむ。<br />
春の陽射しを受けてスピード練習に余念がない。スパイク・シューズの感覚に自己記録更新への期待感が高まる。</p>
<div id="attachment_89781" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89781" class="size-full wp-image-89781" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89781" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">春にはさまざまな対校戦が開催された（写真は東京六大学対校）</span></p></div>
<p>（春：第2楽章ラルゴ）：4月～5月<br />
大学のガイダンスや履修登録が終わり、寮生活にもなじんできた。食事や風呂、同室の先輩または後輩との人間関係にも慣れてきた。トレーニングの場以外でチームの小さな絆が紡がれてゆく。</p>
<p>（春：第3楽章アレグロ）：5月～6月<br />
関東インカレなどスピードに磨きをかけ、自己記録への挑戦と勝利への渇望が走りへと昇華される。<br />
気温上昇に耐えつつも、全日本大学駅伝選考会などを経て、箱根駅伝までの残り半年となり思いも新たとなる。</p>
<p>（夏：第1楽章）アレグロ・ノンモルト）：7月<br />
いよいよ夏の鍛錬期を迎える。どのチームもこの夏の鍛錬期でどれだけ力を蓄えることができるかが鍵であることを信じている。<br />
厳しさのドアを自ら開けて勇気と覚悟を持って一歩を踏み出せ。</p>
<p>（夏：第2楽章アダージョ）8月<br />
走力とともにチームとしての結束力を高めて行くのもこの期間だ。妥協を弾き飛ばす熱い思いがチームに芽生える。<br />
練習の合間のチームメイトとの語らいが憩いの時であり楽しくもある。</p>
<div id="attachment_89782" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89782" class="size-full wp-image-89782" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89782" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">各校は長野や新潟、北海道など避暑地で夏合宿を実施した</span></p></div>
<p>（夏：第3楽章プレスト）9月<br />
いよいよ夏合宿の終盤。夏に鍛えしもののみが冬の栄光を手にすると信じてひたすら走り込む。チームメイトの励ましや檄に、折れそうな心に芯が通るのを感じる。<br />
速さよりもたくましさや強さが欲しいと感じるのもこの合宿期間だ。</p>
<p>（秋：第1楽章アレグロ）：9月〜秋のシーズン<br />
いよいよ秋のシーズン。日本インカレなど秋のトラックレースで力試しが始まる。夏に積み上げてきた箱根駅伝への思いを解き放つ時がきた。</p>
<p>（秋：第2楽章アダージョ・モルト）<br />
秋の夕日と爽やかな風は、長距離ランナーにとって待ち望んだ空気感だ。<br />
夏に走り抜き、厳しさに耐えた日々が走る喜びへと変換される。</p>
<p>（秋：第3楽章アレグロ）<br />
出雲駅伝・箱根駅伝予選会・全日本大学駅伝、秋から冬へと向かう戦いの舞台。<br />
華やかでもあり、過酷な現実を受け止めなければならのこともある。個の力とともにチーム力が試される。チームの立て直しを仕切り直す一瞬がこの時にある。</p>
<div id="attachment_89783" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89783" class="size-full wp-image-89783" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89783" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">過酷な予選会を突破した10校が箱根路へと駒を進めた</span></p></div>
<p>そしていよいよ<br />
（冬：第1楽章アレグロ・ノン・モルト）へと誘われ、今へと至る。<br />
鼓動の高鳴りに似たドラマチックな旋律は、選手たちの思いの丈を表す熱情なのか。はたまた、指導スタッフの期待と不安が交錯する心象風景なのか。そして、レースを待ち侘びるファンのみなさんの胸の高まりなのか。高速化かつ激戦激闘必死のレース展開を表していることを表しているかのようだ。<br />
この1年間を鍛えし選手たちがどう戦うか、この第1楽章を聴きつつ思いを馳せていただきたい。</p>
<p>先日、全国高校駅伝が終了した。47都道府県代表校の選手達が熱き走りで都大路を沸かせた。男子では優勝した倉敷高（岡山）が大会記録を更新。準優勝の佐久長聖高（長野）が留学生を含まない日本選手だけの日本高校記録を更新するハイペースなレース展開は、近い将来2時間の壁を打ち破る日が来るのではないかと思わせるほどであった。</p>
<p>箱根駅伝まで1週間を切り、コロナ禍でnew normal を生き抜くスポーツ（陸上競技）に思いを馳せる時、思い至った言葉は“紐帯” （チュウタイ）である。</p>
<p>意味を調べると、ひもとオビと書いて、二つのものを固く結びつける役割を表すそうで、社会を形作る結びつきを表す言葉だという。</p>
<p>私が思うに、（手前勝手な解釈だが）箱根駅伝は、公共交通機関である公道を使用して開催する競技会である。それがゆえに、関係者や沿道の観衆をはじめ、はからずしも交通規制に巻き込まれてしまった方々も含め、誰もが持つそれぞれの糸が、もつれるのではなく、互いの思いが交錯しながらも、その時代の個性的な柄を描きながら織り上がる帯びとなる事を表している言葉と解釈している。</p>
<p>箱根駅伝は、関わるすべての方々を固く結びつける大会でありたいと願っている。</p>
<div id="attachment_89780" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89780" class="size-full wp-image-89780" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89780" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">いよいよ第99回箱根駅伝スタートの瞬間が近づいてきた</span></p></div>
<p>2023年1月2日。<br />
東京大手町、読売新聞本社前のスタートラインに並ぶ21チームの精鋭達。<br />
午前8時、静寂の中、号砲を待つ！</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
<p>関連記事はありません。</p>
</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第28回「箱根駅伝春夏秋冬～ヴィヴァルディの四季を聴きながら～」</h2><p>師走も年の瀬という“胸突き八丁”を迎える頃となった。</p><p>前回のコラムでご紹介した千葉県柏市立酒井根中学が、12月18日の全国中学駅伝で初優勝を飾った。O Bの活躍によって慌ただしい年末の中、しみじみとした感動を与えていただいた。</p><p>振り返ってみると、コロナ禍とはいえ、さまざまな競技会の開催が沸々と湧き上がるような感動と興奮を、その熱気とともに運んでくれた1年であったと言える。</p><p>クリスマスまでの4週間で警視庁・神奈川県警への交通規制や雑踏警備の依頼や打ち合わせを含め、箱根駅伝・関東学連関連の会議が13回、開催に向け関連する皆様方との協議に参画させていただいた。その会議や打ち合わせのすべてを、関東学生陸上競技連盟の高橋花奈幹事長および学生幹事たちが、膨大な資料をそろえ、準備を滞りなく整えていただいた。</p><p>毎年のことではあるが、99回と回を重ねてきたと思えば、金栗四三氏らが箱根駅伝を創設した当時より脈々と受け継がれている若き学生たちの情熱と献身に頭が下がる思いである。</p><p>偉大なる作曲家のグスタフ・マーラーの「伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない」との思いが、学生たちのこの大会に懸ける思いとなって伝わってくる。</p><p>「春夏秋冬」とわずか漢字4文字で1年間を言い表すことができるが、何があったのかと振り返れば、胸の内に去来するさまざまなことが思い起こされる。</p><p>箱根駅伝までのカウントダウンも目前ともなれば、クリスマスソングが巷に流れていたかと思う間もなく、ベートーヴェン交響曲第9番「喜びの歌」の大合唱が年末気分を盛り上げてくる。</p><p>そんな中、2022年1月2日～3日の98回大会終了からこの1年を、箱根駅伝に向かうチーム目線で振り返って見ようと思う。ヴィヴァルディの『四季』の12楽章を聴きつつ、それぞれの情景を思い起こしながら振り返って見ようと思う。<br />※読者のみなさんも聴きながら、当コラムをご覧いただきたい</p><p>（冬：第2楽章ラルゴ）：大会終了直後からなので、あえて第2楽章から始めたい。<br />98回大会終了後、各チームはそれぞれのフランチャイズへと帰路につく。結果はともかくとして、しばしの安息と新たな1年の始まりを思う。10区間を駆け抜けたタスキはそれぞれの思いを汗とともに染み込ませ、チームメイトの元へ帰ってきた。<br />明日からの試行錯誤の前にしばしその脚を休めよ。</p><p>（冬：第3楽章アレグロ）：1月～3月<br />3月までは新入生の受け入れや、春のトラックシーズンに向けての準備となる。この間はハーフマラソンなどの実践経験を積み上げつつ、力を蓄える挑戦と鍛錬の日々だ。<br />4年生が卒業し、新入生が合宿所へと入寮してくる。新たな息吹とともに新チームが始動し始める。</p><p>（春：第1楽章アレグロ）：4月、いよいよ新学期。<br />学年も1つ上がり、これからのシーズンやチーム作りに期待が膨らむ。<br />春の陽射しを受けてスピード練習に余念がない。スパイク・シューズの感覚に自己記録更新への期待感が高まる。</p><div id="attachment_89781" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89781" class="size-full wp-image-89781" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/32dfe9e1fca4df9604f9bc6225ea5130-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89781" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">春にはさまざまな対校戦が開催された（写真は東京六大学対校）</span></p></div><p>（春：第2楽章ラルゴ）：4月～5月<br />大学のガイダンスや履修登録が終わり、寮生活にもなじんできた。食事や風呂、同室の先輩または後輩との人間関係にも慣れてきた。トレーニングの場以外でチームの小さな絆が紡がれてゆく。</p><p>（春：第3楽章アレグロ）：5月～6月<br />関東インカレなどスピードに磨きをかけ、自己記録への挑戦と勝利への渇望が走りへと昇華される。<br />気温上昇に耐えつつも、全日本大学駅伝選考会などを経て、箱根駅伝までの残り半年となり思いも新たとなる。</p><p>（夏：第1楽章）アレグロ・ノンモルト）：7月<br />いよいよ夏の鍛錬期を迎える。どのチームもこの夏の鍛錬期でどれだけ力を蓄えることができるかが鍵であることを信じている。<br />厳しさのドアを自ら開けて勇気と覚悟を持って一歩を踏み出せ。</p><p>（夏：第2楽章アダージョ）8月<br />走力とともにチームとしての結束力を高めて行くのもこの期間だ。妥協を弾き飛ばす熱い思いがチームに芽生える。<br />練習の合間のチームメイトとの語らいが憩いの時であり楽しくもある。</p><div id="attachment_89782" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89782" class="size-full wp-image-89782" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/9d4fe02d02b321d763515d718f816488-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89782" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">各校は長野や新潟、北海道など避暑地で夏合宿を実施した</span></p></div><p>（夏：第3楽章プレスト）9月<br />いよいよ夏合宿の終盤。夏に鍛えしもののみが冬の栄光を手にすると信じてひたすら走り込む。チームメイトの励ましや檄に、折れそうな心に芯が通るのを感じる。<br />速さよりもたくましさや強さが欲しいと感じるのもこの合宿期間だ。</p><p>（秋：第1楽章アレグロ）：9月〜秋のシーズン<br />いよいよ秋のシーズン。日本インカレなど秋のトラックレースで力試しが始まる。夏に積み上げてきた箱根駅伝への思いを解き放つ時がきた。</p><p>（秋：第2楽章アダージョ・モルト）<br />秋の夕日と爽やかな風は、長距離ランナーにとって待ち望んだ空気感だ。<br />夏に走り抜き、厳しさに耐えた日々が走る喜びへと変換される。</p><p>（秋：第3楽章アレグロ）<br />出雲駅伝・箱根駅伝予選会・全日本大学駅伝、秋から冬へと向かう戦いの舞台。<br />華やかでもあり、過酷な現実を受け止めなければならのこともある。個の力とともにチーム力が試される。チームの立て直しを仕切り直す一瞬がこの時にある。</p><div id="attachment_89783" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89783" class="size-full wp-image-89783" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/852c95e764e451bd13baf1a08fab30d6-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89783" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">過酷な予選会を突破した10校が箱根路へと駒を進めた</span></p></div><p>そしていよいよ<br />（冬：第1楽章アレグロ・ノン・モルト）へと誘われ、今へと至る。<br />鼓動の高鳴りに似たドラマチックな旋律は、選手たちの思いの丈を表す熱情なのか。はたまた、指導スタッフの期待と不安が交錯する心象風景なのか。そして、レースを待ち侘びるファンのみなさんの胸の高まりなのか。高速化かつ激戦激闘必死のレース展開を表していることを表しているかのようだ。<br />この1年間を鍛えし選手たちがどう戦うか、この第1楽章を聴きつつ思いを馳せていただきたい。</p><p>先日、全国高校駅伝が終了した。47都道府県代表校の選手達が熱き走りで都大路を沸かせた。男子では優勝した倉敷高（岡山）が大会記録を更新。準優勝の佐久長聖高（長野）が留学生を含まない日本選手だけの日本高校記録を更新するハイペースなレース展開は、近い将来2時間の壁を打ち破る日が来るのではないかと思わせるほどであった。</p><p>箱根駅伝まで1週間を切り、コロナ禍でnew normal を生き抜くスポーツ（陸上競技）に思いを馳せる時、思い至った言葉は“紐帯” （チュウタイ）である。</p><p>意味を調べると、ひもとオビと書いて、二つのものを固く結びつける役割を表すそうで、社会を形作る結びつきを表す言葉だという。</p><p>私が思うに、（手前勝手な解釈だが）箱根駅伝は、公共交通機関である公道を使用して開催する競技会である。それがゆえに、関係者や沿道の観衆をはじめ、はからずしも交通規制に巻き込まれてしまった方々も含め、誰もが持つそれぞれの糸が、もつれるのではなく、互いの思いが交錯しながらも、その時代の個性的な柄を描きながら織り上がる帯びとなる事を表している言葉と解釈している。</p><p>箱根駅伝は、関わるすべての方々を固く結びつける大会でありたいと願っている。</p><div id="attachment_89780" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-89780" class="size-full wp-image-89780" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/12/bcc04aacc0983fb5202c9d0481446d26-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-89780" class="wp-caption-text"><span style="font-size: 8pt;">いよいよ第99回箱根駅伝スタートの瞬間が近づいてきた</span></p></div><p>2023年1月2日。<br />東京大手町、読売新聞本社前のスタートラインに並ぶ21チームの精鋭達。<br />午前8時、静寂の中、号砲を待つ！</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第27回「箱根駅伝が醸し出す文化～選手・関係者・ファンが〝共創〟するために～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/87349</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Nov 2022 18:00:27 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Tue, 06 Dec 2022 11:23:38 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Tue, 06 Dec 2022 11:23:38 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第27回「箱根駅伝が醸し出す文化～選手・関係者・ファンが〝共創〟するために～」</h2>
<p>醸す（かもす）という言葉がある。</p>
<p>麹（こうじ）を発酵させて酒や醤油などを作る過程や、醸造する時に使われる言葉だ。あるいは特有の文化や雰囲気を生み出すことにも使われる。</p>
<p>「醸し出す」と表現すれば、人や物がその場特有の雰囲気を作り出す場合などに用いられる。</p>
<p>100年の歴史を紡いできた箱根駅伝はどのようなスポーツ文化を“醸して”きたのだろうか。はたまた、「新春の風物詩」とまで形容されるようになったのは、どのような雰囲気を“醸し出して”いるからなのだろうか？</p>
<p>腕を組み、しばし沈思黙考……。</p>
<p>歴史を振り返れば、戦禍を耐え、地震や災害を凌ぎ、過去様々な困難を乗り越え、その時代の叡智と献身により今日を迎えているからだろう。</p>
<p>箱根駅伝（予選会を含む）は過去３年間を振り返るだけでも、感染症対策を施しつつ、厳しい自己規制のなか、様々な問題点をはらみながらも多くの方のご協力により無事開催することができた。心から感謝を申し上げたい。</p>
<p>過去から学び、今後を見据えるとすれば、99回大会も感染状況など社会情勢を鑑みて、安心・安全を極力担保した運営を心がけなければならないと気の引き締まる思いだ。</p>
<p>例えば、10月に行われた予選会は、３年ぶりに同じ立川自衛隊駐屯地スタート、立川市街地を経て国営昭和記念公園でフィニッシュするコースでの開催となった。</p>
<p>しかし、コロナ感染症拡大以前の開催方法に戻すということではなかった。大切なことは、コロナ禍の中にあって開催してきた知見をもとに、現在までの社会状況を俯瞰し、これからのスポーツ文化の醸成のための開催方法を実施するべきである。そう捉え、運営の一端を担わせていただいた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87346" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><span style="font-size: 8pt;">10月の箱根駅伝予選会は3年ぶりに国営昭和記念公園をフィニッシュするコースで開催</span></p>
<p>そして、いよいよ1ヵ月後に迫った箱根駅伝を新たな視点で捉えてみたいとペンを取った。</p>
<p>箱根駅伝を開催するにあたり、箱根駅伝がどのような大会であるかを再確認する必要があると考えたからだ。</p>
<p>箱根駅伝は東京・大手町を起点に首都圏を開催地とする広域・大規模・移動型競技会である。しかも、完全生中継や報道体制の充実もあり、広く世間に対する拡散力や影響力を持った競技会であることを再認識しなければならない。</p>
<p>生活や経済活動の基盤である幹線道路を使用しての競技会開催は、安心・安全を担保するためにも交通機関や人の流れと同時に、感染症対策などさらなる困難を解決した中で運営しなければならない宿命にあると言っても過言ではない。</p>
<p>公道を使用する競技でもあるので、警視庁・神奈川県警は総力を上げて交通規制及び走路上の走者の安全確保に努めていただいている。さらには、道路以外の歩道又はそれに隣接する施設等での雑踏整備及び警備に関しても、大会主催者が今まで以上に責任を持って対応していかなければならないこととなる。</p>
<p>特に主要交通機関であるコース沿線の、J R・小田急・箱根登山鉄道の車両や駅構内と併せて、一般道と高速道路等の混雑は年々増加傾向にある。それらをふまえて利用者はもちろん、観戦者・地域住民・商業施設に対する安全と環境を阻害する行為など対処しなければならない事案も散見されてきている。</p>
<p>たとえ小さな事案であっても複合的かつ度重なる蓄積や長期にわたる未改善案件や放置事案などが散発することがあってはならない。</p>
<p>100年の歴史を紡いできた箱根駅伝の開催運営は、まさに醸造家が酒やワイン・味噌や醤油を“醸す”ように慈しみ、発酵に適切な環境を保つことによって個性あふれる作品に“醸し出す”作業にも通じるものがある。</p>
<p>スポーツを「する・みる・支える」と言う立場の違いはあれど、三者が協力し合い“競走”を応援する人たちに支えられ、がんばる“協創”。そして大会を運営する役員補助員などを含めた“共創”となるよう一体となってこそ、箱根駅伝という大会が持つスポーツの文化が“醸し出される”のだと思う。</p>
<p>大会を終えた時、すべての選手たちの健闘ぶりが存分に称えられる大会として、そしてそれを支えるすべての関係者やファンの皆様方が誇りに思える大会を開催（協奏）したいと願っている。<br />
※「物議を醸す」事態だけは避けたいものである……。</p>
<p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87345" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/1ebc149f38ea595d712706ada7fe58fb.jpg" alt="" width="800" height="497" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/1ebc149f38ea595d712706ada7fe58fb.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/1ebc149f38ea595d712706ada7fe58fb-300x186.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/1ebc149f38ea595d712706ada7fe58fb-768x477.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" />100年間の歴史を紡いできた箱根駅伝。写真は山梨学院大が初優勝した1992年大会6区（廣瀬諭史）</span></p>
<p>さてさて、箱根駅伝話題でとらわれてしまいそうになるが、年末には中学駅伝・高校駅伝の全国大会も控えている。</p>
<p>いずれもレベルアップの波がグングン押し上げるように迫ってくる気配を感じている。</p>
<p>そんななか、指導者としてがんばっている教え子の明るいニュースが飛び込んできた。</p>
<p>全中駅伝出場をかけ、激戦の千葉県大会において、大会新記録で出場を決めたのが柏市立酒井根中学。指導に当たっているのは山梨学院大学（2009~13年）で主務を務めた小川健太先生だ。</p>
<p>法学部で社会科の教員免許は取得していたが、当時はまだ山梨学院大学にスポーツ科学部がなかった時代だったので、科目等履修生として山梨大学に通い、保健体育の教員免許を修得した。</p>
<p>その後は山梨県の白根巨摩中学で常勤講師（14~18年）を務めながら、男女とも全中駅伝のスタートラインに立たせた指導実績もある。千葉県の柏日体（現・日体大柏）高校出身ということもあり、千葉県教員採用試験を受けたところ無事合格。採用先の酒井根中学で４年目の快挙である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87348" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/IMG_4746-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1920" /><span style="font-size: 8pt;">千葉県中学駅伝を大会新記録で制して全中駅伝出場を決めた酒井根中</span></p>
<p>そして、先日行われた日体大長距離競技会において5000ｍの高校記録（13分22秒99）を樹立した長野・佐久長聖高校の吉岡大翔君を指導する高見澤勝先生。彼も商業科目の教員免許を取得して2004年に本学を卒業したものの、実業団で競技を継続しつつ、山梨学院で再度科目等履修生として情報処理の資格を習得し、母校・佐久長聖高校の教員として両角速監督の後を引き継いでいる。</p>
<p>資格習得のために講義を受講しつつ、大学のグラウンドでは実業団ランナーとしてトレーニングに励む姿が印象に残っている。特に、北海道マラソンに向けて40km走をグラウンドの外周1kmコースで、給水等マネージャーや後輩の手を借りず黙々とやり遂げた姿を見て、きっと両角先生の後を引き継いでもしっかりやって行けるだろうと確信したことを思い出した。（教員1年目の2008年北海道マラソン2時間12分10秒で優勝）</p>
<p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87347" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737.jpg" alt="" width="800" height="600" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" />11月13日の日体大長距離競技会にて。5000mの高校記録を樹立した吉岡大翔選手（中央）と高見澤勝先生（左）</span></p>
<p>指導する畑の違いはあれど、お二人とも苦労と努力の末に教員採用の道へと進んでいる。選手やチームを作り上げる情熱ある指導者の存在があってこそ、そこで学んだ選手たちが次のステージへと進む道が開けることは共通している。</p>
<p>彼らのように中学・高校で選手育成の情熱を注ぎ込む指導者がおられることで、輝きを増す箱根駅伝のステージでもあると言える。さらに言えば、日本の長距離界を支える原動力とも言えるのではないだろうか。</p>
<p>先ほど語らせていただいたように「すべての関係者やファンの皆様方が誇りに思える大会を開催したい」との思いは、中学や高校で日夜ご指導にあたられている情熱ある指導者たちの支えがあってのことであることも見逃すことはできない。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
<p>関連記事はありません。</p>
</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第27回「箱根駅伝が醸し出す文化～選手・関係者・ファンが〝共創〟するために～」</h2><p>醸す（かもす）という言葉がある。</p><p>麹（こうじ）を発酵させて酒や醤油などを作る過程や、醸造する時に使われる言葉だ。あるいは特有の文化や雰囲気を生み出すことにも使われる。</p><p>「醸し出す」と表現すれば、人や物がその場特有の雰囲気を作り出す場合などに用いられる。</p><p>100年の歴史を紡いできた箱根駅伝はどのようなスポーツ文化を“醸して”きたのだろうか。はたまた、「新春の風物詩」とまで形容されるようになったのは、どのような雰囲気を“醸し出して”いるからなのだろうか？</p><p>腕を組み、しばし沈思黙考……。</p><p>歴史を振り返れば、戦禍を耐え、地震や災害を凌ぎ、過去様々な困難を乗り越え、その時代の叡智と献身により今日を迎えているからだろう。</p><p>箱根駅伝（予選会を含む）は過去３年間を振り返るだけでも、感染症対策を施しつつ、厳しい自己規制のなか、様々な問題点をはらみながらも多くの方のご協力により無事開催することができた。心から感謝を申し上げたい。</p><p>過去から学び、今後を見据えるとすれば、99回大会も感染状況など社会情勢を鑑みて、安心・安全を極力担保した運営を心がけなければならないと気の引き締まる思いだ。</p><p>例えば、10月に行われた予選会は、３年ぶりに同じ立川自衛隊駐屯地スタート、立川市街地を経て国営昭和記念公園でフィニッシュするコースでの開催となった。</p><p>しかし、コロナ感染症拡大以前の開催方法に戻すということではなかった。大切なことは、コロナ禍の中にあって開催してきた知見をもとに、現在までの社会状況を俯瞰し、これからのスポーツ文化の醸成のための開催方法を実施するべきである。そう捉え、運営の一端を担わせていただいた。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87346" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/FN1_1529-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><span style="font-size: 8pt;">10月の箱根駅伝予選会は3年ぶりに国営昭和記念公園をフィニッシュするコースで開催</span></p><p>そして、いよいよ1ヵ月後に迫った箱根駅伝を新たな視点で捉えてみたいとペンを取った。</p><p>箱根駅伝を開催するにあたり、箱根駅伝がどのような大会であるかを再確認する必要があると考えたからだ。</p><p>箱根駅伝は東京・大手町を起点に首都圏を開催地とする広域・大規模・移動型競技会である。しかも、完全生中継や報道体制の充実もあり、広く世間に対する拡散力や影響力を持った競技会であることを再認識しなければならない。</p><p>生活や経済活動の基盤である幹線道路を使用しての競技会開催は、安心・安全を担保するためにも交通機関や人の流れと同時に、感染症対策などさらなる困難を解決した中で運営しなければならない宿命にあると言っても過言ではない。</p><p>公道を使用する競技でもあるので、警視庁・神奈川県警は総力を上げて交通規制及び走路上の走者の安全確保に努めていただいている。さらには、道路以外の歩道又はそれに隣接する施設等での雑踏整備及び警備に関しても、大会主催者が今まで以上に責任を持って対応していかなければならないこととなる。</p><p>特に主要交通機関であるコース沿線の、J R・小田急・箱根登山鉄道の車両や駅構内と併せて、一般道と高速道路等の混雑は年々増加傾向にある。それらをふまえて利用者はもちろん、観戦者・地域住民・商業施設に対する安全と環境を阻害する行為など対処しなければならない事案も散見されてきている。</p><p>たとえ小さな事案であっても複合的かつ度重なる蓄積や長期にわたる未改善案件や放置事案などが散発することがあってはならない。</p><p>100年の歴史を紡いできた箱根駅伝の開催運営は、まさに醸造家が酒やワイン・味噌や醤油を“醸す”ように慈しみ、発酵に適切な環境を保つことによって個性あふれる作品に“醸し出す”作業にも通じるものがある。</p><p>スポーツを「する・みる・支える」と言う立場の違いはあれど、三者が協力し合い“競走”を応援する人たちに支えられ、がんばる“協創”。そして大会を運営する役員補助員などを含めた“共創”となるよう一体となってこそ、箱根駅伝という大会が持つスポーツの文化が“醸し出される”のだと思う。</p><p>大会を終えた時、すべての選手たちの健闘ぶりが存分に称えられる大会として、そしてそれを支えるすべての関係者やファンの皆様方が誇りに思える大会を開催（協奏）したいと願っている。<br />※「物議を醸す」事態だけは避けたいものである……。</p><p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87345" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/1ebc149f38ea595d712706ada7fe58fb.jpg" alt="" width="800" height="497" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/1ebc149f38ea595d712706ada7fe58fb.jpg 800w, 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height="1920" /><span style="font-size: 8pt;">千葉県中学駅伝を大会新記録で制して全中駅伝出場を決めた酒井根中</span></p><p>そして、先日行われた日体大長距離競技会において5000ｍの高校記録（13分22秒99）を樹立した長野・佐久長聖高校の吉岡大翔君を指導する高見澤勝先生。彼も商業科目の教員免許を取得して2004年に本学を卒業したものの、実業団で競技を継続しつつ、山梨学院で再度科目等履修生として情報処理の資格を習得し、母校・佐久長聖高校の教員として両角速監督の後を引き継いでいる。</p><p>資格習得のために講義を受講しつつ、大学のグラウンドでは実業団ランナーとしてトレーニングに励む姿が印象に残っている。特に、北海道マラソンに向けて40km走をグラウンドの外周1kmコースで、給水等マネージャーや後輩の手を借りず黙々とやり遂げた姿を見て、きっと両角先生の後を引き継いでもしっかりやって行けるだろうと確信したことを思い出した。（教員1年目の2008年北海道マラソン2時間12分10秒で優勝）</p><p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-87347" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737.jpg" alt="" width="800" height="600" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/11/image_50420737-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" />11月13日の日体大長距離競技会にて。5000mの高校記録を樹立した吉岡大翔選手（中央）と高見澤勝先生（左）</span></p><p>指導する畑の違いはあれど、お二人とも苦労と努力の末に教員採用の道へと進んでいる。選手やチームを作り上げる情熱ある指導者の存在があってこそ、そこで学んだ選手たちが次のステージへと進む道が開けることは共通している。</p><p>彼らのように中学・高校で選手育成の情熱を注ぎ込む指導者がおられることで、輝きを増す箱根駅伝のステージでもあると言える。さらに言えば、日本の長距離界を支える原動力とも言えるのではないだろうか。</p><p>先ほど語らせていただいたように「すべての関係者やファンの皆様方が誇りに思える大会を開催したい」との思いは、中学や高校で日夜ご指導にあたられている情熱ある指導者たちの支えがあってのことであることも見逃すことはできない。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第26回「幾多のドラマが織りなす箱根駅伝物語～予選会の激闘を振り返って～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
		<media:status state="active" />
		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/84467</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 31 Oct 2022 18:00:18 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[立教大]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
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		<gnf:modified>Sun, 29 Sep 2024 02:26:02 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Sun, 29 Sep 2024 02:26:02 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第26回「幾多のドラマが織りなす箱根駅伝物語～予選会の激闘を振り返って～」</h2>
<p>夢にみし<br />
思いこがれし箱根路に<br />
母校の襷<br />
ついぞ来たれし</p>
<p>立教大学が箱根駅伝予選会を6位で通過し、55年ぶりの本戦出場権を獲得した。</p>
<p>2024年に創立150年を迎える立教大学は、箱根駅伝第100回大会での復活を見据えて着々と強化を進めてきた。その悲願が1年前倒しで結実したわけだ。</p>
<p>同じく創刊150周年を迎えた山梨日日新聞の10月20日付け１面のコラムには、山梨県山中湖村在住の長谷川弘義（79）さんの話題が掲載されていた。長谷川さんは立教大学の選手として1963年には７区・1964年には3区を走られている。当時ともに箱根路を駆け抜けた同学年のチームメイトは、すでに他界しているという。その仲間達とさぞかし喜びを分かち合い、声援を送りたかったに違いない。</p>
<p>長谷川さんや立教大学関係者のこれまでの思いや心象風景を垣間見ることができるとすれば、冒頭の一節が浮かんだ。敬意を表して献上したい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-84469" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p>上野裕一郎監督に関する報道はすでに多くあると思う。私にとっては、前回大会で駿河台大学を初出場に導いた徳本一善監督と同じく、山梨学院大学への進学を決めてもらおうと、当時の両角速監督（現在：東海大学駅伝監督）率いる佐久長聖高校（長野）へ足繁く通った記憶が蘇る。</p>
<p>中央大学に進学したのちも、大会等で顔を合わすたびに屈託のない笑顔で元気よく挨拶をしてくれるので、その後もたびたび言葉を交わしていた。2019年に立教大学の監督を引き受けてからは、走って引っ張る指導者として馴染み深い。</p>
<p>今年7月に関東学連が主催した関東学生網走夏季記録挑戦競技会においても、5000ｍのペースメーカーを依頼させていただいたところ、「学生たちのためになるならば」と快く引き受けていただいた。選手に声をかけながら絶妙のペース配分で引っ張っていただき、余力を残しているところは「さすが」としか言いようがない。SNS上では冗談めかしに「上野監督２区で決まり！」とのつぶやきが出るくらいである。</p>
<p>つくづく思うに監督は、情熱を絶やさず選手への愛情と献身を厭わないこと。常に勤勉であり、過去に学ぶ謙虚な姿勢でいること。未来を見据えて今の判断を下す先見性を持つことが肝要であろう。そう語りながら我が身を振り返れば、喜怒哀楽に揺れ動く自分が恥ずかしくもある。</p>
<p>そのような想いの中で、上野監督が本戦出場決定後のインタビューで流した涙は、情熱と献身を重ねた時間がほとばしらせた涙だと見て感じた。</p>
<p>同じ想いの中で、大東文化大学の真名子圭監督の指導力も輝きが際立っていたように思う。</p>
<p>高校駅伝の名門・仙台育英高校の指揮官として過酷な優勝争いの中に身を投じ培った、チーム力を高める統率力と調整力は素晴らしい。今後の選手育成やチームマネージメントにその指導力が生かされてゆく課程を楽しみに注目したい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-84471" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p>上野監督はチームに勢いを与え、真名子監督はチームに新たな息吹を吹き込んだのだと予選会の会場で感じた。</p>
<p>視点を少し変えると、気温上昇に伴い脱水症状や調整段階で故障やコロナ感染で苦戦したチームも散見された。</p>
<p>全日本大学駅伝の関東地区選考会を勝ち抜いた神奈川大学、中央学院大学、日本大学がそろって11位～13位と箱根駅伝本戦出場を逃してしまった。私自身も途中棄権やシード権を獲得できなかったことなど苦い経験がある。それゆえに監督の心中や選手達の打ちひしがれてしまった心を慮ると、声をかけるのもためらってしまう。このような時にチームが救われるのは、翌日いつもと変わらず朝練習に出てきて黙々と走り込む選手の後ろ姿であったように思う。</p>
<p>勝負に約束された指定席などはない。それゆえに翌年の100回記念大会の出場権を懸けた戦いに向けて、一足早く取り組んでいることと信じている。</p>
<p>私自身が苦しい時や悔しい時に、車の中で思わず口ずさみ、最近はYouTubeで検索してライブバージョンを聴く歌がある。私のコラムの文章ではとても励ましとして届かないので、長渕剛さんの名曲でもある『STAY DREAM』の熱唱で代弁していただこう。</p>
<p>4年間という期間限定の濃縮された時間軸の中で、織り込まれるストーリーがあればこその学生スポーツである。どのような彩りであっても、卒業後は熱く、そして懐かしく語り合えるものだ。それは華やかな一瞬の思い出であろうが、苦しみや悔しさ挫折の中で奥歯を噛み締めた時間の集積であっても、同等に人生の礎となりうる仲間たちとの共通の記憶であるはずだ。</p>
<p>フィニッシュラインを通過する順位は違えども、陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路に敷かれたスタートラインに整然と並びし43校は、同じく箱根駅伝に情熱を傾けた仲間であり、同志であると私は信じて疑わない。</p>
<p>新春に読売新聞社前のスタートラインに立つ20校と学生連合チームは、タスキに自チームのみならず、彼らの思いも込めてフィニッシュ地点まで運んでいってもらいたい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-84472" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac.jpg" alt="" width="800" height="534" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p>
<p>以前、2020年12月30日に書いた年末特別編コラム「～黄色きウェアーでランナーに背を向けて立つ君たちへ～」でも記したように、箱根駅伝は出場大学を含む60～70大学の走路補助員1800名、東京陸上競技協会、神奈川陸上競技協会から約1000名の走路審判員、警視庁・神奈川県警からも約2000名の警察官が動員され、交通規制に従事していただいている。走路及び周辺警備にはSECOMから900名が派遣されており、その他ボランティアで従事する方を含めると片道5000名から6000名の関係者が選手たちの走路の安全確保と交通規制に励んでいただいていることも忘れてはならない。</p>
<p>アフターコロナとは言えないスティルコロナの現状を直視し、過去2年の知見と関係者の叡智を結集し、応援してくださる方々と、さまざまな影響を受けてしまう周辺で生活を営む方々も含め大会は運営される。</p>
<p>華やかなりし大会なれど、選手の苦悩、監督の苦悩、大会関係者の苦悩、周辺住民の皆様の苦悩、交通規制に遭遇された方の苦悩などなど、さまざまな方々の苦悩と献身、忍耐と協力の上に大会は運営される。</p>
<p>あっという間に年の瀬も迫り来るだろう。</p>
<p>さぁ、あと２ヵ月！<br />
第99回大会の幕が開く。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
<p>関連記事はありません。</p>
</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第26回「幾多のドラマが織りなす箱根駅伝物語～予選会の激闘を振り返って～」</h2><p>夢にみし<br />思いこがれし箱根路に<br />母校の襷<br />ついぞ来たれし</p><p>立教大学が箱根駅伝予選会を6位で通過し、55年ぶりの本戦出場権を獲得した。</p><p>2024年に創立150年を迎える立教大学は、箱根駅伝第100回大会での復活を見据えて着々と強化を進めてきた。その悲願が1年前倒しで結実したわけだ。</p><p>同じく創刊150周年を迎えた山梨日日新聞の10月20日付け１面のコラムには、山梨県山中湖村在住の長谷川弘義（79）さんの話題が掲載されていた。長谷川さんは立教大学の選手として1963年には７区・1964年には3区を走られている。当時ともに箱根路を駆け抜けた同学年のチームメイトは、すでに他界しているという。その仲間達とさぞかし喜びを分かち合い、声援を送りたかったに違いない。</p><p>長谷川さんや立教大学関係者のこれまでの思いや心象風景を垣間見ることができるとすれば、冒頭の一節が浮かんだ。敬意を表して献上したい。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-84469" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/1caf4a178b720fea06eaa80ecb4e0f79-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p><p>上野裕一郎監督に関する報道はすでに多くあると思う。私にとっては、前回大会で駿河台大学を初出場に導いた徳本一善監督と同じく、山梨学院大学への進学を決めてもらおうと、当時の両角速監督（現在：東海大学駅伝監督）率いる佐久長聖高校（長野）へ足繁く通った記憶が蘇る。</p><p>中央大学に進学したのちも、大会等で顔を合わすたびに屈託のない笑顔で元気よく挨拶をしてくれるので、その後もたびたび言葉を交わしていた。2019年に立教大学の監督を引き受けてからは、走って引っ張る指導者として馴染み深い。</p><p>今年7月に関東学連が主催した関東学生網走夏季記録挑戦競技会においても、5000ｍのペースメーカーを依頼させていただいたところ、「学生たちのためになるならば」と快く引き受けていただいた。選手に声をかけながら絶妙のペース配分で引っ張っていただき、余力を残しているところは「さすが」としか言いようがない。SNS上では冗談めかしに「上野監督２区で決まり！」とのつぶやきが出るくらいである。</p><p>つくづく思うに監督は、情熱を絶やさず選手への愛情と献身を厭わないこと。常に勤勉であり、過去に学ぶ謙虚な姿勢でいること。未来を見据えて今の判断を下す先見性を持つことが肝要であろう。そう語りながら我が身を振り返れば、喜怒哀楽に揺れ動く自分が恥ずかしくもある。</p><p>そのような想いの中で、上野監督が本戦出場決定後のインタビューで流した涙は、情熱と献身を重ねた時間がほとばしらせた涙だと見て感じた。</p><p>同じ想いの中で、大東文化大学の真名子圭監督の指導力も輝きが際立っていたように思う。</p><p>高校駅伝の名門・仙台育英高校の指揮官として過酷な優勝争いの中に身を投じ培った、チーム力を高める統率力と調整力は素晴らしい。今後の選手育成やチームマネージメントにその指導力が生かされてゆく課程を楽しみに注目したい。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-84471" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416.jpg" alt="" width="800" height="533" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/8c6a4cf0adc7cdb5c6d6386fd2ed3416-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p><p>上野監督はチームに勢いを与え、真名子監督はチームに新たな息吹を吹き込んだのだと予選会の会場で感じた。</p><p>視点を少し変えると、気温上昇に伴い脱水症状や調整段階で故障やコロナ感染で苦戦したチームも散見された。</p><p>全日本大学駅伝の関東地区選考会を勝ち抜いた神奈川大学、中央学院大学、日本大学がそろって11位～13位と箱根駅伝本戦出場を逃してしまった。私自身も途中棄権やシード権を獲得できなかったことなど苦い経験がある。それゆえに監督の心中や選手達の打ちひしがれてしまった心を慮ると、声をかけるのもためらってしまう。このような時にチームが救われるのは、翌日いつもと変わらず朝練習に出てきて黙々と走り込む選手の後ろ姿であったように思う。</p><p>勝負に約束された指定席などはない。それゆえに翌年の100回記念大会の出場権を懸けた戦いに向けて、一足早く取り組んでいることと信じている。</p><p>私自身が苦しい時や悔しい時に、車の中で思わず口ずさみ、最近はYouTubeで検索してライブバージョンを聴く歌がある。私のコラムの文章ではとても励ましとして届かないので、長渕剛さんの名曲でもある『STAY DREAM』の熱唱で代弁していただこう。</p><p>4年間という期間限定の濃縮された時間軸の中で、織り込まれるストーリーがあればこその学生スポーツである。どのような彩りであっても、卒業後は熱く、そして懐かしく語り合えるものだ。それは華やかな一瞬の思い出であろうが、苦しみや悔しさ挫折の中で奥歯を噛み締めた時間の集積であっても、同等に人生の礎となりうる仲間たちとの共通の記憶であるはずだ。</p><p>フィニッシュラインを通過する順位は違えども、陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路に敷かれたスタートラインに整然と並びし43校は、同じく箱根駅伝に情熱を傾けた仲間であり、同志であると私は信じて疑わない。</p><p>新春に読売新聞社前のスタートラインに立つ20校と学生連合チームは、タスキに自チームのみならず、彼らの思いも込めてフィニッシュ地点まで運んでいってもらいたい。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-84472" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac.jpg" alt="" width="800" height="534" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac.jpg 800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/10/04f285e8e33efcf146e5663f3b9446ac-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /></p><p>以前、2020年12月30日に書いた年末特別編コラム「～黄色きウェアーでランナーに背を向けて立つ君たちへ～」でも記したように、箱根駅伝は出場大学を含む60～70大学の走路補助員1800名、東京陸上競技協会、神奈川陸上競技協会から約1000名の走路審判員、警視庁・神奈川県警からも約2000名の警察官が動員され、交通規制に従事していただいている。走路及び周辺警備にはSECOMから900名が派遣されており、その他ボランティアで従事する方を含めると片道5000名から6000名の関係者が選手たちの走路の安全確保と交通規制に励んでいただいていることも忘れてはならない。</p><p>アフターコロナとは言えないスティルコロナの現状を直視し、過去2年の知見と関係者の叡智を結集し、応援してくださる方々と、さまざまな影響を受けてしまう周辺で生活を営む方々も含め大会は運営される。</p><p>華やかなりし大会なれど、選手の苦悩、監督の苦悩、大会関係者の苦悩、周辺住民の皆様の苦悩、交通規制に遭遇された方の苦悩などなど、さまざまな方々の苦悩と献身、忍耐と協力の上に大会は運営される。</p><p>あっという間に年の瀬も迫り来るだろう。</p><p>さぁ、あと２ヵ月！<br />第99回大会の幕が開く。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第25回「山梨の葡萄と不破聖衣来選手～OG三森由佳さんの話を聞いて感じたこと～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 28 Sep 2022 18:00:08 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
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		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 12 Dec 2022 17:19:05 +0900</gnf:modified>
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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第25回「山梨の葡萄と不破聖衣来選手～OG三森由佳さんの話を聞いて感じたこと～」</h2>
<p>山梨の秋の味覚は何と言っても葡萄である。</p>
<p>ピオーネやシャインマスカットなど、甘い水分をたっぷりと含んだ香り高く大粒の葡萄を頬張る時の味わいは至福のひとときだ。</p>
<p>山梨の練習コースはどこを走っても葡萄棚があり、年間を通して農家の方々の献身的な栽培作業を目にすることができる。それだけに、一粒を味わう思いもさらに感慨深いものとなる。</p>
<p>冬枯れの葡萄棚から新芽の季節を経て、小さな葡萄の赤子のような粒がみるみる成長してたわわに実る房となる。収穫を迎えるまでにかける手間ひまは膨大な時間の集積であり、天候や育成状態を見極めながらの慈しみの表れであろう。</p>
<p>J R勝沼ぶどう郷駅近くで葡萄栽培に従事している三森紀之（78歳）さんが「大雨や日照り台風など、思いもよらぬ天候の変化で収穫が台無しになったり、めざした品質が得られなかったりと様々な苦労があるんです」と語ってくれた。</p>
<p>9月ともなれば収穫した葡萄を地方発送の箱詰めに追われるので、手伝いに帰郷していた佐藤（旧姓・三森）由佳さんにも久しぶりに会うことができた。</p>
<p>彼女は山梨学院大学で数人しかいない女子部員OGでもあり、卒業後は綜合警備保障（ALSOK）に勤務し、女子10km競歩でアトランタ五輪に出場。その後はロンドン・リオデジャネイロと２大会連続で五輪出場を果たしたOBの藤澤勇選手のサポートもした。</p>
<p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-82183" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec.jpg" alt="" width="1800" height="1114" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec-300x186.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec-1024x634.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec-768x475.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec-1536x951.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1800px) 100vw, 1800px" />現役時代の佐藤（旧姓・三森）由佳さん（左）。日本選手権競歩では山梨学院大在学時の1991年から99年にかけて6度の優勝を飾った</span></p>
<p>せっせと箱詰め作業をしつつ、「あと1日、2日待てば最高の品質で出荷できると思っていても、天気予報で降雨の予報が出れば泣く泣く早めの収穫をせねばならない時もあるんです」と教えてくれた。そんな心の葛藤や工夫の上で果実を育て収穫してゆくのは、ある意味スポーツの指導現場と同じと思えた。</p>
<p>山梨に居を構えてこのかた、毎年のように春のサクランボから始まり夏の桃、秋の葡萄などなど季節ごとに「おいしいね！」の感嘆符付きの感想を口に出すが、このような思いが心に宿るとありがたさも一段と増してくる。</p>
<p>秋のシーズン到来とともに今月は日本インカレと関東大学女子駅伝が開催された。</p>
<p>日本インカレは、長距離種目のネット中継の解説を2日前に依頼されて少々驚いたが、選手たちのがんばる姿を映像と音声でお届けできるのであればということでお引き受けした。</p>
<p>男子10000ｍでは昨年の上田颯汰選手（関学大）に引き続き、関西勢の亀田仁一路選手（関大）が日本人トップ（4位）で駆け抜け、勢いのある熱い走りをお伝えすることができた。</p>
<p>同大会では、特に女子10000ｍで優勝することになる不破聖衣来選手（拓大）に注目が集まっていた。</p>
<p>レース前に、ご指導されている五十嵐利治監督からは故障箇所のアキレス腱炎の回復に時間を要し、本格的なランニングができるようになったものの、夏の気温上昇など発汗量も多くなり血液状態（貧血傾向）など万全ではないことをうかがっていた。それでも今の状態をしっかり把握して秋冬のトラック・駅伝シーズンに向けて仕上げてゆくためにも今回の出場を選択したとのことである。</p>
<p>４月に開催された日本学生個人選手権では5000ｍに出場するも、まだまだ本調子でない姿を見ていただけに、どこまで体調を戻してきたのか、果たして故障は完全に癒えているのだろうか……と不安と心配が交錯する中で放送ブースに入った。</p>
<p>昨年12月に当時日本歴代2位、日本学生新記録の30分45秒21という大記録を出し、駅伝レースでは度々区間記録を大きく更新するなど破竹の勢いであった。それゆえに注目度も高く、多くの方々から激励や声援が届けられる選手になっていた。それだけに走れない日々の悔しさや失望感の大きさは計り知れない。</p>
<p>故障に苦しみ、悩みの袋が張り裂けるほど心の中で膨らませてきた選手を指導者として観てきただけに、不破選手の心象風景を少しだけ共有することができた。</p>
<p>インカレの優勝インタビュー後の総括で、以下のような内容をお話しさせていただいた。</p>
<p>「故障を抱えると、痛みを感じ続ける一日を過ごし、夜を迎える。当然治療やケアを施し、明日になれば痛みが少しで和らいでいてくれることを願いつつ眠りにつく。しかし、朝目覚めた時の起きがけの一歩で、昨夜と変わらぬ痛みを感じた時に落胆する。そんな思いを繰り返す度に、心のエネルギーがどんどん削がれていってしまう。明日は良くなるだろうと思っていた期待が薄れてゆくにつれ、もう治らないのではないかという不安が心を支配するようになる。心のエネルギー残量が少なくなれば、苦しみと不安の袋が膨れ上がる。ドクターやトレーナー指導者や仲間の励ましも心に響かなくなることさえある。そんな状態の自分にさえ嫌気が差してしまう。かくも故障と向き合わなければならぬ日々は、選手にとっても過酷である」</p>
<p>不破さんはそのような外科的な故障を乗り越えてトレーニングを開始していた。</p>
<p>しかし、その後は貧血などの内科的な問題点を抱えつつも、スピードトレーニングを控えながら、徐々に復帰過程の確認のため、インカレへの出場を大会数日前に決定して挑んだ。</p>
<p>不破選手にとっての座標軸はこのレースを経てどこに印をつけることができたのだろうか。きっと来年のブダペスト世界選手権、そしてパリ五輪へと向かう道標として、力強く書き込むことができたのではないだろうか。</p>
<p>現状把握として出走した内容は十分手応えのあるものであり、故障や不調を乗り越えてきた安堵と喜びの笑顔がそれを物語っていたと解説をしていて感じた。</p>
<p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-82182" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec.jpg" alt="" width="1800" height="1200" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-1024x683.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1800px) 100vw, 1800px" />9月上旬の日本インカレ10000ｍで優勝した不破聖衣来選手（拓大）</span></p>
<p>台風一過の9月25日、3年ぶりに関東大学女子駅伝が千葉印西市周回コースで開催された。この会場で、五十嵐監督からインカレ解説の生理学的内容や心理状況について不破選手に話をしてほしいということだったので、少しお時間をいただき語らせていただいた。</p>
<p>いろいろお話をさせていただいたのだが、最後に不破さんから「解説を聞いて家族がとても安心してくれました。ありがとうございました」とのコメントをもらい、私自身がとても励まされた心持ちになった。</p>
<p>活躍のレベルが上がれば相応の期待を背負うこととなる。常にレースでは好記録＆好成績が求められると同時に、その期待に応えようと、選手も指導者も精進を重ねる。</p>
<p>しかしながら、ピークを狙った試合に合わせることも至難の業である。その過程で故障や不調に陥ったり、計画的な段階を追ったトレーニング過程などがあったり……。今後もこのような機会があった時には、丁寧に説明・解説させていただかなければならないと肝に銘じた。</p>
<p>実は五十嵐監督が正則学園高校に在学していた時、山梨学院大学へとスカウトした思い出がある（実際には亜細亜大に進学）。その後は母校・正則学園の外部コーチや九電工女子陸上部のコーチを経て、2011年からは佐倉アスリート倶楽部の小出義雄監督の下で選手育成に携わってきただけに、今後の選手育成を楽しみにして見守りたい。</p>
<p>不破選手に対しても学生競技者としての成長を願って五十嵐監督が「お願い」と題してTwitterなどで示されていることも十分共感できる。</p>
<blockquote class="twitter-tweet">
<p dir="ltr" lang="ja">ご理解の程よろしくお願いします！<a href="https://twitter.com/hashtag/%E6%8B%93%E6%AE%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%99%B8%E4%B8%8A%E9%83%A8?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#拓殖大学女子陸上部</a> <a href="https://t.co/DgFj9b2IKm">pic.twitter.com/DgFj9b2IKm</a></p>
<p>— 拓殖大学女子陸上部 (@takudai_ekiden) <a href="https://twitter.com/takudai_ekiden/status/1568958086903402500?ref_src=twsrc%5Etfw">September 11, 2022</a></p></blockquote>
<p><script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></p>
<p>選手を応援するということは、時に静かに見守るという行為も大切なことである。</p>
<p>先の葡萄園で三森さんは「手をかけて育てる大変さはありますが、果実がどんどん自分の力で根からの養分と、陽の光を浴びてどんどん成長してゆく姿を静かに眺める喜びの時間があるからがんばれるんです」とも語ってくれた。</p>
<p>故障を乗り越え、さらに深く大地に根を張った選手は全国各地にいると思う。そんな君たちの活躍も静かに見守りたい。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第25回「山梨の葡萄と不破聖衣来選手～OG三森由佳さんの話を聞いて感じたこと～」</h2><p>山梨の秋の味覚は何と言っても葡萄である。</p><p>ピオーネやシャインマスカットなど、甘い水分をたっぷりと含んだ香り高く大粒の葡萄を頬張る時の味わいは至福のひとときだ。</p><p>山梨の練習コースはどこを走っても葡萄棚があり、年間を通して農家の方々の献身的な栽培作業を目にすることができる。それだけに、一粒を味わう思いもさらに感慨深いものとなる。</p><p>冬枯れの葡萄棚から新芽の季節を経て、小さな葡萄の赤子のような粒がみるみる成長してたわわに実る房となる。収穫を迎えるまでにかける手間ひまは膨大な時間の集積であり、天候や育成状態を見極めながらの慈しみの表れであろう。</p><p>J R勝沼ぶどう郷駅近くで葡萄栽培に従事している三森紀之（78歳）さんが「大雨や日照り台風など、思いもよらぬ天候の変化で収穫が台無しになったり、めざした品質が得られなかったりと様々な苦労があるんです」と語ってくれた。</p><p>9月ともなれば収穫した葡萄を地方発送の箱詰めに追われるので、手伝いに帰郷していた佐藤（旧姓・三森）由佳さんにも久しぶりに会うことができた。</p><p>彼女は山梨学院大学で数人しかいない女子部員OGでもあり、卒業後は綜合警備保障（ALSOK）に勤務し、女子10km競歩でアトランタ五輪に出場。その後はロンドン・リオデジャネイロと２大会連続で五輪出場を果たしたOBの藤澤勇選手のサポートもした。</p><p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-82183" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/b376c6eb1f59e33c5fe505f9e8c9ecec.jpg" alt="" width="1800" height="1114" 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/>現役時代の佐藤（旧姓・三森）由佳さん（左）。日本選手権競歩では山梨学院大在学時の1991年から99年にかけて6度の優勝を飾った</span></p><p>せっせと箱詰め作業をしつつ、「あと1日、2日待てば最高の品質で出荷できると思っていても、天気予報で降雨の予報が出れば泣く泣く早めの収穫をせねばならない時もあるんです」と教えてくれた。そんな心の葛藤や工夫の上で果実を育て収穫してゆくのは、ある意味スポーツの指導現場と同じと思えた。</p><p>山梨に居を構えてこのかた、毎年のように春のサクランボから始まり夏の桃、秋の葡萄などなど季節ごとに「おいしいね！」の感嘆符付きの感想を口に出すが、このような思いが心に宿るとありがたさも一段と増してくる。</p><p>秋のシーズン到来とともに今月は日本インカレと関東大学女子駅伝が開催された。</p><p>日本インカレは、長距離種目のネット中継の解説を2日前に依頼されて少々驚いたが、選手たちのがんばる姿を映像と音声でお届けできるのであればということでお引き受けした。</p><p>男子10000ｍでは昨年の上田颯汰選手（関学大）に引き続き、関西勢の亀田仁一路選手（関大）が日本人トップ（4位）で駆け抜け、勢いのある熱い走りをお伝えすることができた。</p><p>同大会では、特に女子10000ｍで優勝することになる不破聖衣来選手（拓大）に注目が集まっていた。</p><p>レース前に、ご指導されている五十嵐利治監督からは故障箇所のアキレス腱炎の回復に時間を要し、本格的なランニングができるようになったものの、夏の気温上昇など発汗量も多くなり血液状態（貧血傾向）など万全ではないことをうかがっていた。それでも今の状態をしっかり把握して秋冬のトラック・駅伝シーズンに向けて仕上げてゆくためにも今回の出場を選択したとのことである。</p><p>４月に開催された日本学生個人選手権では5000ｍに出場するも、まだまだ本調子でない姿を見ていただけに、どこまで体調を戻してきたのか、果たして故障は完全に癒えているのだろうか……と不安と心配が交錯する中で放送ブースに入った。</p><p>昨年12月に当時日本歴代2位、日本学生新記録の30分45秒21という大記録を出し、駅伝レースでは度々区間記録を大きく更新するなど破竹の勢いであった。それゆえに注目度も高く、多くの方々から激励や声援が届けられる選手になっていた。それだけに走れない日々の悔しさや失望感の大きさは計り知れない。</p><p>故障に苦しみ、悩みの袋が張り裂けるほど心の中で膨らませてきた選手を指導者として観てきただけに、不破選手の心象風景を少しだけ共有することができた。</p><p>インカレの優勝インタビュー後の総括で、以下のような内容をお話しさせていただいた。</p><p>「故障を抱えると、痛みを感じ続ける一日を過ごし、夜を迎える。当然治療やケアを施し、明日になれば痛みが少しで和らいでいてくれることを願いつつ眠りにつく。しかし、朝目覚めた時の起きがけの一歩で、昨夜と変わらぬ痛みを感じた時に落胆する。そんな思いを繰り返す度に、心のエネルギーがどんどん削がれていってしまう。明日は良くなるだろうと思っていた期待が薄れてゆくにつれ、もう治らないのではないかという不安が心を支配するようになる。心のエネルギー残量が少なくなれば、苦しみと不安の袋が膨れ上がる。ドクターやトレーナー指導者や仲間の励ましも心に響かなくなることさえある。そんな状態の自分にさえ嫌気が差してしまう。かくも故障と向き合わなければならぬ日々は、選手にとっても過酷である」</p><p>不破さんはそのような外科的な故障を乗り越えてトレーニングを開始していた。</p><p>しかし、その後は貧血などの内科的な問題点を抱えつつも、スピードトレーニングを控えながら、徐々に復帰過程の確認のため、インカレへの出場を大会数日前に決定して挑んだ。</p><p>不破選手にとっての座標軸はこのレースを経てどこに印をつけることができたのだろうか。きっと来年のブダペスト世界選手権、そしてパリ五輪へと向かう道標として、力強く書き込むことができたのではないだろうか。</p><p>現状把握として出走した内容は十分手応えのあるものであり、故障や不調を乗り越えてきた安堵と喜びの笑顔がそれを物語っていたと解説をしていて感じた。</p><p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-82182" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec.jpg" alt="" width="1800" height="1200" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-1024x683.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/09/18b0004f679eeb7c9e953364a5b11cec-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1800px) 100vw, 1800px" />9月上旬の日本インカレ10000ｍで優勝した不破聖衣来選手（拓大）</span></p><p>台風一過の9月25日、3年ぶりに関東大学女子駅伝が千葉印西市周回コースで開催された。この会場で、五十嵐監督からインカレ解説の生理学的内容や心理状況について不破選手に話をしてほしいということだったので、少しお時間をいただき語らせていただいた。</p><p>いろいろお話をさせていただいたのだが、最後に不破さんから「解説を聞いて家族がとても安心してくれました。ありがとうございました」とのコメントをもらい、私自身がとても励まされた心持ちになった。</p><p>活躍のレベルが上がれば相応の期待を背負うこととなる。常にレースでは好記録＆好成績が求められると同時に、その期待に応えようと、選手も指導者も精進を重ねる。</p><p>しかしながら、ピークを狙った試合に合わせることも至難の業である。その過程で故障や不調に陥ったり、計画的な段階を追ったトレーニング過程などがあったり……。今後もこのような機会があった時には、丁寧に説明・解説させていただかなければならないと肝に銘じた。</p><p>実は五十嵐監督が正則学園高校に在学していた時、山梨学院大学へとスカウトした思い出がある（実際には亜細亜大に進学）。その後は母校・正則学園の外部コーチや九電工女子陸上部のコーチを経て、2011年からは佐倉アスリート倶楽部の小出義雄監督の下で選手育成に携わってきただけに、今後の選手育成を楽しみにして見守りたい。</p><p>不破選手に対しても学生競技者としての成長を願って五十嵐監督が「お願い」と題してTwitterなどで示されていることも十分共感できる。</p><blockquote class="twitter-tweet"><p dir="ltr" lang="ja">ご理解の程よろしくお願いします！<a href="https://twitter.com/hashtag/%E6%8B%93%E6%AE%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%99%B8%E4%B8%8A%E9%83%A8?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#拓殖大学女子陸上部</a> <a href="https://t.co/DgFj9b2IKm">pic.twitter.com/DgFj9b2IKm</a></p><p>— 拓殖大学女子陸上部 (@takudai_ekiden) <a href="https://twitter.com/takudai_ekiden/status/1568958086903402500?ref_src=twsrc%5Etfw">September 11, 2022</a></p></blockquote><p><script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></p><p>選手を応援するということは、時に静かに見守るという行為も大切なことである。</p><p>先の葡萄園で三森さんは「手をかけて育てる大変さはありますが、果実がどんどん自分の力で根からの養分と、陽の光を浴びてどんどん成長してゆく姿を静かに眺める喜びの時間があるからがんばれるんです」とも語ってくれた。</p><p>故障を乗り越え、さらに深く大地に根を張った選手は全国各地にいると思う。そんな君たちの活躍も静かに見守りたい。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第24回「忘れじのカナダ遠征～雄大なカナディアンロッキーを脳裏に浮かべて～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/80831</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Aug 2022 18:00:34 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
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		<gnf:modified>Mon, 12 Dec 2022 17:37:40 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Mon, 12 Dec 2022 17:37:40 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p>
<p><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第24回「忘れじのカナダ遠征～雄大なカナディアンロッキーを脳裏に浮かべて～」</h2>
<p>8月の後半ともなると、ひぐらしのなく声が緑の木陰を縫うように届き、青さを深めた空がひときわ高く見えはじめる。</p>
<p>インターハイ・全中と酷暑の競技会が終了すれば、夏に鍛えたアスリートが再び秋の大会で自己の限界に挑む姿のように空に浮かぶ雲とシンクロする。</p>
<p>この季節の富士山は赤銅色の山肌が朝日に映えて赤く染まる一瞬がある。この瞬間を捉えた葛飾北斎の「凱風快晴」の如き、力強い富士山を甲府の自宅から朝練習に向かう午前5時頃に仰ぎ見ることができる。息を呑む一瞬が脳裏に刻まれる。</p>
<p>そういえば、脳裏に刻まれた雄大な自然の景色を少なからず見てきた中で、今日この時に思い出した景色はカナディアンロッキーを望む森と湖、そして悠久の時を刻む氷河とのコラボレーションである。</p>
<p>なぜか……。</p>
<p>今回の話は1989年まで遡る。箱根駅伝3回目の出場で7位となり、シード権を獲得した直後の某月某日――。</p>
<p>あの頃は東日本縦断駅伝、通称：青東（あおとう）駅伝が開催されていた。青森県庁前をスタートし八戸→盛岡→一関→仙台→郡山→宇都宮→東京読売新聞本社前ゴールの62区間856.3kmを24名の登録選手で走破する過酷なレースであった。</p>
<p>当時の山梨県は実業団選手や大学生ランナーも不在に等しく、常に最下位に喘いでいた。</p>
<p>それでも箱根駅伝を目指す学生ランナーにとっては格好の駅伝体験の場でもあったので、創部当初から積極的に参加させていただいた。県の代表として参加する意識は後に、箱根駅伝で母校のユニフォームに袖を通す意識づくりにも一役買ってくれていた。</p>
<p>実業団・大学・高校・社会人ランナーなど多様な所属の選手の胸を借りたり覇を競い合ったりで、実り多きレースでもあった。</p>
<p>また各県を代表する長距離指導者との情報交換や懇親を深める良い機会でもあった。チームの強化策としては同じ時期に行われるようになった全日本大学駅伝にも全力投入しなければならず、そのためのチーム全体の底上げと、連戦に耐えうるスタミナとスピードの両輪を数段パワ―アップすることが課題でもあった。</p>
<p>そのことも含め、チームにやりがいとやる気を引き起こす“夢”が必要ではないかと、以前ケニア人留学生オツオリ選手の回顧録をこのコラムで書いたように、顧問の秋山勉（東農大で箱根駅伝4回出場）と毎晩のように長距離マラソン談義、取り分け選手育成とチーム作りの話題で時を経つのを忘れるほど話し込んだ。</p>
<p>秋山顧問が「箱根駅伝やインカレに出場できない選手たちにも、モチベーションの上がる大会を経験させてやらなければチームの底上げは図れない、がんばって同じようにトレーニングに励む彼らにも夢のある場所で走らせてやりたい！」という話から始まった。</p>
<p>飲むほどに話のスケールが膨れ上がり、「カナダのロッキー山脈を横切る壮大なスケールの駅伝があるらしい。そこで選手を走らせてやれば、きっと走る喜びを再認識してくれるはずだ」との話に行き着いた。</p>
<p>飲んで夢を語るだけではなく、それを実現させるための行動に移すのが慣わしとなっていたので、翌朝にはさっそく調べ始めた。</p>
<p>・主催者は「Chasquis Running Club」というボランティア組織で、麻薬撲滅や脳腫瘍財団に資金提供をするための大会趣旨がある。<br />
・カナディアンエアラインが後援している。<br />
・1980年から開催されている。<br />
・コースはジャスパーからバンフまでの17区間258.7km。<br />
・参加チーム数は自然保護の観点から120チームに限定。<br />
・とにかく24時間以内で完走すること。<br />
・襷の代わりに蛍光ペンライトをバトンとし夜間は発光させて走る。<br />
・夜間はリフレクターベスト着用。</p>
<p>などがわかった。</p>
<p>1人平均17kmだが、ロッキー山脈の東の尾根伝いに走るコースは、当然アップダウンはきついだろう……などと想像しつつ、観光パンフレットなど開いてみた。そのコースそのものがカナディアンロッキーの雄大な景色と至るところにある美しい湖や大氷原を仰ぎ見ることができる景観に圧倒された。<br />
（パンフレットでも感動の景色なので、実際そこで走った選手の感動の度合いを表現するには言葉では表せない）</p>
<p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80840" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1750" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-300x205.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-1024x700.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-768x525.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-1536x1050.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-2048x1400.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" />実際のレースの写真</span></p>
<p>実際に行くとなると、旅行ではなく遠征試合なので、大会に出場する意義と選手選考をしっかりと伝えなくてはならない。</p>
<p>・5月までの記録会等での結果を優先的に選考する（18名）。<br />
・箱根駅伝を走った選手10名は選ばない。<br />
・日本インカレ出場者はそちらに専念（当時は6月開催）。<br />
・留学生を擁するチームであるので自らも海外での経験を通して学ぶことが目的。<br />
との発表をした。</p>
<p>さて、ここからである。</p>
<p>国際線飛行機の予約にはパスポートの申請をしなければならず、時間の関係で選手選考以前に全員パスポートの申請をさせた。</p>
<p>せっかくカナダまで行ってレースだけで帰ってくるのでは、実りも半ばで帰国するようなものなので、どこかで（費用を抑えて）合宿ができないかということになった。</p>
<p>バンクーバーに広大な敷地面積を誇るU B C（University of British Columbia）の学生寮は自炊設備もあることを知り、そこをビジターとして借りる段取りを取り付けた。学生主体の遠征なので、宿泊はホテルではなく自炊可能なモーテルか学生寮とし、今後も継続的に遠征することを想定して、炊飯器やホットプレートなども遠征用品として準備した。</p>
<p>期間は5月30日～6月14日（ロッキー山脈駅伝6月3日～4日、UBCでの合宿5日～13日）。</p>
<p>食材は現地のスーパー等で調達し、グループ自炊を行った。不慣れな環境なので「失敗もまた楽し」の心持ちで協力し合い、助け合いで乗り切った。事前の準備段階で、当時信州の車山高原でホテル経営をしていた秋山夫妻が、自炊献立や食材の調達内容や量的なことを細かく指示書のように作成していただいていたので大変助かった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80833" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1740" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-300x204.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-1024x696.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-768x522.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-1536x1044.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-2048x1392.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><span style="font-size: 8pt;">食材の調達も自分たちで行う</span></p>
<p>肝心のレースは地元カルガリーチームの３連覇を阻止し、初優勝した。</p>
<p>これを機に長いお付き合いとなるUBCの長距離コーチ、Malick Jedrzejek氏から「近くのリッチモンドで記録会があるから参加してみないか」との誘いと、その記録会の翌日にあるハリージェローム国際記念大会に特別枠で2名の参加が可能との話を受けた。</p>
<p>結果は5000ｍで6名が自己記録を大幅更新。充実したカナダ遠征を終えることができた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80837" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1655" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-300x194.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-1024x662.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-768x496.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-1536x993.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8924-2048x1324.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80834" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1764" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-300x207.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-1024x706.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-768x529.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-1536x1058.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8883-2048x1411.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p>
<p>この年をきっかけにジャスパー・バンフロードリレーには大会が一旦中止される前年の1999年まで参加し、それ以降もトラックレース参加のため2005年までカナダ遠征を継続した。</p>
<p>選手たちは駅伝選手まで手が届かないまでも、まずはカナダ遠征のメンバーになり、カナディアンロッキーの大自然の中を走ってみたいという夢のある話が目標となり、チーム全体の機運を高めていったのだと思う。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80835" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1920" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-300x225.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-1024x768.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-768x576.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-1536x1152.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-2048x1536.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80836" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1680" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-300x197.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-1024x672.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-768x504.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-1536x1008.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-2048x1344.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p>
<p>このコラムを書き進めるうちに、ある選手の声を聞きたくなり電話をかけた。</p>
<p>平成3年卒業で、現在は石川県能美市役所に勤務する上戸雅彦君だ。</p>
<p>彼は大学4年時に第2回カナダ遠征メンバーに選ばれた1人だった。故障がちの日々が多い中でも真摯に競技に取り組み、常に前向きにチームを鼓舞する彼の存在は、チームの誰もが認めるところであった。</p>
<p>彼のカナダ遠征選出をみんなが後押ししているような気運を感じ、彼をカナダに連れて行ってやりたいと心から思える人材であった。</p>
<p>出発2週間前のある日の夜に彼が私のところに遠征辞退を申し入れに来た。かねてより故障で苦しんできた坐骨神経の痛みが強くなり、走りに支障が出るからとのことであった。チームメイトはもとよりコーチングスタッフにも「サポートに回ってもいいから一緒に行こう」と声をかけられ、その言葉に甘える自分がいてはチームのためにならないと気づいた彼の決心だったらしい。</p>
<p>結果、彼は大舞台と呼べるステージに一度も立たずに卒業して行ったわけだが、今は地元でジュニアクラブチームの指導や、最近では中学の部活動の学外指導員として陸上競技の指導にあたっているという。</p>
<p>そんな彼は、なんと新婚旅行にカナデイアンロッキーを巡る旅を選んだそうだ。カナダの地で自分が走ったかもしれないコースに佇んで感慨に耽っていたという。学生時代のさまざまな思いが蘇ったことだろう。</p>
<p>ふと振り向くと、新妻はその姿に涙を浮かべていたと聞いた。奥様も陸上経験者ということで彼の心象風景が心に届いたのかもしれない。きっと旅をしながらあれやこれやと学生時代を振り返り、話して聞かせてあげたからだろう。</p>
<p>ランナーとして名を刻むことは少なかったかもしれないが、私が指導したかけがえのない部員としての彼は、深く心に刻まれている。</p>
<p>だからこそ、このコラムを書き始めて彼に電話をかけて声が聞きたくなったのだ。熱くほろ苦い思い出も、その時のチームと共有できればこそ、これほど強く結ばれる絆はないと思う。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p><p><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第24回「忘れじのカナダ遠征～雄大なカナディアンロッキーを脳裏に浮かべて～」</h2><p>8月の後半ともなると、ひぐらしのなく声が緑の木陰を縫うように届き、青さを深めた空がひときわ高く見えはじめる。</p><p>インターハイ・全中と酷暑の競技会が終了すれば、夏に鍛えたアスリートが再び秋の大会で自己の限界に挑む姿のように空に浮かぶ雲とシンクロする。</p><p>この季節の富士山は赤銅色の山肌が朝日に映えて赤く染まる一瞬がある。この瞬間を捉えた葛飾北斎の「凱風快晴」の如き、力強い富士山を甲府の自宅から朝練習に向かう午前5時頃に仰ぎ見ることができる。息を呑む一瞬が脳裏に刻まれる。</p><p>そういえば、脳裏に刻まれた雄大な自然の景色を少なからず見てきた中で、今日この時に思い出した景色はカナディアンロッキーを望む森と湖、そして悠久の時を刻む氷河とのコラボレーションである。</p><p>なぜか……。</p><p>今回の話は1989年まで遡る。箱根駅伝3回目の出場で7位となり、シード権を獲得した直後の某月某日――。</p><p>あの頃は東日本縦断駅伝、通称：青東（あおとう）駅伝が開催されていた。青森県庁前をスタートし八戸→盛岡→一関→仙台→郡山→宇都宮→東京読売新聞本社前ゴールの62区間856.3kmを24名の登録選手で走破する過酷なレースであった。</p><p>当時の山梨県は実業団選手や大学生ランナーも不在に等しく、常に最下位に喘いでいた。</p><p>それでも箱根駅伝を目指す学生ランナーにとっては格好の駅伝体験の場でもあったので、創部当初から積極的に参加させていただいた。県の代表として参加する意識は後に、箱根駅伝で母校のユニフォームに袖を通す意識づくりにも一役買ってくれていた。</p><p>実業団・大学・高校・社会人ランナーなど多様な所属の選手の胸を借りたり覇を競い合ったりで、実り多きレースでもあった。</p><p>また各県を代表する長距離指導者との情報交換や懇親を深める良い機会でもあった。チームの強化策としては同じ時期に行われるようになった全日本大学駅伝にも全力投入しなければならず、そのためのチーム全体の底上げと、連戦に耐えうるスタミナとスピードの両輪を数段パワ―アップすることが課題でもあった。</p><p>そのことも含め、チームにやりがいとやる気を引き起こす“夢”が必要ではないかと、以前ケニア人留学生オツオリ選手の回顧録をこのコラムで書いたように、顧問の秋山勉（東農大で箱根駅伝4回出場）と毎晩のように長距離マラソン談義、取り分け選手育成とチーム作りの話題で時を経つのを忘れるほど話し込んだ。</p><p>秋山顧問が「箱根駅伝やインカレに出場できない選手たちにも、モチベーションの上がる大会を経験させてやらなければチームの底上げは図れない、がんばって同じようにトレーニングに励む彼らにも夢のある場所で走らせてやりたい！」という話から始まった。</p><p>飲むほどに話のスケールが膨れ上がり、「カナダのロッキー山脈を横切る壮大なスケールの駅伝があるらしい。そこで選手を走らせてやれば、きっと走る喜びを再認識してくれるはずだ」との話に行き着いた。</p><p>飲んで夢を語るだけではなく、それを実現させるための行動に移すのが慣わしとなっていたので、翌朝にはさっそく調べ始めた。</p><p>・主催者は「Chasquis Running Club」というボランティア組織で、麻薬撲滅や脳腫瘍財団に資金提供をするための大会趣旨がある。<br />・カナディアンエアラインが後援している。<br />・1980年から開催されている。<br />・コースはジャスパーからバンフまでの17区間258.7km。<br />・参加チーム数は自然保護の観点から120チームに限定。<br />・とにかく24時間以内で完走すること。<br />・襷の代わりに蛍光ペンライトをバトンとし夜間は発光させて走る。<br />・夜間はリフレクターベスト着用。</p><p>などがわかった。</p><p>1人平均17kmだが、ロッキー山脈の東の尾根伝いに走るコースは、当然アップダウンはきついだろう……などと想像しつつ、観光パンフレットなど開いてみた。そのコースそのものがカナディアンロッキーの雄大な景色と至るところにある美しい湖や大氷原を仰ぎ見ることができる景観に圧倒された。<br />（パンフレットでも感動の景色なので、実際そこで走った選手の感動の度合いを表現するには言葉では表せない）</p><p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80840" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1750" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-300x205.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8946-1024x700.jpeg 1024w, 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Columbia）の学生寮は自炊設備もあることを知り、そこをビジターとして借りる段取りを取り付けた。学生主体の遠征なので、宿泊はホテルではなく自炊可能なモーテルか学生寮とし、今後も継続的に遠征することを想定して、炊飯器やホットプレートなども遠征用品として準備した。</p><p>期間は5月30日～6月14日（ロッキー山脈駅伝6月3日～4日、UBCでの合宿5日～13日）。</p><p>食材は現地のスーパー等で調達し、グループ自炊を行った。不慣れな環境なので「失敗もまた楽し」の心持ちで協力し合い、助け合いで乗り切った。事前の準備段階で、当時信州の車山高原でホテル経営をしていた秋山夫妻が、自炊献立や食材の調達内容や量的なことを細かく指示書のように作成していただいていたので大変助かった。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80833" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1740" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-300x204.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-1024x696.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-768x522.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8881-1536x1044.jpeg 1536w, 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100vw, 2560px" /></p><p>この年をきっかけにジャスパー・バンフロードリレーには大会が一旦中止される前年の1999年まで参加し、それ以降もトラックレース参加のため2005年までカナダ遠征を継続した。</p><p>選手たちは駅伝選手まで手が届かないまでも、まずはカナダ遠征のメンバーになり、カナディアンロッキーの大自然の中を走ってみたいという夢のある話が目標となり、チーム全体の機運を高めていったのだと思う。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80835" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1920" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-300x225.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-1024x768.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-768x576.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-1536x1152.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8913-2048x1536.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-80836" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-scaled.jpeg" alt="" width="2560" height="1680" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-scaled.jpeg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-300x197.jpeg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-1024x672.jpeg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-768x504.jpeg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-1536x1008.jpeg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/08/IMG_8916-2048x1344.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p><p>このコラムを書き進めるうちに、ある選手の声を聞きたくなり電話をかけた。</p><p>平成3年卒業で、現在は石川県能美市役所に勤務する上戸雅彦君だ。</p><p>彼は大学4年時に第2回カナダ遠征メンバーに選ばれた1人だった。故障がちの日々が多い中でも真摯に競技に取り組み、常に前向きにチームを鼓舞する彼の存在は、チームの誰もが認めるところであった。</p><p>彼のカナダ遠征選出をみんなが後押ししているような気運を感じ、彼をカナダに連れて行ってやりたいと心から思える人材であった。</p><p>出発2週間前のある日の夜に彼が私のところに遠征辞退を申し入れに来た。かねてより故障で苦しんできた坐骨神経の痛みが強くなり、走りに支障が出るからとのことであった。チームメイトはもとよりコーチングスタッフにも「サポートに回ってもいいから一緒に行こう」と声をかけられ、その言葉に甘える自分がいてはチームのためにならないと気づいた彼の決心だったらしい。</p><p>結果、彼は大舞台と呼べるステージに一度も立たずに卒業して行ったわけだが、今は地元でジュニアクラブチームの指導や、最近では中学の部活動の学外指導員として陸上競技の指導にあたっているという。</p><p>そんな彼は、なんと新婚旅行にカナデイアンロッキーを巡る旅を選んだそうだ。カナダの地で自分が走ったかもしれないコースに佇んで感慨に耽っていたという。学生時代のさまざまな思いが蘇ったことだろう。</p><p>ふと振り向くと、新妻はその姿に涙を浮かべていたと聞いた。奥様も陸上経験者ということで彼の心象風景が心に届いたのかもしれない。きっと旅をしながらあれやこれやと学生時代を振り返り、話して聞かせてあげたからだろう。</p><p>ランナーとして名を刻むことは少なかったかもしれないが、私が指導したかけがえのない部員としての彼は、深く心に刻まれている。</p><p>だからこそ、このコラムを書き始めて彼に電話をかけて声が聞きたくなったのだ。熱くほろ苦い思い出も、その時のチームと共有できればこそ、これほど強く結ばれる絆はないと思う。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


					</item>
		<item>
		<title>【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天／第23回「忘れられぬ1978年1月2日の夜～スタートラインに立てなかった君たちへ贈るエール～」</title>
		<gnf:category>sports</gnf:category>
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		<link>https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/79149</link>

		
		<dc:creator><![CDATA[月陸編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Jul 2022 18:00:28 +0900</pubDate>
				<category><![CDATA[学生長距離]]></category>
		<category><![CDATA[RSS]]></category>
		<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[箱根駅伝]]></category>
		<category><![CDATA[上田誠仁]]></category>
		<category><![CDATA[山梨学大]]></category>
		<category><![CDATA[オレゴン世界陸上]]></category>
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		<gnf:modified>Thu, 15 Dec 2022 12:02:52 +0900</gnf:modified>
		<oa:lastPubDate>Thu, 15 Dec 2022 12:02:52 +0900</oa:lastPubDate>

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				<description><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br />
<strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p>
<h2>第23回「忘れられぬ1978年1月2日の夜～スタートラインに立てなかった君たちへ贈るエール～」</h2>
<p>夏の強い陽射しが眩しい。</p>
<p>ただでさえうんざりするほどの暑さに加え、新型コロナウイルスの感染者数が再増加傾向となってきた。</p>
<p>振り返ると、スポーツ界は幾度となく大会の中止・延期を余儀なくされてきた。昨年開催されたスポーツの祭典、東京オリンピック・パラリンピックすらも残念ながら無観客での開催であったことは記憶に新しい。</p>
<p>今思い起こしても、あの熱い戦いぶりを取り囲むような大観衆の中で開催ができていればと悔やむ気持ちは、心に刻み込まれたままである。</p>
<p>あれから1年。徐々にスポーツ観戦も可能となり、国内の野球・サッカーなどのプロリーグも有観客で開催されるようになってきた。</p>
<p>先日まで米国・オレゴンで開催された世界選手権は、歴史あるヘイワード・フィールドのスタンドを埋め尽くす大観衆の中で行われた。選手たちにとって最高の舞台設定がなされたわけである。</p>
<p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-79150" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55.jpg" alt="" width="1800" height="1200" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55-300x200.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55-1024x683.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55-768x512.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 1800px) 100vw, 1800px" />オレゴン世界陸上ではスタンドとの距離が近く、観客の声援が選手のパフォーマンを後押しした（観客のほとんどがノーマスクなのが気になる…）</span></p>
<p>しかしながら、チームジャパンにおいてクラスター（集団感染）が発生し、選手の欠場が余儀なくされたとの報道が相次いで届いてきた。まるで背中に氷水をいきなり浴びせられたような悲しみに襲われた。</p>
<p>日本代表となるまでの、厳しいトレーニングを積み重ねた膨大な時間の集積と、世界の舞台で戦えるという晴れやかな舞台が、一瞬で無に帰してしまったのだ。</p>
<p>スポーツ選手は全力で戦った上での結果をしっかりと受け止める覚悟はできている。しかし、直前でそれすらも叶わなかった選手たちの心情を思うと胸が痛む。</p>
<p>男子マラソンの欠場を余儀なくされた鈴木健吾選手（富士通）を神奈川大時代に育てた大後栄治監督と、7月18日に関東学連主催の網走長距離競技会でお会いした。鈴木選手がどのように受け止めているかをうかがった。</p>
<p>鈴木選手は「世界選手権で今の立ち位置を確認したかった。マラソン日本記録を樹立した後、苦しい期間を乗り越えて挑んだ大会だっただけに落胆も大きい。それでも大会を迎えるにあたって良いトレーニングと良い状態でオレゴン入りができた。それは貴重なプロセスの経験ができたということなので、次のステップを踏むための財産として捉えている」と語っていたそうだ。</p>
<p>鈴木選手にとって初めての国際大会であり、直前でスタートラインに立つことが叶わなくなった失望は計り知れない。</p>
<p>そのように思いを巡らせていると、1978年1月2日の夜が思い起こされた。日本代表の鈴木選手に対して思いを重ねるには申し訳ない気もするが、私自身の一番忘れられない思い出でもあり柱となっている出来事であった。</p>
<p>大学1年の第54回箱根駅伝、アンカー10区でエントリーされて迎えた復路前日の夜。すでにユニフォームにはアスリートビブス「10」（箱根駅伝のゼッケンは走る区間が記載されている）を縫い付け、明日の準備も整え、付き添いとの打ち合わせも済ませて寝床で横になっていた時間だった。</p>
<p>突然、部屋に訪れたのは往路の4区を走り終えた長距離主将の田中登先輩。大会前日で就寝時間を過ぎているとは言え、先輩が部屋に来たからにはすぐさま起きて、来訪の理由を尋ねるとともに「明日は頑張ります」と言葉を発する。</p>
<p>すると、すぐさま次のような返答であった。</p>
<p>「あっ！お前は頑張らなくていいんだ！ いましがた澤木（啓祐）監督から電話があって、上田は明日付き添いに回れということだ。アンカーは付き添い予定であった波多野に変更するそうだ。波多野にはすでに連絡済みで、すでに準備を終えて寝ている。行動予定は同じなので明日は朝練から付き添いよろしく頼むぞ！」</p>
<p>付き添いよろしく頼むぞといきなり言われても、自分としては全然よろしくないわけで、頭上から岩石が降り注いでくるような衝撃を受けた記憶が蘇る。</p>
<p>先輩が部屋を出て行った後もしばしボーゼンとしていた。<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/30043">連載コラム第8回</a>で書いたように、当時は百円硬貨を利用して通話ができる公衆電話BOXしか通信手段がなかった。小銭入れを握りしめ、小雪の舞う夜更けではあったが、合宿所近くの公衆電話から香川の実家に電話をかけた。当時はまだNHKのラジオ中継しかなかったので、「郷里の家族には周波数を合わせても自分は走っていないことを告げておかねば」との思いだった。</p>
<p>選手を外された心情的には「何も前日のこの時間に、しかも伝達で告げることはないのに……」。中学時代から見てきた青春ドラマのワンシーンならば、数日前に監督にグラウンドや別室に呼び出され、起用しない理由や次回に向けての励ましやらアドバイスがあっても良さそうなものだ。</p>
<p>しかし、現実には「お前は頑張らなくていいんだ！」の一言。「それはないだろう……」。と自分の至らなさを棚に上げて、悪態の一つや二つは叫びそうであった。</p>
<p>電話口に出た父から、「監督が起用しないというからにはそれなりの理由があるはずだ、よくよく振り返って考えてみろ！」と厳しく嗜められた。その後は惨めさと情けなさで、どのような話をしたか記憶にはない。気がつけば涙を流しながら受話器を握りしめ、最後の百円硬貨が電話機に飲み込まれ、通話終了の「プー」という不通音に切り替わっていた。</p>
<p>重要なのは先ほど棚に上げたことだったのだ。</p>
<p>当時の箱根駅伝は、10区間の選手を入れて捕員4名を含む14名を12月14日にエントリーするルールであった。アンカーにエントリーされた喜びも束の間、不安と重圧が入り交じる日々を送ることとなった。</p>
<p>そんな思いが心に湧き上がると、溜息をついてしまう。その溜息をついてしまうと体調が上がらない場所が三つある。食卓と風呂と寝床である。</p>
<p>思えば、大会前にはその場所で溜息ばかりついていた気がした。「あの時にもう少しこうしておけばよかった、ああしておけばよかった」という後悔の溜息である。故障気味で入学した私は、陸上競技に対する集中力が細くなった時期があった。できなかったことではなく、やらなかったこととやろうとしなかったことが溜息の原因であった。</p>
<p>変えることのできない過去であるはずなのに、悔やむことを後悔というならば、まさに大会前日の寝床の中で大きな溜息を抱えて横たわっていた私のことであった。「お前は頑張らなくていいんだ！」と告げるように指示を出した監督のコーチングはまさに的を射ていたのである。</p>
<p>そのお陰で翌日は、悔しさと惨めさを抱えつつもアンカーの付き添いをし、その後ゴールへと先回りして選手を迎えた。大会後は郷里への帰省を取りやめ、頭髪を高校時代のようにバリカンで丸めてチャンネルを切り替えていた。</p>
<p>少し髪が伸びた頃には波多野君の背中を見ないで走れるようになろう、そして夏の合宿では4年生エースの背中に食らいついて行けるようになろうと頑張れた。あの日の夜についた溜息はこれからの取り組みで消し去るしかないと思えたからだ。</p>
<p>そのお陰もあって、翌年55回大会では山上りの5区を区間1位で駆け上がり、総合優勝に貢献できた。</p>
<p>そのような思い出を呼び起こしてくれた場所があった。</p>
<p>時は現代へ戻り、先日、報知新聞創刊150周年記念の報道写真展「瞬間の記憶」が恵比寿の東京都写真美術館で開催されているというご案内を受けた。</p>
<p>報知新聞は箱根駅伝創設に関わった金栗四三氏の依頼を受けて第1回大会開催に尽力していただき、現在も大会の後援をしていただいていることから、先日展示を拝見させていただいた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-79151" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1920" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-1024x768.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-768x576.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-1536x1152.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p>
<p>箱根駅伝のコーナーに55回大会の芦ノ湖にゴールする瞬間の写真を展示していただいていた。その写真を見るにつけ、瞬間の記憶がフラッシュバックのように蘇った。あの歓喜の背景には1年前のあの指導と嗜め、そして大会を迎えるまでのプロセスの経験があったからこそと、思い起こす事ができたからだ。</p>
<p>話は戻るが、鈴木選手は7月26日現在もオレゴンで隔離中であるが、体調も回復し、次の目標に向かう気持ちであることを大後監督からお聞きした。ぜひとも、変えることのできない過去を悔やむよりも、しっかりと前を向いてまた頑張ってほしいと願っている。</p>
<p>今回のコロナ感染に泣いた選手に励ましのエールをこめて贈りたい。</p>
<p>追記<br />
54回大会後日談。</p>
<p>1977年12月14日のエントリーを終えた日に、箱根当日は波多野選手で行くと、本人と当時駅伝主務であった山本康隆さんには伝えられていたそうだ。大会が近づいても選手変更について本人（私）には伝えられていない様子だったので、山本さんは心配になり、澤木監督に「いつ上田君に選手変更を告げるのですか」と尋ねたそうだ。</p>
<p>澤木監督は「上田にとって一番効果的な、しかるべき時に通告する。心配するな」とのことだったらしい。</p>
<p>しかるべき時というのが前日の夜就寝後だったわけである。お陰で私は後悔の溜息を「これからの取組み」としてやる気スイッチが入ったということだった。</p>
<p>コーチングとはかくあるべきであろう。</p>
<table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;">
<tbody>
<tr style="height: 75px;">
<td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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</div>
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-71312" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1208" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-300x142.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1024x483.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-768x362.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-1536x725.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/0c6dd3854579150dc618a61520a366ae-2048x966.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /><br /><strong>山梨学大の上田誠仁顧問の月陸Online特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます！</strong></p><h2>第23回「忘れられぬ1978年1月2日の夜～スタートラインに立てなかった君たちへ贈るエール～」</h2><p>夏の強い陽射しが眩しい。</p><p>ただでさえうんざりするほどの暑さに加え、新型コロナウイルスの感染者数が再増加傾向となってきた。</p><p>振り返ると、スポーツ界は幾度となく大会の中止・延期を余儀なくされてきた。昨年開催されたスポーツの祭典、東京オリンピック・パラリンピックすらも残念ながら無観客での開催であったことは記憶に新しい。</p><p>今思い起こしても、あの熱い戦いぶりを取り囲むような大観衆の中で開催ができていればと悔やむ気持ちは、心に刻み込まれたままである。</p><p>あれから1年。徐々にスポーツ観戦も可能となり、国内の野球・サッカーなどのプロリーグも有観客で開催されるようになってきた。</p><p>先日まで米国・オレゴンで開催された世界選手権は、歴史あるヘイワード・フィールドのスタンドを埋め尽くす大観衆の中で行われた。選手たちにとって最高の舞台設定がなされたわけである。</p><p><span style="font-size: 8pt;"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-79150" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55.jpg" alt="" width="1800" height="1200" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55.jpg 1800w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/image_6483441-55-300x200.jpg 300w, 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/>オレゴン世界陸上ではスタンドとの距離が近く、観客の声援が選手のパフォーマンを後押しした（観客のほとんどがノーマスクなのが気になる…）</span></p><p>しかしながら、チームジャパンにおいてクラスター（集団感染）が発生し、選手の欠場が余儀なくされたとの報道が相次いで届いてきた。まるで背中に氷水をいきなり浴びせられたような悲しみに襲われた。</p><p>日本代表となるまでの、厳しいトレーニングを積み重ねた膨大な時間の集積と、世界の舞台で戦えるという晴れやかな舞台が、一瞬で無に帰してしまったのだ。</p><p>スポーツ選手は全力で戦った上での結果をしっかりと受け止める覚悟はできている。しかし、直前でそれすらも叶わなかった選手たちの心情を思うと胸が痛む。</p><p>男子マラソンの欠場を余儀なくされた鈴木健吾選手（富士通）を神奈川大時代に育てた大後栄治監督と、7月18日に関東学連主催の網走長距離競技会でお会いした。鈴木選手がどのように受け止めているかをうかがった。</p><p>鈴木選手は「世界選手権で今の立ち位置を確認したかった。マラソン日本記録を樹立した後、苦しい期間を乗り越えて挑んだ大会だっただけに落胆も大きい。それでも大会を迎えるにあたって良いトレーニングと良い状態でオレゴン入りができた。それは貴重なプロセスの経験ができたということなので、次のステップを踏むための財産として捉えている」と語っていたそうだ。</p><p>鈴木選手にとって初めての国際大会であり、直前でスタートラインに立つことが叶わなくなった失望は計り知れない。</p><p>そのように思いを巡らせていると、1978年1月2日の夜が思い起こされた。日本代表の鈴木選手に対して思いを重ねるには申し訳ない気もするが、私自身の一番忘れられない思い出でもあり柱となっている出来事であった。</p><p>大学1年の第54回箱根駅伝、アンカー10区でエントリーされて迎えた復路前日の夜。すでにユニフォームにはアスリートビブス「10」（箱根駅伝のゼッケンは走る区間が記載されている）を縫い付け、明日の準備も整え、付き添いとの打ち合わせも済ませて寝床で横になっていた時間だった。</p><p>突然、部屋に訪れたのは往路の4区を走り終えた長距離主将の田中登先輩。大会前日で就寝時間を過ぎているとは言え、先輩が部屋に来たからにはすぐさま起きて、来訪の理由を尋ねるとともに「明日は頑張ります」と言葉を発する。</p><p>すると、すぐさま次のような返答であった。</p><p>「あっ！お前は頑張らなくていいんだ！ いましがた澤木（啓祐）監督から電話があって、上田は明日付き添いに回れということだ。アンカーは付き添い予定であった波多野に変更するそうだ。波多野にはすでに連絡済みで、すでに準備を終えて寝ている。行動予定は同じなので明日は朝練から付き添いよろしく頼むぞ！」</p><p>付き添いよろしく頼むぞといきなり言われても、自分としては全然よろしくないわけで、頭上から岩石が降り注いでくるような衝撃を受けた記憶が蘇る。</p><p>先輩が部屋を出て行った後もしばしボーゼンとしていた。<a href="https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/30043">連載コラム第8回</a>で書いたように、当時は百円硬貨を利用して通話ができる公衆電話BOXしか通信手段がなかった。小銭入れを握りしめ、小雪の舞う夜更けではあったが、合宿所近くの公衆電話から香川の実家に電話をかけた。当時はまだNHKのラジオ中継しかなかったので、「郷里の家族には周波数を合わせても自分は走っていないことを告げておかねば」との思いだった。</p><p>選手を外された心情的には「何も前日のこの時間に、しかも伝達で告げることはないのに……」。中学時代から見てきた青春ドラマのワンシーンならば、数日前に監督にグラウンドや別室に呼び出され、起用しない理由や次回に向けての励ましやらアドバイスがあっても良さそうなものだ。</p><p>しかし、現実には「お前は頑張らなくていいんだ！」の一言。「それはないだろう……」。と自分の至らなさを棚に上げて、悪態の一つや二つは叫びそうであった。</p><p>電話口に出た父から、「監督が起用しないというからにはそれなりの理由があるはずだ、よくよく振り返って考えてみろ！」と厳しく嗜められた。その後は惨めさと情けなさで、どのような話をしたか記憶にはない。気がつけば涙を流しながら受話器を握りしめ、最後の百円硬貨が電話機に飲み込まれ、通話終了の「プー」という不通音に切り替わっていた。</p><p>重要なのは先ほど棚に上げたことだったのだ。</p><p>当時の箱根駅伝は、10区間の選手を入れて捕員4名を含む14名を12月14日にエントリーするルールであった。アンカーにエントリーされた喜びも束の間、不安と重圧が入り交じる日々を送ることとなった。</p><p>そんな思いが心に湧き上がると、溜息をついてしまう。その溜息をついてしまうと体調が上がらない場所が三つある。食卓と風呂と寝床である。</p><p>思えば、大会前にはその場所で溜息ばかりついていた気がした。「あの時にもう少しこうしておけばよかった、ああしておけばよかった」という後悔の溜息である。故障気味で入学した私は、陸上競技に対する集中力が細くなった時期があった。できなかったことではなく、やらなかったこととやろうとしなかったことが溜息の原因であった。</p><p>変えることのできない過去であるはずなのに、悔やむことを後悔というならば、まさに大会前日の寝床の中で大きな溜息を抱えて横たわっていた私のことであった。「お前は頑張らなくていいんだ！」と告げるように指示を出した監督のコーチングはまさに的を射ていたのである。</p><p>そのお陰で翌日は、悔しさと惨めさを抱えつつもアンカーの付き添いをし、その後ゴールへと先回りして選手を迎えた。大会後は郷里への帰省を取りやめ、頭髪を高校時代のようにバリカンで丸めてチャンネルを切り替えていた。</p><p>少し髪が伸びた頃には波多野君の背中を見ないで走れるようになろう、そして夏の合宿では4年生エースの背中に食らいついて行けるようになろうと頑張れた。あの日の夜についた溜息はこれからの取り組みで消し去るしかないと思えたからだ。</p><p>そのお陰もあって、翌年55回大会では山上りの5区を区間1位で駆け上がり、総合優勝に貢献できた。</p><p>そのような思い出を呼び起こしてくれた場所があった。</p><p>時は現代へ戻り、先日、報知新聞創刊150周年記念の報道写真展「瞬間の記憶」が恵比寿の東京都写真美術館で開催されているというご案内を受けた。</p><p>報知新聞は箱根駅伝創設に関わった金栗四三氏の依頼を受けて第1回大会開催に尽力していただき、現在も大会の後援をしていただいていることから、先日展示を拝見させていただいた。</p><p><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-79151" src="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1920" srcset="https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-scaled.jpg 2560w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-300x225.jpg 300w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-1024x768.jpg 1024w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-768x576.jpg 768w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-1536x1152.jpg 1536w, https://www.rikujyokyogi.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/51DE58AA-BEF3-47A5-A0A5-C2E719216573-2048x1536.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 2560px) 100vw, 2560px" /></p><p>箱根駅伝のコーナーに55回大会の芦ノ湖にゴールする瞬間の写真を展示していただいていた。その写真を見るにつけ、瞬間の記憶がフラッシュバックのように蘇った。あの歓喜の背景には1年前のあの指導と嗜め、そして大会を迎えるまでのプロセスの経験があったからこそと、思い起こす事ができたからだ。</p><p>話は戻るが、鈴木選手は7月26日現在もオレゴンで隔離中であるが、体調も回復し、次の目標に向かう気持ちであることを大後監督からお聞きした。ぜひとも、変えることのできない過去を悔やむよりも、しっかりと前を向いてまた頑張ってほしいと願っている。</p><p>今回のコロナ感染に泣いた選手に励ましのエールをこめて贈りたい。</p><p>追記<br />54回大会後日談。</p><p>1977年12月14日のエントリーを終えた日に、箱根当日は波多野選手で行くと、本人と当時駅伝主務であった山本康隆さんには伝えられていたそうだ。大会が近づいても選手変更について本人（私）には伝えられていない様子だったので、山本さんは心配になり、澤木監督に「いつ上田君に選手変更を告げるのですか」と尋ねたそうだ。</p><p>澤木監督は「上田にとって一番効果的な、しかるべき時に通告する。心配するな」とのことだったらしい。</p><p>しかるべき時というのが前日の夜就寝後だったわけである。お陰で私は後悔の溜息を「これからの取組み」としてやる気スイッチが入ったということだった。</p><p>コーチングとはかくあるべきであろう。</p><table style="height: 75px; width: 100.243%; border-collapse: collapse; border-color: #85e0ff; background-color: #a1f7ff; border-style: solid;"><tbody><tr style="height: 75px;"><td style="width: 100%; height: 75px;"><span style="font-family: tahoma, arial, helvetica, sans-serif;"><span style="font-size: 10.6667px;">上田誠仁 Ueda Masahito／1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000ｍで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。</span></span></td></tr></tbody></table><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'><p>関連記事はありません。</p></div>]]></content:encoded>


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